サマースプリング [文化系女子叢書1] (詳細)
吉田アミ(著), 郡淳一郎/木村カナ(編集), タナカカツキ(イラスト)
「文化系女子業書」「思春期の記憶」「蘇る思春期の『実感』」
自殺直前日記 完全版 (QJブックス) (詳細)
山田 花子(著)
「もっともらしいタテマエを押し付けてくる人に負けないためにも生き抜け」「自分にはある程度生きる力になった」「終わり無い劣等感の結末」「死ぬことは人間にとって最大の権利」「非情なまでに純粋な人」
樹液すする、私は虫の女 (ABC SUPER BOOKS) (詳細)
戸川 純(著)
無限の網―草間弥生自伝 (詳細)
草間 弥生(著)
「反復強迫を芸術へと転化」「時代を超えるエネルギー」「草間ワールド」「死に接することで生き延びてきた魂の記録」「刺激的!!」
「最高傑作」「絶妙な語り。もっと聴きたい。」「これを読んで泣かないでください。」「金原ひとみの中のベスト!」「今までの作品のまとめと感じました。」
女優 林由美香 (映画秘宝COLLECTION (35)) (詳細)
直井 卓俊(著), 林田 義行(著), 柳下 毅一郎(著)
風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険 (知恵の森文庫) (詳細)
菜摘 ひかる(著)
「女だから興味がある!?」「せつなぃ」「興味深い」「ノンフィクションとして読みやすい。」
卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫) (詳細)
南条 あや(著)
「静かに静かに」「この本が好きです」「リストカッターへ」「この本と出会って。」「ポップな文章とリストカット」
「私を読んで。」「凡庸であることの幸せ」「狂おしいまでの死への憧れ」「衝撃の本」「感受性の強い人には勧めません」
二十歳の原点ノート (新潮文庫 た 16-3) (詳細)
高野 悦子(著)
「二十歳の原点、序章、ノート それら全てを愛読していました」
二十歳の原点序章 (新潮文庫 た 16-2) (詳細)
高野 悦子(著)
「真剣に生きた記録。」
二十歳の原点 (新潮文庫) (詳細)
高野 悦子(著)
「30数年前のベストセラーです。愛読しました。」「孤独な魂のモノローグ」「激烈な「生」の着地点」「人間はこれ程までに葛藤する。」「感性と知性あふれる作品である。」
十六の墓標 上―炎と死の青春 (詳細)
永田 洋子(著)
「洗脳の意味とは」「自己弁護の続く上巻」「文章からオーラを感じた初めての作品」「女であることの悲劇・・・上巻はそこそこ読めます」
十六の墓標 下―炎と死の青春 (詳細)
永田 洋子(著)
「不可解。」「救われない・・・」「思想は御立派」「狂気は恐ろしい」「同性としてうんざりだ・・・」
ささやき (べんせいライブラリー青春文芸セレクション) (詳細)
清水 澄子(著)
幾度目かの最期 (講談社文芸文庫) (詳細)
久坂 葉子(著), 久坂部 羊(解説)
「破滅型シティガール文学」「花の命は短くて、苦しいことのみ多かりき」
私は「うつ依存症」の女―プロザック・コンプレックス (詳細)
エリザベス・ワーツェル(著), 滝沢 千陽(翻訳)
「「うつ」の様々な形の1つとして・・・」「読んで良かったと思えた本」「この世で1番理解されにくい病気、うつ病。」「偏見を持たず『普通?』の人も読むと世界が広がります!」「人間の心」
17歳のカルテ (名作映画完全セリフ集スクリーンプレイ・シリーズ) (詳細)
福永 保代
「精神障害と向き合う。」「17歳のカルテがだいすきです。」
思春期病棟の少女たち (詳細)
スザンナ ケイセン(著), Susanna Kaysen(原著), 吉田 利子(翻訳)
「Parallel World」「もし家族に・・・」「本の世界に入り込める本です。」「映画をより楽しく」「正にぴったりのタイトル」
自閉症だったわたしへ (新潮文庫) (詳細)
ドナ ウィリアムズ(著), Donna Williams(原著), 河野 万里子(翻訳)
「すごくリアルで、すごく影響力の強い本だと思いました…」「内容にひきこまれる」「自閉症者の内面が分かる」「人間嫌いだと、思っていた私が、人間とは何かを、学ぶ切っ掛けを貰った」「読むべき本がここにある」
ジャスミンおとこ―分裂病女性の体験の記録 (詳細)
ウニカ チュルン(著), Unica Z¨urn(原著), 西丸 四方(翻訳)
ベル・ジャー (Modern&Classic) (詳細)
シルヴィア・プラス(著), 青柳 祐美子(翻訳)
「ナイーヴ」「硝子の覆いの中で。」
フリーダ・カーロ―引き裂かれた自画像 (中公文庫) (詳細)
堀尾 真紀子(著)
「渇望するひと」「研究書ではないが」「フリーダが好きな方に」「フリーダ入門書」「フリーダの心のひだを感じる」
鈴木いづみ 1949‐1986 (詳細)
西村 珠美(著), 田中 小実昌(著), 五木 寛之(著), 眉村 卓(著), 荒木 経惟(著), 中島 梓(著)
「世紀末の女」「きらめき、追憶。」「ゴシップを語りたい。」
ユリイカ2002年10月臨時増刊号 総特集=矢川澄子 不滅の少女 (詳細)
青土社
・「文化系女子業書」
文化系女子業書というシリーズタイトルにこめられた意味をかなり体現している作品だと思う。本を読むのが好きで、マンガを書き、周囲から若干浮き、さめた視点で同級生を眺める。「不幸な私はここにいるべきではなかった」という思春期独特、かつ普遍的な思考を際立たせている。軽く読めてしまう文体だが、呈示しているものは大きい
・「思春期の記憶」
悲惨な家庭環境(あくまで作者の視点からの記述ですが)、すべてが退屈、「誰もわたしを救ってはくれない」というような思春期特有の感情を書いている。今(21歳)の自分が読むと共感よりも、何年か前の自分を見てるみたいで痛々しい気持ちの方が強い。「全部私のせいなの?」という問いは、底に「私は悪くない」って感情が必ずあるから。「私は不幸です」と言うことは、「私は幸福です」と言うよりもずるい。でもあとがきを読んで納得した。「当時の自分さえも目を背けた部分をえぐりださなければ「あなた」は納得しないだろう。〜私は自分をかわいそうな被害者だとは思わない。自分をかわいそうな被害者だと思いたがった「アタシ」をかわいそうだと思う。」要するに作者は、現在は既に様々な葛藤を乗り越え、そのうえで、あえて古傷を晒しているということ。この小説はあくまで思春期の感情の記憶であって「答え」はここにはまだない(少女が自分の存在を確認して世界と向き合ったところでこの小説は終わる)。どうしようもなく燻ってた思春期に読めばあるいは「救われた」のかもしれない。
・「蘇る思春期の『実感』」
『サマースプリング』を読み進んだ現在、奇妙な昂揚感を感じている。最初しばらくのページをめくる途中、これは確かにある時代の証言だが、それゆえ若者の現在とはかけ離れた場所のように思えていた。おそらくこの物語に共感する若者はもしかしたら若者ですらないんじゃないか、少なくとも今はここに書かれた闘争心や敗北感は根こそぎ虚勢され、しかも虚勢の当事者こそは、自分を含むいわゆる新人類以上の世代の考えた「自由」の結果ではないかというある種の畏れすら感じたのだ。 だが、この一見軽い日記のような文章に込められたこうした重さこそは、現在表面的には失われたかに思える、思春期特有の誰もが心にいだくある生々しい「実感」であり、それは同時に絶対的な冷たさの中で生きるある種の強度であることにやがて気づく。 闘争と挫折の記憶こそが生きることのすべてであるかの時代は現在も失われず、誰もがそこから逃げようと思ったとしても、逃げる場所などないのだと吉田アミは示す。そしてその絶望こそは希望に転化し、今を生きる理由へと反転するだろう。 これは文学なんぞではなく、文学以前のもっと違う荒ぶることばの連なりだ。それこそが反転して「文学」の現在なのだと思う。 これが十代後半から二十代前半の現在にどのように届くのかは知りたいし、彼らはもちろん学校の先生にも読んで欲しいのだが、その程度のくだらない本ではない。
・「もっともらしいタテマエを押し付けてくる人に負けないためにも生き抜け」
この本は彼女の漫画作品より好きだ。彼女の母親は彼女にタテマエでプレッシャーをかけ続ける。病院から出てきた彼女に、「橋のない川」を見に行こうと誘うとは!!この種の人は自分の「善意」が相手に与える影響に思い至らない。自殺も他殺であるとは誰かの言葉であった。
・「自分にはある程度生きる力になった」
自分としては最終的に救いになった本かもしれない。
「そうそう、そうなんだよ、あるある、同じ目にあった、今でもこうだよ、やっぱりそうなんだ、」とほとんどのこと※に自分と照らし合わせて共感できる本でした。
