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▼文学のおすすめ:セレクト商品

明暗 (新潮文庫)明暗 (新潮文庫) (詳細)
夏目 漱石(著)

「心理描写の奥行きの深さ」「最高の近代小説」「未完、だが」「際立つ人間模様」「あの世で問い詰める」


泉鏡花集成〈14〉由縁の女 (ちくま文庫)泉鏡花集成〈14〉由縁の女 (ちくま文庫) (詳細)
泉 鏡花(著), 種村 季弘(編集)


奔馬 (新潮文庫―豊饒の海)奔馬 (新潮文庫―豊饒の海) (詳細)
三島 由紀夫(著)

「陛下と言う「美」に突っ走った少年の夭折」「永遠回帰。日輪と交合する海。」「躍動感と緊張感のある文体」「輪廻転生」「若者の思想」


神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫) (詳細)
大西 巨人(著)

「ニヒリズムでは生きられないごたぁる」「書いてみたかったので書いてみました。」「ハードボイルド戦争文学」


邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫) (詳細)
高橋 和巳(著)

「神とは何か、そして人間とは何か」「魂に響く名作です」「宗教を題材としているが、登場人物の魅力などで読みやすいです。」「「凄い」という言葉がこれ以上にあてはまる小説を他に知らない。」「破綻した構想、されど名作」


武州公秘話武州公秘話 (詳細)
谷崎 潤一郎(著)

「前代未聞の大怪作」「谷崎潤一郎」「おどろおどろしい内容だが、おぞましさを感じさせない」「解説の誤りが気になる…」「だいぶストリーとしては成熟した構成になっています」


ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)ドグラ・マグラ (上) (角川文庫) (詳細)
夢野 久作(著)

「いやー」「ただ圧倒。」「10年ぶりに再読しましたが,やっぱりすごい作品です.」「傑作です。」「良い感じに気持ちがわるい(笑)」


ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書)ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書) (詳細)
エミール ゾラ(著), 伊藤 桂子(翻訳)

「最優先で読んでください」「嬉しいですね。」「大河小説の源流」


罪と罰〈上〉 (岩波文庫)罪と罰〈上〉 (岩波文庫) (詳細)
ドストエフスキー(著), Fyodor Mikhailovich Dostoevskii(原著), 江川 卓(翻訳)

「読みやすい」「「罪と罰」とは何か?」「こんな人におすすめ」「名作ですね」「感動的な魂の救済物語」


戦争と平和〈1〉 (岩波文庫)戦争と平和〈1〉 (岩波文庫) (詳細)
トルストイ(著), 藤沼 貴(翻訳)

「新訳です」「トルストイの歴史認識」「なぜいま?」「読み方をかえれば倍楽しめる」「コラムはいいのですが・・・。」


白鯨 上 (岩波文庫)白鯨 上 (岩波文庫) (詳細)
ハーマン・メルヴィル(著), 八木 敏雄(著)

「人間と自然との大叙事詩」「Worldwide Literature Work」「小説の中の小説」「白鯨とは何か?ということは」「八方破れな原典+悪ノリ全開の訳文=壮大な笑いの金字塔」


ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫) (詳細)
バルザック(著), 高山 鉄男(翻訳)

「バルザックの代表作」「ゴリオ爺さんの姿は悲しいです。」「バルザック自身の豪放磊落な生き方に興味を持った」「文学」


▼クチコミ情報

明暗 (新潮文庫)

・「心理描写の奥行きの深さ
つい半歳ほど前に結婚したばかりの津田。新妻お延とはどこかしっくり行っていない。京都の実家からは援助を打ち切られ、金策に奔走しつつ、痔の手術で入院する羽目にもなる。そんな津田にはお延の前に愛した女性がいた・・・。

その巧みな心理描写が素晴らしい漱石ですが、この「明暗」とそれまでの小説と決定的に違うのは、その心理描写が主人公だけでなく、脇を固めるキャラクターにも徹底されていることだと思います。妻お延、妹お秀、津田の世話を焼く吉川夫人、津田の友人小林など、さまざまな登場人物の心理が書きこまれ、人と人のあいだに生じる誤解、思惑の違い、駆け引き、そうしたものの存在と、それが人間関係に与える影響が、浮き彫りになっていきます。結果として、どちらかと言うと主人公自身の心理に焦点を当てた、漱石のそれまでの小説とは、まったく違った深みを持つ結果となっているように思います。人間は他人を、自分の行動パターンに照らして分析しがちだが、実は自分とはまったく違う利害関係でもって思考し行動している、そしてそのズレは埋めあわせがつかないくらい決定的だ、そんなことを考えてしまいました。この小説が未完で終わっているのは、何ともなんとも残念なことです。だからこそ想像力をかき立てられる部分もあるのでしょうが・・・。

・「最高の近代小説
漱石未完の大作。約90年前に書かれた小説ですが、現代人が読んでももの凄くリアルに思えます。漱石の後期の他の作品との最大の相違点は、主人公の脇をかためる女性の心理が男性と同格に描写されているということです。主人公一人の視点ではなく、他の登場人物の視点も描かれています。また、所謂近代知識人は登場しません。こころや行人も傑作だと思いますがテーマが近代知識人の自我の苦悩というものなので、謎の部分もあります。(特に僕ら中学生や高校生には)それに対して明暗は描くのは市井の人間ですのでそういう意味では分かりやすいと言えます。(但し人間のエゴを描くのは共通しています。)全体としては異様なまでに緊迫した人間関係や心理の機微を巧みな文章で描写して、誰もが持つエゴを直視しています。漱石の小説は勿論、日本の近代小説の中でも最高傑作のひとつだと思います。

・「未完、だが
 濃いです。文体が、描写が。漱石のそれまでのどれとも違う、コクのある内容、心理描写。それまでの総大成、と言う人がいるのも分かる。作者の死により未完に終わっている、ということで手を出しにくい人が多いかもしれないけれど、漱石が好きなら読むべきです。それだけの価値はある。

 

・「際立つ人間模様
私の自覚する自分、そして他人の認識する自分、自分の実家での自分、連れ合いの実家での自分。幾通りもの人間関係の中で、人物が浮かび上がってくる。それは小さな世界の中でも見栄を張り、少しでも自分を大きく見せようと、少しでも上手く立ち回ろうとして駆け引きをする人間達。ときには自分では太刀打ちできない相手の力を感じて、仮面を剥がされるような気分を読者も一緒に味わう。漱石の手腕により、各登場人物のキャラクターが際立っている。ともすれば矮小な小賢しい印象を与えかねないが、そうはならないのが、我々の近くにいる等身大の人物が、彼らの論理なりに一生懸命に生きている様が描かれているからだろう。

これが新聞に連載されていたとは、当時の読者はさぞかし毎日が待ち遠しかったに違いない。また、文豪の死を悼むと同時に、この物語が突然、そして永遠に止まってしまったことを嘆き悲しんだに違いない。

