歴史とはなにか (文春新書) (詳細)
岡田 英弘(著)
「歴史と言うものを基本から考え直す」「“よりよい歴史”づくりのため既成の歴史観を根底斬り」「歴史好きへの必読書」「「歴史とはかくも面白きものなり」と気づく私。」「やはり歴史は難しい」
自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書) (詳細)
森村 進(著)
「まさにリバタリアニズム入門!!」「リバタリアニズムの最高の入門書」「リバタリアンとは?」「手短で、鋭い指摘」「リバタリアニズムの優れた入門書」
新しい科学論 (ブルーバックス) (詳細)
村上 陽一郎(著)
「「科学」だけではない「新しい見方・考え方」を示す本」「貴方の科学論は古い科学論」「とてもわかりやすい「パラダイム」論」「「科学哲学」「科学史」の入門書」「壁をとっぱらう」
科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス) (詳細)
戸田山 和久(著)
「ずぶの素人には最高でした。」「傑作! 科学哲学入門書にして最前線」「おもしろい!」「「科学とは何か」の入門に最適」「基礎体力がつく」
近代民主主義とその展望 (岩波新書) (詳細)
福田 歓一(著)
「真面目で鋭い分析。岩波新書黄色版の1、という出版時の意気込みを感じる。」「大学者の名小著」「民主主義の多様性、民主主義の本質」「保守必読の書」「平易かつ高度な民主主義論必読の書」
生物進化を考える (岩波新書) (詳細)
木村 資生(著)
「不朽の啓蒙書」「正しく理解する難しさ」「すばらしい」「木村博士の中立説解説」「進化中立説入門」
国家学のすすめ (ちくま新書) (詳細)
坂本 多加雄(著)
「簡潔だが内容豊富で明快な国家論」「サヨクのための「ナショナリズム批判」批判」「国家を議論するための土台となる本」「冷戦後に必要な国家構想」「「フィクション」=「不要」ではない」
経済学とは何だろうか (岩波新書 黄版 182) (詳細)
佐和 隆光(著)
「経済学の本質を探る」「古いけど色あせない良書」「Read it!」「答えはありません」「社会的文脈への経済学の依存性」
じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書) (詳細)
鷲田 清一(著)
「もっと早く読めばよかった」「存在の不思議」「驚いた」「雄弁な薀蓄」「電車のなかで化粧する<思想>」
法と社会―新しい法学入門 (中公新書 (125)) (詳細)
碧海 純一(著)
「基礎法分野の法学入門」「画期的入門書」「「法」というものを一歩引いて眺める」
「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言 (ちくま新書) (詳細)
仲正 昌樹(著)
「「二項対立」を超えるための視座」「二項対立の哲学史」「読者を選ぶ」「逃れられない「二項対立思考」」「自由であるがゆえの孤独」
憲法と平和を問いなおす (ちくま新書) (詳細)
長谷部 恭男(著)
「長谷部憲法学という可能性。」「1・2章だけでもおもしろい」「憲法と平和を理性的に論じる視座を提供する」「しっかりとした論理の憲法解釈」「立憲主義」
宗教学入門 (講談社学術文庫) (詳細)
脇本 平也(著)
「最後に感動が待つ。」「「宗教学」への入り口として」「入門書として最適」「最適の入門書」「最適の入門書」
経済学を学ぶ (ちくま新書) (詳細)
岩田 規久男(著)
「大学受験生にもおすすめ」「高校の経済の教科書にしたいぐらい」「基礎的なことから」「経済学の基礎がよくわかる」「読み流せます」
「おろかもの」の正義論 (詳細)
小林 和之(著)
「「正義」についての本」「思考する力」「考えることは自由になることである。」「「正しさ」の多様性」「詭弁を看破する本」
文化人類学―伝統と現代 (放送大学教材) (詳細)
江渕 一公(著)
「一番新しい「文化人類学」の教本」「初心者でもわかりやすい入門書」
ビルはなぜ建っているかなぜ壊れるか-現代人のための建築構造入門 (文春新書) (詳細)
望月 重(著)
「構造設計を確かめるには」「名著再発見」「こんな本がほしかった」
哲学の教科書 (講談社学術文庫) (詳細)
中島 義道(著)
「〈哲学する〉とはどういうことか」「哲学を始めるためにまず読んで欲しい本」「中島義道氏を見直しました」「まさに教科書」「ちょっと難しいところもあるけど、よーく読めばよーく分かる」
<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス (詳細)
永井 均(著)
「探究心旺盛な<子ども>へ」「哲学の入門書ではないですね」「沈んでも飛んでも大丈夫」「子供向けの哲学入門書ではない」「なんで僕なの?」