(※10代の頃に読みハマッたので、今で言うスピリチュアル的な解釈の部分についてはイマイチよくわからなかったですし、今でも全て納得できる訳ではありません)
「ああ、同じ人がいたのか。死んじゃったけど」
そう思ったら、ほんの少しかもしれないけどこの本は自分にとってチカラになりました。
また山田花子のマンガを読んでいても、全く自分と同じ体験をしているのを見て自分の過去の体験を、マンガの中の出来事としてとらえることができたりもする。もちろんいじめられたりしたトラウマは今でも残っていますが、この本や山田マンガがなかったらそのいじめなどの経験は昨日のことのように生々しく自分の中に今でも生きていたような気がします。
この本を、山田花子と同じような体験をした&感覚の人にすすめていいかどうか、それはわからないです。引きずられて自殺してしまうような人もいそうだし、私のように生きる力になる場合もありそうだし(そういったことはこの本に限らないか)。
ちなみに当時親に読ませたところ、「まったくもってわからない」、マンガをバイト仲間に見せたら「気持ち悪すぎる」、最近ネットでの知り合いに見せたら「中二病のきわみ」といわれました。自分の中だけで楽しむのがよいでしょう。(人にすすめようとした私が明らかにおかしいのですが)
個人的な思いつきですが、この本を哲学者の中島義道氏に読んでもらってその上で彼が一冊何か本を出したら面白いものになる気がします。
・「終わり無い劣等感の結末」
「いじめ」や「仲間はずれ」がいかに人の心を歪ませるかを分からせてくれた本。 仕事や対人コミュニケーションが極端に出来ない人は回りから白い目で見られることが多い。 私達はそんな人たちのことを少しは考えて生きているだろうか。 適度の劣等感は適度なコンプレックスとなりその人のプラスになりうる。
しかし、劣等感を克服する物理的能力がない人間は一生その感情から逃れられないかもしれない。 普遍的な人間関係の病巣を描いた問題の書。
・「死ぬことは人間にとって最大の権利」
時代が悪いと言う表現が良く使われるがそうは思わない。差別する者はいつの時代でも居るし、これからも多少変化は見れてもほとんど同じだろう。これはもうほとんど本能に近いんじゃないかと思う。確かに生きづらい世の中と考えるのはわかるが、それはもはや生きにくい(差別の対象になりやすい)、人間に成ってしまったと思うしかない。残酷で非情ななことだが、それが現実で彼女の決断は正しかった。この本によって少しでも人に優しくなれたと言う人が出てきたならば彼女は本望であると私は思う。
・「非情なまでに純粋な人」
私の山田花子に対する印象だ。えてしてこういう人は、社会に適合できず欺瞞を凝視したまま淘汰されていく。せめて天国で安らかにといいたい。
・「反復強迫を芸術へと転化」
草間は女学生のころから、「物体の周りにオーラが見えたり、植物や動物の放す言葉が聞こえたり」、といった幻覚や幻聴をしばしば経験したという。そうした幻覚を形にするためにスケッチを始め、やがて絵ばかり描くようになったそうだ。やがて、自然界や宇宙、人間や植物、怖れや神秘的な出来事が彼女を追い掛け回し、半狂乱の境地に送ることになる(後に強迫神経症と病名がつく)。それらを描きとめることが「唯一の逃れる方法」であったと彼女は言う。その後、彼女は28歳でニューヨークに渡り、60年代には画家から前衛芸術家へと変貌を遂げ、パフォーマンスの形態をとった「クサマ・ハプニング」などで評判をとっていく。その間、裸の男女を使った「ボディペインティング」などでも、トレードマークの網目や水玉模様を一貫して描いて行く。保守的な日本から開放され、当時の世相や社会体制に訴えるパフォーマンスを熱に浮かされたようにアメリカで展開していく過程が、生き生きとして興味深い。70歳を過ぎた今もエネルギーのつきない彼女は、芸術家という名にふさわしい生き方をしてきた数少ない人だと思う。
・「時代を超えるエネルギー」
正直に言うと、私には芸術の事はよく分かりません。草間氏の作品もまのあたりに見た事はないのですが、そんな私でもこの本はお勧めです。
とにかく驚くのが、草間氏の芸術へのエネルギー。絵を母親に反対されても、食うに困っても、警察沙汰になってもたじろがず、己の道を突き進む勇気。彼女の生き方は一見ムチャクチャではありますが、今や世界から認められる芸術家となった事実が、彼女の確信は間違っていなかった証明になるのではないでしょうか。私には彼女の思想は分かりません。が、思想だの道徳だのといった器の小さい事を蹴り飛ばしてしまうようなエネルギーが、彼女の生き様にはあふれています。普段美術や芸術に興味の無い人にも「一時代を築いた女性の物語」として読んでもらいたいです。
・「草間ワールド」
以前から草間弥生に興味があり色々な作品を見てきてどんな人なのかを想像していたが、この本を読むと想像以上にすさまじい人生を送っていることがわかり感動する。とにかくお勧めです。70代というから驚き。
・「死に接することで生き延びてきた魂の記録」
水玉や網目が繰り返し集積増殖するモチーフ。 図と地の境界がなくなった世界。自己消滅。 創る、そして消滅するの繰り返し。
草間彌生の作品が見る者の感覚に圧倒的な強度で訴えるのは、内側からあふれ出る必然性を始源としているからである。 心の病との苦しい闘い。それを芸術に昇華し、自己治癒を図ろうという試み。 離人の囚人となっても創作の囚人となっても、苦しいことに変わりない、”ならば、苦しくてもいい、私は水玉一つで勝負してやる”という心意気。 死に至るまでの苦しくも濃密な時間を芸術に費やすことへの使命感。 ついに、病は死に勝つ。 「病理」とか「自己治療」といった観点からの理解を凌駕した本物の芸術がある。
前衛としての姿勢を貫くことは、いつの時代にも異端の花となる宿命を持つ。 草間は10代の頃から遠い未来を思い、死を見出すために自己革命を行ってきた。 その生きざまそのものが本物のアーティストである所以である。 この本は、ギリギリまで死に接することで、生き延びてきた魂の系譜である。
・「刺激的!!」
彼女が語る彼女自身の人生を知ることにより、読者の人生もまた、ドットで彩られるようだ。彼女の他の作品「スミレ脅迫」や「ニューヨーク69」の空気感もこの本を読めば、よりリアルに味わえる。彼女の人生は彼女の作品と同じ位、マッドでクールだ。 彼女のようになりたいと、思わず絵筆をとり、狂ったように書き続けたい。
・「最高傑作」
作品を発表するたびに議論の的となる彼女、これこそかつての文壇のようで、希少な存在だと思います。さて、本作ですが、私が申し上げるまでもなく、ミクシィや2ちゃんねるの中でも最高傑作と位置づけられているようです。いろんな意味でのギリギリ感が、確かにこれまでの作品とは一線を画しているように、私も思います。いままで彼女の作品を敬して(?)遠ざけて来た人、この作品から始めてみてください。これが「彼女のすべて」。惜しみなく金原節炸裂です。
・「絶妙な語り。もっと聴きたい。」
絶頂期の村上龍の作品の雰囲気と町田康の半ば意味不明な語り口の素敵さを足して二で割って性転換させたようなおもしろい小説を読んだ感じである。いやあ、楽しかった。はじめの方は、社会人としてまともであろうとする過剰な自意識とそれを裏切りまくる言動のギャップ、そのどうしようもないギャップに対するツッコミのようなボケが冴えまくり本当に笑えて笑えて仕方なく、おお、新境地か、と思いながら一番テンポよく読めた。その後、「オートフィクション」がはっきりと開始されてちょっと内面的なワールドが深くなり「笑い」は薄れるので私的には残念だったが、それでも、愛が欲しい→ダメ男とフィーリングあいすぎ→クラッシュ→浮気→さようなら、という展開が色々なパターンで表現されなるほど勉強になります、てな感じで興味ぶかく読めたし、また主人公が邪悪なセリフや弱音を吐きつつもそれを冷静に分析しまくり、しまくったはてに支離滅裂になっていく文章がとても良かった。聞いた話によれば、実際にはこの10倍ぐらいの量を書いてから、ひたすらけずって本作が完成したらしい。深くうなずける。実によく計算され上手に組み立てられつつ、何だか分からないけれど何度も読みたくなる部分も随所にある、優れた小説なのである。
・「これを読んで泣かないでください。」
文句なしで☆五つでした。この小説を読み終えた時、私はすぐに泣きたくなりましたが、すぐに泣くことをやめました。泣きたいのに、「泣く」ということでは簡単に済まされない感動のある小説です。我慢して泣く事をやめた時、「泣く」以上の感動が、必ず込み上げて来ると思います。
・「金原ひとみの中のベスト!」
金原ひとみの自伝的小説。 主人公が見る、世界観がリアルに共感してしまうのは 小説の中に出てくる文化学院に私も通ってたからか、 それとも私もチョット痛い人なのかな?
