終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫) (詳細)
宮台 真司(著)
「素晴らしくきつい本」「終わりなき日常とは」「90年代を代表する評論」「茶髪は「脱力」」「平坦な戦場としての日常」
フェルマーの最終定理 (新潮文庫) (詳細)
サイモン シン(著), Simon Singh(原著), 青木 薫(翻訳)
「ニュートンもかくありき」「ワイルズの功績を著者・訳者のおかげでよく理解できた、面白かった」「「数学はいつも3。」「フェルマーの定理を軸にした数学史入門」「「数学はこんなにもドラマチックなんだぁ」とイッキ読み!」
ゴスロリ幻想劇場―大槻ケンヂ短篇集 (詳細)
大槻 ケンヂ(著)
「読んでよかった。」「ファンは必読」「やっぱりオーケン最高」
プリズン・ガール―アメリカ女子刑務所での22か月 (新潮文庫) (詳細)
有村 朋美(著)
「著者の凄まじい体験に脱帽! オススメです!!」「リアルです。夢中で一気に読んでしまいました。」「ニューヨークの深い「魔都」性」「「最悪で最低のもうひとつのアメリカ」ルポ」「自然体で明るい獄中記」
火星の運河 (角川ホラー文庫) (詳細)
江戸川 乱歩(著), 東 雅夫(編集)
「奇想と怪奇」「作品は」「江戸川乱歩自身の作品に対する思いが載っています。」
イニシエーション・ラブ (文春文庫) (詳細)
乾 くるみ(著)
「レビューは読んじゃ駄目」「ちょっと例を見ない傑作」「壮大なトリックよりも・・・」「まさに衝撃的ラスト、どんでん返し」「確かに、レビューは難しい。」
在日 (集英社文庫 か 48-1) (詳細)
姜 尚中(著)
「勇気と希望が込められた書。」「日本人として是非読むべき本」「「在日」に関心の薄い人でも読めます」「姜尚中の綴る在日の想い 」「在日朝鮮人、韓国人」
僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫) (詳細)
中島 らも(著)
「心が救われた一冊」「私が中島らもに夢中になったキッカケ!!」「中島らもの自伝的エッセイ」「「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」に踏まれた僕」「表紙がダサい」
ビルマの竪琴 (新潮文庫) (詳細)
竹山 道雄(著)
「澄みきった作品。」「水島上等兵以外だって…」「映画もよかったですが…」「 むしろ現代への批評」「生きる目的」
永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫) (詳細)
カント(著), 中山 元(翻訳)
「名著だから、ではなく、私の人生に必要だから読む」「現実主義者カント氏とユートピアン柄谷行人氏」「解説が素晴らしいです。」「びっくり」「カント哲学の最良の部分」
その他の外国語―役に立たない語学のはなし (詳細)
黒田 龍之助(著)
「言語好きにはたまらないエッセイ」「これがナンバーワン!!」「とても面白かった!!」「ひきこまれて一気に読んでしまった」「外国語学習の息抜き、助言、そして道しるべとなる本」
タナトスの子供たち―過剰適応の生態学 (ちくま文庫) (詳細)
中島 梓(著)
「なぜやおいか。そして上昇する価値観をしか認めなくなった現代の行き詰まり。」「現代少女論」「コミュニケーション不全症候群の続編 ついに文庫化」「ちょっと長々しいが。」
「良い人だけど笑えない」「上記のレビューでこの本は損してる」「分かりやすいジェンダー論入門」「第1章だけ読めばわかる」
2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書) (詳細)
西村 博之(著)
「ウェブ進化論の理想論に対する“ベタな現実”を直視すれば本書」「面白く、電車の中での読書などにお薦めです」「Web2.0はカネにならない」「梅田望夫的インターネット/Web2.0論に対するバランサー」「「ひろゆき」氏は天才かも?!」
薔薇くい姫・枯葉の寝床 (講談社文芸文庫) (詳細)
森 茉莉(著), 小島 千加子(解説)
「わかりやすい耽美」「男性にとって」「甘美な陶酔に浸る」「男にとって、間違いなくホモ小説。」「短編のタイトルがどれも秀逸」
ブラフマンの埋葬 (講談社文庫) (詳細)
小川 洋子(著)
「ブラフマーーン」「読後、心の中を風が吹き抜け、世界は静けさに包まれる。」「言葉と死」「愛と優しさの教科書」「ますます穏やかに、ますます残酷に」
狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記 (野生児の記録 1) (詳細)
J.A.L.シング(著), 中野 善達(翻訳), 清水 知子(翻訳)
「貴重な記録。」「遺伝か環境か」「ある意味では評価できる」「ある意味では評価できる」
14歳の子を持つ親たちへ (新潮新書) (詳細)
内田 樹(著), 名越 康文(著)
「礼儀とはルーティンワークである」「子持ちではないですが面白いです。」「何度も読み返したい本です」「関係論的パラダイムについて」「子育て論のふりをした身体論」
ボッコちゃん (新潮文庫) (詳細)
星 新一(著)
「老若男女を問わず大いに楽しむことができると思います」「音楽のトラックのような作品群」「面白い」「ショーとショートの王さまの代表作」「極上のショートショート集」
「初めて伊集院さんの本を読んだんですが、」「おもしろい話満載、人と話す時のフリに使える」「「アメ横」の話から読め!」「伊集院光さんの入門書のような本」「伊集院氏の姿が目に浮かぶ。面白さに一気読みした。」
消費セラピー (集英社文庫(日本)) (詳細)
辛酸 なめ子(著)
「純粋」「笑いに飢えている方是非!」「おすすめ!」「吹く!」「時々共感!!」
「私はうつ」と言いたがる人たち (PHP新書) (詳細)
香山 リカ(著)
「うつ病激増によってもたらされる歪みを提起。」「文句なしに面白く、興味深く読めました。 」「どこかでかなりバッシングを受けていたようだけど」「「ガンバレと口にするのはとにかくタブー」と言葉を選んだりする必要もない(p.192)」「良書」
人のセックスを笑うな (詳細)
山崎 ナオコーラ(著)
「私はすきでした」「タイトルについて」「こんな本もあって良いと思う!」「僕のつぼ。」「タイトルもペンネームも」
病気だョ!全員集合―月乃光司対談集 (詳細)
月乃 光司(著)
「笑った!」「本から出ているオーラがすごい!」「対談のメンツの豪華さに惹かれて買いましたが……(-_-;)」
「不思議な魅力がある本です」「すっかりファンになりました。」「登場人物のつながりが絶妙」「ダメ人間から目が離せない」「思わぬ拾い物と言うべき、いとおしい一冊。」
●終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)
・「素晴らしくきつい本」
一部の人にとってはめちゃめちゃにきつい本でしょうね。
ブラセラ女子高生を礼賛してきた宮台。たとえば、子供の頃から塾に通って、勉強して、いい大学に入って、いい企業に入って、そのあとに何かあるか? 何か劇的な変化はあるか? そんなものはない、という。終わりなき日常。 劇的な変化なんてないからこそ、冴えないやつは一生冴えない、モテないやつは一生モテない、そして、今の社会はそれを救う受け皿なんてもっていない。だから、最初からそういうのをあきらめきって、まったり生きようと。そうじゃないと、必ず犠牲者が出るよ、社会のコミニュケーションスキルレベルが底辺の連中は必ずイタイ目見るよ、と言っております。 救いがあるんだかないんだか。たぶんないんでしょうね。
・「終わりなき日常とは」
僕は、現代社会を覆っている「虚無感」のようなものの「正体」がわからずに悩んでいた。「正体」なんてものがあるのかはわからないけど、この本は僕が悩んでいたことに対する「答え」への糸口を与えてくれた。
今までは、ただ「楽しく」生きるだけの人生なんて駄目なんじゃないか、と思っていた。そして、そのように生きる人(自分を含めて)に対して後ろめたさのようなものを感じていた。だが、それは「終わりなき日常」を「生きる知恵」だ、と宮台は言う。
科学の発達を願い、「輝かしい非日常」を信じていた頃の自分。学校にはあまり行かず、ゲーム、アニメ、プラモデルなどにはまって「終わりなき日常」から逃避しようとしていた頃の自分。「輝かしい未来」を信じて、猛烈に勉強していた頃の自分。ただ「楽しさ」だけを求めて遊びまわっていた頃の自分。
自分ではよくわからなかったこれら行為も、この本を読んで振り返ると少し分かったような気がする。
・「90年代を代表する評論」
個人的な感想だが、宮台の著作で十年後も再読されつづけるのは本書ではないか。オウムというのは、まさに日本という国にとりついた悪霊が現出させた現象である。当時、この現象をめぐっては様々な議論がなされた。
その中で、宮台はこの現象を「神聖政治」の問題であると喝破したことは賞賛されてよいと思う。私が思うに、このオウムをめぐる射程は疑いもなく、戦前の天皇機関説論争にまで延びているのである。その血みどろの闘争に日本という国の宿阿がすべて凝縮されているのだ。そのパロディーが、まさにオウムではなかったか。したがって、最近の宮台が歴史的問題に肉薄し、天皇に恭しく敬語を使い、皇道派的振る舞いにでる前近代的な輩を激しく攻撃しているのは何の不思議もない。しかしこの問題は、宮台以前に、彼の師匠にあたる小室直樹や山本七平、あるいは松本健一らによって詳細に議論されてつくされている感がある。
また、「終わりなき日常」といわれるものは、高度資本主義がどうのというよりも、日本という世界から隔離された空間で現出する特異な政治的産物でしかなかったかもしれない。
確かに、都市を舞台とした性風俗をフィールドにすれば彼の右に出る者はいない。しかしことが歴史や政治となると彼の場所がどれほどあるというのか。十年後に読書に耐える本をこれからも宮台が出せるのか楽しみだ。
・「茶髪は「脱力」」
友達に勧められて初めて読んだ宮台作品。輝かしい未来のない「終わりなき日常」に適応するため、まったり生きるといいのではと言っていた作品。まったり生きればオウムに救済を求めることもなくなるとも言っていた。茶髪を「脱力」として扱っていたことにははっとさせられた。「薄汚れたどぶ色でも、あるひとときは眩いばかりの純白を放つ」という部分はミスチルが言っている「この醜くも美しい世界」と似ている気がして興味深かった。自分の中にあったモヤモヤしたものが整理されてスッキリした。複雑な社会を結構体系的に描けちゃう宮台っていう人は頭いいなあと思いました。
・「平坦な戦場としての日常」
宮台の本の表題は、命令文的・断言的なもの言いをしているものが多々ある。この本のタイトル「終わりなき日常を生きろ」もそうだ。宮台氏本人が言うとおり、ポストモダンな成熟社会においては、なにが正しい振る舞いであるかはもはや自明なものではなくなっている。だから命令文で「~せよ」と言うレトリックは、逆説的に薄暮やけた日常での振る舞いを如何になすべきかという動機づけとしての機能を果たすのだ。言うまでもなく「終わりなき日常」はいつか終わる。でも、それは平坦な戦場を生き抜く術を持っていない者にしかやってこないのだろう。
・「ニュートンもかくありき」
とても上質なドキュメントです。「余白が足りないので驚くべき証明を書き記せない」という何とも思わせぶりなメモと、簡潔な数式で余りにも有名なフェルマーの最終定理が、とても余白などには書ききれないような膨大かつ高度な最新数学を駆使して証明される過程を素人に分かりやすく記した、小説以上にドラマティックなノンフィクションです。
ワイルズの証明の前提を成すある『予想』を提示した数学者も、ワイルズの発表前に誤った『証明』を発表した数学者も、そしてワイルズが発表後の瑕疵を解決する際に大きな役割を果たしたある『理論』を提唱した数学者も、全てが日本人であると言うこともこの真実のストーリーにのめりこむ一要素になっています。
しかし、何と言っても一番感動的なのは、砂上の栄光の後の挫折の中で一度は自ら閉じかけた解決の扉を才能が導いた閃きと共にもう一度押し開く瞬間の描写です。ここはワイルズ自身の言葉で語られていますが、もしニュートンにリンゴが落ちた瞬間の閃きの感動をインタビューしても同様の言葉が返って来るのではないかと思えるほどです。
最終章の四色問題や球体充填問題の説明は蛇足のような気がしますし、73ページ9行目の誤植は場所が場所だけに残念な気がしますが、そのような小さな欠点を補って余りある興奮と迫力が全編を貫いています。
・「ワイルズの功績を著者・訳者のおかげでよく理解できた、面白かった」
フェルマーの最終定理を解くために、19世紀の数学、世界中の数論を統合したプリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ、なんともすごい話である。それにしてもピタゴラスの定理につながるとは、この著者サイモン・シンもすごい、物理学からTV界に、そして、この本である。たぶん、サイモン・シンがBBCで放映し、この本を書かない限り、一般の人にはこの大きな業績の意味を理解できなかっただろう。たまたま、何年も前にBBCの番組を観て、このときのワイルズの言葉で、「朝起きたら、ふっとひらめいた」とひらめきの話しがすごく印象にあり、仕事や日常で壁にぶつかったときに思い出した、そして、その話しを人にもした。数学は、問題の解決をする学問である。したがって、答えは一つでも、人それぞれに解決への道は違う。ワイルズは、350年間の全ての数学者の考えを1つにした。こんな、ワクワクした本の著者サイモンに感謝し、さらに、この本を翻訳した青木薫氏にも感謝する、訳者が自然科学を愛する女性とは。 この三者がいなければこれほどの読み物にならなかっただろう。 確率論やゲーム理論などなるほどと思った話しが満載である。 ただ、最終章の未解決のケプラーの話しからは、蛇足であった。
・「「数学はいつも3。」
暗算を求められるとパニックに陥ってしまう。」
・「フェルマーの定理を軸にした数学史入門」
特に後半の「谷山=志村予想」が出てきたあたりから「どうやって解決に至るんだろう?」とわくわくしながら一気に読めた.