詭弁論理学 (中公新書 (448)) (詳細)
野崎 昭弘(著)
「だまされないために、そしてだまさないために」「時代を超えるロングセラー」「論理学を楽しく学びたい人にオススメの一冊!」「新書とはこうあるべし」「わかりやすい例」
言語学とは何か (岩波新書) (詳細)
田中 克彦(著)
「分かり易い本でした。」「著者の言語に対する考え方が分かる本」「言語学者達の色んなエピソードが書かれてあります。」
国際政治―恐怖と希望 (中公新書 (108)) (詳細)
高坂 正尭(著)
「古典的名著」「名著です。」「今や古典的名著」「国際政治の標準的テキスト」「日本における現実主義的な国際政治論の嚆矢」
教えることの復権 (ちくま新書) (詳細)
大村 はま(著), 苅谷 夏子(著), 苅谷 剛彦(著)
「生徒主体の授業をより良くするための本」「目頭があつくなりました」「教えるということ?」「教え子との対談」「教えることの大切さ」
「戦争学」概論 (講談社現代新書) (詳細)
黒野 耐(著)
「戦争をどうこう言う前に読むべき一冊」「とりあえず政治家は読むべきだろう」「戦争学の名著です!」「多くの内容を盛り込んだ解説書」「無駄に戦争に詳しくなれる」
美学への招待 (中公新書) (詳細)
佐々木 健一(著)
「そうなんだぁとおもった―専門家じゃないから。」「☆★5つ星以上★☆★」「タイトルの魔力」「生のなかの美学」「新書というのはこうでなくてはいけない。」
● NHKブックス
● precious science books ver.3.0
● 手引きとしても使えるベストな入門書(政治・経済・社会編)
● 「法」とは何か?
● 宗教学
● オイラーの贈物
● 「法」を考える
● 2010年の国語
● 国際関係論
・「歴史と言うものを基本から考え直す」
■直進する時間の観念■時間を管理する技術■文字■因果律の観念
以上が、著者言うところの歴史を成り立たせる4つの要素であり、このうちの一つでも欠ければ歴史は存在しない。例えば、輪廻・転生の思想を持つインドでは、人間界だけでの因果関係が成立しないので、歴史のない文明だったそうである。
また、国民国家がなかった時代を国民国家的視点から捉えてしまうと言った、犯しやすい過ちも指摘されていて、歴史と言うものを考える上で非常に参考になる著作である。
・「“よりよい歴史”づくりのため既成の歴史観を根底斬り」
「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営み」と始め、歴史家は「普遍的な個人の立場」から豊かな人格・個性で「歴史的真実」目指し「一貫した論理で」「よりよい歴史」を描く、と結びます。本論はその実体たらんとする著者が、主たる既成の未熟な歴史観をその全体に及んで根底から斬ります:1)日本文明は七世紀に中国文明から独立し誕生(これから神武天皇に遡る歴代天皇は神話で“悪い歴史”)、日本書紀が産んだ独自の万世一系の正統天皇思想と、鎖国・反中国のアイデンティティをもち、その中国正統史観に対するもう一方の大潮流・西欧変転史観を明治維新時に丸呑みして歴史認識混乱;2)「国民国家」の起りは王の財産の市民所有化闘争で、十八世紀末の米独立・仏革命に現われ(僅か二百年余り前から。従ってこれ以前の歴史を国家や国民の枠組みで叙述するのは時代錯誤)、軍事的強力さを背景に拡大、大規模戦争の勃発とともに同政治形態が世界史の現代を特徴化したが、今日終焉傾向。この歴史の国境撤廃傾向も興味深いが、善悪の道徳的判断と功利的価値判断を始め、従来の人為の錯覚による“悪い歴史”認識排除を強調する余り、世界を“無数の偶発事件の積み重ね”のように人間本性無視の無機的描写に収斂させ論ずるのには閉口。神前平等と民主主義の生活・社会的価値観全否定は論議を呼ばざるを得ないでしょう。それでも3)分家と看做していた日本に日清戦争で敗北した後、日本型「国民国家」目指した現代中国、またその思想ゆえのチベット・内モンゴル・新彊ウイグルの各自治区人権侵害、の説明にも論理一貫。また、粘り強く本質を追究する“よりよい歴史”づくりの不断の努力が、最終的には人類各人の相互理解の土台を築いてゆく、との趣旨も希望的。
・「歴史好きへの必読書」
歴史に少しでも興味のある方には必読書といってよいでしょう。新書という制限があって、誤解を与える部分もあるかも知れませんが、まさに目から鱗が落ちる指摘に溢れています。不透明な現代の政治、経済、教育、はては物の考え方まで、思いめぐらせるきっかけを得ました。単に過去から教訓を得る歴史から、もう少し広がりを持った歴史の効能に気付かせるという意味で、必読書と言えるでしょう。
・「「歴史とはかくも面白きものなり」と気づく私。」
そもそも「歴史」なんて誰かが都合よく「改ざん」し続ける眉唾物だ、という先入観をぶっ飛ばす名著。「新鮮な視点」を自分の脳にダウンロードしましょう!