でもこんな小説欲しかった!って思える1作。 ギャグにも比喩にも読めるけど、結構ストレートに今の世の中を書いてると思う。
金原ひとみは全部読んだけど、今はこれがベスト!これからも応援したい。
・「今までの作品のまとめと感じました。」
金原さんの作品を出た順に読まさせて頂きました。よくない表現は大幅にカットされ、この一冊は言いたい事を充分まとまっていると感じました。人には言えないような神経質なルール、子供が遊びに用いるような幻想、ルーティーンのようなものが書かれていて、自分にもそういうところがあるなと素直に思え安心したりしました。はらはらしながら読んでしまったのは、自分の出来事(過去)と勝手に重ね合わせて読んでしまったからだと思います(実際には自分の過去とは全く一致するものではありません)。私には金原さんの4作品は、女性を大切にしたいと思った作品でした。ちなみにこの作品を読む頃には、アッシュベイビーの内容を強く意識しましたが、読み終えてみて、私がこの作品にそれを感じることはあまりありませんでした。
・「女だから興味がある!?」
この手の本は、最初は好奇心で読み進めることができるが、そのうちに飽きてくることが多い。しかし、この本は、少々のグロテスク感とリアリティが好奇心を最後まで掴んで離さなかった。風俗に行った事のない私も、自然に頭の中に風俗の現場を映像として思い浮かべ、社会科見学をしているような気分になった。けっこう笑える。人事だからだろうが・・・。
風俗という場所は自分とは縁遠いが、そこで働く菜摘ひかるは限りなく、普通の女性。誰しもが持つ心の闇を持つ女性。変な親近感を持った。女も興味がある風俗業界。一読の価値ありです。
・「せつなぃ」
菜摘ひかるさんを知ったのは、週刊誌の一ページからでした。私も同じ職業を経験しているためか、読んでいて納得、共感する部分が多く また『せつない』と思う点がありました。風俗嬢を軽蔑視する人、風俗に手を染める♀ゎ不幸でバカだときめつけてかかる人に是非よんでほしぃ作品です。
・「興味深い」
風俗嬢の体験が知れて面白い。風俗嬢って、こんなんこと感じながら、仕事をしているうんだな、と興味深い。この業界の裏話や、仕事のシステムなども描かれ面白かった。暗くはないのだが、やはりどこかうら寂しさもにじみでていた。また、性行動にあらわれる人間くささが、人間の本性を描いているようでした。目をそらしたいけど、そこには、自分の姿があるようでした。
・「ノンフィクションとして読みやすい。」
著者の風俗のお仕事履歴がつづられている。余計な感情がつらつらと書かれることなく、イメクラ、ヘルス、ソープ、ストリップ、SMクラブ…等々、ひととおりの風俗の仕事の体験談が淡々と描かれていて読みやすい。それぞれのジャンルの違いもわかった。著者自身、ある程度の優良店を選んで働いているので危険な体験などはなく、面接からどのように仕事は進んでゆくのかがわかって面白かった。公然わいせつでの拘置所体験も興味深かった。多少、著者の感情も綴られているはいるが、果たしてそれがどこまで本心なのか?
「素人っぽいところがいいよ」と客に褒められながら、お金をもらってるんだから当然だ。と思えるプロ意識のある著者のどこまでが本音なのか?と考えながら読んだ。
●卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)
・「静かに静かに」
「卒業式まで死にません」著者の南条あやちゃんの口癖だったそう。幼い頃に両親が離婚。一度は母親のもとで暮らしたあと、父のところに戻り亡くなるまで一緒だった。不登校になり、リストカッターになり、薬マニアになっていく。リストカットのシーンの描写は、思わず顔をしかめるほどだし、薬もそんなに飲んでいいのか?とオロオロしてしまう。けれど。彼女は明るい。読んでる側にとっては救いかもしれない。あやちゃんは病院から出される薬を溜め込んでいた。あやちゃんには婚約者がいた。ものすごいダイエットもしてた。閉鎖病棟にも入った。それでも。生きようとしている姿勢を感じられた。でも最終的に、彼女は死を選んでしまった。18歳。
・「この本が好きです」
毎日ネット上で自分の日記を読んでくれる人たちのために、明るく日記を書き続けていた南条さんに切なくなりました。だって本当はすごく辛いはずなんだもん。自殺未遂だって何度となくしてるし。文章表現が豊かで楽しく笑いながら読めるけど、たまにこぼす弱音にはっとさせられます。内容は結構キツいような感じがするので、母にこの本を持ってることがバレた時は激しく怒られました。でも私も精神科に通う高校生で、服薬未遂もしたことがあったし、悪いことなのかもしれないけど共感を持ちました。卒業式を終えて彼女は服薬自殺をし、もうこの世には存在しないけど、私の心のなかには今でも生き続けてます。そして、「頑張って生きてね」と言われた気がします。
・「リストカッターへ」
この本の著者は、ネット上のリストカッターの中では(多分)有名なリストカッター。彼女の現実に置かれている状況はあまりに痛い。そしてそんな日常を語ったこの日記もとても痛い。しかしそれでいて面白い。まだこう見れば生きれるんじゃないかと思えてくる。この本には彼女のHPに載っていないGON!に掲載された文章なども載っていて、もうネットで日記を読んでしまった人にもお奨めである。
・「この本と出会って。」
私は南条あやさんと同じく現役女子高生リストカッターです。南条さんは残念ながら既に他界されていますが…この本は不思議と私に生きる勇気を与えてくれました。
この本には(特に日記部分)明るく、けれど精一杯毎日を生きていた記録が鮮明に残されています。辛くて苦しかったであろう場面も、軽快なタッチで描かれています。だからこそ…私には彼女の痛みや苦しみが伝わってくるような気がしてなりません。そして……生きようと思いました。
私に勇気をくれたこの本、1人でも多くの方に読んで頂けたらなと思います。多くの人に南条あやという人間が生きていたことを知ってもらいたい。だから書き込ませて頂きました。
・「ポップな文章とリストカット」
現役リストカッターな私がこの本と出逢ったのは、もう彼女がなくなった後だったのですが、同じリストカッターだとは思えませんでした。日記だということを含め、ポップで明るい文章でテンポ良く話が進みリストカットや鬱という重い印象を受けることは殆ど無くて、活字が嫌いな方でも読みやすいと思います。
読みながら笑ったり、深刻になったりとても感情豊かで文章一つ一つに対して一喜一憂できる――そんな本です。
確かにはじめの詩を読んだときは何度読んでも悲しくなりますが、元気をもらえる本だと思います。
私と同じリストカッターの方、そして其れを理解しようと思う方、元気が欲しい方、そんなたくさんの人に読んでもらいたいですし、読まないと損な本だと思います。
・「私を読んで。」
印象的なタイトルとペンネームに惹かれこの本を手にするまで私は彼女の事を全く知りませんでした。この本は彼女が自ら命を絶つ本当に直前まで書かれたウェブ上の日記を書籍にしたものです。
・「凡庸であることの幸せ」
読んでいてため息しかでなかった。二点感じた。