実はこれまですでにフェルマーの定理関係の一般向け解説書は二冊ほど読んだのが,どちらも読みづらく,ほとんど飛ばし読みして中身が頭に入らなかった.しかし,本書は専門用語が出てくるのにもかかわらず,ほとんど気にならない.
フェルマーの最終定理を軸にした数学史入門といった感じで,いろいろなエピソードが出てくる.どれもおもしろかったのだが,ゲーデルの不完全性定理とフェルマーの定理の関連や「なんらかの意味を持つ数学史上最大の数」の話はとくにおもしろかった.
・「「数学はこんなにもドラマチックなんだぁ」とイッキ読み!」
今回文庫本になったこともあり、読んでみました。約500頁もある本ですが、約3日で読めました。非常にドラマチックです。読了後も暫く興奮してました。大きな夢(grand design)を持つこと、良い課題を設定すること、それを上手くブレークダウンすること、壁にぶち当たった時にも考え抜いて「ひらめき」が生まれる状況にうまく自分を持っていくこと、、、そんな研究者の営みが「フェルマーの最終定理」に取り組むワイルズの姿を通じて良く分かります。「貴方が、出来ると思っても、出来ないと思っても、どちらも正しい」(フォード)という言葉が思い出されました。「出来るはず!」と信じて8年もの間この課題に取り組むワイルズの根性に素直に感動しました。
広中平祐氏の自伝「生きること 学ぶこと」と色々と共通する点を見出しました。(こちらの本もオススメですよ!) 「知恵の広さ・深さ・強さ」「創造のある人生こそ最高の人生(=気付かなかった自分の資質を掘り当てる喜び)」の意味がこれらの良書を通じてよく分かりますね。「試行錯誤は絶対に無駄ではない」(広中氏)、これはワイルズの話でも共通します。この言葉は大事にしたいですね。
・「読んでよかった。」
「僕は、読者の一生を、その一冊を読むことで、少しでもよい方向へと変えることの出来るそんな本を書けたらなといつも真剣に考えています。」筆者あとがきの言葉通りのうつくしく心動かされる掌編集になっています。どんなアプローチをするかたなのか、と初めて大槻氏の作品を読みましたが、ニヤリとできるウィットも散りばめられ、何より幾つものお話で涙をこぼしました。多感な世代の少女たちに読んでほしいという意図通り、その人生に大きく目立ちはしないけど確かなギフトになるのでは…なんて、下手なコトバで感想を書くのも野暮と痛感。オトナのアナタもぜひ読んでみてください。
・「ファンは必読」
待ちに待った大槻ケンヂの短編小説集。傑作「くるぐる使い」以来か。
近年はエッセイの他に、自身のバンド体験を基にした青春小説の執筆が多かったが、大槻ケンヂという作家の真骨頂こそ、各種サブカルチャー作品に大きな影響を与えた「新興宗教オモイデ教」「ステーシー」などのSF・ホラー・幻想・オカルトを取り扱った作品であろう。この短編集では、それらの要素に加え、近作で培った青春小説の技法も大きく取り入れられ、成功している。
賛否両論あるかもしれないが、ウィットに富んだ読み易い文章。江戸川乱歩に地球外生物、妖精にアカシックレコードに旧日本軍秘密兵器にラップ現象といった、オーケンの得意な知識を「ゴスロリ」というテーマに絡めるアイディアと構成は、本当に巧いと思う。
個人的には長年エッセイで紹介・研究していた、シャーロック・ホームズが使った幻の日本伝来格闘技「バリツ」を作品として昇華していたのは読んでいて楽しかった。
ロックバンド・特撮やソロ活動での楽曲世界観とリンクした作品や「ステーシー」「ロッキン・ホース・バレリーナ」といった他作品と直結したサイドストーリーも収録されており、オーケンファンなら絶対に買いの一冊。無論、オーケンファンじゃない方々にもオススメ。
・「やっぱりオーケン最高」
江戸川乱歩やオカルト好きなところに、近い感性を感じつつなかなか読まずにいたオーケンの作品。「ロッキンホースバレリーナ」で文体にやられて以来、さかのぼって色々読んでいますが、これはその中でも最高!不覚にも涙しました。甘辛硬軟織り交ぜて、リアルでありながらロマンティック。ゴスロリが大好きだった10年前に、こんな作品に出会っていたかったと思います。
●プリズン・ガール―アメリカ女子刑務所での22か月 (新潮文庫)
・「著者の凄まじい体験に脱帽! オススメです!!」
著者の有村朋美さんはごく普通の日本人の女の子で、そんな彼女が、ロシアンマフィアの恋人のためにFBIに逮捕され、アメリカの刑務所に入れられてしまう、ドキュメント。ここまでリアルにアメリカ刑務所の実態が書き尽くされた本は、今までなかったと思う。アメリカの刑務所では電子レンジがあって自由に使えたり、売店で化粧品やお菓子も買えたり、おカマちゃんが先生のダンス教室があったり・・・・・みたいな、目からウロコの話がガンガン出てきて飽きさせない。そして、著者と懲役50数年の女ギャングの囚人との心の交流などのエピソードには、かなり感動させられてしまった。 プロフィールによれば、著者の有村さんはまだ若く、アメリカの刑務所を出てからまだ数カ月しかたっていない。本当によく、こんな本が書けたと思う。彼女の凄まじい経験に、ある意味、脱帽!
そして、文庫版なので解説もついていて、初めて明かされる著者のアメリカ以前の話や、出獄し帰国して以後の話も書かれていて、凄く面白かったです。
・「リアルです。夢中で一気に読んでしまいました。」
女子刑務所、それもアメリカでというところが類まれなノンフィクションです。21歳。何気なくニューヨークに来たのをきっかけに何かもの足りなさを感じていたところに劇的な出会いがあったのです。本書は、その恋人が麻薬組織のディーラーだったことから、突然FBIに乗り込まれ逮捕されるという衝撃シーンからスタートします。裁判で懲役2年の判決を受け、22ヶ月に及ぶ壮絶な受刑生活の中で、見たもの、聞いたもの、感じたことをリアルにたっぷりと語っています。受刑期間を支える家族や友人、受刑者との友情・助け合い・きもちが交錯するところ。刑務所暮らしの終盤の最中、物思いにふけり母の顔が浮かぶ。「おかあさん、ごめんなさい」という自然とこころから発する言葉。それらを流れるような表現で比較的淡々とした描写に仕上げているところが、逆に心にジーンと響き渡るものがあります。刑務所といったクローズな世界で繰り広げられるもの、様々な受刑者と出会い、様々な体験をして、とにかく前向きに考え、時間を忘れるがごとく必死に刑期を終えようとする姿が実に印象的です。この実話は悲劇ですが、それ以上に悲劇のヒロインに感じられてしまうほどです。現在は社会人として英語を生かした仕事をなさっているとのことですが、家族を大切にし充実した日々を送られていることと存じます。残念なことに、もう執筆はされないとのことですが、実体験をベースにして、これだけ淡々としながらも感銘を受ける文章を綴る人はいらっしゃいません。もし気が向いたら、次作を執筆していただきたいですね。あなたの本をぜひ読んでみたいのです。
・「ニューヨークの深い「魔都」性」
本書は優れたノンフィクションである。異国での逮捕、裁判、刑務所に収監という自らの過酷極まりない経験を語りながら、ジメついたところがない。それは筆者の「自身を客観視できる」類い希な資質によるものと思われる。
しかしそういう筆者にしてロシアン・マフィアの手管にはコロッと参ってしまうのだ。男が筆者を全く愛していなかったとは言わないが(人間はその程度には複雑なものだ)、基本的にはドラッグ・ディールの「道具」として必要だから愛人を持つのだ。だからコストを惜しまず必死にアタックしてくる。具体的な手口は下記とおり。
・三ヶ月先まで予約がいっぱいのレストランに平気で席を取る・真っ赤なフェラーリに乗って現れる・白と赤の配送トラックでやってきて、「ソファを買いに行こう!それをこのトラックに積んで帰って、夜にはキミの部屋のソファで二人でコーヒーを飲もう!」と誘う
…創造的である。金だけでなく、知恵を絞り、情熱を尽くす。「まっとうな」日本人女性が参ってしまうのも無理はない。
再び言う。本書は優れたノンフィクションである。「米国女子刑務所の実態」ももちろん興味深かったが、ごくまっとうな日本人女性が逮捕され収監に至るという「理不尽」を通して、ニューヨークという魅惑に溢れた都市の、深い「魔都」性をも描いてもいる。「アメリカ」をより深く知りたい人にとって、必読である。
・「「最悪で最低のもうひとつのアメリカ」ルポ」
アメリカに語学留学していた24歳の朋美はある日FBIに、麻薬密売組織に協力したとして捕らえられてしまう。見に覚えのない罪。しかし朋美は恋人のアレックスがドラッグディーラーのマフィアだということを知っていた。彼女は有罪となり、アメリカの刑務所にいれられることになった。
・「自然体で明るい獄中記」
真実は小説よりも奇なり、と言いますがこの本はまさにそれを地で行っている感じですね。普通の日本人の女の子が、アメリカの刑務所に服役!なんてちょっとしたイマジネーションでは考え付かなかったです。
つわものぞろいのアメリカ女子刑務所のなかの様子を、明るく自然体で(ポジティブっていうよりももっと力の抜けた自然体のほうが表現的にしっくりくる)淡々と語ったこの本はとても楽しかったです。
刑務所の中ではレズビアンカップルができるとか、キッチンの仕事はきつくて給料も安く、売店・工場など仕事によって給料に差があるとか、独房は本当にきついとか、レクリエーションでピアノ教室やスペイン語教室とかもあったりと、意外と自由な連邦刑務所の様子はじめて知りました。
さすがに刑務所は入った人じゃないとわからないし、あえて入りたいと思わないところなので(とはいえ不謹慎にもこの本を読んだあとはそんなに悪くないかも、と思ってしまいがち)この本の文化的評価って意外と高いんじゃないかと思います。
この本はだれもが楽しめると思います。お勧めです。
・「奇想と怪奇」
乱歩が残したホラー、怪談、怪奇幻想文学関連の文章を一冊に集めたもの。ただし、小説はすでに角川ホラー文庫の既刊分に収められているものが多いため、本書では随筆が中心となっている。 「乱歩地獄」「懐かしき夢魔」「ホラーへの誘い」「怪談入門」の4部構成となっている。まず小説は、やはり小品が多い。有名作品の原型となったようなものもあり、興味はそそられるが、それ以上ではない。 随筆は千差万別。乱歩の人となりを知るには面白い。欧米の怪奇小説がしばしば紹介されるのだが、何度も取り上げられる作品もあり、乱歩がどういう小説を「怖い」と思っていたかが伝わってくる。 乱歩を読み漁っている人ほど楽しめる一冊と思う。
・「作品は」
江戸川乱歩の小説が読みたい方は、別の本を買ったほうがいいです。作品は少ししか載ってなくて、後は乱歩の哲学(考え?)が延々と載っています。全体的にグロテスクな内容ではありますが。
・「江戸川乱歩自身の作品に対する思いが載っています。」
その作品ができるまでの作者のレポートのようなものを主に載せてあるものでした。なので、江戸川乱歩の好きな人は興味深い話だと思いますが、純粋に江戸川乱歩の作品を読みたい人向けではありませんでした。(わたしのような・・・)
・「レビューは読んじゃ駄目」
お願いだからこんなところでネタバレしないでくださいよ…と言いたくなります。私がこれを読む前にここのレビュー読んでたら絶対レビュー書いた人恨んでます。思い切りネタバレしてる人がちらほらいるので未読の人のために書かせてもらいました。この小説にあるのは予備知識がないからこその魅力です。
とにかく読む前にレビュー読んじゃいけません。絶対楽しめる!とは言えませんが個人的には今まで味わったことのないような本の面白さを体感できました。読み終えた後が本当の始まり。予備知識なしで、是非軽い気持ちで読んでみてください。おすすめです。
・「ちょっと例を見ない傑作」
分厚いミステリーが全盛の昨今で、これはまた頼りないほど薄い、でも堂々とした傑作。それこそLPレコードのAB面や音楽テープを聴く47分程度で一気に読み終えることができる。またそうして読むべき本だ。間を空けて読むことはすすめられない。「ミステリー」のカテゴリーの本であるとか「最後から2行目で全く違った物語に変貌する」といううたい文句とかの予備知識なしで読んだら、まず10人が10人この本の仕掛けに気がつかないだろう。ただの生あったかくてくすぐったくてほろ苦い初体験物語を読んだとしか思わずじまいなはず。ところどころやや違和感を感じたとしても。この違和感も、まったく感じないように書くこともできたはずなんだ。これは作者のフェアプレイ精神に感服する部分。どんでん返しも、読んだ瞬間あっとのけぞるようなものではなく、じわじわ来る。このじわじわ来るのがまた怖い。うたい文句を知っていて読んだにもかかわらず、読後すぐの僕の頭には「?」がいくつも飛び回り、ややしてから「あ、そういうことね」と気付く。そこから記憶をたどっていくうちついに、ちゅどーん!真相につきあたる。説明してくれる探偵役はいない。読者が自分で気づく。巧妙だ。ミステリーでありながら、だれも死なない。不幸になるものはひとりもいない。だれかが不幸にならなくてもミステリーは成立するということを証明しただけでも偉大な作品だ。「『2度読みたくなる』と言っても、2度目に読むのはただトリックの確認作業としてだけじゃないか」と言っているレビュアーもいるけど、ぜんぜん違う。2度目は、ハッピーエンドのお話として読みたくなるんだよ(●^o^●)。僕は2度どころか3度読み返したけど、やっぱりマユはいじらしくてかわいい女の子だと思ってしまうんだ。男ってバカだねー。
・「壮大なトリックよりも・・・」
女心の底知れない闇の深さに驚き、恐怖を覚える作品です。便秘の正体こええ〜〜〜!!