・「やはり歴史は難しい」
学校で「世界史の臨界(西谷修)」をやったのでついでに読んでみた。
多くの人は「歴史=過去の事実」と思っているのだろう。しかし、歴史というのは編纂者によって都合のいい事例のみを取り上げたもので、決して客観的なものではない。歴史解釈も都合よく行われるもの。
そうした視点から歴史を見て、さまざまな具体例を挙げ、私達の常識をひっくり返す。
ただ、「世界史の臨界」もそうだが、歴史の成立条件に「文字」を置くことについては、私は賛成しない。そう思ったら「ラディカル・オーラル・ヒストリ(保苅実)もあわせて読んでみて欲しい。
●自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)
・「まさにリバタリアニズム入門!!」
リバタリアンという立場の人がいます。 リバタリアニズムとは、個人の自由(リバティ)を尊重し、国家の制限を最小限にとどめるのが正義だ、という考え方です。 彼らの中でも色んな考え方をする人がいて、国家は全く必要がない、市場の機能だけで世の中はうまくいくと考えてる人さえもいます(アナルコキャピタリズム)。 この色々な考え方を概観するには最適な本です。 自由はどこまで可能なのか、それを考えてみたい人はこの本から入ってみたらどうでしょう。 非常に読みやすいです。
・「リバタリアニズムの最高の入門書」
リバタリアニズムとは、自由をできるだけ尊重し、国家による個人活動への介入をなるべく小さくしようという考えです。著者は、アメリカに顕著なこのような自由主義をロックの所有論に基づいて、社会倫理として唱導するのです。
主張は突拍子もなく聞こえるかもしれませんが、基本になるのは他者の生活や価値観に対する最大限の配慮であり、自由主義の枠組みです。
日本では、はっきりリバタリアンであると公言している学者のは著者ぐらいではないでしょうか。この著書には、リバタリアンの主だった思想の紹介がされているので、共産主義者、あるいはロールズ主義者も、その反面教師としての思想的理解を深めることができると思います。またいうまでもなく、個人の自由が重要だという方は説得力を感じるでしょう。
・「リバタリアンとは?」
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・「手短で、鋭い指摘」
リバタリアニズムを紹介した好著。具体的な事例も多く紹介されており、とっつきやすく、刺激的な議論。リバタリアニズムは政府の役割を最小限にすべき、という小さな政府論をもつ立場である。これは税を最小限にし、弱者保護は国民の自発意志にゆだねるという立場でもある。
政治思想上の対立点で見ると、この立場は、レフトリベラルの掲げる、高い税率・弱者保護と真っ向から対立する。国家がいかにあるべきか、という政治学の中心的なテーマを考える際に本書は確かな手引きとなるだろう。
現実レベルの論争としては、アメリカ政治の基本的な対立軸、民主党と共和党の両者にとっての自由の意味の違いのほか、日本の構造改革論者の根本思想を理解できる。現実にある論争に対する著者の指摘も鋭い。
・「リバタリアニズムの優れた入門書」
本書は、各種の経済思想・政治思想におけるリバタリアニズムの位置づけ、リバタリアニズムという名称を使用していて実はそうでないものの提示、リバタリアニズムの中にも様々な根拠や位置づけがあること、著者の位置づけを明確にしたうえでの各リバタリアニズムの特徴の解説、現在のリバタリアニズムに欠けている時間を越えた個人の自由(将来世代)や、人間という種を超えた動物個体が権利として持つ自由、などについて簡潔に解説しています。
また法哲学者として、経済主体のリバタリアニズムとは異なった有益な視点も与えてくれます。
更に参考文献も充実しています。
入門書としては相当優れた書籍だと思います。
・「「科学」だけではない「新しい見方・考え方」を示す本」