まず第一点。本書には 雪雪さんから奥歯さんが推薦された本のリストが出てきている。相当数の本の中で僕が知っている本は一冊しかなかった。 僕も僕なりに 30年近く本を愛好してきた積もりだが 全く知らない本ばかりの表を見ていて考え込んでしまった。これが 例えば医学や科学の専門書なら納得出来るが 要は 文系の本である。僕が30年かけてやってきた読書とは一体何だったのかと思った。
二点目。小さい頃から「本を読むこと」は勧められて来たし 勧めて来た。但し 今回この奥歯さんという方の人生を 彼女が書いたブログという形で「垣間見た」印象としては 本の持つ「毒」というものを強く感じた。 奥歯さんが本を読まなかったとしたら 「奥歯さん」では有り得なかったろう。しかし 少なくとも自殺することも無かったのではないかと思う。彼女にとっての読書とは「何かを得る」作業ではなく「何かをすり減らす」作業だったのではないだろうか。それとも「得てしまった何か」の重さが 彼女を夭折に追い込んだのだろうか。
浅学なる僕として この奥歯さんのような読書はとても出来ない。その意味で 奥歯さんの異才には正直羨望の思いも持った。但し そんな異才が 異才の持ち主にとって幸せなのかどうかも分からないと思った。 「凡庸である自分は楽だ。」そんな風に いささか自虐的ながらも 思った程だ。それほどの一種の凄まじさが 本書には、ある。
・「狂おしいまでの死への憧れ」
「最後のお知らせ 二階堂奥歯は、2003年4月26日、まだ朝が来る前に、自分の意志に基づき飛び降り自殺しました。このお知らせも私二階堂奥歯が書いています。これまでご覧くださってありがとうございました」
・「衝撃の本」
この本はある意味で強烈です。異常なまでに多い読了本の数々。そして人をひきつけてしまうある種の文章…
日記のほうは最後になると狂気を含んだ強烈なものになっていきます。したがってこのての文が苦手な人は読まないほうが良いでしょう。精神を害しますので。
しかし、何はともあれ、彼女の残していったものは多く、失ったものも多かったと思います。もうこんなに読める人、そうは現れないと思います。
・「感受性の強い人には勧めません」
ある一人の女性が自ら命を絶つまでに綴った日記。 最初こそファッションや化粧品の話などどこにでもいる若いOLの日記なのですが、少しずつ生と死や存在についてなど答えのない思考の渦に飲まれていきます。 それもそのはず、筆者は本の虫。何百冊何千冊もの本を読んでいたようです。 多少多様な物語を吸収し過ぎて整理が出来なくなったのでしょう。凡人には思いも寄らない思考が長々と綴られ……なんつうか残念なのは他人の言葉を借り過ぎていることです。他の本からの引用が多過ぎなんです。 他人の言葉に自分はありません。他人の言葉は自分を隠してしまいます。 まぁそんなことを言っても仕方ない。他人の言葉に影響されやすい、答えのないことを深く考えてしまう、そういう人にはこの本を勧めません。危険です。 自分の身を守りたいなら思考を放棄することね。
・「二十歳の原点、序章、ノート それら全てを愛読していました」
1976年1月10日に発行された本書は、ベストセラーとなった「二十歳の原点」につながる前の時代に書かれた高野悦子さんの日記集です。
高野悦子さんが自殺されるまでの半年間の日記を集めた「二十歳の原点」は、1970年代に学生時代を始めた我々にとってバイブルのように読まれたものでした。
彼女の自殺の年、1969年は全国で学園紛争の嵐が吹き荒れていた時代でした。集会に参加し、真剣に悩み、自己確立のため葛藤の日々を送り、恋愛に破れ、理想と現実のギャップに悩み、孤独感をつのらせ、最後には自らを死の渕へと追いやりました。今読み返しても、その真摯に物事を考え、悩む姿は、青春のあり方として考えさせられるものがあのます。
この「二十歳の原点ノート」は、1963年1月1日から1966年11月22日(高野さんが西那須野中学2年生から宇都宮女子高校3年生の時代)の期間を扱っています。
高校の修学旅行で、伊勢・奈良・京都方面に行った際、京都の街を歩いている学生達を見て、一緒に歴史学を勉強できたらという憧れを抱いたことにより、史学科が充実していた立命館大学を第1志望にします。
彼女の学んだ直ぐ後の時代に、私も京都の大学で日本史を学んだという共通項もあり、この本には人一倍愛着があります。
未熟だけれど、とても一生懸命生きた一人の少女が女性へと成長する葛藤を見るにつけ、自殺はしてほしくなかったと言う気がしてなりません。
・「真剣に生きた記録。」
大学受験から立命館大学での大学生活までの日記。歴史学を学ぼうと真剣に取り組んでいた高野さんが、次第に講義に出なくなり、学生運動に関わりを持っていく様子がわかる。真剣に話し合える友人との出会い、片思いと失恋、驚くほどの数の読書歴、部落研を退部し、一度は学生運動に距離を置き、ワンゲル部に入部したもののどこか居心地の悪さを感じている高野さん・・・。彼女の日記の中に時々出てくる京都の風景や自然の風景の描写が素晴らしい。
・「30数年前のベストセラーです。愛読しました。」
50歳を越えてしまった者です。我々の頃、『二十歳の原点』は、ベストセラーになりました。今の方が読まれても、その時代背景と心情に乖離があり、なかなかうまく捉えていただけないかも知れませんが、「青春の書」でした。
高野悦子さんは、当時立命館大学史学科の3回生で、彼女の日記を本にしたものです。「二十歳」の時に鉄道自殺をして、短い人生を終えました。「孤独感」「挫折感」というキーワードに共感したものです。「未熟さ」は私も共有していました。
今日何十年か振りに再読しました。同世代だった当時と30年経った今とでは当然時代背景も変わり、何より自分が年を取りました。彼女が関わった「学生運動」の総括もできていないまま大学は現在も存在しています。一応進歩したように見えますが、本質はどうなのでしょうか。「学生運動の成果」はあったのでしょうか。
「自殺」というのは、いつの時代もどんな状況でも他人には理解できないものですね。彼女の親の世代になってしまった訳で、子に先立たれる親の悲しさを感じてしまいました。不幸なことです。自分の人生を最期まで全うすることの大切さを彼女に伝えたかったと思っています。
この本を読もうとしている皆さんの「二十歳の原点」とは何なのでしょうか。「青春」という捉え所のない言葉をどのように感じてられるのでしょうか。
・「孤独な魂のモノローグ」
高野悦子さんは、学園闘争高揚期の1960年代後半の揺れ動く、激動の時代に立命館大学文学部史学科に入学し、大学生となる。
でも彼女は他の学生のように学園闘争の運動へ没入していくことはせず、自分自身が「政治」に関わることへの根拠に疑問符を差し挟み、常に自問自答を繰り返しながら、運動への参加と離脱を繰り返していきます。
この日記は、彼女のそういった学生生活における、打ち砕かれた「理想」と「現実」への煩悶、「主体性の確立」への真摯な闘い、そして失恋や孤独の寂しさなどが、明るさと清冽なニヒリズムを底流に湛えるというパラドックスの中で、彼女の激しさと優しさが同居した、瑞々しい文体で綴られていく二十歳の記録。
青春のすべてを傾注した、孤独で壮烈な軌跡!