私が思うに、女性に騙された(と気づいた)ことのある男性には、すごく身につまされるというか、共感を覚える点の多い作品だと思います。
が。「たっくん」的な男性が読んでも、陳腐な恋愛小説にしか見えないのではないでしょうか。騙され続けることの方が、ある意味幸せなのかも知れませんね。そんなことを考えさせられる作品でした。
あと、アラフォー世代にはノスタルジックな楽しみ方もできますよ。
・「まさに衝撃的ラスト、どんでん返し」
凄いドッキリがある、どんでん返しがあるという情報を予め持っていた。もともと、そういう最後に騙される小説を読みたくて本書に行き着いた。だから予め備えをもって読んでいたのにラストのラストで思い切り騙された。読み終わった後に「えっ?」ってなって暫く意味が分からずに読み返してみる。すると事実が浮かび上がってくる
「なるほど…」「そういう事だったのか…」
笑いが出てくるほどに繋がる全ての伏線
最後のどんでん返しが好きな人は必読でしょう。
・「確かに、レビューは難しい。」
賛否両論あるようですが、自分は単純に「面白い」と思いました。少なくとも、好きな本を聞かれたらこの本の名前を出します。まず恋愛小説としてのクオリティが高いです。伏線に加えて、共感できるようなエピソードやセリフが随所に散りばめられています。最後の方で「イニシエーション・ラブ」の概念について説明する所なんか、思わず唸ってしまいました。肝心の謎ですが…分かる人にはすぐ分かるし、分からない人は全部読んでも分からないでしょう。これほど有名になるともう断る必要もないかもしれませんが、とにかく”あとがき”を先に読んじゃダメですね。特に何も考えず普通の恋愛小説として読み進め、最後に驚き、慌てて読み返す…という読み方をしてほしいです。結局のところ、それが一番楽しめる読み方だと思うので。というワケで、こういうトリック系(?)にあまり慣れていない人におススメします。
・「勇気と希望が込められた書。」
著者を初めて知ったのは「朝まで生テレビ」でした。東京大学教授という肩書きでしたので、朝鮮名ではあっても、言わばエリートに属する人なのではないかと思っていました。話し方も他の出演者とは違って、静かに淡々とお話になる様子はアカデミックの世界におられる方ならではと感じていました。それから時々他の番組でもお見かけするようになり、優しそうな物言いと笑顔で「朝生」とは違ったお人柄を感じたりしていました。そういう前提でこの本を読んでみて、何と浅はかな了見しかもっていなかったかと自分自身の推量を恥じ入ったばかりです。この本からは、在日二世としての著者のきっぱりとした感情、断固たる精神が伝わってきました。その生い立ちのため日本名を名乗っていた若き日々。朝鮮部落での日々。出生に苦しめられる日々。指紋押捺拒否。何かの拍子に表面化する言われなき差別。うつ病のような状態にまで陥っていたそうです。その自分と潔く対面したのがこの本なのかもしれないと思います。ここまで、と思えるほど自己の内面をさらけ出していることに深く感動いたしました。日本に住んでいる朝鮮人を日本文化の一端を築いた人として歴史的にも受け入れられ、彼らの心が晴れる日を望みます。
・「日本人として是非読むべき本」
この本は自分のアイデンティティが確立できないことの苦悩をつづった本です。「永野鉄雄」と「姜尚中」という二つの名前の間で揺らぐ心情が切々と伝わってきます。私は在日ということについてほとんど認識はなく、朝鮮の歴史にも浅く、また、日本での対朝鮮差別の現状についてもほとんど知りませんでした。この本を読んで、自分の認識不足を恥じました。差別は一部にとどまるのかも知れませんが、是非とも私達すべてがその現実を知る必要があります。そう言う意味でこの本は一人でも多くの人に読んでほしいと思いました。メディアで拝見する氏の穏やかな語り口の裏には途方もない苦悩と怒濤のような内的葛藤があったのだと思うと、この本の内容が更に意味を深めるような気がします。自分の名前が二つある事の意味を、この本を読んで考えてみることは大きな意味があると思います。
・「「在日」に関心の薄い人でも読めます」
テレビで拝見する姜さんの穏やかなお人柄に惹かれ、この本を手に取りました。いわゆる「在日」と呼ばれる方々の苦しみなどつゆ知らず、安穏と過ごしてきた私には信じられないような出来事が歴史の上にいくつもあったことに、まず驚きました。このようなことがあったとは・・・歴史音痴の私ですが、それでも日本人として恥ずべき事なのではないかと感じました。何が壁なのか、どうしてこうなってしまったのか、バリアを取り払うことができないのはなぜなのか・・・姜さんの身に起こる出来事や色々な葛藤のシーンを読むたびに考えさせられました。彼を取り巻く状況を通して、また、彼の近しい人々を通して、心の揺れが細かく描写されており、そのときどきの複雑な胸中が直に伝わってくるようでした。きちんとした文章でありながら、美しく柔らかな言葉遣いは、姜さんの口調を写しているようで、この本の魅力のひとつだと思います。「在日」にあまり関心のなかった私にもとても読みやすかったです。
・「姜尚中の綴る在日の想い 」
著者は姜尚中氏。朝まで生テレビなどで活躍している論客の一人で、名前から察せられるように在日韓国人の二世です。実は、朝まで生テレビの論客というかコメンテーターの中で自分が一番好きな人で(というのも彼は常に声を荒げず、きちんと自分の意見を確認を取りながら発言し、その言い方も「いいですか、つまり、問題はね・・」とあくまで理知的。あの声がでかい奴が勝つという感じの時に低レベル過ぎる論争の中で彼にだけは常に理知の光が射しているように見えるのですよ)、それで今回この本を手に取ってみたわけですが、はっきりいってかなりショックを受けました。何にショックを受けたかというと、自分があまりに歴史に無知であったり、彼らの生活に関して想像力を欠いていたかという事実にです。 自分は、「在日」の人たちの事について、ある程度は知識があるつもりでした。彼が在日韓国人だという事も知っていたし、自分自身も仕事の同僚として何人かの在日の人たちと知り合いではあるから、それこそある程度は事前知識があるつもりでいました。しかし、この本を読んで本当にショックを受けました。 在日の話は遠い過去の話でなく、彼らの父祖の代、日本の戦前から連綿と続く歴史で、ステレオタイプの双方の激しい罵倒合戦の裏に厳しい現実があることがよく分かりました。特に、日本を選んで日本に渡り、戦後も日本に残る道を選んでその中で苦悩しつつも祖国統一、平和を望んだ人たちの生き方考え方がよく分かりました。現実世界でもそうだし、ネット世界では特に顕著ですが、最近の世の中の流れは、日本と韓国・北朝鮮はお互いに口を極めてののしり合う一部の人たちのおかげで非常に険悪になり、それ以外の人も越えがたい認識の壁ともどかしさに頭を抱えている状態です。が、その中で在日の人が(というのが言い過ぎであれば、在日の一部の人たちが)何を考え、どういうことを思って、北朝鮮や韓国とかかわっているのかがこの本を読んで分かりました。 もちろん、この本の著者である姜さんだけが特例のようなもので、それ以外の人は彼の考え方と著しく違うかも知れません。彼は、特殊、なのかも知れません。しかし、もしそうであるとしても、彼の思想や思考のバックボーンにある事実、歴史をこの本は教えてくれました。 二世として生きる彼らの内面、悩み、祖国への想い。北朝鮮と韓国の政治への想い。 彼らにとって生まれ故郷である日本に対する想い。 日本を意味もなく悪く言ったり歴史をどちらの側によいようにも曲げないたんたんとした事実の積み重ねは素直にうなづけますし、国際社会から見た世界の中の韓国と北朝鮮の歴史と現状からの願いはストレートに響きます。どうして太陽政策を取り続けたのか、太陽政策がたとえ打算とお金で計算されたスケジュールになったとしてもそれでもなおやり遂げないといけないと考えるのか。しかしそれらが今の若い世代を中心にどうして受け入れられないのか。日本人ではわからない事がそこにはありました。 是非読んでみて欲しいと思う一冊です。
・「在日朝鮮人、韓国人」
在日とは、在日朝鮮人、在日韓国人のことだということが、どういう意味があるのだろう。奨学金や選挙権など、日本国籍がないことによる不利益をいろいろ被っていることと、差別や民族間の軋轢など。ただし、朝鮮半島と日本では、「母屋」というような母を大切にする文化や、儒教などの共通する部分もある。
どうして日本は、在日外国人に対する扱いが弱いのだろう。それだけでなく、海外にいる日本人に対する扱いも弱いと言われている。日本の国際化の第1歩が、在日朝鮮人、在日韓国人の権利の確保だろうことが想定される。地域では、サッカーなどで、国際的な交流が広がっているのは、当時との違いかもしれない。
・「心が救われた一冊」
人生のどん底に落ちてたときに読んだ一冊なんですが、以来、手放せません。この本をきっかけに、らもさんの本を買い漁るようになったほどです。読んでいると、自殺した友人に宛てたお叱りの文章のようなものがありますが、これを読んで思わず泣きそうになりました。それを読んで励まされて、今の自分がいて、僕は毎日をなんとか生きています。言葉の力って凄いですね。今では大事な大事な一冊。この本に出合えたことはとても幸せなことだったと今でも思います。ほんとに「もうダメ!限界!」という方に読んでいただきたい本です。
・「私が中島らもに夢中になったキッカケ!!」
この本の内容を初めて知ったのは、当時私が中学生の時だった。進学塾に通っていた私は「国語の問題文」として、これを読んだのだ。正直な感想として、とても面白かったのだが、それ以上に著者が体験した、東大進学率No.1である灘高の優等生から落第生への転落、そしてその後の浪人体験についての内容を読んでいると、当時高校受験を控えていた私は、何とも言えない空しさ、切なさを覚えてしまった。そして、それを機にただ漠然と考えていてた「将来」というものについて真剣に考えるようになったのだ。
著者の実体験を元にした話には、誰もが思春期に持っていた、希望、不安、葛藤、バカ話などがふんだんに盛り込まれている。大人には懐かしく、自分自身の思春期が思い出されて何処か心が疼くような内容であるが、いま、思春期を生きている中高生にも是非とも読んでもらいたい作品である。
・「中島らもの自伝的エッセイ」
本エッセイ集は、らも氏の思春期を回想した、いわば自伝的エッセイ集である。らも氏の生まれ育った尼崎、灘中・灘高時代の舞台となった神戸、さらに大阪芸術大学時代の大阪と、われわれ関西人には馴染みの深い場所が登場し、同世代の関西人の方には共感する部分がかなりあるのではないかと推察される。
中島らもファン必読・必携のエッセイ集と言えるであろう。
・「「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」に踏まれた僕」
中島らもが踏み、踏まれた町「神戸」。 この本では20数年前の神戸が描かれています。 その当時、僕の年齢はまだひとケタ。 彼が青春を送った「神戸」と、僕の幼時の記憶として断片的に残っている「神戸」が重なり合っていたりします。
母に手を引かれて前を通り過ぎるだけだった怪しい食堂で彼は腹ごしらえをし、看板を見た覚えがある喫茶店で彼はケンカを売られ・・・。 この本には「モダン」なのに「田舎臭く」、そして「スマート」なのに「胡散臭かった」頃の神戸があります。
・「表紙がダサい」
主に神戸、大阪について書かれています。特に神戸市に住んでいる人にとっては知っている場所が多いので面白いと思います。もちろん知らなくても十分過ぎるくらい面白いです。ココロにスキマのある人は読んでください。ちょっとだけ埋まります。ほんわかとした世界が見れると思ったら大間違いです。らもさんはむちゃくちゃやってくれます。昔つるべさんとテレビに出ていた時にはじめてらもさんを見ました。こいつの職業は一体なんやと思ったのを覚えています。今ではスペシャルリスペクトしています。
・「澄みきった作品。」
私はこういった「文部省推薦」的な作品は進んで読もうとは思わない方なのだけれど、「何か時間つぶしの本を・・・」と何気なくこの本を手にとり、ほんの2~3ページ目を通した時にもうすっかり心奪われました。混ぜ物だらけのジュースやカクテルばかり飲んでいた口に、汲みたての岩清水をスーッと流し込んだような清涼感。美しい自然描写、戦争という荒んだ状況下でも人間らしい心根を失わぬ素朴な人々。もともと子供向けの童話を意図して書かれたとあってすんなりとしたさわやかな文章で書かれています。
日本を遠く離れた南国の地で、誰にも顧みられることなく朽ち果てようとしている同胞の遺体の数々。それを捨て置くことのできない主人公の気持ちも痛いほどわかる。しかし、もし自分が同じ境遇にあってはたして同じ行動がとれるかどうか・・・。