ありふれた表現であらわすならば「目から鱗が落ちた」本である。それまで「科学技術」に対して抱いていた自らの考えを、ものの見事に打ち砕いてくれた。本当にぐうの音も出なかった。
それほどまでに自分の考えを否定されたのに、読後の満足度は最高だった。なぜか?本書が、新しい「物事の見方・考え方」を提示してくれたからではないか。
タイトルには「科学論」とあるが、その言葉から受けるイメージよりも本書の対象範囲は広い。広くどんなことにも通用する「新しい物事の見方・考え方」を提示してくれる本なのだ。そしてもちろんそれは「新しい」だけではない。
私がこの本に出会ったのは確か大学4年のときなので、もう15年以上も前だ。何をきっかけにして読み始めたかは覚えていないが、おそらく偶然本屋で手にとったくらいだろう。今ではその偶然に本当に感謝している。
これまでにもたくさんの人にこの本を薦めてきたが、このAmazonのレビューを読んで、一人でも多くの人が本書を読んでくれると嬉しい。
最後に雑談。レビューの冒頭で「物事が突然良く見えて理解できたこと」をあらわす表現として「目から鱗が落ちた」と書いたが、この「目から鱗が落ちた」と言う表現は実は適切でない。なぜ適切でないかは、本書を読んでのお楽しみだ。
・「貴方の科学論は古い科学論」
少し古い本ですが1章の現在の科学論は今もかわらずみんなの頭にあるし2章の新しい科学論は今見ても全く新しい自分は少しは科学論、その哲学に深い考察を持っていると勝手に思い込んでいましたがそれは全部既存のものであり新しい論は全く未知の、実に新鮮なものでした私は文系の、数学や理科の苦手な学生ですがそれでも読みやすく、こういった本には珍しく先が気になって一気に読んでしまいました
現代文や世界史、英語の長文でも頻出テーマの科学論それらの背景知識として抜群の威力を発揮してくれますまた科学が引き起こした問題に対峙するときそしてこの資本主義社会、それに属す自分を見つめるときにバイブルとして役立つはずです
科学とか読んでおきたいけど難しそう、と敬遠している人も是非この一冊だけは絶対にオススメします
・「とてもわかりやすい「パラダイム」論」
おそらく中高生でもわかるようにかかれた「パラダイム」論。サブタイトルの「「事実」は「理論」をたおせるか」が内容をよく表しています。
トーマス・クーンの「科学革命の構造」の方は書き方がわかりにくいので、これを読んでからそっちを読んでみるといいと思います。
大学入試とかで「評論必須ワード100」とかやっている高校生には、とりあえず科学哲学については、そんなので覚えるよりも、これ1冊読んだほうが絶対にいいです。オススメします。
・「「科学哲学」「科学史」の入門書」
科学とは何かを考える本。科学のこれまでの歴史と、今のあり方について書かれている。著者は科学哲学・科学史の分野では著名な村上陽一郎氏。
前半では一般的に信じられている科学像を紹介し、後半でその科学像を打ち破る。「データは与えられるもの」「人が持っている偏見などがそのデータを歪める」「科学技術は時代が進むにつれ蓄積されていく」というような従来の科学の見方を否定し、新しい科学を論じる。
「専門的な書物を読んだことのない読者の方がた(例えば中学生諸君)にもわかっていただけるように、なるべく問題や術語をときほぐして説明することを心がけました」とはじめに書かれてある通り、難しい専門用語はいっさい使われておらず読みやすい。科学哲学について少し考える、そして科学史に触れる良い入門書であると思います。
・「壁をとっぱらう」
本書は科学がどのような営みであるかを考え直す本である.前半では現在多くの人が(無意識に)認めているであろう近代科学(17世紀以降)の常識がどのようなものであるかを確認する.後半では「文化史的観点」と「認識論的観点」の二点から近代科学の常識に見られる矛盾を指摘し,科学という営みがどのようなものであるかを見つめなおす.