・「あの世で問い詰める
未完を承知で手に取ったが、どーにも津田チャンの行く末が気になって仕方がありません。しかーしっ! たとえ不完全燃焼が予定調和だったとしても一読に値する傑作です。

日常的には他愛のない?(小説的にネ)物語なんだけど、何故こうも全編を通じて緊張感を孕んでいるのか。とにかく、「神かアンタは?」と、問い詰めたくなるほどの心理描写は、他の追随を許さない。是非とも、続きはあの世で拝聴させてもらいます。そして、対峙した漱石さんが口を開きかけた瞬間、ボクは・・・。-未完-

明暗 (新潮文庫) (詳細)

奔馬 (新潮文庫―豊饒の海)

・「陛下と言う「美」に突っ走った少年の夭折
西洋における「主」(キリスト教の神)の様なものを、日本の三島は「天皇」に求めた、と言う説がある。信仰というよりも、崇拝の対象、全的に自分を捧げられる何かとして。

『春の雪』の清顕の転生である勲は、まさに中世西洋の純朴な少年基教僧の「主」に対するが如く、ひたすらに、「陛下」に憧れ、「陛下」のために死ぬことを夢見る少年剣士として登場する。

そして注目したいのは、この作品で三島が勲に使わせている「陛下」と言う言葉。

例の、三島的な、いわば人間としての「陛下」ではなく、神の代理、美の象徴、絶対的奉仕(という美)の対象としての「陛下」であって、勲はあくまで「陛下」と言う「美」に突っ走って夭折する。まさに、日本精神の象徴としての「陛下」に憧れ、(詩人の、芸術家の、武士の)夭折に憧れた三島の、或る意味では、分身とも言える少年であり、読んでいて、実に激しい、痛々しささえ伝わってくる凄まじい作品である。

後半生の三島は「美」を振り回すことや、自己のかつての詩人性を恥じたと言う。しかし、遂に三島は、その数々の小説作品でも、エッセイでも、対談でも、死ぬまで、「美」を振り回さずにはいられなかった人であり、その文体・表現の美しさ、言葉の選択のシビアさ・的確さは、彼の枯れることない詩藻・詩人性から横溢したものであったろう。

あらゆる意味で「三島的」なこの作品を、多くの三島ファン、文学ファンにおススメしたい。

・「永遠回帰。日輪と交合する海。
豊饒の海四部作で、最も美しい作品は「春の雪」、最もパワフルな作品がこの「奔馬」だと思う。三島は弟子?への手紙のなかでこの作品を「ワクワクしながら」書いていると述べている。主人公と三島の行動と思想は似ている。が、内面にあるもは正反対だと思う。三島は高度な西欧近代的教養を持つ「からごころ」の人、主人公は純然たる「やまとごころ」の人だと思う。こういう人間でありたかったのだろう。海に臨む岬の上で切腹する瞬間「日輪は........」の見事な文章も、ランボーの詩「永遠」の「もう一度見つけたぞ。何を?永遠を。それは太陽と溶け合った海」にインスパイアされたものだろう。そして「日輪」は、もちろん「すめらぎ」の意だろう。

・「躍動感と緊張感のある文体
豊饒の海の第2作。春の雪の貴族的、雅流の世界とは違って野性的な匂いのする作品です。舞台も戦前〜戦後の混乱期が舞台だからでしょうが。

「純粋」を求める青年が前作、無念の死を迎えた清顕の転生。作中の描写にもありように。清顕とはまるで反対のような自分。反対というよりは裏側みたいに感じましたが。

非常に政治色も強く皇国思想や生死感などを青年の真っ直ぐな性格を反映して打ち出しています。後に迎える作者の最後を考えるとやはり作中の中の主人公は三島自信とかぶるトコロが多いのではないでしょうか?

そしてやはり春の雪でも感じたのですが女性はやはりしたたたですね・・鬼頭中将の令嬢。。

「純粋さ」を求める青年が。しかし「純粋さ」なだけでは何もできず自分の周りを取り囲む「決して純粋ではない」人間や環境の中でしか自分が生きていなかった時にやはり彼には「死」しかなかったのではないでしょうか?作品最後の「目を〜・・・」に欲しいものは手に入らないモノ的な三島さんの美学を感じました。

ちっちゃなトコロでは春の雪で登場した宮様や華族の皆さんのその後もちょっと解って。それはそれでオモシロいですね。

・「輪廻転生
三島由紀夫の遺作となった豊饒の海の第二巻にあたるのがこの作品である。豊饒の海第一巻の春の雪の最後に出てくる言葉、滝の下で会おうがキーワードとなり、輪廻転生のコンセプトによりこの作品に続いている。宮様の一族に謁見するシーンの記述には、右翼とまで目された三島先生の晩年の思考が色濃く記されているように思う。

・「若者の思想
 豊饒の海四部作の二作目。

 「春の雪」とは打って変わって若者の激しい力を描いた作品。物語も動きが激しいため非常に読みやすく、スラスラと読むことができた。「義」のためならば命をも惜しまないという勲の考えには、今の時代には無い熱さを見たような気がする。周りにいる大人たちの狡さにも負けず、己の意志を通そうとする勲には松枝清顕には無かった力強さを感じた。単品としてみても十分に面白かった。

奔馬 (新潮文庫―豊饒の海) (詳細)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

・「ニヒリズムでは生きられないごたぁる
読もう読もうと思いつつそのボリュームなど様々な理由で躊躇している方。迷っている場合ではありません。傑作ですから今すぐ手に取ってください。驚くべき記憶力をもつ主人公が、軍隊内の不条理に合法的に、軍規を盾にとって闘争する3ヶ月。あっちこっちに飛んでいく記憶のままに、東西の古典文学から豊饒に引用し、重苦しくもあり、おかしくもある「ザ・小説」。召集以前の生活、特に恋愛関係も珠玉の出来栄えです。

こんな世界は生きるに値しないと思っているニヒリストの主人公が、そのつもりもなかったのに、不条理な支配関係や差別問題に抵抗していくなか、周囲の一般兵たちと奇妙な連帯意識が芽生え、生きる希望を見出していく、という中心的なストーリーだけでも気持ちいい。軍隊でこそ見出す逆説的な希望。

もちろん、作品舞台が対米開戦直後の1942年1月から4月であり、敗戦濃厚になって兵隊たち自身が威圧的で堅苦しい雰囲気を内面化する前だからこそ、軍隊内にまだわずかに民主的法律的な空気が残っていることになっています。主人公の合法的な訴えを聞き入れて戸惑う上官たちは、決して問答無用の鉄拳制裁をしない。

ト書き風、一人語り風、三人称、引用のみ、など節ごとに文体を自在に変化させているのもおもしろい。九州方言の語尾「ごたぁる」の心地よいリズムが耳を離れません。至福の読書体験をぜひ!