作者の竹山道雄さんは評論家、独文学者であり、小説は後にも先にもこの一作しか書いていないというのも驚きでした。戦後の混乱期、疲れ果てた人たちに希望を与える作品を、と筆をとったそうですが、それだけに柔らかな文章の中にも渾身の想いがこめられていると言えるでしょう。
・「水島上等兵以外だって…」
子供向けというより絶対に大人向けの作品。後半の水島の手紙が戦争の無意味さを伝えてくれる。 個人的には、戦争がどうとか言うよりも、「歌う部隊」としての彼らの姿が好きだ。苦しい状況下で、大の大人が自作の楽器を用いて懸命に合唱する姿が美しいと思う。中盤で水島との再会シーンがあるが、水島が皆の「はにゅうの宿」に合わせて演奏を始める所は何度読み返しても泣けてくる。視点を変えて読んでみると非常にドラマティックな作品。
・「映画もよかったですが…」
児童向けに書かれた作品だそうですが、オトナが読んでも得るものがたくさんあります。とても平易な文章で書かれているぶん、かえって純粋さが際立っているのかもしれません。主人公の心境の変化がせつなく、やるせなく心に残ります。
この本だけでも十分な価値がありますが、何度か映画化されているので、そちらも合わせてみるのもいいのではないかと思います。読み進むと同時に美しい映像や音楽が頭に浮かんできます。
・「 むしろ現代への批評」
なんとなく名前は知っていましたが、実際読んでみると小中学生だけに読ませるのはもったいないくらい名作だと思いました。戦争を描いた作品は日本の戦火の悲惨さを訴えたものが多いですが(例えば野坂昭如「ホタルの墓」臨死体験したい方は高畑勲監督のアニメをドーゾ)海外から宗教と社会の関わりあい方について
深い考察がされたこの作品は大変考えさせられました。 袈裟を着るか、軍服を着るか、どちらの国民が上でどちらが優れているのか。という問いかけが本にありました。私はビルマで袈裟を着て修行をするほど、度胸はありませんがぜひ一度はミャンマーに足を運んでみたいと思いました。 この本は他社の版より、活字が大きくふりがながふられています。
解説も丁寧で読書指導の別冊がついているので小学生から高校生の読書感想文のネタにも最高なので、是非おすすめです。
・「生きる目的」
南方戦地で、行方不明になった主人公の水島と歩んだ隊の仲間は、至るところで歌を歌い、隊を鼓舞し、また日本への郷愁に駆られる。本の後半部分は、水島から隊の仲間たちへ宛てた手紙(独白)によって占められる。水島の心の動きを克明に綴ったこの手紙は戦争の持つ悲惨さを教えるだけに留まるものでは決してない。人間はどうして生きるのか、どうして死ぬのか。生きる目的というものを考えさせてくれる。中でも特に小中学生に是非読んで欲しいと思います。
●永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)
・「名著だから、ではなく、私の人生に必要だから読む」
本書冒頭の「啓蒙とは何か」はシビれる論文です。「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ」と始まるこの論文は、たった17ページしかない、222年も前に書かれた古いものです。しかし、私はこれを読んで身体が震えました。ここには、私が今の暮らしで直面している苦悩や、私たちの世界が陥っている混乱に対する、真摯な応援の言葉があったからです。考えろ、そして発言しろ。それが世界を変えてゆく、と私たちを勇気づけてくれる言葉が。
こうした本を人は「名著」と呼びます。しかし名著ってなんでしょうか? どんな本だって書かれてすぐ名著になったわけじゃない。多くの他人に読まれて、その本について人々が語り、さらに長い間読み継がれてはじめて「本」は「名著」になります。しかし、現代の私たちは、名著の題名は知っているけれど、それを手に取り読むことは非常に少ない。誰にも読まれない本が名著と呼ばれるのはヘンですよね。このシリーズは、名著の埃を払い、ちゃんと読める訳になっています。現に、私には222年前の論文がビンビン心に響いた。当時のプロイセンの読者が感じた衝撃も、きっとこんなだったのではないだろうか。
「自分の頭で考えろ」「服従しろ。しかし、学者としての自由な発言は誰も妨げることはできない。発言しろ」とカントは繰り返し言います。私たちは誰もが誰かに服従し、苦しい人生を送っています。しかし発言の自由がある。まるでカントは今日のWeb2.0の世界を予見していたかのようです。そしてテロと戦争が吹き荒れる無理解も、すでにカントは指摘していました。
この素敵なカントの言葉を、多くの人に読んでもらいたいと思うのです。本は、誰かに読まれて初めて名著になる。カントの本を名著にするのは、ほかでもない私たちです。「啓蒙とは何か」は222年前の9月末日のプロイセンで脱稿されました。しかし、まるで昨日、私のすぐそばで書かれたかのような熱さを持っています。巻末には100ページに及ぶ訳者の解説が付いています。親切で、読みやすく、挑発的です。カントと中山元の二人から「さあ、いっしょに考えてみないか?」と誘われているようです。
・「現実主義者カント氏とユートピアン柄谷行人氏」
カントは、常にホッブスと対比される。そこでは、一般的に、カント的とは国家を克服し、地球市民となって“世界平和”的に協力的に世界平和をえること、ホッブス的とは“単独平和”的に、いわば一国が世界の警察官として、国家同士の闘争状態に終止符をうち世界秩序を維持すること、というように解釈されることが多い。少なくともド“素人”の私にはそのように感じられる。ヨーロッパ=EUや国際連合は前者であり、最近はやや対話にシフトしつつあるが、米国のかつてのユニラテラリズムが後者と捉えているのが実情である。本当に果たしてそうか?この疑念のもと本著をひもといてみた。結果として、私に期待は大きくはずれ、カントを見直したのである。そこにはいわゆる国境なき地球市民としての“世界平和”をカントは著述してはいなかった。ホッブスと同様、“自然状態とは戦争状態にあること”が世界の実情であることを的確にとらえ、その上で、独立国家同士が互いに牽制しあいつつも、平和を維持するには国家間に国際連合的なものが必須であると説いているのであった。すなわち、カントは超現実主義者であり、そこには常備軍の廃止というユートピア的提案は確かに一部なされてはいるものの、国連はもちろん、VISAの原型や現行国際法では、まさしくカントの思考がここに照射されているのであった。一方のホッブスは、プラトン『国家』で推奨された哲人政治の利点を大きく認めたのであろう、リヴァイアサン=超国家(=現行では米国)による統治こそ世界平和の近道であると説いたのであった。かくいうカントもホッブスも、ともにリアルな世界史観のもと、最終的な方法論においての相違を呈しているにしかすぎないことが、本著によって確信されたのであった。これに比すると、アソシエーション理論の雄とされる柄谷行人氏がいかに空虚な論客であるのかが透き見えてきて、左翼陣営の完全自壊を予感させる。
・「解説が素晴らしいです。」
計5編の論文からなっているのですが、それぞれ別個のものではなく、一貫したテーマに沿って配置されており、カントの歴史哲学の流れを追えるようになっています。訳がわかりやすいのはもちろんですが、それ以上に、以下のレビュアーの方がおっしゃっている通り、解説が素晴らしいのに感激しました。私は、哲学は全く専門外だったため、このわかりやすい訳を読んでもなおいまいちピンと来ない箇所がいくつかあったのですが、後で解説を読んでみると、「ああ、カントはこういうことを言っていたのか」と目から鱗が落ちたことが何度もありました。ある程度哲学をやっている方にはこういった解説はきっと冗長なのだと思うのですが、私のような初心者には、理解を深め、興味を持続させるという意味では大変貴重なものだと感じました。
・「びっくり」
読みやすいカントに初めて出会いました。
アホな私にとっては、いままでのカントは一行読めば前の行を忘れているほど難しかったので非常に助かります。この光文社古典新訳シリーズはいいですね!
岩波文庫大ピンチ(?)
・「カント哲学の最良の部分」
数々の工夫がこらされた新訳。原著にはない小見出し、長々しいカントの叙述を段落に分け、ドイツ語の“Maxime”を「格律」ではなく「原理」と訳す。211年も昔の『永遠平和のために』は、9.11後の世界と呼応している。国連安保理は、世界中が注視する公開討論において、アメリカのイラク開戦を承認せず、アメリカの単独行動に「正義のお墨付き」を与えなかった。そして、安保理という公開の場でイラクの「大量破壊兵器開発」を主張したアメリカは、その虚偽を白日の下に暴かれた。これらの事実は、たとえアメリカの「単独行動」があったとしても、世界平和について我々に「根拠のある希望」(カントの言葉、本書p253)を与えてくれる。なぜだろうか? それは、「公開性 Publizitaet」こそが、国際法=正義の基礎だからである。
カントの定言命法「汝の意思の格律が、つねに同時に普遍的な立法の原理とみなされるように行動せよ」は、「公開性」という概念を介して、国際法の正義に繋がる。自分の為の特定の目的ではなく(これは仮言命法)、すべての人が「そうすべきだ」という命法は、恥じることなく天下に公開できる。『永遠平和のために』は、この「公開性」の原理によって、政治において混同されがちな二つの文脈、すなわち、正義論の文脈と功利主義の文脈とを切り分けてみせる(p240-253)。この議論の射程はきわめて大きい。安保理でアメリカは、この「公開性」のゆえに敗退した。
・「言語好きにはたまらないエッセイ」
言語に関する気軽で知的好奇心をそそられるエッセイ。
個人的には、幅広く多くの言語について書かれた第1章が一番面白かった。「エッセイ」の価値というものが、人と一風変わった別の視点を提供することにあるとするならば、著者のような多言語の視点を持った人が面白いエッセイを書けることは、ある意味当然なのかもしれない。
第2章の言語学習編については、自分もまたマイナーな言語を専攻したのに、やはり英語というものを使わざるを得ない立場の人間であるためか、強く共感。まぁ、多少ひがみっぽく聞こえなくもないけど・・・。
著者の興味は世界中の言語にわたっているが、スラブ語学者である以上、やはりスラブ系の言語(ロシア語とか、チェコ語とか)についてちょっとは知っていたほうが楽しめるはず。
・「これがナンバーワン!!」
『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』も好きですが、黒田先生の外国語3部作(と今のところ勝手に呼んでいますが)の中では、一番面白かった。
スラブ文献学、言語学の入門書としての性質を持った前2著に比べると、本書の性質が純然たるエッセー集であるとは著者の前書きにあるとおりだが、そのとおり内容的にも諸言語に及んで雑感を述べたもので、しかしながら中身的に軽いということはなく、学習者に対する優しいまなざしと、圧倒的なユーモアのあふれる文章です。
英語だけが外国語じゃないという主張も込められているようですが、そういう主張を抜きにしても楽しめるし、教えられるところはきわめて大であります。
・「とても面白かった!!」
語学が好きでたまらない人、本屋さんの語学本のコーナーにいると、楽しくてうっとりしてしまう人にはほんとにおすすめだと思う。語学学習には終わりはなく、果てしない学習の繰り返しが続く。ときにはくたびれたり、ちょっぴり飽きたりしてしまうことも・・でも、そんなとき、この本を読んだら、また元気が湧いてきて、その言語に取り組み始めた頃の、楽しくて楽しくて夢中だった自分を思い出す。文字も音声も文法もすべてが喜びに思える外国語学習の素敵さを伝えてくれる。
・「ひきこまれて一気に読んでしまった」
私は外国語大学出身であるものの、なかなか外国語を満足に仕事と結び付けられず今に至っています。
多言語に憧れながらも何カ国かかじったのですが、かじっただけでは普通は趣味で終わってしまいます。そのことになんとなく嫌な思いを抱いて来ましたが、この本を読むと、気が多い人はいるんだなぁ〜というのと同時に、それでプロになる人はやはり(当たり前だけど)熱意が違うんだというのも改めて感じました。
著者を知ったのはNHKロシア語講座で、著者のロシア語学習の軌跡にも興味がありましたが、その基礎をどこでどのように身に着けたかが分かって面白いです。そして、多言語に常に興味を持つ著者がどのように多くの言語に触れているかも。
小さな外国語教材について語った章では奥さんへの愛情も伺われてほほえましいです。
外国語を学ぶ人には、専門的に学校に行く人であれ、教材を買って独学する人であれ、学習のスタンスを自分で意識するためにも読んでみて欲しい本です。
同じ外国語学部出身でも、外国語を趣味とするか仕事とするかは個人の展望によってかなり変わってきますから・・・・・・。