近代科学の常識の例としては,例えば ・宗教は科学に干渉してはいけない ・科学はすべてデータから出発する ・データは与えられたもので,人間にはどうすることもできない ・科学技術の進歩とはデータ量の増加である等だ.上記の考え方は多くの人が納得してしまうと思われる.しかし,実はここには矛盾が生じており,著者はものの見事にこれをひっくり返している.
科学がどのような営みであるかということを知っておく事は,科学を行う人にとっては非常に有意義なものであると思う.また,本書が与えてくれる最大の効用が著者によって示される新しい視点である.この視点は科学の営みを定義しなおすものであるが,本書によって与えられた新しい視点は科学のみならず,(どんなことでも)物を考える上で非常に参考になるものだと思われる.いい意味で自分の壁をひとつ取っ払ってくれた本.理系の学生にはオススメです!
●科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)
・「ずぶの素人には最高でした。」
物理書、数学書、また科学史、江沢洋「だれが原子を見たか」などはそれなりに読んでいるのですが科学哲学にはまったく触れたことはありませんでした。まず、実在論、反実在論、観念論、社会的構成主義とかいう言葉についても概ねの意味すら良く分かっていませんでした。
この本を一通り読んで、科学のあり方、考え、そのシステム、批判体系を眺めることが出来ました。著者は科学的実在論を擁護する立場でいながら様々なサイドから問題を説明してくれていると思います。自分は、科学に従事するものとしてこの本を読みましたが、科学をする人間が科学をとりあえずわからなくてもいいから興味を持って一望するというのに必要性を感じました。
本の最後の方に著者の見解が述べてあります。もう一歩、科学哲学の本を読む気にさせてくれる本です。
・「傑作! 科学哲学入門書にして最前線」
科学的実在論と自然主義の立場から、科学哲学の現状の大きな見取り図を、対話形式のきわめて平易な言葉でスッキリと呑み込ませてくれる。 主要な仮想敵として設定されるのは、思想界・哲学界で現在なお大きな影響力を保っている反実在論・相対主義・社会構成主義などで、ものすごく大雑把に括るならポストモダン派。そういう意味では本書は、アクロバティックな立論を退け、むしろ日常的な素朴な信念に寄り添っていこうとする近年顕著な思想潮流の一翼を担っている。 ただし、言うまでもないことだけれど、本書が「素朴な信念」を擁護するために展開する議論はきわめて洗練されたもので、仮想敵たちが展開してきた議論はきちんと踏まえられている。著者自身、単純に実在論に戻れないことは承知していて、最終的には弱められた実在論(または強められた対象実在論)の立場に立つ。つまり科学の営為をモデル構築作業と捉えた上で、モデルと実在システムとの一致(同一性)ではなく、さまざまな度合いのある類似関係を想定するものだ。このように科学理論の正当化に確率的要素を導入する手法は、最近の科学哲学のトレンドでもあるようだ。 また帰納法の有効性をめぐる議論では、「私たちはすでに帰納の中にいるのだ」という地点から出発し、その基礎付けは放棄する。p268に掲げられた2つのフレーズ、「帰納の擁護は循環するが、それは良性の循環である」「帰納の擁護は事実についての探究である」が、著者の極点だろう。文=言語的な基礎付け主義を退け、行為の中で循環を解消しようとする立場と言ってよいだろうが、私などはそこにウィトゲンシュタイン的なものを感じる。 ただし、私なりの疑問点はある。たとえば著者はモデルを理論と見立てるわけだが、本当にそれが可能なのだろうか? p245に「グラフや図やアニメーションだって、そうした反事実的依存関係のパターンについての情報を与えることができる」とあるが、この遠慮がちで回りくどい言い方には、やはり著者の逡巡を感じてしまう。著者は反事実的依存関係を科学的説明の本質的構成要素と考えるわけだが、それは結局のところ「文」に頼らなければ表現=記述できないのではないだろうか? 著者の言う「モデル」におけるシンタックスや否定、条件の表現などの問題について、もう少し説明を聞きたいと思った。
・「おもしろい!」