・「書いてみたかったので書いてみました。
他の人たちのレビューによって、おおよその概要はわかると思います。そのため、私は『神聖喜劇』を読み終えて考えた内容を少し書いてみることにします。主人公東堂は自ら対馬連隊へと加わり、戦地において「死ぬこと」が彼の望みだったのです。しかし、連隊での経験や過去の記憶がその気持ちを揺るがしていきます。どんな社会でもよくあることですが、連隊の中でも上下関係が存在し、その中では制度や法をも無視し、権力をもっている人間こそが法なのである、といった形です。東堂はこの矛盾と戦っていき、やがて彼の心に変化をあたえるのです。『神聖喜劇』は東堂の物語であり、私たちの物語ではありません。しかし、私たちが社会の矛盾に出会ったとき、どのような姿勢でそれにぶつかっていくかを考えさせられる一冊であったと思います。

・「ハードボイルド戦争文学
軍隊の話ということで少し気が重かったんだけど、表紙がきれいなのと字が大きいことに惹かれて読んでみました。

出だしの文章が硬くって取っ付きにくい印象を受けるかもしれませんが、読んでいくとわくわくして続きを読まずにいられなくさせる小説です。主人公がピンチに陥っては切り抜けたり推理小説っぽいところがあったりして、軍隊の話というよりはエンターテイメントとして肩の力を抜いて楽しめます。

この小説の雰囲気をわかりやすく言うと、原尞のハードボイルドな探偵や村上春樹の小説の主人公を徴兵して軍隊に入れたらこんな感じになりそうです。主人公の格好よさもこの小説の魅力でしょう。全5冊でまだ4冊あって毎月発売が楽しみです。

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫) (詳細)

邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)

・「神とは何か、そして人間とは何か
 昭å'ŒåˆæœŸã€ä¸€äººã®å°'å¹'が、京都の山é-"にある何の飾りもないé§...に降り立ったとã"ろから壮大な物語が始まる。å°'å¹'は千è'‰æ½"といい、なぜか遺骨壺ã‚'抱えていた。孤å...åŒç„¶ã®æ½"は地å...ƒã®å®-教団ä½"「ひのもとæ•'霊会」の信è€...に拾われ、一å'½ã‚'とりとめた。彼がいわば主人å...¬ã§ã€æ§˜ã€...な経é¨"ã‚'経てやがてæ•'霊会の教主になり、æ•'霊会のå'½é‹ã‚'変えるã"とになる。

 æ•'霊会は天皇制国家権力の弾圧に苦ã-められていた。その教えであるå...«èª"願のひとつに「たとえã"のä¸-のç 'æ»...ã-、ã"のä¸-の永遠にå'ªã‚ã‚Œã¦ã‚るとも、己一人にてæ•'わるる心あらã‚"よりは、むã-ろä¸-とともにå'ªã‚ã‚Œã¦ã‚らã‚"」というのがある。è'-è€...はã"の書に自身が理想とする革å'½æ€æƒ³ã‚„å®-教観ã‚'あらわã-たと言われ、渾身の力ã‚'込めて描いているã"とが感じられる。

ã!€€ãã‚Œã«ã-てもæ½"は不思議なç"·ã ã€‚いつも人望ã‚'集め、æ-§åˆ¶é«˜æ ¡æ™‚代にはボート部の主将ã‚'務め仲é-"にも恵まれてé'春ã‚'謳歌ã-たかのように見えれば、教主にまでなりながら神ã‚'信じられない姿や深い心のé-‡ã‚'かいま見せる。また、彼と深くé-¢ã‚ã‚Šåˆã†ã"とになる女性たち、行徳阿礼、行徳阿è²'、堀江æ°'江、有坂å'美子にもそれぞれに悲惨なあるいは壮絶な運å'½ãŒå¾...っているã"とになる。 「ã"ã"まで書かなくていいだろう」と嫌悪感さえ感じるほど、残é...·ãªå‡ºæ¥äº‹ã‚„人の心の醜さやが描かれてれば、美ã-いまでの深い信仰心や理想への献身も見られる。物語でç"Ÿèµ·ã™ã‚‹å¤šãã®äº‹æŸ„から、神とは何か、宿å'½ã¨ã¯ä½•か、様ã€...な人の心、そã-て人é-"とは何かについて考えさせられた。

・「魂に響く名作です
この作品で描かれる、ひのもと救霊会は大本教との類似が指摘されるが、その大本教に関する知識のない私にとっては、どことなくキリスト教の初期に既に異端視され、徹底的に弾圧され焼き尽くされたカタリ派に似通うものがあるような気がする。「愛の宗教」とも呼ばれ、神への愛にも通ずるとして男女の愛に特別な価値を置いたというカタリ派と、既成の社会道徳にとらわれない男女の愛しあう形を認めたひのもと救霊会。また、カタリ派とひのもと救霊会の死の観念にも似たところがあるように思う。神の国の実現と人間の真の自由と解放を願う精神が権力者に憎まれ、弾圧を呼んだという点も同じであろうか。作品の中で、日本の美しい農村風景と、一方で餓死者まで出すようなその社会構造が酷薄なまでに描かれ、救霊会はあくまで農村風土と密接に結びついているが、その宗教的理念は普遍的なものといえるのではないか。迫害を受け、戦争で荒廃した社会状況の中、救霊会の選んだ道を愚かだと断ずるのは簡単だ。しかし、終戦を境に価値観の大転換を体験した作者は、1つの教義に殉じたこの教団をめぐる個性的な人物達を魅力的に描くことで、人間本来の生き方とは何かを問いかけているようだ。

・「宗教を題材としているが、登場人物の魅力などで読みやすいです。
 大本教を題材としたと言われている、宗教や人間の生きざまを書いている大作です。 国から弾圧された事など、実際にあった歴史の重い部分を背負いながら、人間が生きていく事の意味を問いかけています。 しかし、主人公の少年などの存在は、それらをどこかで救ってくれていると感じます。

・「「凄い」という言葉がこれ以上にあてはまる小説を他に知らない。
一時には全国で百万の信徒を抱えた新興宗教団体「ひのもと救霊会」が、戦前戦後を通じて邪宗門(邪教)扱いされ壊滅するまでを描いた壮大なスケールの叙事詩。

この「ひのもと救霊会」は実在の大本教をモチーフにはしているようだが、あとがきによれば教義・戒律等は作者自身が考えているらしい。それを知った時には正直驚いた。なぜなら、本文で描かれる教団の組織構成や教義は非常に細かい所まで作られており、いくら実在の宗教団体等を参考にしているとはいっても、作者一人で考えているとは全く思いもしない程、リアリティのあるものだったからだ。決して言い過ぎではなく、作者が恐ろしい程にこの本は良く出来ている。

本書は上下巻合わせて1100ページ以上、文字はビッシリで、決して読みやすい本ではない。が、最後まで読みきった後のあの感情は、少なくとも他の小説では味わったことが無い。本当に、良いものを読んだ。読めて、嬉しい。