・「外国語学習の息抜き、助言、そして道しるべとなる本」
黒田先生のエッセイは面白いので好きです。
著者自身が言語を学んだ、あるいは教えた経験から気がついたこと、考えたことを、テーマ別に、短いエッセイにまとめています。外国語の好きな方、とりわけ、英語以外の言語を学んだことのある方には、ふんふんと納得出来るところがあるでしょう。
評価は、あえて星4つ。理由は、奥様のことを「チビ」と書く箇所が何度も?出てくるから。
・「なぜやおいか。そして上昇する価値観をしか認めなくなった現代の行き詰まり。」
やおいを切り口に現代を読み解く本です。
・「現代少女論」
自らもヤオイ作家であると同時に評論家である中島梓のヤオイ論――でありながら、これは「現代少女論」である。男性と恋愛して結婚して子供を産んで…という社会のレールに乗れなかった少女達の話であり、同時に過剰にレールに乗ってしまった「コギャル」への言説でもあります。ヤオイの歴史についても筆者の著作への過剰な思い入れが感じられるもののよくまとまっており、銭もの用語についても解説があるので、「現代少女」について興味のある向きは是非。内容にはまだまだ理論の甘さヤオイ以外の理論への誤解が深いので、本当に関心のあるならば、これを読んで自ら書くことでより理解を深められそうだ。文庫版で特筆すべきはヤオイ作家でありエヴァンゲリオン評論等で注目を浴びた「野火のびた」による解説がついたこと。これは中島論への軽い反論にもなっており、もう一度読み返して照らしあわせることができる。
・「コミュニケーション不全症候群の続編 ついに文庫化」
中島梓が7年前に書き上げ、そして今文庫になった「タナトスの子供たち」です。この本はコミュニケーション不全症候群の続編でコミュニケーション不全症候群はそれこそ10年も前に大学時代に読んだ記憶があります。
「やおい」とはなにか?まあ、「ヤマなしオチなしイミなし」の頭文字をとった「男同士の恋愛」を描いた作品群ということで説明できるとは思うのですが、なぜこれがこれほど現在はやり書店にコーナーができ、市民権を得ているのかということを分析したのが本書ということになります。
実際、BL(ボーイズラブの略です)の小説などを新古書店に袋いっぱいに売りに来る女性は非常に多く、このジャンルにはまっている人がいかにこのジャンルを愛しているのかはよく分かります。(ただし、栗本薫がいうにはBLとやおいは「別物」だそうです)
栗本薫の分析結果は生殖できない、子供を生み種族を繁殖できない同質の男同士の恋愛を描くこと自体がディスコミュニケーションであり、そこに精神的に避難することで女性たちはこの男性中心のトーナメント社会を生き抜いていくことができるということになります。
7年前の作品に手を加えずに販売することにより古い作品がどのようにはやっていたかなども逆に見ることができ新鮮でした。ほんとに世の中の流れは速くなっているみたいです。
・「ちょっと長々しいが。」
なぜ、自分はやおいにひかれるのか?一度でも考えた事がある人には読んで欲しい。ただ、すぐにひとつの答えが欲しかった私には、ちょい話が長過ぎたかも;でも、やおい本リストなんてのもついてるから、著者オススメの作品を知りたいなら買って損はないはず。受が必ず攻よりも前に一度イクっていうパターンがある、とか、あぁなるほどなー、なんて思うとこもチラホラ。なかなかこのテの本てないから貴重ですよ♪
私がやおい好きなのは、話がシンプルだからかなぁ~。よくやおいの語源て、『ヤマなし、イミなし、オチなし』とかいうけど、そういう意味じゃなく、シンプルだと思う。だって、受の男の子は必ず攻のセックスでイけるんだもの。不感症の話とかには合った事ないし。。嫌がろうが善がろうが、最後はそこに至る。女は、実際はレディコミみたいに簡単にはいかないよ、たぶん(笑)自分の性生活が順調な人はやおいにはハマらない気がする。さて、栗本さんはその辺どうなんだろ。。なんて、この本を読んでから、冷静に(?)BLものを読むようになりました笑
・「良い人だけど笑えない」
最初、「オセロは新世紀のセクシークイーンで、山田花子はぶすの典型像だ」なんてものを論じたのかと思ったら違った。「お笑いにおけるジェンダー論」ではなく、「笑いながら読めるジェンダー論」だった。 しかし、笑えない。ネットの書き込みではあるまいし、文中に(笑い)と書かれても困るだけだ。思うに作者は、話しの笑いと、文章の笑いの違いが分からないのだろう。また、1994年に書かれた文章と、2000年に書かれた文章のネタが同じなのも哀しい。ジェンダー学には進歩も変化もないのか。 読む限り、良い人のようではあるが、著者は、笑いを諦め、学問に専念するか、研究室から飛び出し、女子大生(女子高生だともっと良い)と合コンし、1からやり直すか、どちらかを選択すべきであろう。
・「上記のレビューでこの本は損してる」
笑えるところもありますよ。でも、誤解を与えるタイトルではある。ジェンダー論の入り口の敷居を低くして、もっと多くの人に問題を共有してもらいたい、という気持ちからつけたタイトルなんでしょう。第一章の講演録は、確かに分かりやすいレベルから話し始めていて、でも最後はきっちり次世代の公共性のあり方を提示している。 あと、個人的には第三章の「セックスワーク論」は大いに同感した。というか、僕は買春する男なんですが、買春しながら考えてきたことのほとんどが、この第三章に書かれていたので感心した。僕の実践が、著者の理論的考察を凌駕してないのは、まあ、僕が凡庸だと言うことなんでしょうが。でも、売買春してまで考えるの面倒くさいって人には、この本の第三章読んでおけば、売買春の基本的問題機制は一応おさえておくことはできますよ、これ一経験者として保証します。
・「分かりやすいジェンダー論入門」
普段は盲点となっているような、日常生活に潜むジェンダーの問題を浮き彫りにしているため、読むと目からうろこが取れる感覚を味わうことができます。また、非常に論理的に文章が展開しているので、読んでいてとても爽快です(笑)決して、タイトルの文字通り笑えるわけではありませんが、是非一読をお勧めします。
・「第1章だけ読めばわかる」
全く笑えない。全編を通じて同じ事を何回も言っているだけ。第1章だけ読めばいい。ちなみに著者は男。「せちやま」が名字。
・「ウェブ進化論の理想論に対する“ベタな現実”を直視すれば本書」
本当に「2チャンネルが潰れない理由」を知りたければ、冒頭の結論だけを読めば十分。社会的制裁も恐れず、何のしがらみもなく行っている限りには、潰れない運営は十分可能なのでしょう。
それよりも、本書がおもしろいと感じたのは、ネットの未来像を把握したいと思うときに本書がその未来像の片方の極論を見事に言い当てている点にあると思う。反対側の理想論は、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」。それに対して、ひろゆき氏のスタンスはベタな現実なのだ。実際世の中は、その理想論とベタな現実の間でせめぎ合っている中で、ネットの未来を考える上ではぜひとも本書にも目を通してほしいと感じた。
本書では、CGMも、Web2.0も、バッサバッサと切り捨てられていますが、中でも個人的にもっとも共感できたのは、APIの公開について「ユーザーにこんなに便利なものを提供している、でも俺らより儲けたら潰すぜ」というサービスなんです、と言っているところ。また、googleの著名な標語である「Don't be evil」は、いつか「evil(悪)」になることに気がついていて、標語自体がエクスキューズや言い訳かもしれないと書かれている点にも共感できました。
「ウェブ進化論」がなんか違うと思ったら、意外と共感できるところが多いと思います。
・「面白く、電車の中での読書などにお薦めです」
「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」。どこかで聞いたタイトルだなと思い出してみると、ミリオンセラー新書「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」だった。
さおだけ屋がなぜ潰れないかというお話も興味を惹くが、それ以上に知りたいのが「2ちゃんねる」がなぜ色々と裁判沙汰になりながら生き残るのかだと思います。
なぜ「2ちゃんねるは潰れないのか」だけに絞ると、本書の中で始めの2ページだけで理由を述べている。あとは著者のひろゆき氏の対談などが主に紙面を割いている。タイトルの答えが、「これだけ?」と狐につままれるような感じをうけながらも、それ以降の話も面白く一気に読めた。電車の中での読書にお薦めです。
・「Web2.0はカネにならない」
/ \ / ─ ─\ 今年もあと九ヶ月ちょっとだお・・・ / (●) (●) \ | (__人__) | ________ \  ̄ ./ .| | | ノ \ | | | /' | | | | l | | | ヽ -一ー_‾、⌒)^),-、 | |________| ヽ ____,ノγ⌒ヽ)ニニ- ̄ | | |
/ ̄ ̄ ̄\ / ─ ─ \ / (●) (●) \. 俺はこの三ヶ月何をしていたんだろう | (__人__) | 2chで浪費した莫大な時間を何か有意義なことに使っていたら・・・ \ ` ⌒' / / \
・「梅田望夫的インターネット/Web2.0論に対するバランサー」
巷のインターネット、Web2.0論にあふれる楽観論、理想論を徹底的に論破するわけではなく、私はこう考える、的にインターネットからWeb2.0、果てはメディアから日本の法律までの論を展開していきます。読み進めることで、梅田望夫が論じる内容に対極的な見方、考え方が伝わります。 個人的には梅田望夫の述べる内容は理解することはできるけれども、ホントにそうあってほしいね、的な理想論として解釈することはできない違和感を感じていました。ならば、ひろゆきが述べる大局的な内容とは馴染みやすいのではないか?と思うところなのですが、これがまた現実論としてはともかく、非常に違和感を感じてしまいました。
各論に挟まれた形で挿入される佐々木俊尚との対談のタイトルが、それを饒舌に代弁してくれています。
西村さんの言っていることは、身も蓋もなさすぎてついていけない
要はこういうことなんですね。そしてこの対談が本書では重要な意味を持っていると認識しています。つまり、極論に対するもう一方からの極論、もしくは極論の間を取り持つバランサー。この対談があることによって、本書は梅田望夫の持論に対するバランサーになり得る良書に仕上がっていると感じています。
・「「ひろゆき」氏は天才かも?!」
ずっと「ひろゆき」氏に偏見を持っていましたが、この本を読んだ後は『2ちゃんねる』『ニコニコ動画』を立ち上げた彼がスティーブ・ジョブスの様な天才に思えてきました。
・「わかりやすい耽美」
『枯葉の寝床』は、耽美的要素に溢れていて、それは読みずらい漢字や宝石・高級車などのアイテムや城のような邸宅に住んでいる主人公が、フランス人とのハーフである、などと言った雰囲気から成り立っています。そう言った雰囲気が大好きな人であれば、ハマること間違いナシな物語。そうじゃない耽美初心者には、良い入門書と言えます。しかし単なる同性愛モノとしてしか見てない人がいたら、それはもったいないです!ディティールがしっかりと練られた作品であるから、無理のない展開でもって話が完結していきます。そして魅力的な主人公たち。耽美作品は苦手と言う人でも、1度読んでみるには、入りやすい作品だと思います。
・「男性にとって」
男にとって、間違いなくホモ小説。ってありますけど、それはどうかと?基本的に男性が森茉莉を理解するのは不可能に近いんじゃないかって思いました。森茉莉が生きていた時も、ちゃんと作品を理解していたのは、三島由紀夫とか極少数だった訳です。あとの男性は理解できないか、攻撃するか、または無視するかだったんですから。男性は皆森茉莉の作品に手を焼いていたようです。森茉莉が亡くなってから、20数年経ったけれど、今だ男性には手を焼かせてるみたいですね。それだけ森茉莉の作品は今でも瑞々しくて、風化していない証拠なのでしょう。
・「甘美な陶酔に浸る」
僕はこの本を読んで森茉莉さんの大ファンになりました。自分を俯瞰で見、滑稽に描いた『薔薇くい姫』も楽しく好きですし、耽美な世界を描いた『枯葉の寝床』『日曜日には僕は行かない』も素敵です。ただ、この『枯葉の寝床』『日曜日には僕は行かない』をやおい小説の走りと見るのはあまりにも愚かと言うものです。耽美派小説とやおいを混同するのは思考がおかしいのです。
・「男にとって、間違いなくホモ小説。」
耽美だけではすまされない。あの時代にここまで書いてしまった森茉莉はやはりヤオイの先駆者と位置づけなければならないだろう。
男が読むとき、これは間違いのないホモ小説である。決して「耽美」と括って逃げ切れるような代物ではない。
