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▼2006年読んだ本(1月‾:セレクト商品

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫) (詳細)
志賀 直哉(著)

「「いのち」の姿を描く」「神様の実力」「現地にて」「志賀直哉全般について」「情景が浮かぶ、志賀文学いつでも読みたい一冊。」


三四郎 (新潮文庫)三四郎 (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)

「青春の思い出」「絵画的小説」「2 stray sheep」「図書館にて」「普通の人々のリアリズム」


合葬 (ちくま文庫)合葬 (ちくま文庫) (詳細)
杉浦 日向子(著)

「無駄な血の痛ましい記録」「漫画をナメてました。申し訳ない。」「衝撃」「深い悲しみとそして・・・」「彰義隊には興味なかったんですが」


長屋王残照記 (1) (中公文庫―コミック版 (Cさ1-16))長屋王残照記 (1) (中公文庫―コミック版 (Cさ1-16)) (詳細)
里中 満智子(著)

「長屋王と廻りを取巻く人々・・」「完成度の高い作品です」「歴史漫画大好き」「続「天上の虹」です」「実質、氷高皇女=元正天皇の物語です」


女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語 (1) (中公文庫―コミック版)女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語 (1) (中公文庫―コミック版) (詳細)
里中 満智子(著)

「ふーん」「女性の生き方・・」「光明皇后の娘」「このスト−リ−の真意はラストにある」「セリフが読みにくい」


峠 (上巻) (新潮文庫)峠 (上巻) (新潮文庫) (詳細)
司馬 遼太郎(著)

「これ一冊で人生変わります。」「「志」ある人生が放つ美」「地方から時代の流れを感じることができる作品。」「河井継之助にアッパレ」「今の時代にも欲しい人」


文章読本 (中公文庫)文章読本 (中公文庫) (詳細)
谷崎 潤一郎(著)

「数ある文章読本の中ではイチオシ!」「確かに文章読本。しかし」「文化、歴史、精神」「筆を持つ日本人全てが読むべき本」「格調高いハウ・ツー本」


浅葱色の風―沖田総司 (中公文庫―コミック版)浅葱色の風―沖田総司 (中公文庫―コミック版) (詳細)
里中 満智子(著)

「女性向け沖田イメージベスト」「リアルな沖田総司」「大好きな里中先生と、大好きな新撰組がドッキング」


雪国 (新潮文庫 (か-1-1))雪国 (新潮文庫 (か-1-1)) (詳細)
川端 康成(著)

「鮮やかな印象」「何度でも楽しめる美しい文学作品」「美しい」「卑小な現実が無力になる絶対美の世界」「淫靡な世界」


風流江戸雀 (新潮文庫)風流江戸雀 (新潮文庫) (詳細)
杉浦 日向子(著)

「作者の芸の見せ所」「作者の力作 面白い」


それから (新潮文庫)それから (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)

「それからの代助と、それからの日本は・・・」「「それから」は『それから』」「時を経てわかった小説」「僕の存在には、あなたが必要だ。」「漱石は怖いです」


門 (新潮文庫)門 (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)

「十字架を背負った一生」「細やかな心情の描写が秀逸」「暗い、果てしなく暗い」「明治の東京の夜の静けさの中で」「美学者漱石の門。」


一日江戸人 (新潮文庫)一日江戸人 (新潮文庫) (詳細)
杉浦 日向子(著)

「とにかくいいんすよ」「心が「粋」を感じます」「気分は江戸人」「江戸ってこんなにいいよ!が伝わる本」「江戸へいらっしゃーい!」


もっとソバ屋で憩う―きっと満足123店 (新潮文庫)もっとソバ屋で憩う―きっと満足123店 (新潮文庫) (詳細)
杉浦 日向子(著), ソバ好き連(著)

「蕎麦、たべたい」「その「憩い」に誘われます」「ソバ+酒の至福」「ソバ+酒の至福」「蕎麦という幸せ」


彼岸過迄 (新潮文庫)彼岸過迄 (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)

「恐れない女と恐れる男ーー(「須永の話」 12)」「ブルジョアジーの憂鬱以上の辛さ」「好きです。」「そのまんま」「地味だけど面白い」


行人 (新潮文庫)行人 (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)

「近代知識人の苦悩から漱石自身の苦悩へ」「生きることの苦しみ」「一人行く人」「漱石自身の苦悩へ」「ストレンジャー文学の最高峰」


こころ (新潮文庫)こころ (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)

「前期の作品に比べると、より現代的で読みやすい。」「思春期に」「まさに『こころ』の本!!」「こういう 読み方もあります(親父の例)」「明治のこころ」


国が燃える 1 (ヤングジャンプコミックス)国が燃える 1 (ヤングジャンプコミックス) (詳細)
本宮 ひろ志(著)

「戦前~戦中の良心的日本官僚像」「今後に期待!」


猛き黄金の国岩崎弥太郎 (1) (集英社文庫―コミック版)猛き黄金の国岩崎弥太郎 (1) (集英社文庫―コミック版) (詳細)
本宮 ひろ志(著)

「ビジネスを成功させるという強いエネルギーを感じることができるマンガです」「三菱グループ創始者の岩崎弥太郎を知る(1)」


鴎外の「舞姫」 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 近代文学編)鴎外の「舞姫」 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 近代文学編) (詳細)
角川書店(編集)

「舞姫がこんなにも面白い」「サンクトペテルブルク」


白痴 (新潮文庫)白痴 (新潮文庫) (詳細)
坂口 安吾(著)

「安吾の生き方。」「誰が「鬼才」か再認識させてくれる一冊」「魂の淪落」「「白痴」、まさにそれはあんた達。」「心地よいグダグダぶり」


蟹工船・党生活者 (新潮文庫)蟹工船・党生活者 (新潮文庫) (詳細)
小林 多喜二(著)

「これは面白い」「ぞっとするリアルさ」「食わず嫌いを後悔・・・ 「政党」じゃなくて「正統」な現代小説でした。」「現在も繰り返す「蟹工船」の世界」「さすがプロレタリア文学の名著!」


生きている兵隊 (中公文庫)生きている兵隊 (中公文庫) (詳細)
石川 達三(著)

「大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。」「いかにして兵士は狂気に染まるか」「兵士の視点から見た「支那事変」の実相があからさまに」「さすが芥川賞著者」


墨東綺譚墨東綺譚 (詳細)
永井 荷風(著)

「荷風の脚力」「わたくしにとっても記念的な作品」「“今の東京”に連なる、鮮烈なよすが」「良かったです」「荷風のお茶漬け。」


草枕 (新潮文庫)草枕 (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)

「内容がわからなくても気にせず読みすすもう」「何度でも」「彼一流の芸術諭が興味深い」「那美」「近代に対する呪詛がみてとれる」


▼クチコミ情報

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

・「「いのち」の姿を描く
「死」と「生」を一直線で結び、「いのち」のあり方を示した「城崎にて」は、絶品でした。

命拾いをした主人公が静養した城崎で。あまりに普段の生活に、そして素朴な出来事に出会う。蜂の死、串鼠、さらにイモリの死に様。平生であれば気にも止まらない出来事が、フェーテルの世界で彼にリアルさを眼覚させる。私は串鼠の描写に、心を打たれた。小動物の動きを通じ、いきおい人間の「生の尊さ」を、問いかけられた。贅肉の無い美文は、近代文学最高峰の短編小説と位置づけたい。

他の作品も、志賀直哉ならではの語り口です。しかし、「城崎にて」を読むがために買い求めても、読者を満足させてくれます。私は、何時か暗唱したいと思い、繰り返し読み続けています。

・「神様の実力
 小説の神様、志賀直哉。一昔前の文学青年達は決まって志賀直哉を崇拝し、必ずその文章を筆写したといいます。現代では、神様の名も薄れつつあるようですが、この本を読んで直哉が文壇に与えた影響が非常に大きかったのだと改めて感じさせられました。 代表的な短編『城の崎にて』と『小僧の神様』のほか数編が収録されています。全編を通して見られる、行き届いた描写と無駄のない簡潔な文章は情景を頭の中に印象深く焼き付けてくれます。また、人間にありがちな都合のいい考え方や、心の揺れ具合はまさに神業。私小説に近い展開を繰り返しますが、ちっとも飽きません。 ただ、書いていることが少しあやふやで、私小説などに興味がない方には、何を書いているのか分からないと言うことにもなるでしょう。他の文学作品に比べても、全編を貫く思想又は主義という物は非常に弱いように感じます。文学を読むことに手応えを感じたい方にはあまり向きません。 私は大変気に入りましたが、買うときは他の方のレビューも参考にしながら、慎重に。

・「現地にて
志賀直哉は特に好きという訳ではない。有名な作家で、「城の崎にて」も読んだことがありました。

城の崎に旅行に行く機会がありました。 城の崎は情緒溢れる古びた温泉街で、のんびりとできました。

本を片手に、待ちを歩いてみて、描写の精緻さを味わいました。のんびりと、文学を読み漁ったり、私小説を書いてみたりするのによいところだと思いました。

個人的な話になりますが、自分の盲腸の手術の時に、麻酔が効かずに 「ノーキエロ」とスペイン語で叫んだことがあります。 人は窮地に追い込まれると何を言うかがわからないという経験かもしれませんn。 私小説は、他人には分からないかもしれないということの証かもしれません。

私小説の好き嫌いは、小説の中の経験について興味が持てるか、同感できるかかもしれません。好き嫌いがあってこその私小説だと思われます。全員が好きになるような私小説は、定義と矛盾していておかしいかもしれません。

・「志賀直哉全般について
ここに不満を書いている人は志賀直哉に不満があるというよりこのようなスタイルの小説自体に不満があるのでしょう。文体と比べて内容において志賀直哉の小説は評価が別れるでしょう、それは仕方がないことだと思われます。しかし、ここに書いている人の印象批判的、または小説斯くあるべし的レビューには我慢なりません。最後にあなたが気に入るか気に入らないか分かりませんが志賀直哉是非読んでみてください。

・「情景が浮かぶ、志賀文学いつでも読みたい一冊。
志賀直哉全集も所有していますが、志賀文学を無駄無く堪能できるのは、この「小僧の神様・城の崎にて」が一番良い。名作「城崎にて」をはじめドラマ化された「赤西蠣太」や「小僧の神様」「雨蛙」など短編の代表作18編が収載されている。殺伐とした現在において、読むにつれゆったりとした志賀直哉独特の世界感を味わうことができる。満員電車の中でも、疲れずに読める。日なたを浴びながらうつらうつら読むなど。ポケットに忍ばせて、いつでも読みたい。そんな一冊。

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫) (詳細)

三四郎 (新潮文庫)

・「青春の思い出
 「三四郎」は「こころ」と並ぶ漱石の代表作です。ぜひ、大学生、18歳前後の方に読んでいただきたいと思います。 私は18歳の時に読みました。淡く美しいラブストーリーがメーンですが、大学生・三四郎をめぐって、学問の楽しさが多くの挿話とともに語られていきます。 「吾輩は猫である」とは異なり、プロットは極めて軽妙、下町の情景描写もほとんどの地名が現存することもあり、一級品の史料です。 そして最後の一文は、繰り返し涙を流しました。 三四郎のように強く生きたいものです。 

・「絵画的小説
 三四郎は、東京の大学に入学し、律儀に講義を聞いていたが、どうも物足りない。そこへ、友人から、「下宿屋のまずい飯を一日に十返食ったから物足りるようになるか考えて見ろ」と、どやしつけられ、都内を散策してまわるようになる。そんなおりに出会ったのが、美禰子である。 二人が三四郎池で出会う場面、病院で再会する場面、知り合いの引越しを手伝って仲良くなる場面、団子坂の菊人形を見にいき、人ごみの中から逃げ出す場面、等、有名な美しい場面が多い。文章によって、絵画的世界を構築する漱石の文章力に触れるだけでも、読む価値がある。

・「2 stray sheep
Japanese is difficult to understand. Different person has different understanding, particularly for stories. I recently changed my opinion about this book. (Particularly, about Mineko.) I came across the questions. “われは我がとがを知る。わが罪は常にわが前にあり” Did Mineko simply say this for sorry to Sanshiro? Who is stray sheep? Sanshiro? Or Mineko? Sheep is always single. If I think that Soseki used “sheep” on purpose to make it deeper, do I think too much?I know that “われは我が…” and "stray sheep" are from the Bible.