科学哲学を勉強したことが無く、科学に携わっていて、科学の方法論等についてなんとなくモヤモヤした疑問を抱いた経験のある方、おすすめです!また、電子は見えないのになぜあるとわかるのか?なぜ数学でスペースシャトルが飛ぶのか?と思ったことのある方、おすすめです!帰納法と演繹法、科学的説明とは何をすることか?、理論と観察と実験の関係は?実在論と反実在論、現象論的法則と基本法則の違い、モデルと実在、などについてとてもわかりやすく説明されています。全体の流れも、理系と文系の典型的な考え方を持つ二人の学生と科学的実在論をなんとか守ろうとする先生の対話というかたちで書かれていて、テンポよく読み進むことができます。 個人的には、帰納法というのは威力はあるが問題児でもある、とても奥深いものであるという印象をもったこと、またモデルとは何かという説明のなかで、物理学的な説明と分子生物学的な説明どのように異なっているかがすっきり理解できたこと、さらに抽象化と理想化の意味について考えるきっかけを得られたことが特に収穫でした。もちろんユニークな入門書なので、これで全てわかったということはありませんが、参考文献の紹介もしっかりしているので続けて勉強できると思います。
・「「科学とは何か」の入門に最適」
この本は、科学哲学の入門書だ。高校生から大学低学年級がターゲットとなっていて、形式もセンセイが大学3年の男女の学生を相手に解説するということになっている。しかし、大学の先生が書いた本は、高校生向きというのが大体ちょうどいい。(普通の人が入門書を探す時には、岩波少年新書がお勧め)
内容は、まず科学哲学とは何かから始まる。それで、科学哲学の歴史を概観しながら、科学が他とどう違うか、また、それを議論するのがどう難しいのかという話が続く。結構難しいことも書いてあるが、軽妙な語り口の会話体中心で、すらすらと読める。
科学哲学を語る際の隠れた主役はオカルトや原理主義であろう。これらの疑似科学と科学の違いを認識する上で、科学哲学は、実は、非常に重要なのだ。著者は結論部分でこの違いに焦点を当ててもいる。興味のある人には必読だろう。
・「基礎体力がつく」
会話形式で読書の敷居を低くしてくれているが、内容は濃い。科学哲学上の議論や著者自身の見解(日常的直観にかなう実在論の擁護)をコンパクトに読者に伝えることに成功しており、知的好奇心を十分満たしてくれる。時々迂遠な言い回しもあるし、またそもそも事の性質上、抽象的にならざるを得ない部分もあるし、必ずしもやさしい本ではないので、ある程度強い関心がないと途中で挫折するかもしれない。しかし、こうした分野に関心がある人の一冊目として、とてもお勧めできる本である。一度目にわからない部分があっても、二度読みする価値があると思う。二度読まない場合でも、次に新たなものを読むときの基礎体力を作ってくれる。巻末の読書案内も親切。
多様な論点があるため、とても一言でまとめられないが、個人的に疑似科学への臨み方で肝に銘じたいところがあった。それは、疑似科学を批判する場合、それを「間違いだ」といっても、その非科学性を示したことにはならないということ(なぜなら科学の歴史ではあとで「間違い」とわかる主張にあふれているから)。「大事なのは、『間違った科学』がそれでも科学なのはなんでかってことでしょ」(p.81)。
・「真面目で鋭い分析。岩波新書黄色版の1、という出版時の意気込みを感じる。」
「民主主義」の歴史を振り返り、そこに共通する理論を考察し、今後の展望を考える。長谷川三千子「民主主義とは何なのか」を読みはじめたら、この本がかなり引用されていたので探して読んでみた。初版から30年経っているが、読めば驚くほど「まだ?」「また?」と思う記述が見出される。一度は真面目に「民主主義のなんたるか」を自分で考えてみようと思う方は手にとって損はない本だと思う。30年前の状況と現在を比較しながら読むのも興味深い。 例えば、討論と説得が難しくなった政党制の議会でも「論点を明確にし、責任のありかを問う」場としての価値はある、などと書かれている。確かにそういう位置づけもある、と思う。責任所在についてあまりにもあいまいな国会答弁を聞いていると、それも怪しくなっているきもするが。