すでに江戸時代に、衆道は『田夫物語』『色物語』『男色大鑑』にあるように男の嗜みとして扱われていた。また庶民の生活では、赤松啓介の「夜這いの性愛論」にあるとおり、各地で夜這いが行われていた。
明治期に入って、色事が大好きな我ら日本人は西洋紳士、貴婦人と同じように、性的にも清い存在とならなければならなくなった。その時に編み出されたのが「女学校」という装置だったのだろう。
ところで急に性的な抑圧を受けた淑女女学生には、明治時代には「をでや」「をしんゆう」などのレズビアンな関係が見られるようになる(「下等百科辞典」を参照のこと)。
本書は、そうした淑女たる女性が男の嗜みとしての衆道に対して向けた旺盛な想像力によるものと推測されるし、そう読まれることは、たぶん間違いではないだろう。つまり、ヤオイである。男の自分には、そう見える。
・「短編のタイトルがどれも秀逸」
「森茉莉=大人になったわがままなお姫さま」というイメージを持っていたのですが、「薔薇くい姫」というエッセイを読んで、「あ、意外と冷静な人だ」と誤解が解けました。森茉莉の作品では、彼女の持っている美学が主張されまくっているわけですが、このエッセイでは「そんな彼女を冷静に見つめる、もう一人の森茉莉」が感じられます。固有名詞が作者によってアレンジ(例:茉莉→マリア)されているのも一層「森茉莉界」のイメージを強めさせていて楽しいです。
このエッセイでかるく触れられている指輪(女性が毒を盛るときに使った薬隠しの付いた骨董品)が欲しくって仕方なくなりました。これも、森茉莉の美しい文体の効果でしょうか。
枯葉の寝床 は、まさに森茉莉の本領発揮といった作品で、文章の隅々まで森茉莉の美意識が詰め込まれているようでした。マフラーやジャケットという単語ひとつひとつがなんでああも美しく見えるのか。流石です森茉莉。色彩の描写も細かくて、そんな、主人公が着ている服のカラーコーディネートなんてどうでもいいじゃないの、と思ったりもするのですが、圧倒的な森茉莉界の効果か、気付けば色彩を想像しつつ読み進める自分がいました。
少しの例外を除いて、とにかく、あらゆるものが美しいです。童話のお姫様的な自覚のない美貌でなしに、自分の美しさを計算に入れて人を魅せる、小憎らしい美しさです。わかっていながら、とりこになってしまう森茉莉感たっぷりの短編だと思います。
ただ、3つめの短編「日曜日には僕は行かない」が、枯葉の寝床と設定そっくりなので、耽美な世界に食傷ぎみになったのがもったいなかったです。
そして残念ながら「甘い蜜の部屋」をこれより先に読んでしまっていたので、評価は★★★です。
・「ブラフマーーン」
ブラフマン。飼い主を守ろうとする姿は忠犬のようだし,身体を寄せてじゃれつく様子は子猫のよう。しかし水かきをつかって華麗に泳いだり,自力で皿からミルクを飲めなかったりして,結局その姿をうまく具体的には想像できない感じもある。泳ぎのうまいフェレットみたいなものかな。まあとにかく,読み進むうちにこの小動物に対するどうしようもないほどの愛しさを,抑えられなくなることだけは間違いない。
でもかわいくて愛しいものには死があるんだよね。というより,避けがたい死と別れがあるから愛しいのかも。これほどまでに人の死を,動物の死を,さらりと書かれると,これも特別ではない日常の風景なんだということを思い知らされる。
無国籍の文明社会の田舎町のような舞台設定がとても心地いいんだね。読書中は児童向けの絵本を読んでいるような穏やかな感じに浸れる。何となく,テラスの椅子にすわって外の風にあたりながら読みたい本だと思った。
・「読後、心の中を風が吹き抜け、世界は静けさに包まれる。」
本作で唯一の固有名詞「ブラフマン」を付された動物(犬とリスの中間のような動物だが、その種名は最後まで明らかにされず、その特徴が詳細に記述されるだけ)と「僕」との交流を縦糸に、「創作者の家」の管理人である「僕」と「創作者の家」滞在者や雑貨屋の「娘」等との一時的または長期的なつながりを横糸にして編み上げたタペストリーのような小説。
小川洋子の作品に頻出する死のイメージ、死者を記憶すること、そしてやがてその記憶もこの世からなくなるというテーマが背後に控えており、それは作品の途中でも、古代墓地、石棺、そして誰からもかえりみられなくなったある一家の古い家族写真に象徴される。
とはいえ、決して重い作品ではなく、「僕」とブラフマンを中心に、多少の秘め事を交えつつ、日常の淡々とした生活が描かれる。どこの国の話か、「僕」の来歴といったことは一切省かれており、作品の抽象性は極めて高い。
心の中を風が吹き抜け、自分の周りの世界が静けさに包まれる読後感は著者の小説ならではのもの。1日で読める本なので、読書の秋に小川ワールドを探訪してみてはいかがでしょうか。
・「言葉と死」
著者の小説らしく、硬質な文章で安易な甘さに流されない。「解説」みたいに挿入されるブラフマンの特性の描写が、「僕」による一方的な感情移入に従って読むことを批評しているかのように。雑貨屋の娘やレース編み作家も、悪意を描くのではなく、物語が一方的になるのを防いでいる。それで読ませる力量がすばらしい。
特徴的なのは、言葉が伝わらないはずの生き物との会話を望む孤独な主人公の一途な思いが、ブラフマンの声を聞いてしまうほどであることと、いたるところに死があることでしょうか。墓地、幽霊、写真の家族、もちろんブラフマンも。死に囲まれて死までの時間をともに過ごすはずの友の死。静かな、しかし力強い印象の残るお話でした。
・「愛と優しさの教科書」
ブラフマンとは主人公の飼っている動物。その正体が最後まで不明。それが犬なのかアザラシなのか、そのほかの爬虫類か何かなのかまったくわからないが、それが問題にならないほどに、主題である『愛』がしっかり紡がれているとても暖かな本。愛すること、愛されること、大事にすること、されること、守ることまもられる事。そのシンプルな見本がブラフマンの生涯を通して書かれている。難しいことでも面倒なことでもばかばかしいことでもない。想い想われ、想い合う。ただひたすらな当たり前の愛の偶像。それこそがブラフマンという主人公なのだ。 読んでいるとささくれ立った気持ちがやんわりとほぐれはがれていく。そんな棘のないそれでいてまっすぐなやさしさを存分に感じる一冊。
・「ますます穏やかに、ますます残酷に」
どこでもない場所の光景と、そこに生活する誰でもない人々のたたずまいを静かに確かに浮かび上がらせる小説。
「謎」を意味する名を授けられた生き物、「ブラフマン」。彼(オスである)と「僕」との短いけれどもいとおしい日々が綴られている。「ブラフマン」という響きそれ自体に求心力があり、彼の描写、「僕」との触れ合いの様子はなんとも言えないあたたかさに満ちている。思わず頭を垂れたくなるような気持ちにさせられる。「慈愛」という言葉が浮かんだ。
著者の小説は、ますます穏やかに、ますます残酷に、独自の世界を極めつつあると感じる。
●狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記 (野生児の記録 1)
・「貴重な記録。」
カマラとアマラと名づけられた野生児の記録だが、狼に育てられるという事がどんな意味を持つか、人間の間で育たないという事が乳幼児期においてどのような悪影響をもたらすのかなど、興味深い事例ばかりであった。
野生児の話題の中でよく登場する「臨界期」や「発達課題」という用語だが、本書を読んで初めて実感できた。カマラは9年間で50語しか獲得出来なかったというが、普通の人間ならば一つの言語を操れない人などまず見かけないだろう。それほど乳幼児期の言語獲得能力は優れており、環境の影響が強い時期だと言える。
他にも愛情(アタッチメント)や情緒についての記述は興味深かった。人間の間で育つことはなかった彼女達だが、最後の数年以外は殆ど表情を表に出すことがなく、他の子どもに対しても友情や愛情といったものを持たず、一番身近な存在であったシング夫人においても人間の親子に見られるようなものではなかった。人間的な部分を成長させるのは、人の愛情を借りてその属する社会の文化を学習する事であるという事実を実感させられた。 他にも食事についてや、身体の発達についての記述は注目すべきように思える。
この野生児研究によって、虐待の与える影響や、言語の獲得のメカニズム、道徳教育の必要性などが意識され始めた事は間違いないであろう。ただ本書の著者が牧師であった事が悔やまれてならないように思える。教育学者や心理学者、医者などが著せばより興味深い分析が行えていたに違いない。注で示しているように支離滅裂な部分が数箇所見受けられたからである。
・「遺伝か環境か」
遺伝か環境か。多くの心理学者が頭を悩ませてきた課題である。オオカミに育てられたと思われる少女が牧師に救い出され、日々の成長をつづった貴重な記録。彼女たちはおそらく飼い犬や猫よりも状態が悪かったと思う。彼女たちを教育するそれは人間のエゴのような気もしないではない。そのままでいたほうが良かったのかもしれない。時代が時代だけに、設備もなく本書の文章もわかりにくい。やはり人間を人間として有らしめているのは環境であるのか?言葉など基本的な技術は習得すべき時期を逃せば、後天的に身につけるのは無理なのであろうか?そして彼女たちに人間らしい生活をさせるべきであったのか?深く考えさせられる一冊であった。
・「ある意味では評価できる」
30年以上前に教育心理学の講義で教わった話であり、その後図書館で読んだ記憶がある。その頃は「環境説」優位という感想であった。その後、様々な知識が身につくようになると、資料の信憑性という点が気になるようになってきた。現在ではこの話は捏造であるという説が有力となってきている。しかし捏造であれ、これだけ多くの人を納得させたのである。その意味ではカストロ・カスタネダの呪術師シリーズと大差はないように思える。少なくとも、この件の研究で職を得た研究者がいたということを考えると、その点は尊敬に値するものなのであろう。
・「ある意味では評価できる」
30年以上前に教育心理学の講義で教わった話であり、その後図書館で読んだ記憶がある。その頃は「環境説」優位という感想であった。その後、様々な知識が身につくようになると、資料の信憑性という点が気になるようになってきた。現在ではこの話は捏造であるという説が有力となってきている。しかし捏造であれ、これだけ多くの人を納得させたのである。その意味ではカストロ・カスタネダの呪術師シリーズと大差はないように思える。少なくとも、この件の研究で職を得た研究者がいたということを考えると、その点は尊敬に値するものなのであろう。
・「礼儀とはルーティンワークである」
こんにちは
我が子も4歳になったので、これからは徐々に厳しく躾けていこうと思っています。3歳まではたっぷりアマアマに育ててきましたしね。一度にあれこれやるとパンクしますから、ごくごく基本的なことをひとつずつ徹底していく。まずは教育哲学者の森信三氏の提唱する「躾の三原則」から始めていこうと思っています。
1.挨拶をきちんとせよ2.返事はハイとはっきりきびきび3.靴をそろえ、椅子をきちんと仕舞う
ごくごく平凡な躾です。でも大人でも(大人だから?)できるようでできないですよねー。
最近の若い人を見ていて気になるのは、まあぼくも若い頃はそうだったかもしれないんだけど、お礼も挨拶も返事もやればできるのに、必要なときなのにしないときがあるんだよね。どういうときにしないのか、その傾向をじっくりと観察してみました。わかりました。機嫌の悪いときはしない。そういうはっきりした傾向があります。
若者たちは、自分が機嫌悪いとき、気分が優れないとき、疲れているとき、悲しいときなどなど、お礼も挨拶も返事もしなくてもいいと思っているらしい。オレ様優先なんだよね。おもしろい、おもしろい。
あ、おもしろがってちゃいけませんね。それって損なことだと思います。若いうちならそれもまあ可愛いとも言えるんですが、ある程度の年齢になってもそれじゃあ下品なんです。
内田樹/名越康文『14歳の子を持つ親たちへ』新潮新書¥680-から引用します。
###「しつけ」って言い換えればルーティンということでしょう、要するに。ある布にこうやって折り目つけることが必要なら毎日同じことをやってると、必ずここにいつの間にか折り目が出来るんです。折り目正しいと言うけども、折らなきゃダメなんです。何度も何度もこうやって。(内田、196p)
ルーティンというのは植木鉢の土の部分なんです。土の部分っていうのは、同じことを繰り返していくと練れてきて。そうすると初めてそこから木が生えてくるんです。これがないと何も生えやしないんです。ところがみんな土壌を作らないで花だけ咲かせようとする。そんなの無理ですよ。(内田、199p)###
躾や礼儀って、自分がどんな状況でもコンスタントにやれるものなんです。やれなきゃいけないものなんです。なぜならそれは、「相手への配慮」が基本だからです。自分が機嫌が悪いときは相手に配慮しない、というわけにはいかないものだからです。