Mineko certainly hurt Sanshiro and felt sorry to him, but also she hurt herself.Stray sheep is both Sanshiro and Mineko. “とが” is both Sanshiro’s and Mineko’s. I thought that Mineko is proud and kind of bad woman, before.However, I changed my mind. Most people take Sanshiro’s side, but I would like to take Mineko’s side as well as Snashiro's.

・「図書館にて
熊本から状況してきた東京大学に入学した小川三四郎。図書館のくだりは、手にとるような描写がある。1年生は書庫に入れないという仕組み、

・「普通の人々のリアリズム
夏目漱石の初期三部作といわれる最初の作品、『三四郎』。 主人公、小川三四郎が一人の女性に淡い恋心を抱き、しかしそれは実らぬまま静かに終わる。 それまでの過程は、市井を生きる名もなき人々の様子や情景の淡々とした描写によって綴られる。 物語というより、情景のスクロールを眺めているかのような感覚で読むことが出来る。

日常的に社会は動き、人々の生活の営みがある。三四郎はそういう様子に触れ、特に奇抜な発想をするでもなく、かといって陰鬱さの中に身を拘泥させるわけでもない。淡々と日常の流れに身を任せている。 登場人物もみな取り立てた特徴のある人物ではない。見渡せばどこにでもいそうな人たち。 漱石の作中に登場する人物たちは名もなき市井の人々ばかり。 だからこそ読み手は人間を同じ目線で眺めることが出来る。 偉人や特殊な才能を持つ人々の物語ではないだけに、地味な印象を受けるが、しかしこの地味さこそが人間社会のリアリズムを実感させてくれている。

三四郎 (新潮文庫) (詳細)

合葬 (ちくま文庫)

・「無駄な血の痛ましい記録
ある意味作者杉浦日向子はこの作品を描く必要ななかった。「江戸」の中で安穏としていればよかったのだ。

しかし、歴史が江戸ののほほんを許さなかったのと同じく、彼女も江戸の終焉を描かざるを得なかったに違いない。僕らも読まずに済めばそれはそれで幸せだったかもしれない。ただし、杉浦日向子に魅せられた者としてそれを回避する術を僕は持ってない。だから、読んだ。そして、泣いた。

彼女が良く使うフレーズ「私はわかりたくありません」を倣えば、彼女は幕末の動乱への「賛辞」をわかりたくないのだろう。端的に言えば作者は「明治維新」を認めなくないのだ。そう、権力の移譲だけなら何もあのように多くの血を流さずに済んだのではないか、と。

その確信の下に丹念に描かれていく「無名」兵士たちに付されたディテールの数々は、幕末を「青春グラフィティ」のまばゆい光として描く風潮に厳しく異を唱える。そして、それが声高でないだけに余計に痛々しい。

・「漫画をナメてました。申し訳ない。
彰義隊の物語は会津藩の行末と共に、近代化へシフトしてゆく日本の悲話として有名だが、彼等の微妙なポジションやその中で揺れ動く若い士族達の心情が実に良く、しかも劇画チックな過剰さを排して描きだされている。凡百の歴史小説やドラマ・映画など足元にも及ばないほど、完成度の高さにまづ驚かされる。

・「衝撃
読み終わったとき、衝撃を受けた。幕末に生きた少年たちが凄く身近に感じられていて、それ故にラストは打ちのめされたような衝撃を受けて、しばし放心してしまった。この人の作品は自分の生きている時代ではないのになんて実体験のように感じられるのだろう。

・「深い悲しみとそして・・・
3人の異なる個性を持つ少年達が時代のうねりに翻弄されていく様がさらりとした画風の中に描かれていきます。一人は流れ弾に当たって死に、一人は自殺、そして一人は新しい時代に一人生きる事に。確かに生きた、思った、感じた、そういった人間の生きた証しを思い起こさせる作品です。作中で少年の一人がする羽化したての蝉の話。夢を見ているようだったという台詞に凝縮された深い戸惑いや苦悩。いまも世界のどこかでこの3人の様な少年達が生き、そして死にあるいは生き残っているに違いありません。たまらなく切なく、そしてこれが私達の命の歴史の中にくっきりと刻まれていることを思い起こさせてくれます。作者が20代の頃の作品、というのは驚きとともに、なるほどと納得もさせられる、秀作です。

・「彰義隊には興味なかったんですが
二つ枕、風流江戸雀で楽しませてもらったのでそれらに続いて購入した作品です。彰義隊について知っている事といったら官軍相手に戦って敗走した旧幕残党くらいにしか思ってなかったんですが、戦って死んで行った隊員たちがまだ子供々々した旗本の子弟だと言う事に目を開かれました。結びにぽつんと置かれた「長崎より」が本編で死んで行った子供、青年達への哀悼の念を募らせます。

女史の欽定の歴史観とは違った視点を提供してくれる作品としては、討ち入り当日吉良家を描いた「ゑひもせす」所収の「吉良供養」もお勧めしたいですね。

ところで作品とは関係ないんですが「ハ・ジ・マ・リ」に書かれている志ん生の火焔太鼓の小話が聞ける録音ないかな、と思って探しているんですがなかなか見つかりません。残念。

合葬 (ちくま文庫) (詳細)

長屋王残照記 (1) (中公文庫―コミック版 (Cさ1-16))

・「長屋王と廻りを取巻く人々・・
この作品は、いまだに完成していない同作者『天上の虹ー持統天皇物語』のサイドストーリである。

主人公は、持統天皇の甥ではあるが母が豪族出身の為に天皇継承権を無くして大政大臣になった父、高市の皇子の長男であり、妻も母も皇族と言う血筋柄、清らかで理想高く崇高な精神を貫こうとまだ、若き日の長屋王の廻りを取巻く人々の生きざまが第1巻には、わかり易く作品にまとめあげている。

関連作として同作家の『天上の虹ー持統天皇物語』①~17巻以下続巻と『女帝の手記』 全5巻 などがある。

・「完成度の高い作品です
「天上の虹」では、主役の鵜野皇女や大海人皇子よりも強い印象を残した武市皇子。その武市皇子の第一子で武市をさらに純粋にしたような長屋王の栄光と悲劇。あの武市皇子の子供にこんな運命が待っていようとは!

「長屋王残照記」は「天上の虹」のサイドストーリーとか後日譚とかいう扱いが多いようですが、とんでもない、これは一つの立派な独立した作品であり、最初は面白かったが長くなるにつれてだんだんだれてきた「天上の虹」よりも作品としては完成度は高いと思います。藤原氏側から描かれた「女帝の手記」をあわせて読むとさらに面白さが増します。

・「歴史漫画大好き
先日平城宮跡(奈良)へ行ってきました。京都もいいけど奈良もまたこんなにもいいところだったのだと、改めて古代のロマンを感じた一日でした。しかし歴史のことをすっかり忘れてしまっていたので、勉強のし直しのために購入しました。長屋王のこともよく分かりましたが、さすが里中満智子さん、絵もストーリーもすばらしかったです。小学生の娘が歴史を学ぶときがきたら、読ませてやろうと思っています。

・「続「天上の虹」です
「天上の虹」ファンの方には必ず読んで頂きたいマンガです。長屋王と高市がダブるような・・・また、藤原一家の凄さにも感心させられます。

・「実質、氷高皇女=元正天皇の物語です
悲運の宰相、長屋王の悲劇の漫画ですが圧倒的にインパクトがあるのが長屋の義理の姉の氷高皇女(元正天皇)です。日本を愛し皇家を愛し、母を妹をそして妹の夫の長屋を愛した彼女は女の幸せの捨てて天皇に即位し首皇子(聖武天皇)の外戚となって国を乗っ取ろうとする藤原家一門と戦います。凛々しくて美しい氷高皇女は女の目から見ても惚れ惚れする女性。誠実な妹夫婦を守る為に義弟長屋を天皇にしようとするものの当の長屋に権力欲のないばかりに藤原家に先手を打たれて・・・。

誠実に生きようとした者が常に滅ぼされる歴史の暗部を描いた物語。聖武天皇以前の奈良時代の政争が生き生きと描かれ面白いです。作画は里中満知子さん絶頂期の美しさ。惜しいのは藤原一門が類型的な悪役になっていることと氷高皇女と阿閇皇女(氷高の母、元明天皇)以外の登場人物にいまいち魅力が感じられないこと。光明子(光明皇后)をただの権力欲の小娘にするよりももっと彼女の人間性を深く突っ込んで欲しかった。

欠点はありますがそれを差っ引いても面白い歴史漫画です。

長屋王残照記 (1) (中公文庫―コミック版 (Cさ1-16)) (詳細)

女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語 (1) (中公文庫―コミック版)

・「ふーん
長屋王残照記に続くストーリーなわけですが聖武天皇から『かくご』という概念を習いながらそれを実感することなく前半は藤原仲麻呂に貢ぎ、仲麻呂失脚のあとは弓削道鏡に貢ぎ政治を私物化した孝謙・称徳天皇はどうも好きになれません。当時の朝廷はそんな物だったのかも知れませんがね。それにしても道鏡ってあんなにさわやかな青年だったのかな?

・「女性の生き方・・
長屋王の事件を知った後に読んだまんがです。長屋王を素晴らしい人間だと思いながらだったので、藤原の話は斜めにしか読めないと思っていた。藤原不比等の孫である阿倍内親王の話であるが、女性のつらい立場や藤原の血との葛藤などがとても分かりやすく書いてあると思う。

・「光明皇后の娘
阿部内親王が成長する中で、母光明皇后から「藤原の血」を学び、父聖武天皇は「かくご」を学ぶ・・・はずだった。聖武天皇には残念なことに父としての情愛はあっても天皇としての「覚悟」がなかった。

立太子した阿部内親王に施政者としての「覚悟」が、微妙な影を落としているように感ずるのは「光明皇后」の娘としての「覚悟」と「施政者」としての「覚悟」が同一だったのかもしれないと、この一巻を読んで思う。

阿部は、光明皇后を(藤原氏)という壁を乗り越えなければならない。次巻以降、読者である私たちは彼女の成長を見守られなければならない。

・「このスト−リ−の真意はラストにある
ハ−ドカバ−版で買ってしまいました。絵も大きく雑でスト−リ−も淡々としていてただ運命に翻弄されていく女帝の姿を本人が語っているスト−リ−に途中で正直飽き飽きもしました。

世間知らずの阿部皇女がバックの藤原一族の陰謀で女帝に押し上げられる。影で『長屋王事件』を始め自分のためにたくさんの血が流されていることも詳しくではないが知っている。なりたくてなったわけではない女帝の座についた彼女。従兄に恋をするがそれも無残に裏切られる。

道鏡と出会って彼女の中で何かが変わる。女として真の幸せを味わったのだ。

そしてその生涯を終える時に「今度生まれたら・・・」

なんか同じ女としてラストはものすごく泣けたんだけど・・・。このスト−リ−の真意はここにあるのです。

それにしても5巻も買ったら高かったです。

・「セリフが読みにくい
「長屋王残照記」に比べると、絵は丁寧に描かれているものの、フキダシの中のセリフの最後にいちいち「。」が付いていてセリフが読みにくかった。「天上の虹」「長屋王残照記」では、このような事はなかったのに・・・

あと、ひらがなにすると意味の伝わりにくい言葉も、ひらがなになってて読みにくかった。

「天上の虹」のような完成度をキープして書くのは難しいという事か。

登場人物一人一人も”国のため”というより、ただ”自分のため”相手を操ったり陥れたりしているだけという印象があって、もう少し深い所まで表現してほしかった。

女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語 (1) (中公文庫―コミック版) (詳細)

峠 (上巻) (新潮文庫)

・「これ一冊で人生変わります。
 司馬遼太郎の作品を読んだ中で、この作品は現時点で一番自分の考えに影響を及ぼしたものです。越後長岡七万四千石という小藩の家老河井継之助が官軍にも幕府にも属さず独立の姿勢で戊辰戦争を戦うという内容である。継之助の「行動を伴わない知識は必要がない」という言葉は非常に面白い。現在あふれかえっている情報に翻弄されている私共はなんなのか、と思わざるを得ない。自分が何をしたいのかを明確にしない限り、全ての知識は無になってしまう。そんな思いをさせられた一冊であった。男性は必読。