終章「民主主義の展望のために」の数ページのなかに、著者の意見は集約されている。著者は、必ずしも「民主主義しかない」とは言っていないが、「民主主義に根本的な一つの特徴、ほかに求めがたい長所があるとすれば、それのみが、人間が政治生活を営むうえに、人間の尊厳と両立するという一点であります(p208)」という理由で支持する。ほぼすべての人間が「尊重されている」と感じ、権力をひっくり返す可能性のある要因が少ない状態に近づける考え方、という視点で、他の「主義」も各自、検討してみてもいいかもしれない。 過去の歴史の中での民主主義を振り返り、原理を検討してきた著者の結びの言葉を引用しておく。「求められているのは近代民主主義がどういうものであり、どういう特徴と困難とをもっているかの自覚であり、当面する諸問題を受けとることにおいてそれを解決に役立てる勇気であり、そのことを通じて民主主義の機構と作用領域とを組み直して行く叡智であろうと思います。(p207)」 岩波新書黄色版の1、という番号を付されているというのも、出版の意気込みが伝わってくるような一冊であった。まだ入手可能なのは嬉しい。
・「大学者の名小著」
分かっているようで分からない「民主主義」。多数決は民主主義の基本だ!なんて言い方をよく耳にしますが,多数決でも決められないことがある,という観点も大切なはず。その意味で,民主主義と立憲主義(自由主義)の関係と違いを正確に学ぶ必要は,今後ますます大きくなると思うのです。
そこでお薦めするのはこの本。歴史と原理の関係を解きほぐしながら平易に語る内容は,政治学史の大家,福田歓一教授だからこその名著。私は,高校生のときに副読本で配られて,全く読まなかったという思い出のある本ですが,大学を卒業してから読んでみて,深く感動を覚えた本でもあります。この本が版元(岩波書店)品切れとは,寂しい限りです。
・「民主主義の多様性、民主主義の本質」
評者のような戦後に生まれた者にとって、民主主義とは自明の政治体制である。民主主義について特に疑うことなく育ってきた、と言って良いかもしれない。しかし、そのような者にこそ、本書は読まれるべきである。民主主義の本質を理解することは、その正しい行使のあり方や、それが適切に働いているかを評価する視座について、我々に再考する機会を与えてくれるのではないだろうか。本書は民主主義とはいかなるものか、著者がその歴史を辿り、あるいはその理念を語り、またその展望を語ることで、我々読者に深い理解を授けてくれる。本書が出版されたのは1977年であり、その記述に若干時代状況が反映されているけれども、本書の意義は全く失われていない。
本書の意義は、民主主義を歴史の鉱脈を辿りながら、それが決して唯一のものでないことを示した点にあるのではないか。同じ民主主義を名乗っていても、立憲主義との関わり等を反映して、アメリカのそれとイギリスのそれとは性格が大きく異なる。また、民主主義の主張されてきた歴史を見るならば、社会主義も民主主義を標榜するものであるとも言える。本書は、民主主義の多様性を明らかにするのだ。しかし、著者は強調する。民主主義において最も大事なものは人間の尊厳である、人間の尊厳を忘れて民主主義を論ずることはすべて無意味である、と。民主主義の本質を鋭く鮮やかに浮かび上がらせた著者の筆致は見事である。
著者は政治学史の第一人者であった。本書は著者であればこそ書くことのできた名著であると思う。概念の本質を探るときに、その歴史的淵源に立ち入ることの重要性を改めて読者に気づかせてくれる。しかし、著者は先日、その巨大な足跡を政治学史研究に遺し故人となってしまった。大きな人物を喪ったものだと、本書を読んでいて改めて感じた。
・「保守必読の書」
真の民主主義であったワイマール憲法から何故ナチスが生まれたのか。民主主義の利点と背後に隠された危険性を視野に入れ、広範囲に渡り改めて民主主義とは何かを問う。
・「平易かつ高度な民主主義論必読の書」
もちろん、本書は1977年という執筆当時の時代状況を反映してはいるが、民主主義をその歴史から丁寧に客観的に押さえながら論述され、高度な内容を保っているにもかかわらず、平易にそして淡々と書かれており、学問的な信頼性の高さを感じさせる。 平易に書かれているからこそ、逆にその記載内容の重さを読者が読み飛ばしてしまう面もあろうかと思う。読者の力量によって受け止められるものも違ってくると思う。 残念なのは、昔の執筆であるため、今日議論されている「熟議デモクラシー」などの位置づけがない点である。しかし、その点は読者自身が補って読むことで、自らのデモクラシーを読者個人が想起・再生させていくしかない。しかし、そのことは著者の希望していたことでもあろう。