だが彼女はついに孤独の中で、自らの命を絶つ。1969年6月24日未明、山陰線の列車に飛び込み鉄道自殺。
何故彼女は、自ら命を絶たなければならなかったのか?透明で純粋な心を失わずにいた高野悦子さんの二十歳の魂の記録は、
才能溢れる閨秀詩人であった彼女の最初で最後の「詩集」ともいえる。
「―独りであること、未熟であること、それが私の二十歳の原点である」
永遠の二十歳である彼女の「二十歳の原点」―。ぜひみなさんにも手に取って感じてほしい、珠玉の一冊です。
・「激烈な「生」の着地点」
本書は、一九六九年六月、二〇歳で自殺した立命館大生・高野悦子が書き残した日記を編集したもの。
なお、大学入学までの『二十歳の原点 ノート』と大学入学後の『二十歳の原点 序章』と自殺直前までの本書が一連のシリーズをなしている。
強い問題意識を持って立命館を選択し入学した後、勉学と当時吹き荒れていた学生運動との間で、高野が引き裂かれていく姿が、強い感受性に基づいた記述の中から読み取れる。
そしてその「引き裂き」の中で読書・友人・恋愛・運動・バイトを含めた生活を通じて、自分自身のあり方を、徹底的に模索しようとする姿が生々しく描き出されている。それは、あまりに強烈な、ほとばしるような「生」である。
結局は、こうした学生時代・若い年代の「引き裂き」と自分自身への「問いかけ」に何らかの形で着地点を見出し、いわば「妥協」することが次の段階であるとしたら、高野は徹底してそれを拒み、「引き裂き」と「問いかけ」の中に身を投じきった。
そしてその激烈な「生」の着地点が、まさしく二〇歳での「死」であったのだ。
・「人間はこれ程までに葛藤する。」
内容の未熟さとか、子供っぽさとか、そんなことはどうでもいい。部分的な日記の書き込みから、失恋だの、孤独だの、人間関係だの、社会に対する失望だの、自殺の理由を探してこじつけるのは簡単である。あるいは、彼女の真理探究があまりにも性急であり過ぎたとか、いろいろあるだろう。しかし、この本の本当の凄さは、人間はこれ程までに葛藤するのだという事実である。彼女はまさに生きた、命をかけて生きたのだ。ある人間達にとって「生きる」とは、これ程まで真剣であり、凄まじいものであり、そして愚かなのだ。しかし、私は愚かさを笑う気にはなれない。むしろ、確信という自分の傲慢を反省すべきなのだ。この本は、同じ様に自分自身をみつめた若者達には、多くの共感が含まれていると思う。そして、自分自身を見つめたことのない人間には、笑うべきしろ物としか映らないのだろう。
【後記】 上記は「二十歳の原点」のみで、感想を書いてしまいました。その後、「二十歳の原点・ノート」「二十歳の原点・序章」と読み進み、少し考え方が変わってきています。この本は自殺者の心理というよりも、歴史の流れの中で読む必要を感じました。彼女の父親の世代、価値観、戦争、戦後、禁欲的な理想主義、全共闘、戦後の終焉、エコノミックアニマル、拝金主義的世代、団塊の世代の詳細な分類、その後の破綻。彼女の死は、時代の流れの中で象徴的な価値観の転換期に起こった悲劇だったと思う。
・「感性と知性あふれる作品である。」
彼女の本に対して,いろんな評価はあろうけれども,これほどまでに感性豊かで,知性あふれる人間がこの世に存在していたのかと思うと,体が震える思いです。
原点となりうる年齢はヒトそれぞれ,多分私は30歳なんだろう,そう思いつつ,彼女の素晴らしさを感じ,共鳴する思いです。
私自身,彼女と同じ時代を生きていないこともありますが,たとえ同じ時代を生きたとしても,一度読んで分かるような本ではないし,何度も何度も繰り返し読みたいし,ずっと彼女の真意を分からなくてもいい。でも,私の人生の重要な人物として彼女を残したい,そう思います。
・「洗脳の意味とは」
私が高校生になった年に、連合赤軍の事件があった。毎日毎日総括という私刑のニュースを聞くたび、同じこの国で耳を覆いたくなるような残酷なことが本当に起こっているんだと激しいショックを受けた。時が経ってこの本を読む機会を得、著者の当時の状況や、生い立ちに触れ、オウム真理教の事件当事者を重ねずにはいられない。人間の正義は、宗教であっても、使命感や希望に満ちた革命の志であっても、エゴイズムの正当化に溺れるのに気がつかなかれば真面目に間違って行く。先頭を行くものの価値観に感化され洗脳されて行く。過去から学ばなければならないと思う。
・「自己弁護の続く上巻」
連続殺人の記録として本作を読んだ。上巻は連合赤軍以前の永田洋子とその仲間についての記述がほとんどを占める。学生運動への関わりとその中での永田本人の主体性、思想について言及がある。基本的なトーンは、自己弁護である。本人は自信がなく、そのために周りの人間に引っ張られる形で過激な運動に追随していったという理屈がある。このような指導者に率いられ、最終的に殺人にまで至るのである。私は信憑性を疑った。永田洋子は間接的に自分も被害者だと言っている。カルトの指導者によくある言動である。
本作はカルトの記録だ。口先だけのリーダーに、気に入られたい愚かな部下。世間からの孤立・・・。赤軍の事件というのは、思想闘争かと思ったが、事実は異なった。思いつきのような思想に基づいた、馬鹿な若者による、浅はかで救いのない事件だ。
なお、本作は党派の知識がないとチンプンカンプンである。赤軍等の解説は、ウィキペデイアが一番役立ちます。
・「文章からオーラを感じた初めての作品」
学生運動関連の文献を読み漁っていた時期その一環としてこの作品に出会った。生まれて初めて文章というのは気(オーラ)を発するのだと分かった。とにかく読んでみて下さい。
・「女であることの悲劇・・・上巻はそこそこ読めます」
連合赤軍事件の首謀者の一人の自叙伝。上巻はそこそこ読めます。下巻では自己弁護のオンパレードです。上巻も自己弁護に終始していますが・・・。
一人の女性が社会に疑問を持ち、社会運動に目覚める。彼女は周囲に引きずられて・・・と主張していますが、実際はどうだったのか?ただ、彼女は活動中に「女であるが故に、男の同僚から受ける悲劇」に巻き込まれる。これは身につまされた。そして同情した。そこで我慢して彼女は運動に居座る。その結果があの事件かと暗然たる思いをした。
女じゃないとその時の感情はわからない。普通なら追求し反発し乗り越えなければならない出来事であるのに彼女は男性と同じ立場になって女性否定に走る。
自己弁護に終始している自叙伝ですが、読んでいるうちに教訓をつかめると思う。
下巻は、もう本当に死者への冒涜にしか見えないのですけどね。
・「不可解。」
長いです。しかし読むのは苦痛ではありません。苦痛を感じるとしたら、それは、ここまで書いてなお、自らを正面から見詰めるということの意味がわからないらしい永田洋子そのものが、余りに痛く、苦痛です。事実歪曲、現実誤認、責任転嫁、自己中心…そんなふうにしか読み取ることが出来ないのに、書いてる本人にはまるでそうじゃない世界。肝心なところで、いつも消えてゆく。誰だ。これは。なんなのだ?やるせない暗澹たる気持ちだけが残った。
・「救われない・・・」
何ともいえない読後感が残ります。これは事件が起こってから十数年経ってから書かれたものですが、そこには「自己弁護」と「責任転嫁」があるだけで、真の反省には程遠いものがあるように感じられました。