・「「志」ある人生が放つ美
「河合継之助のような人間を持ったことははたして藩にとって幸か不幸か・・・」作中、登場人物達により幾度か繰り返される問いである。継之助はその卓越した頭脳と行動力により日本随一の砲兵団を作り上げ、それにより長岡藩という小藩をして一個の独立国にすることを夢見た。しかし結果として、継之助ひきいる長岡藩は維新史上最も激烈な戦いとなる北越戦争へと突入してゆくことになる。

司馬さんは短編『英雄児』において、継之助の英雄ぶりとともに、このような英雄を持った小藩の不幸を描いた。そして3年後、同じ河合継之助を主人公にし、全く別の視点、「武士」というものに焦点をあてた長編を発表した。それがこの『峠』である。継之助は福沢諭吉に劣らない開明論者で封建制の崩壊を誰よりも見通していながら、諭吉とはまったく違う道を選ぶ(この2人の掛け合いは私の最も好きなシーンである)。自分自身の原理原則――「志」に従った結果である。日本の文明化が諭吉の志なら、継之助の志は「長岡藩士として藩をいかによくしてゆくか」ということだった。司馬さんはあとがきでいう。「幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える」

この究極的な武士の美を描いた『峠』に、私は司馬作品の典型を感じる。その人間の行いが歴史的にどういう意味を持ったか、未来にどのように貢献したかは、決して司馬作品の主題ではない。司馬さんが描くもの、それは人生の美である。ただ生き伸びるだけの人生ではなく、「志」ある人生が放つ美である。継之助が極端なほどに貫いたものである。

・「地方から時代の流れを感じることができる作品。
1966年から連載が始まった、河井継之助を主人公にした作品です。「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」などが単行本で出版され、その後書き忘れられたように連載が始まったような感じです。土佐の竜馬、薩摩の西郷など薩長土肥の志士が活躍する中で、越後長岡藩で、藩を守るために運命を賭けた河井継之助の生き様は、尊皇攘夷などの思想が飛び交う幕末風雲の時代にあっては、異様な存在です。地方から幕末の混乱を見ながら、時代の流れを感じることができる作品です。

・「河井継之助にアッパレ
とにかく、★★★★★!!文句なしです。絶対おススメ♡

他の登場人物も魅力あるけれど、それよりも何よりも「河井継之助」にあっぱれ!です。「爽快」という言葉が一番当てはまるか・・・読み進むにつれて、だんだん面白くなっていきます。

ある著名な人が「河井には長岡藩は小さいかもしれない」と言っていましたが、私も、その気になれば一国の首相を努められる人物だと思いました。

歴史に「もし・・・」はありませんが、河井継之助が長岡藩士でなければ・・・とか、色々な妄想がよぎっていきました。個人的には、西郷隆盛や大久保利通、勝海舟と同じレベル、もしくはそれ以上の人物だと思います。

あんまり書いていると、内容を全部書いてしまいそうなので、ここらへんで失礼します。でも、「傑作」間違いなし!です。ぜひお勧めしたい本です。

・「今の時代にも欲しい人
河井継之助、魅力的な人だ。上巻では継之助が江戸や備中松山、長崎、横浜などに出かけてゆく姿が淡々と描かれている。びっくりするほど自分の考えをしっかりと持っている人で、やる事に勢いがあって読んでいても気持ちがいい。ただ300年間の天下泰平な暮らしが根付いていたあの頃に彼のような行動はおかしなものに映ったようだ。上巻の最後にようやく彼の行動や考えが少し受け入れられる様子を見せていくのだが・・・。彼のあの性格や行動力は持って生まれたものだろう。ましてあの時代継之助のように長男で黙っていれば食べるに困らないほどの収入が約束されている場合、このままでいいと思ってもおかしくない。なのに人に会うため雪の中を出かけてゆく、京や長崎にまで行ってしまう。そして結局は周りの人に河井継之助と言う人を認めさせる結果になるのは、彼の内側から出るものがそうさせたに違いない。その上で河井家の人々のそんな放蕩を許す懐の深さが、プラスされていく。そしてあくまで長岡藩のため、と言うスタンスがいっそう彼の魅力をひきたてる。わたしの継之助についての知識は白紙。中下巻でどのような展開になるのか楽しみだ。

峠 (上巻) (新潮文庫) (詳細)

文章読本 (中公文庫)

・「数ある文章読本の中ではイチオシ!
時代は異なりますが、今でもそっくりそのまま通用する教本であると言えます。他の読本では多少気になる説教じみたところが全くなく、極めてオープンで素朴、人間の五感を考慮した幅広い視点で「文章」について語られており、谷崎氏の美しい文体の秘密が解説されているような気がします。とりわけ、谷崎氏の英語に関する教養や、新しい動きに対する前向きな姿勢には感動すら覚えます。

・「確かに文章読本。しかし
谷崎はここで自身の何ものも暴いていない。「文章読本」は、彼の創作の秘密を暴いているわけでもなければ、コツを教えてくれてるわけでも、断じてない。これは「文章読本」を読んだ後、谷崎作品を何でもよいから一つ、読み直してみればすぐにわかる。ここに書かれているのは、(他の作家のみならず、自らの文章を引き合いに出したりしているものの、)一般的な文章の常識ないし、模範的な「いい表現」で、この本から谷崎作品を理解しよう、解剖しようと思っても、必ずすぐに行き詰まる。これで文章をわかった気になると(実にわかった気にさせられてしまうが)かなり大事なものを見落とす。大変勉強にはなるが、いい意味で、それだけである。文学を解くカギでもないし、これにより文章家が谷崎や志賀の様ないい作品を書けるようになるものでもなかろう。(この本に書かれているようなことは文章家なら、本来自分で気づいていることであろう。)そういった点は川端康成の「新文章読本」と同じで、筆者は自分の創作の秘訣を暴いているわけでは決して無い。購入に際しては、そこを期待しすぎてはいけませんよ、とご注意申し上げたい。

・「文化、歴史、精神
美しい日本語、表現の仕方を規則・形式として身に付けることも、ある程度は可能だろうし、又、必要だろう。しかし、この書で谷崎氏が私たちに教えようとしているものは、その形式のみに止まらない。根底にある日本人の文化であり、歴史であり、「日本語」を使う際に求められる精神についてだろう。私たちが日頃、根拠も無く抱いている外国語(英語)への優越感や劣等感の理由までも谷崎氏は明快に示してくれている。この一冊は日本語についてだけでなく、外国語への考え方まで一変させてくれるのではないだろうか?

つくづく感じたのは、「谷崎潤一郎という人は心から言葉を、文章を、日本語を愛していたのだなぁ」ということである。

・「筆を持つ日本人全てが読むべき本
谷崎潤一郎という作家は、漱石・鴎外・芥川・太宰等と言った所謂文豪の中でも、最も日本語を愛した作家として知られている。この作品においても、最も重要な根底に横たわるものとして「日本であること」という考えは大いに用いられており、逐一日本語の性質を明快に切り開く本著は、誠に素晴らしい。恐らく考えられるであろう日本語の、文章の上達法の正攻法を余すことなく書き表しているというのも一つの特質としては余りあるものであるが、それ以上に、日本語であることを徹底的に尊ぶ著者の姿に、読者は感激を覚える。含蓄のある文章とは何か。文章とはどうしたら上達するのか。この本を読めば十二分にわかる筈である。名著。

・「格調高いハウ・ツー本
 あえて「ハウ・ツー本」と書いたのは、非常に実用的な本だからである。世間一般でいう「ハウ・ツー本」と同じという意味で書いたのではない。

文章読本 (中公文庫) (詳細)

浅葱色の風―沖田総司 (中公文庫―コミック版)

・「女性向け沖田イメージベスト
古い作品なので今になって絵を見るとモロ昔の少女漫画路線で神経がかゆくなる絵に見えるのではとおそるおそる再読。しかし、杞憂でありました。髪が(執筆時代の影響から)ロンゲすぎるきらいはあるものの、恐れていたザ・宝塚系ではありませんでした。今読んでみるとさすがは大御所、リリカルであるが押さえるところは押さえて心理描写が巧みです。里中ファンではなくともお勧めできます。ページ数も有ったのか固定イメージとしてある明るくユーモアのある沖田は描かれず、かなりシリアス。史実にある喀血、労咳(不治の病)心理的葛藤などは里中路線で描きやすかったともいえそう。でもこれが女性にとっての沖田イメージとしては王道でしょうね。華やかな少女漫画全盛の発表当時はきっと「地味」なイメージもあったと思います。女性向け劇画でありながら、固定された沖田イメージを壊していないのは見事だと思います。

・「リアルな沖田総司
少年らしさを残す沖田総司の、新選組に居るが故に日々接する死と、病によって徐々に迫ってくる死の二つに直面する姿をリアルに描いています。物語構成が素晴らしく、流石いくつもの歴史漫画を手掛けている里中満智子の作品です。沖田総司、土方歳三、山南敬介、藤堂平助、原田左之助といったキャラクターがとても魅力的ですが、惜しむらくは

近藤勇が隊長という立場にも関わらず少い印象が薄いと言う点でしょうか。と言うことで星は4つ。

・「大好きな里中先生と、大好きな新撰組がドッキング
来年には大河ドラマで香取慎吾主演で「新撰組」が放映される予定。新撰組を知らない方にも興味を持って読んでもらえると思います。沖田総司とはどんな人か・・・など。星4つにしたのは、新撰組を知っている方が読むとネタバレしているだけに「ああ、知ってるよ」と思ってしまうかも知れないから。

でも、私は知っている側の人間ですが、基本的に子供の頃からの里中先生の大ファンなので、十分に楽しめましたし、本がくるまでワクワクしながら待っていました。そこには、やっぱり先生なりの新撰組の解釈が入っていますしね。

浅葱色の風―沖田総司 (中公文庫―コミック版) (詳細)

雪国 (新潮文庫 (か-1-1))

・「鮮やかな印象
びっくりするほどつまらい授業のときになんとなく読みはじめて、読みはじめるとすぐに自然に引き込まれた本でしたが、あまりにも退屈でちょっと暗い印象さえあった教室で、文章の鮮やかな印象に打たれたのをはっきり覚えています。

川端康成作品の硬質で端的な美しい文章には、情景をくっきりと描いて読む側にとても鮮やかな強い印象を残すようなところがあると思います。淀みのない美しさは特別で、考えるよりも実感として直接打たれる感じです。まったく失礼な話だけど、そのつまらない授業のときに「雪国」を読んでしまうと、こんどは「伊豆の踊子」を読んでまだ明るい鮮やかさに打たれたりしました。優れているといわれる作品の、本当の素晴らしさがわかります。

・「何度でも楽しめる美しい文学作品
 結末がわかっているのに何度でも手にとってしまう作品。そのような文学作品はいくつかあるとは思いますが、これもそのひとつかと思います。登場人物の心情の描写や風景の描写における表現が巧みでぐいぐいと引き込まれていきます。文章がとても美しいのでいつ読んでも新鮮な感動を覚えます。結末がわかっているのに何度でも読んでしまいます。

 学校で押し付けられるのが嫌でこのような素晴らしい作品から遠ざかっている人も多いことかと思いますが、気持ちを切り替えて読んでみることをお薦めします。詩や歌に接する感覚で向き合うのも良いかも知れません。 受験や勉強を抜きにして、まっさらな気持ちで読んでみるとまたちがった面白さがあるかと思います。

・「美しい
全体的に、しっとりとしていた。これは、ストーリーでみせる小説ではなく、美しい情景描写を楽しむ小説なのだと思った。情景描写は本当に素晴らしい。言葉の美しさでは、川端の右に出る者はいないだろう。

・「卑小な現実が無力になる絶対美の世界
「生きることに切羽詰まっている女と、その切羽詰まり方の美しさに触れておののいている島村の感覚の対立」と、伊藤整が書いている。いわばあらゆる卑小な現実がその前では無力になる、絶対美の世界である。それを待つものは、おのずと悲劇的結末でしかないのだろう。

・「淫靡な世界
川端さん特有の淫靡な世界。

雪国 (新潮文庫 (か-1-1)) (詳細)

風流江戸雀 (新潮文庫)

・「作者の芸の見せ所
 江戸の川柳を元にしたマンガ。 各話4ページで、最初と最後に川柳が一つずつ挙げられているという趣向。

 4ページの話だから、とくに話らしい話はなく、川柳の解説めいているのだが、川柳に詠まれた世界はきっとこんなふうだろうと思わせる。もちろん、日常生活が詠み込まれているわけではなく、ちょっと日常から離れたことを詠んでいるわけで、マンガもまた、リアリティの追求などせず、戯画化されている。