・「破綻した構想、されど名作
 本小説が、戦前政府より苛烈な弾圧を受けた、大本教を題材としていることはよく知られている。 「インテリゲンチャの苦渋」をその生涯のテーマとし、観念と人間の関わりについて問い続けた高橋和巳にとっては、宗教とは何か、というテーマは避けて通れない問題であった。 本来生き延びてはいけない生を生き延びてしまった主人公のビルドゥングス・ロマンが上巻の内容である。ここで、座禅を通じて主人公が得る悟りの内容はすさまじいものがある。 そして、下巻では、本来宗教人として最もふさわしくない主人公が教主として権力を手にする場面が描かれる。神通力を持たない、いや持ってはならない主人公の手に触れて信者の病いが忽ち癒えるのはなぜか? この場面で筆者は宗教の本質の一面を鋭く抉り出している。

 しかし、魅力的な場面、作者の鋭い問題提起が現れている部分は随所にあれど、小説として成り立っているかどうかはまた別の問題である。残念ながら、教団が自己崩壊に向かう設定はいくら何でも無理がある。オウム真理教ではないのだから・・・。 ただ、本小説の与える感動は、そういった小説としての完成度とはまた別の問題であることもきちんと指摘しておきたい。 一読に値する名作であることはもちろんである。

邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫) (詳細)

武州公秘話

・「前代未聞の大怪作
戦国武将を扱った一種の歴史小説だが、興味の対象は合戦や天下取りや権謀術数ではない。主人公の武州公のいささか武将らしからぬ変態趣味の物語。とはいっても彼はなかなか頭も良く、勇猛な武将である。その彼が幼い時に見た光景、城中で若い女たちが討ち取られた敵方の武将の首に、首実検のための化粧を施している様子。特にある歳若い娘が、なぜか鼻の欠けた若い武将の首を無心に整えている様子に言いようの無い歓喜を覚える。成人してひとかどの武将になってからもそれを忘れることができず、愚鈍な自分の主を標的に密かに計略を練る。そこに主の正室、桔梗の方(とても魅力的な悪女です)がからんで物語は展開する。とても格調の高い明晰な文体も素晴らしい。ミステリータッチだが、凡百の同傾向の物を遥かに超えているのは云うまでもない。不思議に後味がいいのは、人物が良く描かれているからだろう。面白すぎるゾ、潤チャン!

・「谷崎潤一郎
谷崎は幾度か全集を読んだが、この作品は、その展開の面白さや、陰影の妙(燈し、篝火、月明りから浮かび上がるような、夜の場面の、何と言う美しさ!)から、何度も読みかえしたものの一つ。またこの「武州公秘話」は、典型的な谷崎お得意の結構(構造、見取り図)から成っている作品だと思うので、谷崎ファンには大変勉強になる。(無論、谷崎は多くのスタイルを試み、完成させた人なので、これを読めば谷崎の小説の型が完全に理解できるものではないが。)特に「法師丸人質となって牡鹿城に育つ事、並びに女首の事」の章は圧巻。ドナルド・キーン氏がご自身の著書の中で、この作品を、谷崎文学の最高傑作の一つと評されていることも注目に値する。

・「おどろおどろしい内容だが、おぞましさを感じさせない
 作者の語りで物語が淡々と進行していく。主人公は戦国武将、武州公こと武蔵守輝勝。 人質となっていた幼少の頃のこと。敵の首級を洗い清める美女にみせられる。 ・・・法師丸は、その美女の前に置かれている首の境涯が羨ましかった。彼は首に嫉妬を感じた。(本文より) 「被虐的変態性欲」の持ち主である武州公の話といっても、「鍵」や「卍」ほどのエロティズムはまったくといってない。 実在の武州公はもっと残忍で変態性欲者であったと思われるが、谷崎氏の興味はそこにはなかったようだ。

 おぞましさを感じさせない繊細な描写はさすがに文豪谷崎潤一郎である。谷崎氏が何を語りたかったか、簡単に批評すべきはおこがましいが、不気味な物語が谷崎の洞察力と包丁さばきで、美しく物悲しい性と愛の物語に生まれ変わる。異常な性愛に潜む人間の本性を描いた、これがまた、谷崎文学というべきであろう。 

 

・「解説の誤りが気になる…
谷崎のこの作品自体はとても面白いのです。「見し夜の夢」「道阿弥話」という古い書き物から勇猛な戦国武将桐生輝勝の余人に知られぬ一面をあきらかにしていくという体裁で、全くの架空の話を生き生きと描いています。描写が本当にすばらしい。道阿弥が蛍の真似をするシーン、一体蛍の真似なんてどうやるのよって思ったアナタ、ぜひぜひ読んでください!! 木村荘八の挿絵も内容にぴったり。蛍のところで団扇が扇子になっているのが残念ですが、道阿弥が鼻に剃刀当てられているところなんて本当に怖い!! 正宗白鳥の跋も「雨月物語」や永井荷風、ゴーゴリなどとの比較が興味深いです。と、ここまではよかったのですが、解説で冒頭の「武州公秘話序」(漢文)の内容を誤って伝えていることがすごく気になりました。解説ではこの序に出てくる「断袖之癖」をサディスチックな「嗜虐性」としているのですが、「断袖之癖」ってただ単に男色のことを指す言葉です。福島正則の名誉(?)のためにもこの解説を何とかして欲しいです。

・「だいぶストリーとしては成熟した構成になっています
最初に漢文が出てきており、ビビッてしまい、なかなか読み始めることができませんでした。しかし読み始めてみるとあっという間に最後までたどり着いてしまいました。舞台は戦国時代です。構成は精密に作られたものです。プロットの発端と展開、そして予想もしなかった変質と運命的な終結は見事な構成です。所々に謎のようなものも埋め込まれています。もっとも謎は謎として残存することはなく、すべてすぐ解明されるのですが。主人公の武州公は不思議な人物です。一種の性倒錯者なのですが、直接にその倒錯行為がおどろおどろしく描写されることはありません。むしろ倒錯の瞬間が光と影の陰影の中で、一瞬の描写として呈示されます。そしてそれが見事な陰影をかもし出しているようです。女性(桔梗)は受身の役目を果たしているようで実際は無意識ながらも影のmastermindです。最後の瞬間での女性の裏切りは意味深です。もう一つの仕掛けは鼻です。グロテスクな題材を味わいながらも、なんとなくユーモラスな雰囲気が漂いますが、これはゴーリーキーの同名の作品と共通する部分があるようです。

武州公秘話 (詳細)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

・「いやー
賛否両論あるようだがかなり面白かった。確かにあらゆる視点や考えからすると頭がおかしくなりそうなほど混乱をきたす。と言うわけで私は此れをおおまかに進めていって理解していったわけです。しかしここまで面白いことを考えれる作者はそうそういないと思う。まさに夢想家。まさに夢野久作である。

表現がそして面白い。これは文で表現しきれないので是非読んで欲しい

後半は少々グロイ表現もあるので、そういうのが苦手だと言う人にはお勧めしない。

・「ただ圧倒。
「胎児よ 胎児よ 何故踊る 母親の心がわかって 恐ろしいのか」

1ページ目をめくると、「冒頭歌」と称して上の一文が載っている。この一文を読んだだけで、この小説の神秘性に引きずり込まれるだろう。

全編を通して異様な雰囲気の中、不気味なまでに軽快な語り口。推理小説などというジャンルにはめ込む事のできない、圧倒的なスケール。夢野久作が10年間推敲に推敲を重ねて完成した作品で、怪奇小説の中でも異端児と言っていいと思う。