風邪をひいて具合が悪いときでも、知っている人にあったら挨拶する。プライベートで悲しいことがあっても、上司に呼ばれたらきちんと返事をする。逆境の中にあっても、靴はそろえ、椅子は仕舞う。それが「折り目正しい」ことであり、礼儀なんです。そうできるようにすることが「躾」なんだと思うんです。
そしてそうできるから、周りの人も認めてくれ、やがては自分へとよいことが帰ってくる。あいつ、大変な状況なのによくやっていて、けなげなヤツだなー、って思ってもらえる。 躾は、身が美しいと書くとおり、周りの人に<品>を感じさせるものなんです。
躾はどれも、平凡なことかもしれません。でもそれを、いついかなる時でもできるように身につけるのは大変なこと。平凡こそ素晴らしく、なかなか得難いものなんだと思います。平凡なんだけどなかなか身に付かなく、いったん身に付くと人生のアドバンテージになるんだと思っています。
・「子持ちではないですが面白いです。」
子供を産まない本当の理由は、「子供がわけのわからないものになることを恐れているから。」カウンセリングをしていてよく思うことは、「親により子供にの方が話が通じる。」はきはき喋ることだけが大事なのではない、「言葉にするのに時間がかかる子供ほど、感受性が豊かだ。」トラウマという言葉を使うのをやめよう、「トラウマ は自分の身にこれから新しく起こる事をシンプルな物語に回収してしまうのだから。」教養とは、「somethingについてevrythingを知ってると同時に、everythingについてsomethingを知ってる」ことだ。内田樹さんの著作を読むと、いつも本当に大切なことを書いていると感じます。何かに対する解決法を書いた本では決してありませんが、ここに書いてあることを大切に感じて生きていけばいいのではないのでしょうか。
・「何度も読み返したい本です」
中学生の子を持って感じている事に、あまりに多くの的確なしかも思っても見なかったような指摘を受けて、一体この人たちはなんだろう?と思いました。対談の形でこれだけ中身の濃い本には久しぶりに出逢いました。若い人たちにもわかる人にはすごくおもしろいと思います。言われるように子育てのノウハウの本ではないし、じゃあ、どうしたらいいの?という点ついてはこれからの自分の課題となると思います。2回読み返しましたがもっと深く読んで行きたい。今後、子供たちへの、お説教本ではなく、自分を深く掘り下げる示唆になるような本を書いてくださることを期待します。
・「関係論的パラダイムについて」
この新書は、四半世紀前の植島啓司『男が女になる病気』と同じく、「構造主義的パラダイム」についての本である。物事を実体的にではなく関係的に捉えるということだが、「母性は後天的なもの」「トラウマを実体化してかたるフロイト主義者」というような主旨の実体化して関係を固着させてしまうことへの危険性が語られている。
名越氏はこうした思想的世界におけるパラダイム変換が未だに社会に一般化されてないと見ており(『縁の森』参照)、内田氏も同じような主旨からの提言だと思われる。この本では身体的感覚をふくめた「文化資本の差」が二極化しているとあるように、25年前の植島氏の本の後、植島氏は金持ちでなければとても維持できないようなギャンブリングな実践に構造主義以降向かっていったように私には思えた。
一方この本で内田・名越両氏は関係論を更に越える方向として身体の問題を提起する。 しかし名越氏は明らかに甲野氏から野口氏への系統から、明治期以降日本人の身体感覚は根絶やしにされたのではという視点から、空間感覚を身体的に取り戻さなければならない、とするのに対して、内田氏は日本の伝統的な感覚は現在にも受け継がれているとみる。ここで両者は分岐している。それは野口氏に対する両者の関係のバイアスだろう。
名越氏は整体的な視点に向かっているのに(キャラッ8を見よ)、内田氏は価値相対主義的伝統主義ともいえるような、いわばレトリックの世界に帰着させようとするのである。
こうした文化資本の断絶(この本では経済格差より深刻とあるが文化資本概念を初めて提起したブルデュー自身は経済資本の格差が文化資本を規定していると見ている)のように深刻な方向性の断絶線は垣間見えるものの、ルーティーンワークとしての生活の日常性が重要だ、答えは足元にある、という点で両者結論は一致している。
しかしこの本は如何様にでも読める本であり、繰り返し読める本である。私は現時点でこう読んだというわけであり、2年にわたった対談と書いて在るのに2時間で居酒屋で話したのだろうとか浅い本だとかいうのは何か出版関係に怨念を持つものの誹謗中傷であろうか。
・「子育て論のふりをした身体論」
~子育ての本ではありません。これが子育て論なら内田樹の本はすべて子育て論になってしまう。普段どおりの身体論が展開されます。本書では名越康文という相方に恵まれ、内田樹はいっそう楽しそうに身体論をぶっています。
印象的なフレーズが頻出します。「むかつく」「うざい」などの貧しい語彙が感情まで貧しくする、自分の意見をはっきり言うなんて大事~~なことじゃない、経済格差よりも今や文化資本格差が問題、知性とは情緒が豊かなことだ、ディベートなんて最悪の教育法……二人とも読者を煽り、ハッとさせるのが上手い。煽られるのが気持ちよいです。一昔前の身体論だと「考えるな、感じろ」とか言ったんですかね。むしろ本書で内田・名越の両名は「君(脳)が考えるんじゃなくて、身体に考えさせては?」~~と言ってるようです。ゆるやかで軽やか。
私は独身なので無責任に楽しく読ませてもらいましたが、せっぱつまった親御さんだとどうかな。役には立たないだろうな。子育ての現場というのは厳しいんでしょうが(レストランで子連れの人見るとそう思います)、本書の会話のような余裕があるなら、子どもを育てるのも魅力的かもしれん。~
・「老若男女を問わず大いに楽しむことができると思います」
目次 悪魔 ボッコちゃん おーい でてこーい 殺し屋ですのよ 来訪者 変な薬 月の光 包囲 ツキ計画 暑さ 約束 猫と鼠 不眠症 生活維持省 悲しむべきこと 年賀の客 ねらわれた星 冬の蝶 デラックスな金庫 鏡 誘拐 親善キッス マネー・エイジ 雄大な計画 人類愛 ゆきとどいた生活 闇の眼 気前のいい家 追い越し 妖精 波状攻撃 ある研究 プレゼント 肩の上の秘書 被害 なぞめいた女 キツツキ計画 診断 意気投合 程度の問題 愛用の時計 特許の品 おみやげ 欲望の城 盗んだ書類 よごれている本 白い記憶 冬きたりなば なぞの青年 最後の地球人
あとがき 星新一 解説 筒井康隆 カット 真鍋博
本書は新潮社発行の「人造美人」と「ようこそ地球さん」収録のものを主に、そのほか新潮社以外の出版社より発行されている短編集の作品のなかから50編を選んだ自選短編集です。
1000編を越すSF短編小説を残し、ショートショートの神様と呼ばれた星新一さんの初期の作品が満載。
短編なので読みやすく、それでいてしっかりオチがついていて、時には自分の考えの及ばないような意外性のある結末に感心し、自分とは違った新鮮な考えに触れ、ものの見方や考え方が広がったような気がします。また、星さんの作品は後世多くの人々に読んでもらえるようにと、具体的な地名や人名といった固有名詞をなるべく登場させないことで、通俗性を出来る限りなくし、読みやすく分かりやすい文章で書かれてます。そのため老若男女を問わず大いに楽しむことができると思います。
・「音楽のトラックのような作品群」
子供の時から読んでいる星新一のショートショート。大学生になったいまでも相変わらず読んでいる。ショートショートというものの性質がそうなのかもしれないが、テンポよく次へ次へと進むあたり、CDやLPの一曲一曲を聴いているようである。
舞台が、ありそうでない日常であったり、まったくの空想世界であったり、その舞台設定だけでも十分わくわくさせられた。固有名詞のほぼ出てこない点、極めて客観的に徹した記述、無機質な中に想像力を掻き立てるものがある。努めて難しい小説を読むのも悪くは無いが、こういうシニカルな笑いを抜群のポップセンスによって短く凝縮した本も侮ってはならない。
・「面白い」
星新一氏のショート・ショートの中でも特に人気が高い作品。
公害社会を風刺した「おーい出てこーい」や、表題にもなっている「ボッコちゃん」等々、ブラックユーモアを適量に盛り込んだ星ワールドが炸裂。しかし、よくもまぁこんなにネタが思いつくもんだ。
発想する事の楽しさ、物事を多面的に捉える事の面白さが凝縮されています。
・「ショーとショートの王さまの代表作」
SFショートショートでは他の追随を許さない、巨匠星新一の初期の代表作です。シンプルで淡白な文体でつづる短い物語の中には驚くほど深い洞察が含まれています。通勤通学のお供にもお勧めです。
・「極上のショートショート集」
この中に含まれる多くのショートショートを読めば、星氏の作品が、決して一様のものではないことがわかるでしょう。 軽いタッチの作品、背筋が寒くなるようなホラー的な作品、淡々としたSF調の作品と、星氏の多様な作品を存分に楽しむことができます。
●のはなし
・「初めて伊集院さんの本を読んだんですが、」
とても素直な文章を書くんだなぁ。というのが最初の印象です。
ネタは、いつも通りの「おもしろ話」から滅多に見せない「ちょっといい話」まで、わりと広く扱ってます。
ラジオだったら照れ隠しや笑い取りで脇道にそれる所が、うまくそぎ落とされているので、変なてらいがなくて、肩の力を抜いて読み進められました。
評価は、ラジオリスナーなんで星+1です。いや、面白いと思うよ。
・「おもしろい話満載、人と話す時のフリに使える」
伊集院光の初エッセイ集とはびっくり。そういえば今まで出てた本は共著だったんだ。大笑いする話、ほのぼのする話、なるほどという話など、小さい頃から現在までの事が書かれていて、伊集院光の頭の中を覗くようで大変興味深く、おもしろい。伊集院光のちょっと下の年齢から同じ年代の男性はおもしろく読めること間違いなし。女性もその年代の恋人、ご主人、お父さんをお持ちなら、この本を読んで「伊集院光の本に書いてあったんだけど・・・」とか言って話のきっかけになる事間違いなし。オススメは「ぬるぬる」の話、「フリマ」の話、「有効」の話、「理科室」の話。
・「「アメ横」の話から読め!」
伊集院氏が中学二年にして年末のアメ横で売り子をしていた時分、あっちこっちの商店から引き抜きがかかるほどのスターであったという「アメ横」の話が好き!珠玉のエッセイ集だと思います!全82話のエッセイをランダムに読みながら自分のお気に入りを探すのがまたいいのです!これはお薦め!特にこども時代の話とか、こころに温かいものが広がります!!!
・「伊集院光さんの入門書のような本」
一篇が長くても5ページ程度なので、ふだん読書をしない人にも抵抗なく読めると思います。テレビよりは薄すぎず、ラジオほど濃すぎない伊集院さんです。
身の回りのふつうは素通りしてしまうような出来事を伊集院さんならではの着眼点で綴っています。彼のような表現の仕方は、日記やブログをつけている方の参考にもなるのではないかと思います。
個人的には「ペ」の項が好きです。
・「伊集院氏の姿が目に浮かぶ。面白さに一気読みした。」
テレビでおなじみの、伊集院光氏のエッセイ集。
・「純粋」
さすがはなめ子さん!霊感がありそうだったり金縛りにあったりしながら、文章の随所に発揮される唯一無比とも言える世界観は揺るぎそうもありません。今日的には、霊感と才能があれば、テレビに出たり本を書いて世の悩める人々を癒し、お金をがっぽがっぽと儲けるとのが流行でしょうか、この人にはそもそも、他人をどうこうしようという積極的な意欲が感じられません。むしろ、地道にエッセーで影響力を発揮している。私はすっかりはまってしまったわけですが、だからと言って文庫本以上の出費をしようとは思いません。この本のメインは、「これにお金を遣う」ことがアタリかハズレかを、「癒し」を尺度に計る内容ですが、むしろ出色なのは、皇室特に黒田清子さんに対する、思い入れを綴った箇所です。おちょくってんの?としか思えないほど純粋で強い思い。写真も美しいです。
・「笑いに飢えている方是非!」
今までテレビでの奇怪な行動しか、彼女のことをしらなかったのですが。とっても面白かったです!
なめ子さんがお買い物をして、癒されたか、癒されなかったかを面白おかしく、毎話2ページ程度でつづっています。ちょっとした隙間の時間にも読み返せてGOODです♪(少しづつ読もうと思って購入したのですが、あまりのおもしろさに全部通しでよんでしまってました・・・)
各エッセイの終わりに、なめ子さんのヘタウマ?なイラストが入っていて、文章とあわせて楽しめます。
文庫本サイズということで、持ち歩きにもよいし、お値段もお安いので、笑いに飢えている方是非!!