 それでも、絵の分かる人なら、登場人物の着物の柄や、家の造り、調度品などを見て楽しむこともできるのだろう。 そういう素養がないので、少し損した気分。

・「作者の力作 面白い
確か、毎日新聞にのった書評欄で「私の選ぶ杉浦日向子3点」の中にあげられていたもの。初期の作品であり、この作品で漫画賞を受賞した。一作一作を月刊誌に書き続けたものを本にしただけに、一つ一つの絵に、丹精がこめられ、仕上がり度がすごい。江戸時代の庶民たちの、明るいユーモアが、ほんのりした健康なお色気とともに出ている。読んでて、気持ちが、ほんわかしてくる。これは、百物語とともに作者の傑作である。

風流江戸雀 (新潮文庫) (詳細)

それから (新潮文庫)

・「それからの代助と、それからの日本は・・・
本書は「三四郎」に続く三部作の二作目。主人公、代助は親の勧める縁談話を勘当を覚悟で断り、友人の妻、三千代と一緒になろうとする。その結果、代助は親からの経済的援助を打ち切られ、生活力を持たない彼が途方に暮れてしまう所で小説は終わってしまう。代助は当時としてはかなり進んだ日本人で、洋書に親しみ近代的(西洋的)な思想を持って生きる「高等遊民」であるが、そんな彼が平岡と議論する場面で、日露戦争後の日本の姿を「むりにも一等国の仲間入りをしようとするが、日本ほど借金をこしらえて貧乏震いしている国はない」と批判している。しかしそれはまさに形ばかり西洋化しても殆んど生活力を持たない代助の姿そのものではないだろうか?それから代助と三千代はどうなったか?三作目の「門」へ続くが、登場人物は別の設定となっており、一読者として興味は尽きない。それから日本はどうなったか?その後の歴史を知っている我々としては色々と感慨深いものがある。

・「「それから」は『それから』
 「それから」という題名を「三四郎」の後を意味する「それから」と捉えるのが、一般的な見解である。しかし、私は「それから」以降を『それから』と捉えます。 近代、資本主義の萌芽期の明治時代にて、前近代の所産を投資し、所謂富裕な市民階級が現れた。代助の生家もその類であった。甘えた彼は、現在のフリーター以下の遊び人。たまたま、親の脛を齧りつつ学問を修めていたが故、「高等遊民」と位置づけられた。 友達は社会に出て、それぞれに奔走。中でも、故郷の役所に勤めた友に本を贈る件は、親切とは言えども、身の程知らずとしか言い様がない。もちろん、平岡と美千代の仲介は、言葉もない。 しかし、であるからこそ「それから」の話が成り立つ。もちろん、代助は、善良な人間である。終盤、ついに親・家族・家をも裏切る裏切る行動に出た。所謂「高等遊民」たる代助の境遇は、浮世のメリーゴーランド状態となる。東奔西走先さえも見失う。題して『それから』と私は捉えます。【余談】草枕の那美さん、愚美人草の藤尾さん、ここでも美千代さんを美しく描いている。漱石って、美人を描かせたピカイチですね。

・「時を経てわかった小説
大学に入りたての頃、映画化されて話題になったので読んだときは、正直ピンと来なかった。やはり漱石は「こころ」や「坊ちゃん」だなと思っていた。

しかし、それから10年ほど経って読んでみたら、心に響いた。何回も読み返した。人生経験をつまないと分からない小説ってあるもんだな、と思った。いまでも時どき読み返す。もちろん「こころ」や「坊ちゃん」も好きですが、私はこれがいちばん。

・「僕の存在には、あなたが必要だ。
私にとって漱石のそれからは、日本文学史上最もロマンティックな作品です。代助は大学を卒業した後も、働こうとしない。それは彼が、怠け者であるからでも、世の中に出て行くのを恐れている(世の中の人間を見下している)からでもない。なぜ働かないのか、なぜ結婚しないのか、と他人に聞かれた時の彼の返事は本心ではない。(兄嫁だけがその事にうすうす気付いていたが。)本当の理由は、彼の心の中に大きな隙間があったからだ。それは美千代。彼は美千代との思い出の中に生きていたからだ。物語の終盤、代助が美千代の昔と同じ髪形を指摘し、「あら気がついて・・・」 というたった一言の中に三千代の悲しみ、恥じらい、喜び、ためらいといった想いが表され、美千代という女性、二人の関係を物語っている。彼らは同じ世界に生き、彼らの世界は、美千代が結婚した時点で止まってしまったのである。

そして今、時は再び動き始める。「それから」とはこの物語のあとの二人のそれからを指す。

・「漱石は怖いです
 最近「それから」を読み返したのですが、子供の頃は暗いなあくらいにしか思えなかった小説が、今では「怖いことを書いているなあ」と思うようになりました。「三四郎」の頃からそうなのですが、漱石は作中の人物をこれ以上は後戻りをすることの出来ない所まで追いつめます。それは、もし私が同じ立場に立たされたならば震えてしまうほど後戻りの出来ない場所でもあります。この「それから」でも、代助が友人である平岡に妻である三千代を譲ってくれというぎりぎりの所まで追いやり、さらにはその事で代助が何もかも失ってしまう、という所で物語は終わります。美しい物語の影になって、それまでは気が付かなかったか見落としていた漱石の怖さというものを、今回読み直すことで実感できるようになりました。

それから (新潮文庫) (詳細)

門 (新潮文庫)

・「十字架を背負った一生
『三四郎』『それから』に続く初期三部作の完結編。

人の妻を奪い、その結果いっしょになった一対の夫婦、宗助と御米。それがゆえに世間から白眼視されることになったこの夫婦の苦悩の日々を描く。 もちろんこれを現代的感覚で読むことはできない。時代背景は封建的空気が未だ色濃く漂う明治である。姦通罪という不義を罰する法律があった時代であり、現代における“不倫の恋”などと同一視して軽い気分で読んだのでは主題の重さを感じることはできないかもしれない。

前作の『それから』では、主人公が友人の妻に恋心を告げ、それを友人本人にも打ち明け、結果それまでの生活をすべて破綻させたところで狂気を漂わせながら終わっている。 『門』ではそれを受けて、その後のひとまずの静寂を手にした夫婦の形に焦点を当てている。もちろん主人公も舞台設定も異なっていることは衆知のとおりである。 主人公宗助の苦悩を中心に描かれており、苦悩と向き合いつつも結局は答えや救いなどがない人生もあるということを示唆しながら終わる。 人の業深さを思わずにはいられない。 禅の門をくぐり、そこでわずかばかり滞留して再び門をくぐって帰ってきても、ついに自らの苦悩を解決できないまま、また再び静寂の生活に身を沈ませる。この様は身の始末をどうとも潔く処断できない人の弱さを十分に感じさせ、ある種の豪胆さを持った人は別として、いわゆる「その他大勢」の人々誰もが抱く心の脆さがどういうものかを考えさせる。

答えがない。 ない、ということにこの物語の本質がある。

・「細やかな心情の描写が秀逸
三四郎、それからに続く三部作で、この3つの中では最も地味な印象です。「それから」のそれからを描いた作品で、「それから」の代助と三千代は、「門」では、宗助と御米の夫婦になって描かれます。

「それから」は夏の小説でしたが、「門」は冬の小説です。秋から冬にかけての季節感と世間に埋没するようにひっそりとしかしお互いを支えあって生きていく夫婦の心情が、漱石独特の文章で細やかに描かれます。前半部分の伏線が後半に来て宗助の心に動揺を与えていくあたりの描き方や御米に対する心遣いが美しい文章で語られます。

新しい岩波文庫版では、字体や仮名が一部改められています。しかし、漱石の文章はやはりオリジナルの旧字・旧仮名の文章でこそ味がでるものと思います。

・「暗い、果てしなく暗い
この全編を覆う雨雲のような雰囲気はなんなんだ、と前半部分は感じた。だんだんこの夫婦の過去が明かされていき、この暗さの意味を我々は知ることができる。過去にがんじがらめにされて隠遁生活を送る夫婦の物語。でもこれも「あり」だなと思った。二人の生活。お金はないけど、静かなときが過ぎていく。旦那は現実から逃げたりするけど。しかしながら文章の表現力がすごい。あっと驚くような文章が惜しげもなくちりばめられている。なんというか、「黒の美しさ」というか、漱石のダークサイド、月の裏側のような作品。

・「明治の東京の夜の静けさの中で
明治の東京の夜は、いかに暗く、静かであった事だろうか?この小説を読むと、私は、風の音以外何も聞こえない、明治の東京の夜の静けさを想像せずには居られない。耳を澄ませても、風の音以外、何も聞こえない、明治の東京の夜の静けさが、まるで自分の記憶の一部の様に、私の心を満たすのである。--暗い作品である。漱石の文学の主題の一つは、人間のエゴであるが、この小説(「門」)は、そのエゴの追求の先に在る、人間の孤独を描いて居る。それも、尋常の孤独ではない。明治の東京の夜の様な、深い闇の様な孤独である。この小説の主人公は、友人を裏切って得た恋の末、妻と、明治の東京に生きてゐる。二人は、深い愛情で結ばれてゐる。しかし、流産と死産の結果、二人は、三度、生まれて来る子供を失なふと言ふ悲劇を共有してゐる。その悲劇は、もろろん、主人公とその妻の過去とは、何の関係も無い。しかし、その悲劇が、主人公とその妻には、自分たちの過去の帰結であるかの様に感じられ、二人が、その感情から逃れられない事が、この小説の基本的なモチーフに成ってゐる。それは、もちろん、幻想である。しかし、その幻想が、幽霊の様に、否定しても否定し切れない処に、エゴを追及しながら、そのエゴに徹する事が出来無い人間の姿が在ると言へるだろう。平成の喧騒の中に生きる私には、主人公が感じるその感情が、明治の東京の夜の闇の様に、深く、恐ろしい物に感じられる。この小説(「門」)の出口は、何処に在るのだろうか?新潮文庫のこの本の末尾には、柄谷行人氏の興味有る解説も有る。本編と併せて、これも読まれる事をお勧めする。

・「美学者漱石の門。
「門」というとまるで漱石が思想的にコンヴァートしたような側面が強調されるフシがあります。この青春三部作を後に、漱石は所謂「真面目がウリの漱石」となって完成へと向かった。果たして本当にそうでしょうか?漱石は単に真面目なだけではない。非常に一般に対して真摯なエンタテイメントな名作家だった。「猫」然り「坊ちゃん」然り。この三部作もまた、読者にいかに読ませるかに心を砕いた非常に丁寧で心のこもった親切な作品です。

こういうわかりやすくて教養に満ちた小説が少なくなりました。というより、漱石以後、皆無といってもいいと思います。面白くてタメになる小説を書いてくれる人がいなくなった。何だか真面目に自分の事ばっかり考える小説ばかりになってしまった。自分が何かなんて、フツウ他人はどうだっていいんです。そんなもん活字にしてどうするんだ。寝言じゃないか?最近の日本人の日本語でいう「自分語り」もいい加減にして欲しい。そういう小説が日本の近代文学をつまらない文学にしてしまった。

「門」はこうした漱石のエンタテイメントの最後の小説です。そして、いろいろな意味で美しく透明な描写と、漱石の美学的な教養に触れる素晴らしい作品になっています。奥さんと平凡でサビシイ生活をしているサラリーマンの話ととるのは結構。しかし、漱石のキャンバスにはもっと鮮やかな色彩と構図が盛り込まれています。

門 (新潮文庫) (詳細)

一日江戸人 (新潮文庫)

・「とにかくいいんすよ
杉浦日向子は江戸を愛したひとであった。なんで江戸に生まれなかったか、と彼女のために悔やみたくなるレベルで江戸的な人物であった。芸術系漫画雑誌のガロで漫画を描いていたのが最初のキャリアだと思うが、そして彼女の本業はあくまで漫画家であったと思っているが、NHKの番組「コメディーお江戸でござる」だかで毎回江戸についての講釈をしたりと漫画以外での活動は幅広く、この著もそのような活動の一端、内容としては江戸シロウト向けの江戸ガイド本といったところであり、江戸の風俗文章とイラストを交えて面白おかしく紹介したものである。これが異常なまでにリアルな語り口調で語られ、彼女の書いたもの全部に言えるのだが現代にいながらにして、常時リアルタイムでの江戸の情報が流入してくることとなる。あれスピード感をすら伴う読書体験は他のどの江戸ガイド本から得る知識体験とも異なるものであり、トリップ感はサイケデリックですらあり、上質なネタを提供する杉浦日向子という人物の持つ独特な空気感覚が明らかに創作家としての一面を通して色濃く滲み出たひとつの芸術作品的意味としての真空保存パック的のそれである。いくらベタ褒めしても足らないくらい杉浦日向子は漫画も文章もどれ読んでも面白い。急逝が惜しまれる。