「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来す」とまで評されている。しかし、たとえ精神に異常をきたしたとしても、一生に一度は読んでおきたい作品であることは疑いない。

途中まで読むのがしんどくても、後半はスイスイ読める。そしてその結末には、誰もが必ず圧倒されるだろう。クセはあるが、ハマると何度でも読み返したくなる、麻薬的一作。普通の小説には飽きたという人は、是非ご一読あれ。

・「10年ぶりに再読しましたが,やっぱりすごい作品です.
 真夜中,どこかから聞こえてくる時計の鐘の音で目が覚めた「私」は、すべての記憶を失くしてしまっていた. 隣の部屋には少女(どうやら自分の許婚らしい)がわめき散らしているのだが、自分には全く身に覚えがない。 もう一度眠りについた「私」は、やがて朝になり再度目を覚ますのだが,そこに九州帝国大学医学部長を名乗る紳士がやってきて(どうやら「私」は九州帝大病院の精神科病棟の一室にいるらしい)、その紳士に連れられて失くした記憶を取り戻しに出かけるのだが...。

 人により評価が真っ二つに分かれる作品です。 分厚い上下二巻組の作品であり、途中に「胎児の夢」と題する論文などが挿入されているので、読んでいて辛くなるかもしれません。 しかし、それを我慢して読み進めていくと、私と同じようにその結末にきっとあなたも圧倒されることになるでしょう。

 結末のインパクトが失われてしまいかねないので、深く突っ込んで書けず申し訳ないのですが、世界に誇れる作品に仕上がっているということだけは言っておきます。

 あなたがこの作品について、少しでも気になったことがあるのなら、一度手にとってみることを強くお勧めします。 そしてその時に,途中で放り出してしまいたくなるかもしれませんが、ぜひ最後まで頑張って見てください。この作品の世界観は、きっとあなたを大きく変えてしまうでしょう。

 それでは御健闘をお祈りします.

・「傑作です。
絵でいうなら、だまし絵。音楽でいうなら、FAUST、COIL,NWW。フロイドのいう、夢の作用。作家はあえてつじつまを合わせようとせず、背後にある、読者の深層心理を刺激します。読む人によって、感想という以上に、何が論点になるかすらもはぐらかせられます。現実という足場を完全に踏み外した、正に異端の文学。しかし、途中でDNA的な記述は先端なのか、作家の先見なのか、無茶苦茶面白いです。

・「良い感じに気持ちがわるい(笑)
日本の三大奇書の一つらしく、「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来す」と言われている小説。

わからなかったことがわかって、それがわからなくなり、またわかるようになって、やっぱりわからない・・・・・・そんな感じ。 正直途中でかなりしんどくなる。 でも、ラストも良いと思うし、何よりこれが出版されたのが昭和10年だということがすごい。

別に幽霊とかお化けの話ではないし、「怖さ」を目的にして書かれた本ではないけど、本から出る雰囲気のせいで、自分の部屋に居づらくなった。 それには、カバーイラストから受け取ったイメージもあると思う。 本編に関係ないということで、このイラストに批判的な人もいるみたいだけど、個人的には上手いこと気持ち悪くて好き(笑)

読んで頭がおかしくなったとは思わないけど、読む人が精神に異常をきたすのではなく、逆にこの本を一字一句苦痛に感じず、完全に理解できる人 の精神は「普通」と言われている人達と違うのは確か、だと思う。失礼かな。

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫) (詳細)

ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書)

・「最優先で読んでください
本書は「ルーゴン・マッカール叢書」の第一巻です。すべてはここから始まります。本書には、幼い日のジェルヴェーズやジャン、パスカル、ウージェーヌなんかも出てきます。

本書は単なる始まりの1巻ではなくて、この1巻は叢書前半部のハブになっています。たとえば、1巻(本書)を読んだあとに7巻(居酒屋)を読んでもつながるし、3巻(パリの胃袋)を読んでもつながります。

「ルーゴン・マッカール叢書」を読もうと考えている人は、本書を最優先で読んでください。

・「嬉しいですね。
田舎の家の書籍棚にナナがありました。文庫や新書に慣れていた私は、古めかしい本で読もうと思うまでに少し時間がかかりましたが、読むととても面白く、あとがきにて初めてルーゴン・マッカール叢書を知りました。その後ナナの母親、洗濯女のジェルヴェーズの「居酒屋」、炭坑労働者となったエチエンヌの「ジェルミナール」、機関士となり犯罪を犯すジャックの「獣人」…と手に出来るものを読みました。当時、このルーゴン家の誕生を読みたくてたまりませんでしたが当時販売されていたものは、旧かなづかいで、価格が本書の約3倍だったため、国会図書館から借り受けて読みました。他のレビューにも書かれていますが、すべてはここから始まります。安価とは言えない金額かもしれませんが、それでも入手しやすい価格になり、とても嬉しいです。

・「大河小説の源流
「居酒屋」「ナナ」を代表とするルーゴン・マッカール叢書全20巻は、1冊ずつ独立した小説としても読めるが、この「ルーゴン家の誕生」が、一家の母祖(Matriarch)アドリアーヌとその2人の息子たちを描いている。農民の地をひく、抜け目のないルーゴンは計算高いブルジョワとして成り上がる。弟のマッカールは兄に出し抜かれたあと、怠け癖の飲んだくれとなり、娘ジェルヴェーズ(「居酒屋」)の悲劇的な生涯をも決定づける。そしてシルヴェールとミエットの初々しく牧歌的な恋愛が、プラッサンの豊かな自然を背景に、繊細な情感をこめて描き込まれている。ついにフランスに根付かなかった共和主義の理想の象徴のように。このあと、金満家のアリスティッドが主役の「獲物の分け前」の狂乱と頽廃へと繋がっていくのだが、大河小説の幕開けにふさわしく、宿命を暗示する象徴的な第一巻である。

ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書) (詳細)

罪と罰〈上〉 (岩波文庫)

・「読みやすい
 新潮社(工藤訳)より、こちらのほうをお勧めします。特に初めて読まれる方や、本を読むと目が疲れるという方には特に。理由は以下の通り。 新潮文庫は見開き41字×36行で上下巻。岩波文庫は見開き39字×32行で上中下巻。紙の色も岩波のほうが読んでいて眩しく感じなかったです。 訳ですが、私はどちらも味があって好きなのですが、岩波の江川訳のほうが読みやすいと感じました。 また、江川のほうは巻末に結構詳しい訳注があり、参考になります。 この作品は著者の中で一番好きですね。これから入って他も読むようになりました。人物の思想が絡んだ心情は実に緻密で、よくもここまで表現できるものだ、と思いました。主人公に限らず一人一人の人間が濃いです。 一生のうちで読んでおかなければならない本だと思います。できれば若いうちに。何度読んでもその都度違った味がしていいものです。 内容は、文句無しの星五つ。読みやすさも五つでいいかと。それから文字の大きさですが、多分同じでしょう。なんとなく岩波のほうが大きい気もするのですが。