逮捕後自分が世間から受けた非難は的外れであると主張し、この的外れな非難を受けることで、自分たちが的外れな総括によって殺害した同志たちの無念さが理解できたし、同じ地点に立てたと書いていました。
自分の犯した罪を背負い、死刑囚として生きていくこともとても辛いと思います。しかし殺された人たちは辛くても生きていたかったと思います。
この部分を読んだとき、この人は本当に救われないかわいそうな人だと感じました。この本の執筆から20年以上経った今、彼女が本当の意味での総括が出来ていると期待したいです。
☆のつけようがなかったので中間の3つにしました。
・「思想は御立派」
特に問題のない普通の家庭に生まれ育って・・・。それなのに大それた殺人事件を起こして服役中。そんな永田洋子の著書を読破したけど・・・。分からない、彼女の思想の根幹にあるのは何。理解したくはないけど、彼女は一体何がしたかったのか、言いたかったのか、疑問です。
・「狂気は恐ろしい」
下巻は恐ろしくて、読むのがつらかった。瀬戸内寂聴さんの前書きに「つらくて読めなかった」とあったが、そのとおりだった。永田洋子の記述から伝わってくるのは、サークル活動をしている若い男女の風景であって、思想家の姿ではなかった。とても身近に感じた。それがあっという間に連続殺人の狂気に支配される。永田洋子は後悔しているが、自分が主導したとは書いていない。どうなんだろう。真実はそのとおりなのか。闇が広がっているのだ。
・「同性としてうんざりだ・・・」
文章力はある。そして描写力もある。だが、読んでいて暗然たる思いを抱く。必ず、彼女は自己の責任を回避する描写を付け加えるのである。特に妊娠した同士の女性を総括(=殺す)描写と、女性の腹から子どもを引きずりだそうとすることの言い訳は・・・。
結局、世間に発信する最初の手記で自分から逃げた彼女は最後まで逃げまくったのだと思う。今、生ける屍(公式サイトの状況)としてベッドで眠る彼女は彼女的に逃げおおせたのか、それとも後悔しているのか、私は・・・後者のような気がする。
文章力はあるので、この手記を真実だと錯覚する可能性はあります。読む前に、連合赤軍事件に関わった他の関係者の著書、関連本を読んでおいてください。
・「破滅型シティガール文学」
漱石の「三四郎」に出てくる美弥子は、生意気、自意識の強さ、とは裏腹におくてで純粋といった、今でもある種のシティガールにいそうな特徴を備えているのだが、若くして自らの命を絶った天才少女作家、久坂葉子は、破滅型のシティガールのハシリだったのだと思う。
自意識のつよさ、プライドの高さとは正反対の劣等感、その不器用さ、純粋さ…
あまりに痛々しく、読み通すのはつらいけど、今の時代こそ、もっと読まれてもいい作家なのではないだろうか?
・「花の命は短くて、苦しいことのみ多かりき」
まさに元祖天才少女。 文体を見れば洗練や簡明とはほぼ無縁、とげとげしく荒削りで、しかし、それゆえにこそ、ひたすら愚直な彼女の素質が伝わってくる。
本書所収の「灰色の記憶」は紛う方なき名作。「私は、いろんなものを持っている。 そのいろんなものは、私を苦しめるために活躍した」。 私を私たらしめる「いろんなもの」、そしてそれゆえにただ「中ぶらりん」であり続ける他ない私を、どこか突き放したようで、そして同時に濃密な自己愛を湛えた文体で辿る自伝的小説。
彼女のカウントダウンを自ら綴った「幾度目かの最期」。彼女は小母へ向けて語る。「これは、私の最後の仕事。これは小説ではない。ぜんぶ本当。真実私の心の告白なんです」。 もはやこの世に居場所を持たぬ、死を前にした彼女の混乱と錯綜を生々しく封じた「遺書」。
「女太宰」などという称号も一部にはあるようだが、私に言わせれば、それは完全に的外れ。というのも、津軽の死ぬ死ぬ詐欺師よりも彼女の方が器は圧倒的に上なのだから。 しかし、そのエネルギーのあまりに膨大であるがゆえにこそ持て余し、文学的完成とはあまりに程遠いまま、自死を以ってわずか21年のその生涯を閉じるほかなかったというのは宿命といえば宿命。 川崎財閥の令嬢というその生まれといい、果てしない才能といい、他のものがいかにそれを欲しても易々とは手に入らぬものをことごとく有しながら、それを徹底的に拒絶する生き様、否むしろ持つがゆえの葛藤、ある種の壮大な無駄遣い、そうする他なかった彼女の凄みに触れたい人は是非。
・「「うつ」の様々な形の1つとして・・・」
映画を見て、もっと詳細を知りたくなり本を手にしました。うつになると大抵「何が原因なの?何があったの?」と人は聞く。そして「気持ちの持ち様だよ。気を強く持って!。」などと言われる。私自身、考えても考えても明確な理由が分からず、胃潰瘍とか骨折とか、もしくはひどくなって入院とか、目に見えて人に分かってもらえるものの方がよっぽど楽かもしれない・・・と何度考えたことか。故に「どうしてこんなに理由もなく落ち込むの?」という筆者の叫びが痛いほど伝わってきました。
苦しみに共感した分、回復に向かう彼女に「うつ病は自分の欠点を説明するための都合のいい手段だった」「うつ病が心の逃げ場になっていた」と言われるのに反感を感じる人も中にはいるかもしれない。でもそれは『生』と『死』の中間で自分らしく生きること、そして、うつ状態とうまく付き合っていく上で、「依存症」にならないための心構えとして受け止められたらいいと感じました。うつ病という辛い病気の実態、心の叫び・寂しさへの共感の他、うつ病にも種類があることなど、さまざまな角度から「うつ」という病気をみられるいい本だと思いました。この病に苦しむ方・ご家族以外の方にも、偏見を持たず読んで知ってもらいたい内容だと思います。
・「読んで良かったと思えた本」
「うつ気分でない私は不安」と帯に書かれていた言葉が、私に突き刺さった。この数年間、うつに悩んでいたので、この本にシンクロする部分が多くあった。この本で、うつ病は「この病気のもっともおぞましい点は、うつ病に苦しむ人が誰も、明確に病気の原因を突きとめられないことだ」と述べられている。今までこんな自分になってしまった原因を探そうとして抱えていた苛立ちやもどかしさが、文章にされていて、それを把握することで、自分が楽になれた気がする。
・「この世で1番理解されにくい病気、うつ病。」
普通の人が読んでも理解できないだろう。主人公の行動は他人から見ると「自分勝手な行動」としかとらえられない。でも主人公からするとこの自分の行動は「生きる目的を見つける為の行動」なのだ。うつ病の本人以外は分かるハズのない行動・・・
「死にたい」とよく言うし、常に思っている。でも実際は死ぬことが恐い。なぜ「死にたい」と言うのか?思うのか?それは誰かに助けてもらいたいから。「死にたい」と言うと誰かが構ってくれるから。ただ、それだけのこと。でも別にもう生きたくもない。『死』と『生』の間でさ迷っていう状態のことをうつ病というのだと思う。
うつ病とはこの世で1番他人に理解されにくい病気だ。
・「偏見を持たず『普通?』の人も読むと世界が広がります!」
うつ病の私はこの本を読みながら著者に共感できる所とできないところをみることが出来ました。そう思えるという事は自分の状態を冷静に見ることができる事につながった様な気がします。『依存』せず、ゆっくりと自分なりの脱出口を見つけたいと思います。すらすらと読みやすい文章なのに、ぐいぐいと心が引っ張られる文章なので読む価値大です!