・「おすすめ!」
値段が安くて嬉しいな〜と思っていたら理由があとがきにありました。そうゆうところもおもしろい。2次会の話とか爆笑!あんまり内容書いちゃいけないかな?なめ子さんのグラビアも素敵。
・「吹く!」
まーた、電車やカフェで読めない本を買ってしまいました。表紙の問題ではなく中身のこと。思わずニヤッとしてしまうとか、微笑みがこぼれるとか、そういう甘いレベルではないのです。読んでいると突発的に、吹く。吹かずにはいられない。(コワッ)
・「時々共感!!」
クスっと笑えるなめ子節が、炸裂していて一気読みしちゃいました。
なんとなく、共感できる消費もあったり彼女らしい視点からの消費もあったりでささやかな幸せな気分になりました。
なんといっても豪華なグラビア!!必見です。あの崇拝の域はなめ子さんならではだと思います。
・「うつ病激増によってもたらされる歪みを提起。」
タイトルから察すると「うつ」でもないのに「うつ」と偽っている人たちを批判したような内容のように映りますが、決してそうではありません。この本を読んで感じたのは、急増する「うつ病」患者に、お医者さんもかなり戸惑っているのではないか、ということです。最近の「うつ」は、会社を休んで気分転換と称して海外旅行に行ったりする「うつセレブ」という状況がある一方で、うつ病即退職という現実もあります。精神科の医者からみても「うつ」というのは判断がつきづらく対応に苦慮していることが伺えます。パーソナリティーとして「うつ」を自称している人もいるのではないか、ということも言えるのですが、判断がつきかねているように受け取れました。「うつ病」に関する事実と、臨床医としての意見をあわせて提示し、今の世の中の歪みを提示されているように思えました。激増するうつ病の背後にある問題点が鳥瞰できると思います。
・「文句なしに面白く、興味深く読めました。 」
精神医学の診断基準がDSM-IVになってから、医学書の中から消えた病名に「神経症」・・いわゆるノイローゼがあります。
DSM-IVではまた、うつ病の診断基準を簡略化、マニュアル化したため、従来の「神経症」領域の人たちのかなりのものが「うつ」として、診断書が発行されたり、抗うつ剤の治療が行われたりするようになりました。
「うつ病」の診断書で休職し、嬉々として海外旅行をしたり、英会話教室なんかに参加するちゃっかり組も増えているようです。こういう人たちは、本来自分自身で悩んだり、苦悩し、文学や哲学、宗教などに答えを見出すべき「内面」の問題を「うつ」という病気、いわば「自分は悪くない・・病気のせいだ」と逃げているようにも見えます。その結果、いい年をした大人がいつまでたっても内面的成長をせず、なんでも他人のせいにしたがる、たとえばいわゆる「モンスターペアレント」の増加などの社会現象と根は同じではないかと著者は喝破します。
また、うつ病の診断書一枚で休養が取れる、身分保障されたいわば「うつ病セレブ」が増えた反面、いまだに「精神疾患」の診断書によって退職を余儀なくされる偏見の残る中小企業や何の保証もない派遣労働者などに二極化される「うつ病格差」も現実にあるようです。
「うつ病モンスター社員」も「うつ病セレブ」も、さまざまな現代の問題にリンクして、そう簡単に解決するものではないのでしょうが・・
「うつ病と診断されてがっかりした人はうつ病、喜んだ人はうつ病でない・・」という言葉が秀逸です
・「どこかでかなりバッシングを受けていたようだけど」
私はこの人は精神科医として、一意見をしっかり言っていると思う。うつと自分で言う人や、うつだから甘えていると言われたような気がして怒る人もいたようだけど、違うと思う。 ただ、ちょっと気になったのは、これって、神経症のヒステリー状態の、「疾病利得」の事なんじゃないかな?と思ったくらいで。うつってどうなる事だっけと改めて考えさせられました。医師だって、診断名をつけるときは、ものすごく慎重なんですよ。事実をつかむためには、対話と観察にかなりの時間を要さなければならない。しかし、今は予約しないと診察が受けられないほど、病院は込んでいたりする。一人に余り時間は割く事ができない。 だから、DSMやICDなどによる診断基準ができた。こういう症状があればこういう症名と考えられるという基準だ。 しかし・・・疑問に思うのは、自分で自分の病名をわざわざカミングアウトしたい人なんて今多いの?・・・多いようですね。この本から察すると。私たちは香山さんと同じ年代だから、現状が奇異に見えるのかもしれないなあと思います。業務上仕方なく職場にうつと告げて、優しくされたことなどないし、むしろ仕事を失ってしまった方だから、私はこの本を評価したいです。
・「「ガンバレと口にするのはとにかくタブー」と言葉を選んだりする必要もない(p.192)」
香山さんの本は時事的なネタから入っていくものが多いのですが、今回は安倍元首相の辞任と朝青龍問題から入っていきます。そしてなんでもすぐ心の問題として語ろうとする傾向は間違っているのではないかとして《だれもが、「私って、うつ病」「ストレスでプッツンしちゃって」と気軽に口にできる"一億総うつ病の時代"を、ほんとうに「心の問題への理解が広まった」と喜ぶことができるのだろうか》(p.26)と疑問を呈します。
また、自身の臨床事例などから、大手企業の社員や公務員の中には「うつ」病と診断されると、リハビリと称して海外留学や冒険探検などに出かける人も増え、うつのリハビリを「これまでやりたくてやれなかったことにチャレンジする期間」と考える風潮もあるといいます。こうした事態が進めば、医者も上司もリハビリを《湯治、遍路、寺での座禅の三つのなかから選んでください》とあらかじめプランを示さなくてはならないかもしれないとまで書いています(p.42)。
個人的な実感しとても、こうした「うつ病セレブ」の尻ぬぐいをさせられているような社会人も多いと思いますし、今後、議論を呼ぶんじゃないかと思います。
・「良書」
そもそも「非定型うつ」なんてのは存在せず、「患者」の裾野を拡げたい精神科業界の煽動にすぎません。
その精神科医でありながら真実をズバリ言う著者は素晴らしいです。
・「私はすきでした」
この小説、私はすきでした。もともとは、映画化でユリさんの役を永作博美さんがするらしいので、それで興味を持って手に取りました。
物語を読めば、ああ、その感覚、わかるな、という気にさせられました。失恋したらこんな感じなのかな。純粋に、気持ちに染み入ってくるような、描写でした。文章が長くなくて、無駄な虚飾が無くて読みやすい。なのに、よくあるわかりやすい表現が使われているわけではなく、何となく、「絶妙」の一言に尽きる短いことばが連なっている。
19歳の少年を翻弄するユリさんが、変に美人じゃないのがいいですね。恋する女性が、自分の理想の形じゃなくても、男の人の心がその形に歪められていくのって、なんて希望があって、素敵なんでしょう。でも、恋ってそんなものだと思います。思いがけず、まったく興味もないし好みでもない人に心奪われる。それって、実は大恋愛の糸口なんじゃないでしょうか。
変な形だから、みにくい姿だから、余計に心奪われることもある。それはなんて、人間らしいのでしょう。
タイトルに臆せず、色んな人に手にとってもらいたい作品です。恋愛小説は、二度読み返そうとは思わないものが多いですが、この作品は、もう一度読もうという気になりました。
・「タイトルについて」
あまりにもインパクトのありすぎるタイトル。ちょっと、えっちい気持ちで本書を手にした人も多いのでは?
でも、読んでみてよかった。
ここからはネタばれ内容を含みますので、これから読む人は見ないでください。
・・・・・・・・・
「人のセックス」って他人のセックスのことかと思ったら、全然違うのね。
人類という存在のせつなくて悲しくて滑稽な営み(=人生)のことなのね。
そして、「笑うな」っていうのは他の人に命令しているのではなく、なんと、神様にお願いしているのね。
「神様、私たち人間は滑稽な営みばかりしているように思われるかもしれませんが、これでも精一杯生きているんです。どうか笑わないでください」
主人公の心象風景としては、泣きながら天に向かって『人のセックスを笑うなぁぁぁ』って叫んでいる感じかな。
このような人間の叫び、願いが詰まったとてもせつなくて美しい物語です。
それにしても、この作者、ただものではない。なんでこんな男性心理の描写ができるわけ?そもそもナオコーラって、すでにペンネームだけでインパクトありすぎ。反則。
・「こんな本もあって良いと思う!」
まずペンネームに惹かれて買ってしまった感が有る。読み出すと、淡々とした文章で書かれていてスムーズに読み進められる、それなのに決して手抜きには成っていない。登場人物の描写も、実に想像しやすくて共感出来るし、性描写も下手なわけでは無く、むしろ飾られていない事で現実感を持っている様に思う。私は、知らず知らずのうちに引き込まれてしまった。次回作も期待大です。
・「僕のつぼ。」
文章がうまいというか、無駄を極端に省いた表現が心に染みわたってくる。恋人と時間を共有するってこういうことなんだよなぁって共感もあったりして。
これはすごい作家が登場してしまった!!と思ったら、世間的評価はそれほどまででもないみたいで・・・。
ただ、僕のつぼだっただけかもしれない、と思ってみた。シンプルすぎるほどにシンプルな情景描写や、言い得て妙だなあと感じさせる感情表現。これらが作り出すまろやかな世界観。次作に期待、僕のつぼ。
・「タイトルもペンネームも」
文藝賞・選考委員の高橋源一郎氏も評した通り、もうタイトルとペンネームだけで「持って行かれて」しまって、読むしかない!と思いました。
しかしストーリーはうってかわって、淡々とした語り口で語られます。セックスや食事の描写が巧いな、と感じました。するっと読める作品ですが、終盤タイトルの「人のセックスを笑うな」の意味が明かされる部分は、ぐっと来ました。
最後まで読み終えたところで「なんだ~もう終わりか~」と思ってしまい、自分が随分と気持ち良くこの物語に浸っていたことに気付かされました。願わくば、年上の恋人・ユリの考えている事がもう少し知りたかった。 山崎ナオコーラ、次回作に期待したい新人です。
・「笑った!」
本を読んでいる時に笑いっぱなしだった。自殺未遂、リストカット、病気、親子問題、依存症など、重いテーマを扱いながら、ユーモアに転化しているのは凄いな、と感じた。個人的に面白かったのは、戸川純と大槻ケンヂと中村うさぎと雨宮処凛との対談。読み終わった時に、清々しい気持ちになった。生きることが、かっこ悪くてもいいんだなと、思った。
・「本から出ているオーラがすごい!」
この本から出ているオーラに負けて購入してみました。
対談メンバーの豪華さもさることながら、「こわれ者の祭典」というイベントの面白さが非常に良く伝わってきます。こういったまさにサブカルチャー的な本が世に出る事は喜ばしい限りです。
一つ問題を挙げるならば、この著者が一人一人の対談者と対峙する上でそれぞれ明確なテーマを持っていなかったため、一冊の本として同じ内容の話がかなり重複していました。対談本を出す上でこのことを考えていなかったのは致命的だなと感じたので評価的には3とさせていただきました。
・「対談のメンツの豪華さに惹かれて買いましたが……(-_-;)」
思っていた内容とは全く異なる物でした。
せんごひゃくえん+ぜい………(T_T)
月乃さんが対談する相手にご自身のご病気・ご自身がどれだけ対談する相手の事を想っているかを延々と語って満足されているだけです。 《対談集》なんですから本来は対談したことから何かが生まれたり、発見出来たり、見解が広がったり(著者・読者共々)するべきなのに、この本からは何も得られませんでした。 私自身の性格が月乃さん側でも対談相手側でもなかったからでしょうか? 『自分は月乃さんタイプ!』という方にはとても楽しめる内容なのは間違いありませんが……。
信田さよ子さんのお話は月乃さんがおっしゃる通り「目からウロコ」でしたので、★2つ。
・「不思議な魅力がある本です」
あまりにも評判が良かったので、手に取りました。前評判がいい本の場合、期待しすぎてがっかりするケースもよくありますが、正直言って評判以上におもしろかったです。
第一の魅力は登場人物。ホームレスに憧れる男性、アイドルを一途に愛し、応援し続ける男性、「なんとなく」カメラマンになりたいと思っているフリーターの女性、悪者になりきれない小心者のギャンブラー、売れない芸人に恋して上京した女性など、ちょっと社会からはみ出した感じなんだけど、自分の心の片隅にも住んでいそうな人たち。さえないけれど、自分らしく生きようとする彼らの純粋な姿に、ある時は笑わされ、またある時はしんみりさせられます。
第二の魅力は、劇団ひとり氏の人間観察力とそれをユニークかつ適切に表現できる筆力ですね。頭の中にイメージは浮かび上がっても、それを実際にことばで表すことはとても難しいことです。本業でもないのにこのレベルのものが書けるのはすごいと思います。
第三の魅力は、意外性のあるプロットと人物のつながり。読めば読むほど、「もしかしてこの人は…」という発見がありそうです。
そして何よりも、各登場人物へ向けられた温かいまなざしが、すがすがしい読後感を誘います。「自分は自分なんだから、そのままでいいんだよ」と背中を押してもらえた気がします。
・「すっかりファンになりました。」
もともと劇団ひとりさんは好きでしたが、この作品には驚きました。どうも、「芸能人が書いた本」みたいな冷めた感覚が心のどこかにあるようで。
この作品、1日で読みきりました。本当に、この本大好きです。これはずっととっておきます。文章も読みやすく、心情の描写も素敵です。すごい才能あると思います。
是非!あらすじを読まずに、すぐ作品に入っていただけると良いです。
心にじんわりきますし、「ここはこうだったのかっ!」ともなるんです。
自分の中の傑作本の上位です!
ぜひドラマ化してほしいです。
・「登場人物のつながりが絶妙」
読む前はいわゆる「芸人本」と思ってあまり期待していませんでしたが、読み始めると非常に面白くて一気に読んでしまいました。それぞれの章で主人公が異なり、それぞれの内心が描かれています。面白かったのは、それぞれの章の主人公がつながっているという点でした。つながりが絶妙で、最後の方は、前の登場人物がどこで出てくるのだろう、と楽しみにしながら読みました。芸人が書いたとは思えないほどの名作であると感じました。
・「ダメ人間から目が離せない」
ホームレスに憧れる男、アイドルオタク、頭の悪そうなフリーター女子、ギャンブル中毒の男、売れないお笑い芸人を好きになった女の子。世間的にはダメ人間に分類され、本人は大真面目だが傍からみると滑稽という人たち。劇団ひとりのコントなどは彼らの真剣さゆえの滑稽な部分を表現して笑いを取る。だが、小説では彼らの内面を中心に描いている。傍からみると笑えていたダメ人間たちだが、真剣に生きて思い悩むひとりの人間として浮かび上がってくる。
いきなりこのレベルの短編集が書けるとは、芸人にしとくのはもったいない。ベストセラーになるのも頷ける内容だ。ぜひ小説家に専念して欲しいと本気で思う。
・「思わぬ拾い物と言うべき、いとおしい一冊。」
驚いた。 そのナイーブで自意識過剰な感情表現の豊かさ。 お笑い芸人としての、類まれなユーモアとペーソス。 社会の片隅でみっともなく生きる、名もなき人々へのシンパシーと 優しい眼差し。 ミス・ディレクションや、時系列をずらしたレトリックを散りばめた "物書き"としての力量の確かさ。 各エピソードのラストの、余韻の味わい深さと暖かさ。 正に、切なくていとおしい、いつまでも手元に置いておきたい一冊。 劇団ひとりが、チォン・ユンファに見えてくる(笑)。 恩田陸同様、次回作へ期待大だ。
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