・「「罪と罰」とは何か?
なぜ人を殺してはいけないのか?果たしてこの問いに答えはあるのだろうか?答えがあったとして、それは正解なのだろうか?ドストエフスキーはこの問いに答えを出さない。代わりに、殺人を犯した人間の苦悩、葛藤、憔悴といった心理状態を執拗なまでに描写してみせる。難関な哲学的言説で根拠不明な答えを示すのと、答える代わりに、覚めることのない悪夢のような心理描写を連ねるのと、どちらが人の心に多くのことを訴えかけるだろうか?罪とは何か? また、罰せられるとはどういうことなのか?自分自身で答えを出すためにこの本は読まれなければならない。

・「こんな人におすすめ
・ 平凡な日常に飽き飽きしている・ 自分自身に対して何かやるせない衝動にかられる事がある・ 自分は他人とは違う類の人間だと思った事がある

・ 「飲んだくれる恥ずかしさを紛らわすために酒を飲む」心理に何となく共感できる・ 一途な男の友情にほれ込みたい・ 家族の愛に涙したい・ 卑小でくだらない悪役に激怒したい・ 一見まともなのにかなり異常な人間に出会いたい・ 全てを受け入れる深い愛に感動したい・ 詳しすぎる心理描写に辟易しつつもはっとさせられたい・ 読めば読むほどはまりこめる主人公に出会いたい

・ 今はサスペンスより重厚な人間ドラマが読みたい・ どうせなら登場人物は美形が多いほうがいい・ 刑事コロンボが好きだ・ 友人に「『罪と罰』って面白いんだよ」と言ってみたい・ S潮社版とI波文庫版どちらを買おうか悩んでいるが読み比べられず困っている・ エンタメ要素と人間の真理を平行して書ける作家に出会いたい

・ 長くてもいいから、とにかく面白い小説を読みたい

・「名作ですね
 個人的には訳者の日本語訳が、良い。

 なかなか外国文学を訳すと堅苦しくて情緒もない文体に なりがちなんですけれども、江川卓さんは素晴らしいなぁ、と思いました。

 こちらは物語重視の訳、で、ドストエフスキーが原本にさりげなく入れていた 時代背景やあらゆるゲマトリアに関しては、江川卓さんの「謎解き 罪と罰」 の方に記してあります。  二冊セットで読むと、倍楽しめます。

・「感動的な魂の救済物語
ドストエフスキーの代表作であると共に世界文学の代表作。原罪を背負った人間の魂の救済を描いた物語であり、熱心なキリスト教徒であるドストエフスキーの本領が遺憾なく発揮された作品。個人的見解だが、初めはもっと短い物語にするつもりだったのが、作品の構想が雄大・崇高になるに連れ、物語が変容していったと思う。

自分を超人と考える主人公ラスコーリニコフ(=アンチ・キリストの意)。自分のような超人なら金持ちの老婆を殺して金を奪う事くらい何でもない。そう考え実行するが、思いがけず老婆の妹も殺してしまう。この計画外の殺人が、彼に罪の意識を芽生えさせ、自らを(何らかの方法で)罰する。最初は、この辺で話を収束させるつもりだったのではないか。ところが、殺人を犯した事によって、超人から唯の凡人に引き戻されたラスーコーリニコフを描いているうちに、キリスト教的魂の救済物語に構想が発展したのだと思う。老婆の妹殺害の挿話は途中から語られなくなる。最初は単なる端役だった「聖なる娼婦」ソーニャは途中から「聖母マリア」に変容する。そして、ラスコーリニコフは何と世間の罪ある人々の罪を一身に背負ってシベリアに行くのである。まさに、キリストの姿を彷彿させる。

そして、ドストエフスキーの素晴らしさは、思想の崇高さを秘めながらも表面的に面白い物語を提供してくれる事である。本作のラスコーリニコフの尋問場面をヒントにして乱歩は「心理試験」を書いた。誰が読んでも面白いのである。通俗的に読んでも面白く、深読みすれば思想性が胸に迫る世界文学が誇る傑作。

罪と罰〈上〉 (岩波文庫) (詳細)

戦争と平和〈1〉 (岩波文庫)

・「新訳です
現代の若者にも取っつきやすいようにと平易に、分かりにくい部分を補足するような形で訳されています。当時の時代背景などに関しても様々な角度からコラムが挿入されているので、これまで以上に理解を深めることができると思います。初心者の入門にはもってこいかと。作品に関してはもちろん世界文学中の大傑作。決してその格調は損なわれてはいないと思うので、今から読む人はこの新訳版を手にとってはどうでしょうか。

・「トルストイの歴史認識
 作者自身がこの作品に対する解説を書いている(第四巻巻末に訳出)。トルストイは「これは小説ではない」とはっきり言っている。もちろん、ここで作者が小説ではないという意味は、この作品に限らずロシア文学の名作といえるものはすべて小説という狭い枠内に収まるものではない、という意味なのであるが、その意味を超えて、この作品はナポレオンのロシア戦役の歴史的叙述と、その中で生きる各登場人物の描写、という、歴史書と文学書の二面性を持つ作品を仕上げようとした、ということができる。なので、エピローグ第一篇の登場人物に関する結末はやや尻切れとんぼに見えるが、これは承知の上での処置なのだろう。むしろ作者の意図はエピローグ第二編の歴史哲学にあると思われる。 ここで作者の語る歴史哲学はE.H.カーをはじめさまざまな歴史学者が繰り返し問い続けてきたものと言えるが、作者のこの総括は全作品の要であると思われる。個人的には、作者のこの意図を最も作品中で体現する人物は、ピエールでもアンドレイでもナポレオンでもなく、クトゥーゾフであると思われる。史家には評判のわるいこの将軍に対するトルストイの肯定的評価が端的に作者の歴史観を表しているようにわたくしには感じられた。 なお、オリジナルの翻訳は戦前のものであり、訳者のご子息によって若干の改訂がなされている。香気漂う名翻訳であると考える。

・「なぜいま?
世界の文豪の大著を手にした。歴史の中の個人の運命に思わずうなってしまった。一方で私は一つの疑問を抱いた。なぜいま岩波書店は『戦争と平和』を刊行することにしたのであろうか。岩波は活字を大きくしかつコラムを設けて当時の社会状況の説明を載せてまでいる。これは「アジア・太平洋戦争」から60年経ち、我々日本人がこの戦(いくさ)の歴史化を試みることを促しているからではなかろうか。動的な社会における従軍した人の歴史、銃後の歴史。動乱の中の人間を考察する機会を岩波は我々に与えたのだ思う。

・「読み方をかえれば倍楽しめる
若いときに読んだときは、ひたすらナターシャとアンドレイの恋物語に気をとられていたが、今読み返すと、たとえばアンドレイの頑固な父や内気な妹など、脇役の書き方がくっきりとして見事。同じ一冊の本でもいろんな読み方をすると倍楽しめる。