・「人間の心」
この本の存在は以前からしていたが、たまたま本屋で見かけたために購入してよんでみた。心の病は、幼いころからの両親との関係にあるといわれているが、やはり彼女も両親といい関係を結んでいるとはいえなかった。私自身も両親との関係はいいといえず、情緒不安定な時期を長く過ごした。病院へお世話になったことはないものの、「何で私ばかりこんなに不幸なの?」・・・それはまるで悲劇のヒロイン気分だった。今思えば鬱だったのだろう。今は誰がうつになってもおかしくない時代。偏見を持つ人にぜひ一度読んでほしい一冊だ。鬱病とはけして気の持ちようなんて簡単なことではかたずけられない、何かが心に宿ってしまうのだ。
●17歳のカルテ (名作映画完全セリフ集スクリーンプレイ・シリーズ)
・「精神障害と向き合う。」
スクリーンプレイシリーズは、話題の映画が比較的早く本になるので、よく買っています。映画を見に行く暇が無い、ビデオを借りている時間が無い人にお薦めです。訳してあるだけの本では、訳した人の主観が入ってしまうことがありますが、このシリーズでは、英語での話し方、用語説明がたくさん載っているので、わかりやすいと思います。
この「17歳のカルテ」は、周りから面白いとよく聞く映画だったので、とても期待して読みました。主人公のスザンナを中心に精神障害を抱える人々の考え方や、成長していく姿がとても良かったと思います。また、主人公の友達のリサが使う言葉遊びには、感心しました。
・「17歳のカルテがだいすきです。」
翻訳の勉強にぜひ。
・「Parallel World」
精神病を体験するというのはどういうことなのか少しでも理解できるのかと思ってこの本を読んでみました。 "Parallel World"という表現が印象的で、私たちが経験している現実の世界とは別に世界があって、その別世界にいながら平行して生きていくことなのか、病気を体験していない自分にとってはやはり想像しがたいことだけれど、何か痛烈なものを感じさせられます。体験記のエピソードの中には笑い出したくなるようなものもあり、入院している他の女性たちやナースとのおもしろくもあり、痛々しくもある描写。そしてスザンナが病気であることをふっと忘れさせるような瞬間もあるかと思えば、自分の中に本当に骨があるのかと追求するところもあって、病気の怖さというか、深さのようなものを感じさせられれました。
一番恐ろしいと思ったのが、その当時の診断の仕方。精神科医に短時間診察された後、精神病院に送られてしまうことと、著者も指摘する「境界性人格障害」の診断基準。そして、知らない人はいないという有名精神病院に入院していたことで、世間におけるスティグマ。今は60年代よりも医療面で改善されたところが多いとは思うけれど、精神病に悩む人が増加する中で、私たちの認識がどれだけ変ったのか考えさせられました。
映画の方はまだ観ていませんが、どのように映し出されているのかみてみたいです。
・「もし家族に・・・」
境界性人格障害(主人公の病名)と診断された家族を持ち、すこしでも情報がないかと探していたときにこの本に出会った。本の中では家族とのふれあいは現れないが、その分彼らを理解する手がかりになったと思う。
・「本の世界に入り込める本です。」
この『GIRL,INTERRVPTED』は著者スザーナ ケイスンさんの実体験が書かれているためまるで本を読んでいる自分がその世界に入り込んでいる気がしました。また当時のカルテのコピーや、スザーナさんが書いた手紙なども載っています。いったい私たちは、何が基準で正常と異常を区別していたのか?
精神病院の中の方が、この嘘で固められた世界よりずっといいのでは?と思いました。この作品は映画化されていますが、映画では省略されてしまっている重要な部分も多く見られました。字が大きく、簡単な英語で書かれているため、英語上達の第一歩として読んでもいい本だと思います。
・「映画をより楽しく」
私は、映画を見てこの本を読みました。クレイムアに入って最初はすごく緊張してたスザンナが、いつのまにか仲間と溶け込んでそこ居るのがあたりまえになっていった時、日記に書きとめた「You'll be home now」という表現がすごく好きです。
この本は、映画では変に訳されていた英語などが、自分の中で訳がし直せてちゃんと形になっていく感じがして、とても楽しんで読めました。一度映画にはまった私ですが、この本を繰り返し読んでその内容がより深く理解できました。これからも大切にしたいと思います。
・「正にぴったりのタイトル」
先ずタイトルから驚きました。ルノワールの絵画「ピアノを弾く少女」の原題をまねてあるとは。Interrptedという言葉は、ぴったりの表現で、しかも、その中断された期間というのは、ピアノを弾く少女が譜面を確認するのと同じように、人生を歩む過程において必要な「確認」のための時間だと思いました。 私も精神科病棟に入院した経験がありますが、60年代の方が対応が良いのではないだろうかと思う箇所もありました。日本とアメリカの違いはありますが、私の病棟もこの本と同様の若い女性たちが多く、症状も同じようなものでした。 精神病と言われているものはどういうものなのか、精神科病棟とは一体どんな感じなのか、そしてそこにいる者は何を考えているのか、それを知りたい方は一読されることをお勧めします。 生の英会話表現に興味のある方にもお勧めです。悪態をつく表現など、日常会話ではよく出で来る表現なのに、日本では習わないものが結構出てきます。使い方も学べます。勿論、普通の表現もです。思っていることを言えるようになりたい方には特に参考にして頂きたい本です。
・「すごくリアルで、すごく影響力の強い本だと思いました…」
ドラマを全くと言っていいほど見ない私ですが、高校時代、なぜか自閉症の女の子が主人公のドラマに見入ってしまいました。そして、参考文献として挙げられていたこの本を読みました。何か不思議な力のある本でした。自閉症と闘う著者が記した自叙伝なだけあって、というかそれ以上にリアルです。とても描写力のある方で、
一つ一つの気持ち、行動を丁寧に振り返り、描き出しています。何か、とても引き込まれてしまうものがあります。
私個人も、多少人間関係に悩んだ時期があり、うつ病になり、パニック障害に近い状態になったこともあります。だから、すごく共感してしまう部分もありますし、無知であった自閉症について、詳しく教えられた本でもあります。
自らの「生きる力」を取り戻すまでを率直に綴った、鮮烈にきらめく、魂の軌跡の記録、というコピーは大袈裟でも何でもありません。それだけの内容に仕上がっていると思います。
自閉症について知りたい人も、心理学的なものに興味がある人も、そうでなくて、何かを得たい人も、読んで損になる本では
ありません。生々しいまでのリアルな描写もあり、筆者の悩み、葛藤、そういったものも伝わってきて、さらに言えば超一流の文筆力を持っていて、気持ちのこもった素晴らしい本だと思います。何も批判するところがありません。ちなみに小学生の子に貸したところ興味はあるけどちょっと難しい、と言って返ってきたので、対象年齢は中学生2年生くらいから…
・「内容にひきこまれる」
自閉症と闘ってきたドナ・ウィリアムズが、彼女の内側から感じ、見てきたことを綴ったのがこの本です。3歳ごろの記憶から出版当時までの記録です。当時は自閉症という症状は一般的に知られておらず、偏見から本人や家族が差別を受け苦しめられてきました。でも、気丈なドナは自分の内側で、自分を見失わずに戦い続けて、出口を見つけました。
純真無垢、オネスティとは何かを考えさせられる本でした。最後の方(p.441~)には実際、実際、自閉症の人に対してどのように接していけばよいのかということが、具体的に書かれていました。いろいろな個性を持った人同士がお互いもっとわかりあえる「世の中」になるといいな、と思いました。
・「自閉症者の内面が分かる」
最近でこそ、自閉症者自身による著書が世に出るようになってはきたが、この本こそが自閉症者の内面が赤裸々に語られた代表作であると思う。自閉症を理解する上で是非読んでおきたい一冊である。
・「人間嫌いだと、思っていた私が、人間とは何かを、学ぶ切っ掛けを貰った」