・「心が「粋」を感じます
軽快な”語り口”とイラストが楽しめる素敵な本です。筆者がこの著書に限らず、江戸の人々が現代と比べても、いろいろな意味で「豊か」だったことを紹介しています。転じて、平成の世も心持で「豊か」になれることがよく伝わってきます。それは筆者が江戸文化に対する深い愛情によるものだと感じます。筆者はまさに平成の世の「江戸文化の語りべ」だと思いました。

・「気分は江戸人
江戸時代の風俗がよくわかる本です。江戸人の価値観などもうかがい知ることができます。そのお金に執着しないところ、その日暮らしで、働くことにあくせくしないこと、人生に対する楽観的態度など、我々現代人にはない、生き方には、考えさせられるものがあります。新鮮で、自由さを感じます。また、著者によるイラストが豊富で楽しいです。昔の学習雑誌の漫画の付録みたいで楽しい雰囲気です。杉浦日向子さんの江戸びいきの味がよく出ています。

・「江戸ってこんなにいいよ!が伝わる本
著者は、江戸にねっから惚れ込んで、そのたのしさ、面白さ、そして身近さを、どうで現代の私たちに伝えたいと念じていました。それも学問とか、ウンチクとかの垣根はとっぱらって、ふつうに、現代感覚的に、「ほらほらっ、こんなにいいんだよ!」という感じで。 この本では、そんな著者のアイデアと工夫が、イラスト(ほんらい漫画家なので、お手のもの)と簡易な文章のに、よく結実していると思います。 他にも、著者のコラム本は何冊か読みましたが、時代の流行、風俗、料理、女性のプロポーションまで、誰でも興味ある題材がちょっとずつ幕の内弁当のように揃っている点でも、これが一番うまい本だと思いました。江戸雑学に興味あるひとのみならず、誰にでも気軽に楽しめる良書だと思います。

 最近は、日本の歴史、伝統などとおくめんもなく口にする人が多いようですが、現代日本人から見て一番近い「ムカシの日本」である江戸のことすら、私たちは知っているようで全然知らないのだということがわかります。そういう意味でも、誰が読んでも、楽しさのなかに認識あらたな箇所がきっとあるはずです。

それにしても、コラム本が文庫になってずいぶん最近出てるようですが、著者の真髄はやはりマンガにありです。文庫でもマンガふたたび充実して欲しいなあ。

・「江戸へいらっしゃーい!
『この次生まれて来るなら、若旦那(ばかむすこ)、そう、決めているのです。』と書いている作者は、今ごろ大好きな江戸で希望通りフワフワしていることでしょう。急逝が惜しまれます。江戸についての著書の中でも自筆のイラストたっぷりの本書は、まさに江戸人の入門書。時代を超えて江戸にいる気分にさせてくれます。「正月縁起づくし」「決定版マジナイ集」など内容は細部にわたり奥深いです。大根料理のレシピ集もあり実際に作ってみてもいいかも。傍らにおいて何度も読み返してみたい、そんな本です。

一日江戸人 (新潮文庫) (詳細)

もっとソバ屋で憩う―きっと満足123店 (新潮文庫)

・「蕎麦、たべたい
この本を読んで、やっぱり蕎麦を食べたくなります。特徴あるそばのお店が、軽快なタッチで紹介されています。蕎麦を食べたくなったとき、この本で事前にお店のことを勉強していってもよいでしょう。きっと、蕎麦を食べる楽しみが倍加します。そうして、この本を読んでいるうちに、本に書いてる蕎麦のお店に行きたくなります。そうそう、実際行きました。やっぱり、イメージどうりでした。家族で「そば道」を話しながら、蕎麦を食べてしまいました。本当にそばにおいてもよい本だと思います。文庫本がそばにあるだけで至福の時間が保証されます。

・「その「憩い」に誘われます
そば好きなら是非読んで欲しいこの一冊!蕎麦粉やキッとからめのツユの香りがただよってきそうな内容です。枕もとの本にしてしまったら、さあ大変!そばのことしか考えられなくなって、眠れなくなります。ソバ連の方々の愛情のこもったコメントもステキです。

・「ソバ+酒の至福
 グルメのガイド本は、買うだけで通して読むなんてことはまずしないのだが、この本は別で1軒1軒読んでしまった。名店案内としてではなく、ソバ屋での過ごし方(酒の飲み方)の見本として。そして杉浦日向子さんのファンになってしまった。

 ソバが好きという人には2種類、すなわちソバそのものの味を追求する「ソバ好き」とソバ屋で憩うことに重きを置く「ソバ屋好き」の二つがあって、杉浦日向子率いるソ連(ソバ好き連)は後者だという。私も後者である。自分でソバを打ちたいとは特に思わない。それよりも一人でちびちび飲みながら遅い午後をソバ屋で過ごすなんてことを無性に試してみたくなっている。 実はこの本、『ソバ屋で憩う 悦楽の名店ガイド101』の続編だと思っていたのだが、リ!ニューアルであった。早とちりの私は2冊同時に買ってきてしまったので改定部分を見比べて読んだのだが、3年のうちに10店ほどが外されている。約1割だ。ソバ屋にさほどに栄枯盛衰があるようには思われないが、評価を変動させる動きは常にあるのだろう。

・「ソバ+酒の至福
 グルメのガイド本は、買うだけで通して読むなんてことはまずしないのだが、この本は別で1軒1軒読んでしまった。名店案内としてではなく、ソバ屋での過ごし方(酒の飲み方)の見本として。そして杉浦日向子さんのファンになってしまった。

 ソバが好きという人には2種類、すなわちソバそのものの味を追求する「ソバ好き」とソバ屋で憩うことに重きを置く「ソバ屋好き」の二つがあって、杉浦日向子率いるソ連(ソバ好き連)は後者だという。私も後者である。自分でソバを打ちたいとは特に思わない。それよりも一人でちびちび飲みながら遅い午後をソバ屋で過ごすなんてことを無性に試してみたくなっている。 実はこの本、『ソバ屋で憩う 悦楽の名店ガイド101』の続編だと思っていたのだが、リ!ニューアルであった。早とちりの私は2冊同時に買ってきてしまったので改定部分を見比べて読んだのだが、3年のうちに10店ほどが外されている。約1割だ。ソバ屋にさほどに栄枯盛衰があるようには思われないが、評価を変動させる動きは常にあるのだろう。

・「蕎麦という幸せ
江戸っ子ではない私は、東京で食事や飲みに行く時、「蕎麦でも」という時の、江戸っ子の「少し頬が緩むのを押さえきれない」感じがずっとよく分からなかった。それが、この本を読んで氷解した。ああ、蕎麦は江戸っ子のリラクゼーションだったのだ。それを知ってから、蕎麦屋の使い方が変わった。しゃもじに載せた焼き味噌、「台抜き」と言われる天ぷら、欠かせない板わさ。そういった、蕎麦屋にふさわしい数々のつまみを日本酒で楽しみ、最後に蕎麦で〆る。これ以上の至福があろうか。

この本はグルメ本ではない。蕎麦への押さえきれない愛情を、綴らずにいられなかった江戸っ子たちの愛情本です。是非、蕎麦文化を次世代に継承する為にも、この本を一度読んで欲しいものです。

もっとソバ屋で憩う―きっと満足123店 (新潮文庫) (詳細)

彼岸過迄 (新潮文庫)

・「恐れない女と恐れる男ーー(「須永の話」 12)
一作ごとに<進化>をつづける漱石作品は、その全作品が問題にされる、という点で特別な作家です。以下、怠慢のそしりを受けるかもしれませんが、「彼岸過迄」の中でも特に評価の高い「須永の話」から、大変有名な文章を引用させていただくことにします。アフォリズムとして読んでも充分面白いと思いますが、これがどのようなストーリーの、どんな文脈の中に記されているか、是非ご自分で確認してみてください。僕は自分と千代子を比較する毎に、必ず恐れない女と恐れる男という言葉を繰り返したくなる。(略)僕に言わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事の出来ずに愚図々々しているのは、何より先に結果を考えて取越苦労をするからである。千代子が風の如く自由に振舞うのは、先の見えない程強い感情が一度に胸に湧き出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人である。だから恐れる僕を軽蔑するのである。漱石を読んでいる方にはお馴染みと思いますが、この男女観は漱石の全作品の根底に流れています。

・「ブルジョアジーの憂鬱以上の辛さ
高等遊民として食うにあくせくせずに悠長に暮らしているように見えて、須永の自意識を持って、毎日、自己と対峙し、人生を生きるとすれば、漱石が神経衰弱に悩まされるほどになったことも想像に難くない。自意識が邪魔をして欲しいものも手に入れられず、親族の婉曲な断りを感じ、将来、千代子を失望させることにまで考えを回し、手を引く決意をするが、千代子には卑怯者と罵られる。他人の眼に映る自分を常に理解しつつも、単純に快活に振舞うことはできず、嫉妬に悩まされるきつさ。そして肉親の縁も消えてしまい感じる孤独。憂鬱以上の辛いものがある。それを、あたかも、親戚の居間に上がりこんだような近しさで、目の前で見ているようなドラマを感じることになる。

最後になって、そういえば敬太郎から始まった物語であったことを思い出させられるが、物事の周囲をぐるぐる回っているだけでは自分の物語を生きることはできないが、自分の人生を生きる重さも余韻として残る。

・「好きです。
なぜか夏目漱石の作品のなかでは、これが一番のお気に入りです。情景描写が特に優れているような気がします。

・「そのまんま
 驚きました。漱石の作品を読んだのは初めてだったのですが、現代社会のかかえる病巣をおよそ100年前に見事、看破しているではないですか!

 「現代の日本の開化の影響を受けたわれわれは、上滑りにならなければ必ず神経衰弱に陥る」とは、現代の社会学者・宮台真司のいう「終わりなき日常を”まったり”と生きるしかない」、「『意味(=人生とは?などの哲学的思索)』よりも『強度(=テレクラやナンパなど繰り返してむなしいけれど一定の刺激を得られるもの)』を!」と論じているのと、まったく同じです。

 この本を読むと、観念的であることの恐怖について、とても考えさせられます。

・「地味だけど面白い
 複数視点で語られる本作は、衝撃的な出来事で読者に強い印象を残すものではないが、漱石の文章の上手さによって繰り返し味わえる作品になっている。内容的には、大患後の方向を示すような、大いなるプロローグであると言えるだろう。 私が繰り返し読んで改めて感じたのは、当時の女性の言葉遣いが美しいということだ。もちろん、このようにしゃべっていたのは中流以上の階級だろうが、現代の女性たちとはとても比較できない。以下に、例として259ページの千代子の言葉を挙げる。

「だから他の云う事を聞いて、もっと居らっしゃれば好いのに」「そうするとまるで看護婦みた様ね。好いわ看護婦でも、附いて来て上るわ。何故そう云わなかったの」「妾こそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。偶に招待に応じて来て置きながら、厭にむずかしい顔ばかりしているんですもの。本当に貴方は少し病気よ」

彼岸過迄 (新潮文庫) (詳細)

行人 (新潮文庫)

・「近代知識人の苦悩から漱石自身の苦悩へ
後期三部作の第二作。例によって朝日新聞への連載小説。

前期三部作に描かれた近代知識人の苦悩(自然と倫理or情念と理知、実務家のプラクティカルな能力とインテリの無為、無能力etc.)に関する問題がさらに推し進められて、より漱石自身の苦悩(人(と人と)の心の有り様や、信義や誠実の可能性、宗教観など、多分に(今の我々からすると)哲学的な問いかけ)が直接的に投影されている。

胃潰瘍の再発により、長期に亘る連載の中断をはさんだため、中断前と再開後の内容において、破綻とも言われかねない構成上の転換(語り手の変化)や、主人公(一郎)の心境の著しい変化などが見られるが、「彼岸過迄」を経た読者には、それほど気にはならない。