・「コラムはいいのですが・・・。
 今回の岩波文庫の新訳は、当時の地図だけでなく、さまざまなコラムが各巻に入っているので、この小説がなぜ冒頭からフランス語で始まっているのかなど、小説を読む上で背景がよくわかります。古典文学などは特にこのようなコラムを入れてもらうと親しみが増しますので、今後、岩波書店だけではなく、各出版社ともこうした工夫を行っていただきたいと思います。 しかし、 31ページの「ほんの少し黒みがかったうぶ毛のはえている上唇」(上唇にうぶ毛は生えません)、 286ページの「そんなことは僕に向かって言えないはずですよ、おとうさん」(アンドレイ公爵が父親にけんかを売っているようです)、 495ページの「食事をして真っ赤になった二十二歳の非の打ちどころのない将軍」(ロシア帝国では22歳で将軍になれる?)、 468ページの「ラン指揮のフランス軍」(ジャン・「ランヌ」元帥です) などの疑問な箇所があり、増刷か改版するときに改めていただきたいと思います。少なくとも、新訳刊行前に旧訳や他の翻訳とのチェックは行うべきだったと思います。

戦争と平和〈1〉 (岩波文庫) (詳細)

白鯨 上 (岩波文庫)

・「人間と自然との大叙事詩
「白鯨」という作品は、鯨という題で語られる人間と自然との大叙事詩だと思いました。 上巻では、主人公イシュメイルが捕鯨船に乗るためにナンタケットという港町へ行き、未開人のクィークェッグに出会ってピークォド号に乗利込み、ともに捕鯨へと出発するところが語られていきます。

エイハブ船長は、捕鯨船の出発後に登場して、商業捕鯨という使命を省みず、自身の復讐のために白鯨のモウビ・ディクを追いかけることを乗組員に明かします。ここから、読者は、エイハブという不気味な水先案内人によって、深い航海へと導かれていくのです。

主人公イシュメイルの口を借りながらメルヴィルが語る未開人クィークェッグの姿には、文明社会と未開社会の両方への暖かい目が注がれているように感じられます。二人の交流は心温まるものです。むしろ、二人が代表する人間世界同士の対比を越えて、人間と自然との関係が浮かび上がって来るようです。

その二人の後に登場するエイハブは、人間と自然を含んだ全世界をつつむ運命との対峙という構図を提示しているように思います。 上巻の中では、九章の「説教」の描写が特に秀逸です。

これは、港町の教会でマプル神父が説教する場面です。教会は船、神父は船長、信者は乗組員に擬せられて、鯨に関係する聖書の一節が語られていきます。マプル神父の説教は、嵐の中で号令する船長のような威厳を持って、読む者の心の中に力強い言葉を響かせます。

メルヴィル自身の古典文学への深い造詣と文体、それに古い漢字を多用した翻訳とが合っているように思います。各章のほとんどに版画の挿絵が挿入されており、荒削りな版画の描写が厳しい海の世界の印象を強くしてくれます。

・「Worldwide Literature Work
鯨学に関する章が作品の四分の一を占める為、この作品は上・中・下巻を通して一周(通読)するのが、中々に厄介だとは思いますが、一度目の苦痛の旅を周り終え、全体の流れを把握すると、二度目、三度目、四度目……以降は、とても楽しく充実した旅に変貌します。ですから、途中で挫折し本を放り投げたり、物語展開がある場面だけ読んで読んだ気にならずに、是非とも一度全体をしっかりと読み通されることを望みます。この長い話の中でメルヴィルが何を言わんとし、暗示せんとしているのかは、一度目の荒旅を終えた二度目以降の旅路から、冷静に、客観的に、そして情熱的に判断出来てくるからです。そしてそれは、とてつもなく深く魅力的なものです。

この作品には、国や時代を超越した様々な普遍的真理を訴えかけられます。例えば、メルヴィルはイシュメールの語りを通して、捕鯨業という陸の貴婦人から汚いと蔑まれる職業に対する偏見を否定し、寧ろそういった蔑まれる職業の人たちの御蔭で、陸の優雅な文明は成立し存続しているのだ、という逆説的真理を提示します。無論これは、メルヴィルが実際に捕鯨業を乗組員として体験したが故に説得力を持つ発言であり、現代の如何なる文明国においても普遍的な真理であることは間違いありません。

そして、特にエイハブの発言や思考を通して、形而上学的な抽象論が全体に渡り指し示されますが、ナンタケットから出発して太平洋まで、ピークオッド号の壮大な旅路を通し、移動距離的にも思想的にも、宇宙規模の壮大さないし深淵さを、読者は感ずることが出来ます。さらに運命に関する描写も作品通しで提示されますが、安直な理解でなく、旧約的カルヴィニズムにおける予定説の概念をしっかりと把握しておくと、この物語の結末における意味合いが理解出来るに到ります。

その他、船内の船員における上下関係の構図の描写は、例えば会社内のそれと同義なものとして捉えられ、深く納得することが出来ます。あとは、一見すると平和で静謐なる状態こそが、実は既に嵐を孕んでいる状態であるので、常に最たる危険な状態でもあるのだ、という描写にも、メルヴィルの観察眼の鋭さを感ずることが出来ます。つまり本書は、実社会的な問題がリアルに提起され、さらには宗教ないし哲学的真理が考究された作品であり、二重の意味での解釈が可能、というか必要とされる作品なのです。

それと、この物語は、ユングの言う「神話的原型」、すなわち人物描写が限りなく抽象的に現わされた作品であるように思えますが、それでも、イシュメール、エイハブ、スターバック、スタッブ、フラスク、クイークェグ、タシュテーゴ、そしてピップらと航海を続けるうち、彼らそれぞれの個性が把握出来、読了後には魂の友となることが出来ます。その中で、具体的に白鯨やエイハブが何を象徴して描かれているのか、自分の頭と感情で捉えてみるのが良いと思います。結果として、私には私なりの答えが出ました。ここでは書きませんが。フフフ。

いずれにせよ、アメリカ文学史上最高の作家による、アメリカ文学史上最高の小説です。メルヴィルは、ドストエフスキーやトルストイにすら比肩する、文学に対する意志と情熱を備えた大作家です。

・「小説の中の小説
文明 対 野蛮の構図を表現した一大叙事詩。白鯨を捕獲するだけの話にもかかわらず、さまざまな思索を交えながら、全体で一つの大きな世界となっている。小説の中の小説。例えば「何故白鯨は白いのか」といった章では白という色の哲学的な意味にまで記述はおよび、それでいてすこしも理屈っぽくなく、ある種自然に対する考え方を教えてくれるような壮大な教科書にも思える。全体をそういった作家の視線がつつみこみ、作者の偉大さを感じさせる。エイハブという狂気にもにた情熱にとりつかれた男の白鯨を捕獲する冒険という単純なstoryは、豊穣な思索をちりばめられることで世界のさまざまな謎を教えてくれる万能な巻物のようなものに変化している。映画化などは絶対にできない、まさに書物によってしか表現し得ない世界だと思う。