人間嫌いだと、思っていた私が、人間とは何かを学ぶ切っ掛けを、この本から、随分と貰いました。 私も幾らか「自閉症」的な所があるらしく、この本の内容と、よく似た所では、読んだ後には、悲しいと言うか、痛いとか、重いとか言う反応が出てしばらく続きました。 そして、その内容を消化するのには、かなりの時間が掛かってしまいました。 でも、私の人生をある意味で「豊か」にしてくれた一冊であることは間違いありません。 この著者の勇敢さと、独特のユーモア精神は見習いたいと思いました。
・「読むべき本がここにある」
私は現在、鬱病と自律神経失調症でメンタルクリニックに通院している。23問中の設問で19問が当てはまるHSPでもある。 私は自閉症ではない。だが、本書を読んで、ヒロイン・ドナが物を通じて「感じる」表現や「考え方」が非常に自分によく似ていて驚いた。
日本では未だ自閉症は親の愛情が足りなかったから…などと誤解されている。まずは本書を読んで誤解を解き、幼少時から傷つき続けてきたドナが心の壁を必死に越えようと努力する様を真正面から見つめて欲しい。 人間に、下らないレベルの差などないことに気づかされるから。
・「ナイーヴ」
自己中心的で、傲慢で、尊大で…それでも、主人公の繊細な感受性と、鋭敏な描写は、読み手を惹きつける。特に、十代後半、二十代で読むと、共感できる部分があるのではないか。極度に外部世界や他人を取り入れてしまい、バランスを保つのが困難になる、というようなことが、程度の差はあれ、若い頃に起こるのは、ありがちなことである。プラスは、この自伝的な作品で、彼女は母親に対してかなり辛辣な眼差しを向けているが、実際に母親の前では、「良い子」でいようとするという別の一面もあった。併せて伝記を読んでも面白い。
それにしても、「少女版『キャッチャー・イン・ザ・ライ』」という帯の文句には違和感を覚える。まるで、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が「本編」で、『ベル・ジャー』はその模倣か何かのようではないか。サリンジャーと比較するのも面白いかもしれないが、まずは『ベル・ジャー』は「プラスの作品」として読むべきではないだろうか。
・「硝子の覆いの中で。」
はじめにこれがシルヴィア・プラスの自伝的小説だという予備知識がなければ、私はこの本を読み流していただろう。
少女版『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として世界中の若者たちに読み継がれている永遠のベストセラーなどというオビの文句に、「大げさじゃないの」と感じたからだ。
少女期の挫折や無力感、結婚してそれまでの自分の人生すべてを否定された経験、出産・育児に明け暮れる日々に、焦りを感じていた頃…。それらを乗り越えていまの自分がある(中には超えられずに知らぬふりをしている事柄もあるが)!と自負している私の目には、最初は主人公の姿が、ただ努力もせずに甘えているとしか映らなかったのだ。
しかし、何度も読み返したいまなら、エスターの苦悩が理解できる。強すぎる感受性は、矛盾した嘘だらけの社会で生きてゆくことを拒否したのだ。そんな彼女に共感し、受け止めてあげようとするひとも、いなかったのだ。
作家としてではなく、人間としてのプラスをもっと知りたいと思う。
女性であり、ふたりの子を持つ母である私には、彼女の死の理由だけは、おそらく理解できないのだろうが。
・「渇望するひと」
ジャングルの木々が茂る背景に猿と太く繋がった眉のフリーダの絵を見たのが最初の出会いだった。ある雑誌の特集だっただろうか、その強烈な個性と絵について書かれていたと思うのだが、「強烈な個性」という言葉以外、詳細について忘れてしまっていた。フリーダの映画が公開され、興味を再度持ったところ出会ったのがこの本だ。フリーダの絵をあまり見たことはなかったが、この本に綴じられている作品を観ると、「濃厚な血」の匂いを感じる、というか、ある種の衝撃なくしてそれらを観ることはできない。
リベラやトロッキー、イサム・ノグチといった時の文化人芸術家を魅了したのも、彼女の強烈な個性、自意識によるところが良くわかる。その一見華やかそうに見える遍歴の裏に、何度となく血を流すフリーダ姿が浮かび上がってくる。今やメキシコを代表する女性の画家として有名な彼女だが、その衝撃的な絵の数々は彼女の夫リベラに対する愛の渇望、叫びであり、強烈な個性を持つフリーダが同じく強烈な個であるリベラとの愛を生きる上でどうしても不可欠なものだったのだ。本書のなかで、著者はメキシコ旅行を通して、そんな彼女の生涯の軌跡を辿る。とても読みやすく、彼女の絵を鑑賞するとりかかりとしてだけではなく、一人の女性の生き方の物語としても楽しめる一冊である。
・「研究書ではないが」
研究書ではなく、著者のエッセイ。そのせいか、折角フリーダの生涯が映画化され、かつての日本での大々的な回顧展以来の日本でのお目見えなのに、プログラムにこの人の一文もないというのは、ちょっとかわいそうな気がする。
実際、本当の研究書(『フリーダ・カーロ 生涯と芸術』=映画原作、『フリーダ・カーロ 痛みの絵筆』)や、あるいはローダ・ジャミの小説(『フリーダ・カーロ 太陽を切りとった画家』)よりも、この『引き裂かれた自画像』でフリーダを知った人の方が多いのではないだろうか。
「研究」でないとしても、一人の女性としてフリーダの足跡をたどる旅について読むのは、決して無駄なことではないと思う。ばっちり知りたいフリーダ大ファ!ンの私としては、一時期「エッセイじ!ゃん」と思ったこともあるが、あらためて映画化などされてみると、個人的な体験であるこの本も、いいのではないかと思う。
『芸術新潮』フリーダ・カーロ特集も、「参考文献」にこの本を挙げていないのはちと了見が狭くないだろうか。著者は女性の美術評論家の草分け的存在というか、非常に女性としては親近感のある語り口の人である。文庫にもなったことだし、根強い読者はいるのだ。あだやおろそかにすることなかれ。
・「フリーダが好きな方に」
著者とフリーダの作品との出会いから始まって、著者がフリーダの人生を調べて、色々判ってくるという形になっています。ですので、フリーダその人に痺れてしまった人向きです。私はその一人。楽園のような地獄のような、なんて豊穣で凝縮された人生だったのでしょう。末尾の横尾忠則さんと著者の対談もいい毒味があってステキです。
・「フリーダ入門書」
「フリーダ=カーロ」というメキシコの女流画家の、暗闇と光彩に彩られた人生を、絵と共に紹介した一冊。私はフリーダの絵を見て感銘を受け、この本を手に取った。フリーダの絵。額の中の小さな世界が、愛情・嫉妬・自己顕示欲・苦しみ・哀しみ、その他名付けようのない濃密な感情で満たされている絵。額の中の閉じられた世界。そのフリーダの人生は、絵以上の衝撃だった。この本は入門書として、是非一度、この本にある絵の実物をメキシコで見てみたい。
・「フリーダの心のひだを感じる」
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・「世紀末の女」
~この人を知っている人が今、どれくらいいるのだろう。鈴木いづみと天才的なアルトサックス奏者の夫・阿部薫との関係が映画化され、一時的に見直された時期があったが・・・。映画のタイトルは「エンドレスワルツ」で、広田レオナの主演映画だ。私は、映画も観たし鈴木いずみの本も何冊か買って読んでみたが、それで感じたことは、鈴木いづみは創作した文章よ~~りもいづみ自身のキャラクターの方がよっぽど面白い人だということ。その人物像に迫っているのが本書だ。鈴木いづみと関わっていた様々な人がいづみについて語っており、いづみ好きな人にはかなり参考になる本だと思う。~
・「きらめき、追憶。」
後戻りできぬイノチの尊さとはかなさ。全身全霊の悪意と嘲笑をあなたに。
・「ゴシップを語りたい。」
鈴木いづみを知る人、当時関わっていた人たちが、書いた彼女のエピソード集。本を読むのも、登場人物が彼女とかぶるので、だいぶ彼女を知ることができるだろうが、客観的に見た、まわりから見たいづみ像がわかる。(かなりの電話魔だとか、、、)ゴシップを聞くのと似た気持ちで彼女がすきならどんどん読める本。最後の「騒(がや)」のママ?の阿部薫が病院にはこばれた際のことも書いてある文が、印象的である。
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