表見的には、「こころ」よりわかりづらく、とっつきにくいが、「こころ」を理解するためには、読んでおかなければいけない作品。

文章技術的には、相変わらず登場人物の心理が克明微細な筆致で描かれ、異常な迫力をもって呈示されるため、事件らしい事件も起こらず、プロットも極めてシンプルであるにもかかわらず、現代の読者の興味をも失わせない。傑作。

・「生きることの苦しみ
新聞小説であった漱石の作品はいつもそうですが、後半に莫大な重みがある事に、毎度驚かされます。

兄さんは、「起きると、ただ起きていられないから歩く。歩くと、ただ歩いていられないから駆ける。駆けるとただ駆けてはいられない。刻一刻と速度を上げていかなければならない。その究極を想像すると怖ろしい。怖くて怖くてたまらない。」と言います。これは、兄さんの弁ですが、そのまま漱石の弁でもあったと思います。何もかもが転がる玉の如く加速度的に変化する世界で、どうしても一つ所に留まることを許されない、人間の苦悩がありのままに書きつづられたすごい作品だと思います。最後まで読みきったとき、タイトルの「行人」という言葉が胸にしみてくる、相当重みのある小説です。

・「一人行く人
新聞小説であった漱石の作品はいつもそうですが、後半に莫大な重みがある事に、毎度驚かされます。

兄さんは、「起きると、ただ起きていられないから歩く。歩くと、ただ歩いていられないから駆ける。駆けるとただ駆けてはいられない。刻一刻と速度を上げていかなければならない。その究極を想像すると怖ろしい。怖くて怖くてたまらない。」と言います。これは、兄さんの弁ですが、そのまま漱石の弁でもあったと思います。何もかもが転がる玉の如く加速度的に変化する世界で、どうしても一つ所に留まることを許されない、人間の苦悩がありのままに書きつづられたすごい作品だと思います。最後まで読みきったとき、タイトルの「行人」という言葉が胸にしみてくる、相当重みのある小説です。

・「漱石自身の苦悩へ
後期三部作の第二作。例によって朝日新聞への連載小説。

前期三部作に描かれた近代知識人の苦悩(自然と倫理or情念と理知、実務家のプラクティカルな能力とインテリの無為、無能力etc.)に関する問題がさらに推し進められて、より漱石自身の苦悩(人(と人と)の心や関係の有り様、信、誠の存在可能性など、要するに人間存在というか、多分に(今の我々からすると)哲学的な問題)が直截的に投影されている。

胃潰瘍の再発による連載の長期に亘る中断をはさんだため、中断前と再開後の内容において、破綻とも言われかねない構成上の転換(語り手の変化)や、主人公(一郎)の心境の著しい変化などが見られるが、「彼岸過迄」を経た読者には、それほど気にはならない。表見的には、「こころ」よりわかりづらく、とっつきにくいが、「こころ」を理解するためには、読んでおかなければいけない作品。

文章技術的には、相変わらず暗喩、隠喩、直喩を駆使しつつの心理描写が異常な迫力をもって呈示され、事件らしい事件も起こらず、プロットも極めてシンプルであるにもかかわらず、現代の読者の興味をも失わせない。傑作。

・「ストレンジャー文学の最高峰
例えば、ワイワイと楽しく、みんなと仲良くする。例えば、ささやかなことに幸せを見いだす。例えば、誰かを心から愛し暖かい家庭を築く。

それができる人たちを羨ましいと思う。僕はそのようなことが上手にできない。一郎は更にハードコアで、まったくできない。一郎は、僕から見て「こちら側」の人間だ。「あちら側」の人たちが羨ましいが、彼らのようには決してなれない。そしてのたうちまわるのである。

一郎レベルまで偏屈な人間はなかなかいないかもしれない。とはいえ、彼の悩みはある種の人間にとっては普遍的なものではないか。より深いコミュニケーションを求めるから絶望するのだ(コミュニケーション能力が低い癖に!)。

一郎は『死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない』という事を言う。名言だ。しかし、「その三つすらできない」ということが、僕らのような人種にとっての不幸なのだとも思う。100年近く前に書かれたこの作品だが、驚くべきことに全く古びていない(漱石作品全般に言えることだが)。余計者は必読の一冊。

行人 (新潮文庫) (詳細)

こころ (新潮文庫)

・「前期の作品に比べると、より現代的で読みやすい。
 本作品は漱石の「後期三部作」として、また漱石の最高傑作として名高い。有名な『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』などと比べると、とても読みやすかったのが印象的であった。他のレビューアーの方も述べている通り、より現代的な恋愛が一つの軸となって物語が進行してゆくところにその理由があるのではないだろうかと思うし、またもう一つの軸としての「死生観」についても多くの読者の深い共感を得られるものであろうと推察する。

 漱石ほど人と作品が密着している文学者はいないとはよく言ったもので、本作品でもその傾向が顕著に見られる。

 例えば文章の半分を占める先生の手紙は、先生という登場人物の口を借りて、正岡子規が死去する時に手紙を送れなかったこと(子規がその生涯を終えようとしている時、漱石は神経衰弱と狂気と格闘していた)への後悔の念を清算したのではないか。 例えば先生の自殺は、漱石の教え子である藤村操の自殺(厳しく指導したため自責の念を覚えたといわれている)に対しての罪悪感が投影されたものではないか、などである。

 また感じたのは、執筆当時の日本の「世間」というものの捉え方の狭さである。失恋や友の裏切りや罪悪感に対して、自殺という選択をせざるを得なかった時代背景を私は感じた。登場人物の台詞を借りれば、「向上心の無いものはばか」なのだそうである。生きる事に貪欲であるが、その道は今よりも狭くて急勾配だったのであろう。

 高校の現代文の教材としても扱われる本作品は、単純に文学としての価値も高く面白い。「こころ」という題名について深く考えさせられる著作である。夏目漱石というと、すでに古典の部類に入るという印象をお持ちの方もいるかもしれないが、そういった方の漱石導入として、この『こころ』という作品は最適ではないだろうか。

 一読の価値ありです。

・「思春期に
高校の教科書に「こころ」の一部分が載っていて、全部読みたくなり読んだのが最初です。

授業で、「K」は何で「K」なのだろう?という話し合いをしました。答えは無い問題なのですが、こころの「K」だとか名前にしてしまうと誰と決まってしまうからアルファベットを使っているとか色々ありました。

その中で、先生の言っていた、

自殺に使った「knife」(ナイフ)の「K」何も言わずに去っていった「K」と、ナイフと言う時に発音されない「K」「K」は言葉に出来なかったもの。という意見。

こじつけっぽいけれど、すごく心に入り込んで、「こころ」というとその授業がすごく印象的です。

・「まさに『こころ』の本!!
学校の授業で『こころ』に出会いました。夏目漱石といえば『我が輩は猫である』や『坊ちゃん』しか知らなかった私ですが、彼の作品がここまで深いものだとは思ってもいませんでした!(☆0☆)・・・若い頃に人間のエゴイズムを身をもって知り、利己的なものを嫌悪するようになった「先生」。しかし、親友を裏切ったことで自分の中にも潜む利己性に気づき、「先生」は生きる希望を失います。けれど、辛い人生を生きていくのも親友に対する償いと考え、また、愛する妻を悲しませたくないために自殺を思いとどまっている・・・そんな時、「先生」は一人の純朴で明るい若者に出会うのです。「死ぬ前に一人でいいから人を信じたい」人間は利己的な生き物だと知りながらも、人を信じたいとおもっている「先生」の気持ちは強く胸に響きます。確かに文体は堅いし、難しい漢字も多いけれど、「人間の心の奥底っていうのは明治も今も同じなんだなぁ」と共感出来ました。・・・読んだ後、少しものの見方が変わるような一冊でした☆

・「こういう 読み方もあります(親父の例)
高校生息子の夏休みの読書感想文の宿題が「こころ」だった。中学1年生の際にはじめて読んだ際は、何とも重苦しくて、怖くて、結局最後まで読んだのは高校生の暇な春休みだったと思う。今仕事の都合で離れて暮らす息子の気持ちが知りたくて20年余りを経て読み返してみた。

 偉大なる巨人「夏目漱石」の晩年の作品がこんなに読みやすく、ある意味明快にテーマを提示していることに、まず驚いた。夏目漱石については受験勉強の一環として江藤淳の「夏目漱石」を読んだぐらいで、社会人になってからは暫く読むことも無かったが、手元に本の無い単身赴任生活でたまたま昨年、才気走った「草枕」を読んで改めて感心していたことも、息子と一緒に読んで一緒に考えてみようと思った契機になったと思う。

 「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」と 上中下の三部に別れている中で私がこころ詰まらせたのは「両親と私」であった。初読の頃には「私」のように両親は学識も無く、つまらない存在であり、原罪を背負った先生の方が上等の人間と思っていたが、人の親になり、世間の波に擦り切れるまで揉まれると、「両親と私」の部の切なさが胸に痛いくらいである。「私」とKの関係、先生とお嬢さんの関係にばかり目が行っていた当時とは全く違った部分が光って見えた。 息子にとって、親に向かって親を語るというのは困難なようで、私の送った読書メモのメールは息子には重かったようで碌な返事が返ってこなかったが、それこそ「両親と私」の関係が示しているもので予想していたとおりで、ある意味安心した。

 ということで、こんな読み方も出来るという、「こころ」が、超名作であることは間違いなし。高校生くらいになればそれなりに身につまされて読めるでしょう(かといって読後感が暗いわけではありません)。万人にお勧めの一冊。

・「明治のこころ
 「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の3部構成です。 高校生の頃現代国語の教科書でお馴染みの作品。当時教科書で取上げられていたのは「先生と遺書」の抜粋でした。 第3部が作品の中で一番ドラマチックな部分だからでしょう。ただ、登場人物"K"の自殺や襖に飛び散った血の跡、 下宿の"お嬢さん"を"K"を出し抜く形で妻にしたことで友人の自殺という結果をもたらしてしまったという思い込み を抱えたまま生きる屍となった"先生"・・これらは当時の私に「暗い作品」というイメージを与えました。  改めて「こころ」をきちんと読み直すことで作品に対して深い感銘を受けました。  作品の舞台も漱石の生きた時代も「明治」です。 作品の中では明治天皇が崩御し、殉死という形で乃木大将は人生に幕を降ろします。 "先生"もまた自身の命を賭して贖罪します。 そこには、明治という時代を作った人間の力とその時代に育まれた人間のこころを読み取ることができます。 登場人物は自分の信念・生き方に「真面目」であり、現代にはない力強さを持っていました。  暗いニュースが流れる昨今、私達も先人から学ぶべきことはたくさんあるようです。  人間の心は本当に弱く移ろいやすいものだと身につまされる思いがする一方、心が命ずるままに行動するのではなく 自分を律する強い心を育てなければと感じた作品でした。

こころ (新潮文庫) (詳細)

国が燃える 1 (ヤングジャンプコミックス)

・「戦前~戦中の良心的日本官僚像
 東北の小作人の倅が大地主の養子になり、東大を卒業して商工省の官僚になる。内心では石橋湛山の小日本主義(=反植民地政策)に共感するが、官僚としての立場上、時代の流れには抗し得ない。昭和2年から始まる物語が第1巻では1年しか進まない。蒋介石、石原莞爾、岸信介をはじめ実在の人物も多数登場するが、突然説明無しで出てくるので、歴史に疎い読者にはやや人間関係がわかり辛かろう。人名についての注がもう少し欲しい所。自信無さげで控えめな主人公の姿が共感を呼ぶ。主人公の恋敵である財閥の御曹司が蒋介石の右腕から馬賊の頭領を目指す、という設定は架空のものだろうが、やや荒唐無稽で違和感を感じた。日本国内で将来エリートの道を約束されている者が、わざわざ大陸に渡って一旗上げようとするだろうか?しかも相当なリスクのある方法で。

・「今後に期待!
サラリーマン金太郎に感動してこの本にも手をつけてみた。金太郎ほどの勢いはないけれども、主人公の弱さが共感を誘う。ただこの主人公、小作出身ではあるが東北の名家に養子入りし東京帝国大学を出て商工省の官僚になった。当時、東京帝大というものはすごい権威だったんだなぁと感じる。そういう、ヒエラルキーがしっかりとしている時代っていいなぁと思ったりもしたが、今のように価値観が多様化していて混沌としている時代もいい。主人公の恋敵に財閥の三男がいるが、これが、財閥との縁を切って激動の大陸(中国)に渡り、国民党軍の蒋介石の右腕として大中国の王になるなどという野心を抱き、中国にわたる。こういう設定が楽しい!金太郎ほど引き込まれなかったけれど、今後の展開が楽しみ!