・「白鯨とは何か?ということは
900ページにもわたる大長編ですが、実際に白鯨モビィ・ディックが登場して捕鯨船と戦うのはラストの3章・50ページほどしかありません。物語は全部で135章に分かれ、一章分の分量は数ページしかなく、次々に内容が切り替わります。

詩的で絢爛豪華な文体で海を描写したり、理系的な実直な文章で捕鯨業や鯨の生態について語ったり、船長エイハブを初めとする、捕鯨船の個性的な乗組員を描写したり、あるいは、俗語を多用した荒くれ船員の会話をシナリオのようにセリフのみを並べたり、美しい言葉の表現と大量の知識に圧倒され、そして白鯨との運命的な激突を迎えます。

白鯨とは何か?エイハブとは何か?何を表しているのか?そういうことは読み終わった後に考えるとして、大長編のところどころに挿入されてきた、白鯨の不気味なイメージによってたかまった緊張が一気に解消されるカタルシスを味わいましょう。

白鯨との戦いは限界まで盛り上がった時点で唐突に終わります。古典文学の典型のような堅く長々しい叙述の後に訪れる、古典文学の概念をくつがえすような動きのある終末です。

・「八方破れな原典+悪ノリ全開の訳文=壮大な笑いの金字塔
『白鯨』は八木訳で読む前に3種類くらいの翻訳で読んでいたが、これには度肝を抜かれた。同じ岩波文庫でホーソーン『緋文字』を格調高く端正な文章で翻訳した人ととても同一人物とは思えない、悪ノリ全開で暴走する訳文に。例えば上巻ならP.395「どんな剣幕でボートをこぐか、おぬしら!」「鯨が死ぬか、ボートが沈むか、でーす!」…小学校のホーム・ルームじゃないっつーの!

だけど、唐突に戯曲は挟むわ肝心のエイハブ船長はなかなか出て来ないわ語り手のイシュメールも自分は見てないはずの場面を平気で語るわと、元々が八方破れな作品なので─小説と呼ぶのもためらってしまうほど─これもこれで『白鯨』にはふさわしい翻訳だと思う。何と言ってもこの暴走振りが楽しくてたまらない。P.479の訳注で「このチェーンの(スターバックス・コーヒー・チェーン─引用者注)ホームページには『スターバックスの名前はハーマン・メルビルの小説「白鯨」に登場するコーヒー好きの一等航海士スターバックに由来しています』とある。ただし、スターバックが『コーヒー好き』であったかどうかは保証のかぎりではない」と、長年疑問に感じていたことを指摘してくれたのも嬉しい。

さて肝心の作品自体は、カフカの『変身』さながらに読者がいかようにも解釈できる。と言うより、通り一遍の解釈には収まらない自由で豪快な作品だ。私は『白鯨』を「主に」人間と宇宙を笑いのめした風刺小説として楽しんでいる。律儀にページの順番どおりに読まずとも、パラパラめくってみるだけでも「わたしは、あらゆる種類の、高貴で尊敬すべき苦労、試練、艱難とやらはごめんだ」「酔っ払いのキリスト教徒と寝るよりは、しらふの人食い人種と寝るほうがましだ」「王の頭に油をそそぐのは、ところで、われわれが機械に油をさすように、 頭の内部の回転がよくなるようにという意図によるのであろうか?」などのジョークやギャグを存分に楽しめる。

この度外れた自由さゆえに『白鯨』は作者の生前は殆ど相手にされず、一度再評価された後はその栄光が些かも曇らないのだろう。

白鯨 上 (岩波文庫) (詳細)

ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)

・「バルザックの代表作
バルザックの代表作である本書は、溺愛する二人の娘達に財産の全てを注ぎ込みながらも、最後は裏切られて死んでいくゴリオ爺さんの悲劇であり、そのゴリオ爺さんの隣人である貧乏学生、ラスティニャックのパリ社交界での華やかな出世物語でもある。フランス文学で出世物語といえば、スタンダールの「赤と黒」を思い浮かべるが、「赤と黒」の主人公と比べると本書のラスティニャック青年はとても誠実で共感出る人物として描かれている。本書の結末の後、ラスティニャックがどんな人生を歩むのか気になる所だが、上巻の訳注を丹念に読めば彼がその後出世して大金持ちになる事がわかる。ゴリオ爺さんの悲劇については、「子孫に美田を残さず」という現代の我々の生き方にも通じる教訓を与えてくれる。そして我が子に美田は残せないであろう自分にとって大いに慰めとなる一冊である、

・「ゴリオ爺さんの姿は悲しいです。
ゴリオ爺さんが娘を溺愛する姿は滑稽でもありますが、悲しいです。ゴリオ爺さんの言葉で特に心に残るのは「子供を世間へ出してやると、お返しにこっちを世間から追い出す」というものです。娘はお金のことばかり頭にあるからお金を持ってこないゴリオ爺さんはただのお荷物なのです。

バルザックを読んだのはこの作品が初めてですが、とても感動しました。最後に娘の顔一つ見られずに惨めに死んでゆくゴリオ爺さんの姿は読んでいてとても辛くなります。でも読んで本当に良かったと言える作品でした。

・「バルザック自身の豪放磊落な生き方に興味を持った
 前世紀のパリの暮らしぶりや風俗、社交界の様子がもの珍しかった。それに比べると親子の愛憎というのは普遍的なものだ。自分勝手な子供達といつまでも子供が心配な親。「親バカ」と言ってしまうにはあまりにも悲惨な話であり、身につまされる話だ。それまで謎の多い脇役であったゴリオの臨終に当たって饒舌なこと、そして苦悶の中から絞り出されるような訴えには、驚きと憐れみを覚えた。 ゴリオを葬った墓地での、親戚を足がかりに社交界に乗り出そうとするラスティニャック青年の決意のシーンは非常に印象的だ。著述と社交界とを行き来していた作家本人の過去とも言えそうだ。バルザック自身のミドルネームの「ド」は貴族を気取った自称であったそうだが、社交界に認められたり、そこに居続けるための努力というのは傍から見ている分には滑稽でならない。 本作品はバルザックの「人間喜劇」を構成する作品のひとつだそうだが、このシリーズ全体がもっと手軽に読めたらなと思う。当時、本作群品がそれぞれの階級にどのように受け止められていたのか興味があるところだ。この作者の作品にもっと触れたい、バルザック自身の豪放磊落な生き方に興味を持ってしまった。

・「文学
作品としては、娘が社会人になって寂しいなというお父さんにお薦めしたい。もしくは、うちのだんなが娘を溺愛しすぎて困るのよという奥様からだんなさんにプレゼントというのもいいかもしれませんね。

この作品のよさはフランス語の美しさであり、翻訳してしまえばただのおっさんの娘溺愛、はては娘に嫌われる、という内容でいまいち

ありがたみにかける。

ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫) (詳細)
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