国が燃える 1 (ヤングジャンプコミックス) (詳細)

猛き黄金の国岩崎弥太郎 (1) (集英社文庫―コミック版)

・「ビジネスを成功させるという強いエネルギーを感じることができるマンガです
普段私は全くマンガは読みません。

この本も、たまたまピーター・ドラッカーの「経営論」という本の中で、ドラッカー氏は岩崎氏のことを「19世紀日本にとって岩崎は、アメリカで言えばJ.P.モルガンやアンドリュー・カーネギー、ジョン・D・ロックフェラーを1つにしたような存在」と書いていたことがきっかけで、探した本がたまたまこの本だったのです。

しかし読んでみて、ドラッカー氏が書かれた上記内容が非常に分かりやすく表現されており、かつマンガであるがゆえに、主人公である岩崎弥太郎氏の志や思いが読者に直接伝わってくる作品、秀作だと思いました。

ちょっと下品な表現もありますが、それは大目に見たとしてもビジネス書として必読の価値ありと思いました。

・「三菱グループ創始者の岩崎弥太郎を知る(1)
三菱グループの創始者が岩崎弥太郎であることは、三菱グループに勤めていなくても日本史を少しかじっていれば、知っている人は多いと思うが、その生い立ちとなると、「そう言われれば高知出身だったな」というくらいではないだろうか。このシリーズ3冊は、世に出る前の岩崎弥太郎を知る格好の入門書といえる。

1巻は、黒船来航で混沌とする幕末期の日本で、地下浪人の息子弥太郎が、時代の変化を感じ、何かやろうと土佐を出て、江戸に上るところから始まる。この江戸で、土佐藩の改革派となる吉田東洋の知遇を得て、またジョン万次郎や坂本竜馬と話す中で、新しい時代の息吹を実感する。彼のよき理解者であった吉田東洋が、反対派に暗殺されるところで1巻は終わる。

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鴎外の「舞姫」 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 近代文学編)

・「舞姫がこんなにも面白い
明治文学でも森鴎外や樋口一葉の作品は今日読まれません。口語文じゃないのでイマイチ取っ付きにくいのです。しかしこの舞姫の本は原文と並んで現代語訳の文がついて読みやすくなっています。そればかりか当時のドイツの風俗や社会情勢も注訳としてついていまして世紀末のドイツ&日本の資料本としても面白いです。豊太郎の気概と優柔不断さ、エリスの儚げと気丈さと意外な身の上。この二人の恋愛の陰に隠れた本人達も気付かない打算。作者がこの小説を書いた心境もうかがえる中々突っ込んだ解釈も面白い。是非手にとって読んでみてください。

・「サンクトペテルブルク
 管理社会の中における心のオアシスともいえる作品の一つです。

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白痴 (新潮文庫)

・「安吾の生き方。
 白痴を含む七編一、「いずこへ」 一人称で語られる物語の初めに、安吾の人生哲学が書かれている。落伍者の心情「何か一つの純潔とその貞節を守らずには生きていけられなくなるものだ。」「私はみすぼらしさが嫌いで、食べて生きているだけというような意識が何より我慢できない」「私は少年時代から落伍者が好きであった。」

 自分をとことんまで貶めて、そこから観た真実をそのまま書き出す。これが安吾の芸術だ。絶望的な状況をそのまま受け入れるということ。このことが絶望的な状況から彼らを救っている。自らの絶望をしらけた視点で語ることによって絶望がユーモアに変わる。まさしく安吾は自らが『堕落論』で言ったとおり自分を貶め、道化になっている。世の中をプラグマティックにみていながらも、俗な人間の生の中に美のイデアを求めた芸術家である。

・「誰が「鬼才」か再認識させてくれる一冊
舞台は戦場。ダメ男とある女が部屋でただしゃべっている。状況はいたってシンプル。事件のよう類は皆無。ではどこが読ませるのか?ズバリ男と女の会話である。その会話は非常に哲学的であり、そこには坂口安吾ワールドが無限に広がっている。生死の捉え方、果ては墜ち方に至るまでがかくも美しくけそしてだるく描かれている。読むものを惹きつけ吸い込む本書は、個人的にはベスト・オブ・坂口安吾である。

・「魂の淪落
「堕ちきったどん底からのみ、生きる価値が見出せる―」この「堕落論」の思想をもとに、小説化したのがこの短編集である。とにかく主人公たちの自虐的かつ自嘲的な淪落生活実践の滑稽さは、私も読んでいて思わず何度も吹きだしてしまったほど。

欲望を肯定し堕落の底から人間的な光明を見出そうとする主人公たちの、

実存的な懊悩を通して語られる、偉大なる落伍者安吾のすべてをさらけだした究極の私小説。著者の思想のすべてが凝縮された一冊です。

・「「白痴」、まさにそれはあんた達。
いやぁ〜、まったく読解力の無い人たちのレビューが多くて驚いちゃいました。

「ひょっとして堕落しちゃったほうが人生楽なんでしょうか、みたいな話」?

凄いですなぁ〜、これ。こんな風にしか感じ取れない人は、そりゃ、面白くないはずだ。それは、まったく、この本を読んでいない事に等しい。

安吾は無気力な駄目人間なんかじゃない。彼は常に戦い続けた。ニートなんかと一緒にするな。もし、この小説からニート的なものを感じるならば、それは、唯単に読者に読解力が無いだけである。気安く現代の社会問題と結びつけて、評論した気になるなよ。

また、安吾からは文学性が感じられないという意見もあるが、それは、安吾が谷崎潤一郎などの美文を嫌い、「小説は文章よりも内容」という自説を説き、「悪文」こそが「美文」という安吾独自の逆説が、そう感じさせるのだろう。

そもそも「文学性」がある作品=良い作品なの?なんで?それに、「文学性」ってつまりはなんなの?

・「心地よいグダグダぶり
全編にわたって気だるく薄暗い雰囲気が漂い、どこかしらネチネチとしてグダグダで陰湿な展開ぶりである。ゆえに思わず苦笑してしまった場面もあったが、読後にそれが不快という感情を呼び起こすことはなかった。むしろ今までにないフワリとした不思議な感覚を得た。ぼんやりと心地よささえ感じた。「私は始めから不幸や苦しみを探すのだ。もう、幸福など希わない」「幸福などというものは、人の心を真実なぐさめてくれるものではない」「私はただ、私の魂が何物によっても満ちたることがないことを確信した」などと、印象的な文が散見される。

白痴 (新潮文庫) (詳細)

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

・「これは面白い
プロレタリア文学、というとまず出てくる作品だがなんだか取っつきにくい感じがしてやっと最近手にしたが、こんなに生き生きとした面白い作品とは思わなかった。船内の生々しい描写にも驚くが最後まで読ませる力をこの作品は持っている。資本家の労働者からの搾取という問題は今でも解決されてはいないが、この作品が70年以上も命脈を保ち続けているのはそのテーマ性よりも人間が描ききられているからではないだろうか。同時収録の「党生活者」で敷衍される組織の問題にしても、まずそこには人間がいる、ということを我々にまざまざと思い起こさせてくれる。蟹甲船はプロレタリア文学というよりもまず文学として成功している。これは作者にとっては本意なのであろうか・・。

・「ぞっとするリアルさ
男くさい、匂いたつような小説だった。今にも蟹工船で働く男たちの、汗や匂いや、涙や血が、触れそうなほど近くに、浮かび上がるくらいに、精緻な描写だった。目を覆いたくなるような、残酷な労働搾取。本当にこんなことあったの?と耳を疑うほどのひどい仕打ち・・・労働の対価なんてあったもんじゃない。対価をもらうどころか命まで落とし、そこまでしておいて受けるのは心無い弔い。死んだ虫でも扱うように、物よりも粗末に扱われる命。お金のために何百と消える命。あまりのすごさに、目を血眼にして読んでしまった。止められない位、ぐいぐいと内容に惹きこまれた。法律の適応されない世界で、繰り返される人権無視。これほどひどいものなのか。搾取する側とされる側は、天と地ほど離れているものなのか・・・。愕然とすることしばし。

この小説が売れている。近所の本屋では売り切れだった。確かに、現代ではこれほどひどい労働条件は無いだろうけれど、非正規雇用者やひどい労働条件に置かれている人たちには水を吸うように理解される内容だと思う。そして大きな勇気を与えられる内容だと思う。単に小説として読んでも本当におもしろい。現実を抉り取ったノンフィクション風小説としては、本当に、ぞっとするほどのリアルさで、ぐいぐい読者を引っ張りこむ。すごく興味深い内容だった。昔言葉だけれど、全く古くない。時代を超えて読みつがれるのもよく分かる。

・「食わず嫌いを後悔・・・ 「政党」じゃなくて「正統」な現代小説でした。
最初はプロレタリア文学として、その思想的背景が嫌であえて避けていた。間違いだった。少なくとも「蟹工船」は、共産主義やその周辺の思想的な記述はポツポツと出るだけ。しかも見かけ上は過度の共産主義賛美な箇所は見当たらなかった。作者の意図を度外視すれば、この小説の面白さはイデオロギー(団結、反権威など)とは別のところにあると思う。現代に生きる我々としては、例えば多彩な人物の登場であるとか、セリフを多用した臨場感や、濃密な空間を設定し、そこで起こる出来事や感情の動きを一つ一つ追う、といったいわばオーソドックスな手法から、小説的面白さを汲み取ることができるのではないか。

そもそも「蟹工船」の設定は古臭いものなのか?船内の狭い空間に何百人という漁夫たちが押し込められた描写は、満員電車でもみくちゃになった通勤風景を想起させ、死ぬ寸前までの労働者の酷使は、過重な残業を思い起こす。蟹工船の労働者と現代のサラリーマンとが、私のなかであまりにも重なり、古さを全く感じなかった。だからと言って、「サボ」を現代人にも薦めるつもりは全く無いけど。我々の過酷な労働環境をどう改善すべきかは、また別の機会に考えるとして。これを共産主義文学や革命文学というくくりで読もうとするから話がこじれるのであって、純粋に多喜二の小説的技法を味わう、といったノリでいいんじゃないか。

・「現在も繰り返す「蟹工船」の世界
 過去に何回か読もうと本書に挑戦したが、船上での暴力を伴う過酷で劣悪な労働条件の下で働く者の血と汗と、船内のリアルな描写による不潔で、悪臭がただよってきそうな気配に、読書欲がそがれて、挫折を繰り返した。

 本書の内容は、カムチャツカ沖で操業する蟹工船上を舞台に、貧しい出稼ぎ労働者たちが、常識を超える悪条件の下で労働を強いられる。かつその彼らに暴力を振るう現場監督の労務政策の耐え難い限界に抗して、なかば自然発生的なストライキに立ち上がる物語である。   暴力的な労務政策は別として、今日の低賃金と無権利状態の派遣労働者・契約社員・名ばかり管理職・アルバイト社員などは「蟹工船」に近いか、類似した職場環境で働いていると思われる。

 長時間労働や成果主義が広がる中で過労死や過労自殺や使い捨てが後を絶たないのが現状であることが、それを物語っている。つまり、本質的には80年前の日本の資本主義と今日の資本主義の真髄は変わっていないといわざるをえない。

 本書は80年以上も前の古典だ。しかも用語解説も付されていないし、当て字も多く読みづらいと思うのだが、それでもこの古典を読み、いまの厳しい労働環境を変革しようとする若者が大勢いることは心強い限りだ。

 今回は彼らのエネルギーに勇気づけられて、私もやっと読み終えて、やはり長く読み継がれた名作だと実感した。

・「さすがプロレタリア文学の名著!
 さすがプロレタリア文学の名著ですね。とても80年前の作品とは思えないリアリティーがあります。また、読む者をグイグイと作品の中に引き込んでいく力があります。

 派遣労働者の差別や貧困、過労死の問題等に見られるように、確かに、この作品が多くの若者や厳しい労働環境の中にある人々に受け入れられる社会的環境が今の日本にあります。 しかし、それだけでなく、小林多喜二の『蟹工船』が、現代の若者にこれほどまでに読まれている理由としては、やはり、『蟹工船』という作品の文学作品としての優秀性があるのだと思います。小林多喜二は、格差社会と貧困を生み出す本質を鋭く見抜くと共に、そうした現実と人間はいかに向き合うべきかということを、まさに優れた文学作品として描いたのです。だからこそ、『蟹工船』は80年という時代を超えて、現代にまで読み次がれているのではないでしょうか。

 余談ですが、新潮文庫の『蟹工船』は、昔の版よりも、活字も大きく、とても読みやすいと思います。また、文庫の表紙も、とてもインパクトがあります。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫) (詳細)

生きている兵隊 (中公文庫)

・「大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。
/*「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私は今も信じてはおりません」

石川達三 ~「『南京事件』日本人48人の証言」より/*

・「いかにして兵士は狂気に染まるか
 戦中に書かれた作品であり、おそらく反戦とか反日とかは全く意識していなかったと思われる。人間として兵士をとらえる、その兵士の気持ちになってみる、そういう視点で書かれた作品ではないだろうか。そして真に迫りすぎた上、発禁になった。そういう本だ。 南京大虐殺関連で「大殺戮の痕跡は一片も見ておりません」という否定派としての言質がとられているが、その人がここまで描いていた、という点に注目すべきであろう。「大」虐殺ではないが、虐殺は描いているのである。よき夫であり父である心優しき人たちが、いとも簡単に非戦闘員の命を奪っていく。それはやはり狂気だ。いかにして兵士は狂気に染まっていったのか。その描写が真に迫る。 戦時下だなぁ、と思わせたのは、南京を落とした後、転戦していく兵士たちの士気が高いように描いている点。首都・南京を落とせばこの戦争に勝てる、故国に帰れる、だから兵士たちはがんばっていたはずだ。南京を落としても戦争が続くことに兵士たちは落胆していたはずである。士気が高いままであった、というのはウソだろう。著者は戦意の高揚をねらってこの本を書いたのである。 

・「兵士の視点から見た「支那事変」の実相があからさまに
「支那事変」とは何か?戦争において宗教はどうなるのか、人を生かすべき医学はどうなるのか、著者は切実に問うています。 この本は小説ということになっていますが、戦後明らかにされた事実がすでに書かれているなど、資料としても価値があります。たとえば、十六師団長が戦地で骨董品を収集していたこと、南京で日本軍が放火していたこと、捕虜は殺す方針であったことなどが書かれています。 戦場で荒廃してゆく兵士の心、中国人の受ける悲惨、日中戦争は決して美化できない すさまじいものであったことが伝わる力作です。

・「さすが芥川賞著者
中国人を虫けらのように殺害する衝撃的なエピソードから物語りは幕を開ける。

いかに日本人がアジアの人々に残虐であったかが分かることもさることながら、芥川賞受賞の著者のたぐいまれな表現力に舌を巻きます。戦場でありながら、風に揺れる花々、沈む夕陽、満点の星々・・・自然が息づいている表現は素晴らしかったです。そして心が狂っていく兵士たちの心情の描き方も。

だが日本は戦争被害者であるが加害者であったことを決して忘れてはならないと思わせるような作品です。

生きている兵隊 (中公文庫) (詳細)

墨東綺譚

・「荷風の脚力
 本書は玉乃井、現在の東向島周辺の風俗を丹念に記述した作品です。東武線伊勢崎線・東向島から隅田川に沿って浅草まで歩くと、当時の風景が追体験できます。本書を手に隅田川を遊歩してみるととても面白い。かなり疲れますが。

 洋行中(あめりか物語、ふらんす物語)は日本を嫌悪していた著者が、江戸芸術論、つゆのあとさき、おかめ笹、すみだがわ、夢の女、下谷叢話、日和下駄と日本の下町趣味に傾いていくさまを見るのはとても興味深い。「腕くらべ」(岩波書店)は絶版で入手は困難なため、復刊を強く望む、ぜひ読みたい。

・「わたくしにとっても記念的な作品
本書はわたくしがふと古本屋で手にとった荷風の最初の作品である。これにより一瞬にして荷風ファンとなってしまい、全集をそろえて読んだりした。当時は長い作者贅言がついているのが不思議で新鮮だった。

・「“今の東京”に連なる、鮮烈なよすが
関東大震災、東京大空襲、東京五輪、バブル景気……東京という街は幾度となく壊されては建て直され、そのたび毎に街の持つ息づかいや人々の暮らしも断絶を余儀なくされてきた。だから、ほんの70年前に描かれた風景がまるでどこか遠くの外国か、ともすると異世界ででもあるかのような強烈に異質な空気を伴って読者のイマジネーションを刺激する。けれど間違いなくここに描かれている街と今の東京は地続きなのだ。ラジオの流行歌に追い立てられて下駄を鳴らし言問橋を渡る。疑わしげな目つきの巡査。蚊の湧く溝際(どぶぎわ)の窓まどに立つ女たち。風情とか味わい等という俯瞰した視点をかなぐり捨てさせるような圧倒的にリアルな肌触り。ここに描かれた人々に続く時間を、今生きている。その、充溢感。

・「良かったです
最近“ぼく東”エリアに縁ができて読みました。永井荷風を読むのは初めてでしたが、情緒にあふれ、ステキな作品だと思いました。東京の下町好きの方にはぜひ読んでほしいです。

・「荷風のお茶漬け。
「断腸亭日乗」を読むと、この作品が出来上がっていく様子がわかる。昭和十一年の九月、荷風は玉の井である女と出会う。その女のことを「上州辺のなまりあれど丸顔にて眼大きく口元締りたる容貌、こんな処でかせがずともと思はるるほどなり。(中略)あまり執ねく祝儀をねだらず万事鷹揚たるところあれば・・」と記す。以来、荷風は三日にあげず女の家に通うが、その合間をぬうように「墨東綺譚」の執筆が同時にすすむ。まるでルポルタージュ。脱稿まで一ヶ月、荷風にしては珍しい速筆だが、それだけ、興と筆がのったのだろう。お茶漬けさらさらっといったかんじで読める。

墨東綺譚 (詳細)

草枕 (新潮文庫)

・「内容がわからなくても気にせず読みすすもう
この作品はかなり有名だが、夏目小説への入門書としては、あまり適当でないかもしれない。なぜなら、この小説は読みにくい。文体や言葉が古くて難解で読みにくいし、ストーリーもとてもわかりづらいのだ。

『草枕』は、漱石のデビューから2作目の作品だが、なかなか挑戦的な内容になっている。彼は当時文壇の主流であったリアリズム文学の、まったく対極に位置する文学をここに提示したのだ。いわゆる「非人情」の小説。主人公の行動の意味を考え、彼の気持ちに同情して一喜一憂する必要のない小説である。

最初に「ストーリーがわかりづらい」と書いたが、実はこの作品には、あらすじらしいあらすじがないのだ。主人公の画家は、山間の温泉場にやって来る。部屋から外を眺め、風呂に体を浸し、気が向けば画の構想をねる。俳句をよむ。土地の人たちとおしゃべりする。これだけである。ストーリーを追ったりせず、「非人情」の境地でページをめくる。それが、この趣味性の高い小説を楽しむ秘訣である。

・「何度でも
グレン・グールドがいつも持ち歩き、何度でもくり返し読んでいたという本。本当に、何度読んでもすばらしい本だと思います。夏目漱石という人の書いたものは、どこがすごいって、いろいろあるんだろうけど、とにかく読んでいておもしろいところだと思います。悩みの多い、深刻な内容のものでも、とにかく読み手を惹きつける。百年たっても、二百年たっても、この潔い物言いや、豊かな語彙にあふれた文体はますます冴えて、きっと色褪せることはないんだね。授業中、夢中になって読んでいた本。すばらしいです。

・「彼一流の芸術諭が興味深い
ä¿-ä¸-ã‚'離れて風é›...なæ-...ã‚'と思って訪れた山里での話だ。ç"»å·¥ã§ã‚る主人å...¬ã®ã€ŒèЏè¡"諭」が非常に興å'³æ·±ã‹ã£ãŸã€‚特に東æ'‹ã¨è¥¿æ'‹ã¨ã‚'æ¯"較するくだりは、西æ'‹çš„社会に住む私が思わず同意ã-たくなるようなæ-‡ç« ã ã€‚合é-"に英語の詩と漢詩がすらっとでてくるあたりも彼の知識の深さゆえだろう。また、現実ä¸-界ã‚'完å...¨ãªç¬¬ä¸‰è€...とã-て見ようというあたりも面白い。それはある意å'³ï½¤æ‚Ÿã‚Šã®å¢ƒåœ°ã«ã‚‚似ている。ã"のä¸-の有象無象にæ°-ã‚'å-られず、ただそã"にある美のみに集中ã-ようという姿。私もいつかそうなりたいと願うものだ。

彼が滞在ã-ている宿のひなびた感じもよく、宿の若いおくさã‚"がちょっと謎めいている。100å¹'程前はã"ういった風景が普通だったのかもã-れない。汽車なã‚"ぞは20ä¸-ç'€ã‚'象å¾'するã-ろものであã‚"まりã‚!ˆã!!ãªã„みたいな事が書かれているが、ã"の現状ã‚'漱石が見たらどう思うのだろうか?

また、「æ-‡æ˜Žã¯ã‚らゆる限りの手段ã‚'つくã-て、個性ã‚'発é"せã-めたる後、あらゆる限りのæ-¹æ³•によってã"の個性ã‚'踏み付ã'ようとする。」という彼の発言はよくå½"たっていると思う。そã-てã"れらのシステムが変わるときにæ-°ã-い革å'½ãŒèµ·ãã‚‹ã®ã§ã‚ろうとも言っている。今がまさにその時ではなかろうか。流石にæ...§çœ¼ã ã€‚今彼がç"Ÿãã¦ã„たら、次は何ã‚'言うのであるか、とてもæ°-になるとã"ろだ。何度も読ã‚"でみたくなるå‚'作。

・「那美
「猫」「坊ちゃん」「三四郎」などを先に読んでいたので、「草枕」を読んだときは少し驚きを持った記憶がある。

まず、漱石が色々な豊富な言葉を繋ぎ合わせ、紡ぎ出すようにして文章を書いていることに驚いた。漱石の文章は、上記の作品を読んでいてわりと明快なものだと思っていたからである。それが「草枕」では、がらっと趣が変えられている。「簡単」「難しい」で言えば「難しい」言葉や文章が多く見受けられるといえる。そしてそれぞれの言葉と言葉、文章と文章の間になにか深い関係があるようにも思えない。ただ一切は流れて行くように言葉が並べられている。だがだからといって、全体として「草枕」が読みにくいか、つまらないかと言ったら決してそうではない。むしろ逆である。

解説に「多彩に織られた文章の中を流れて行けばよい。立ちどまって、それらの言葉が指示する物や意味を探すべきではない。」と書かれているが、筋という筋がないからこそ、流れるようにして「草枕」を読んでみると良いかもしれない。

続いて驚いたのは、那美という女性の描き方である。ただ妖艶な女ということだけからの連想かもしれないが、那美から泉鏡花の描く女を思いだしてしまった。風呂場に現れる場面や、その他家の中で現れるところなど、鼻血が出そうである。失敬。「草枕」を流れるようにして読んでいく中で、那美の妖艶さが頭にこびり付くように残った。

・「近代に対する呪詛がみてとれる
有名な冒頭の文章は殆どの人が暗唱できるほど知られたものと思う。しかし、「草枕」はそれほど長くないにもかかわらず、最後まで読んだ人は少ないのではないか? 恥ずかしながら還暦をとっくに過ぎた小生もその一人である。「非人情」の世界の小説、俗界を離れた仙人のような生活を賛美した小説かと思い込んでいたら、どうもそうではないようである。そしてこの小説に表れた漱石の漢籍や江戸趣味に対する素養、それに専門の英文学に対する薀蓄は大変なものである。注を参照しないと解らないことも多い。しかし、この小説が素養や薀蓄をひけらかすのが目的でないことは次第に解る。

草枕については、多く評論家、そして本カスタマーレビュアーの評価・解釈があるが、一点だけ私見を述べてみたい。即ち漱石の「西欧を規範とした近代化に対する呪詛」である。それはこの小説の最後に表れる主人公の独白に明瞭である。もう一度、読み直してみて欲しい。

草枕 (新潮文庫) (詳細)
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