・「不朽の啓蒙書」
「分子進化の中立説」は分子レベルの進化に関する現代の定説として確立しています。高校の教科書なんかには「進化に関する多数の仮説の1つ」というニュアンスで紹介されていますが、とんでもない話で、その正しさはとっくの昔に確立しており、現代分子生物学の指導原理です。本書は、中立説の提唱者ご本人が、進化学全体を展望したものです。豊富な学識を新書版1冊に圧縮しているため、読みやすくはありません。最初は前後を行きつ戻りつ読む必要があります。一度理解してから通読すると、何気ない記述にも重要な意味が込められている、その含蓄の深さに感銘を受けます。新書版だからということか、反対学派に対する歯に衣着せぬ批判も楽しいところで、こういう学者の本音は論文では読むことが出来ませんから。なお、進化学全体の展望であるため、中立説についての詳細な解説ではありませんのでご注意下さい。この本を読めば生物学の見方が変わると思います。名著です。
・「正しく理解する難しさ」
生物進化に関する入門書ではあるが,内容は高度・本格的で,私のようなアマチュアは本気で取り組まなくてはきちんと理解できない。進化学に関する現代の科学の知見を,研究の歴史を踏まえつつ偏りなく記述した本で,名著と言える。現代の知識人はこのレベルを把握することを目標としたい。それにしても,この本を読んで考えさせられるのは,生物進化を正しく理解する事の難しさだ。何となく突然変異と自然淘汰で分かった気になっているのが大方のアマチュアだと思うが,これが事実かどうかを検証するには数学的・統計的な扱いがどうしても必要になってくる。「分子進化速度」の概念も正確に理解するのはかなり大変だ。口当たりの良い表現でアマチュアに迎合するのではなく,読みにくくなるリスクを冒しても学問的に厳密に記述しようとした一流学者の気骨を感ずる。
・「すばらしい」
ラマルク、ダーウィン、メンデルの進化説から、フィッシャー、ホールデン、ライト、マラーらによって開拓された集団遺伝学、そして進化の総合説を概説するのが本書前半の内容。続いて、自然淘汰、突然変異、適応といった話題が続き、分子進化学と中立説の説明へ。進化論の歴史が非常によく理解できた。集団遺伝学と分子進化学、中立説の箇所は数式も随所にでてくるが、重要な概念や定数がどう定式化されているのかが具体的に分かるという意味でよかった。数式の持つ意味も言葉で説明されていることが多く、分かりやすさへの配慮も豊富。世界的かつ重要な仕事をした著者ならではの視点で、この説は重要だが、あの説は喧伝されているほどでもないなど、フランクな意見が散りばめられているのも面白い。科学ジャーナリストによる本とは一線を画す本格的内容。出版されて20年たっても本書の重要性は変化していないのではないか。
・「木村博士の中立説解説」
進化の中立説が初めて一般人の目に付いたのは、「科学朝日」1968年8月号だったか?今となっては良く憶えていない。確かその年に遺伝学の国際会議が有り、その時の木村先生の講演が分子進化の「中立説」であった様に思う。高校生であった投稿者は、科学朝日を読みながら、「中立説」てなんだ?と思った。ダーウインの適者生存に洗脳されていた私を初め、多くの人々は、事に寄ったら今でさえも、その様な刷り込みに毒されて居るのではないでしょうか?
でも、そのような「目的」的、に遺伝子は変異するのではなく、遺伝子は、形態的な影響の無い部分が定時間に自動的に変異するのだという。「進化は強者が弱者を喰らい」、「強者は益々凶暴さを備えるようになって行く」のだというのが、巷に於いて理解されている、ダーウインの適者生存であると理解している。だが、そんな物は皆、曖昧な偏見か嘘に他ならない。確かに、ある一種の中での適者生存ならば、強者が弱者を追いやる、事は確かなのだが。
木村資生博士が、中立説を思いついたのは、集団変異の統計分析の手法なのだ、数学が得意であった木村博士だが、生物学に理論物理学の方法を持ち込むというのが願望であったらしい。今では、この中立説は、市民権を得た感じだが、木村資生さんが、言いだした頃は、多数派には、恐らく鼻で哂われたに相違ない。アラユル学説に言えることは、「真理は少数派に始まる」と言う事だ。
木村さんは、静岡県三島の国立遺伝学研究所で、苦闘の末にその理論をつむぎ出したのだろうと想像する。遺伝子変異は無作為に不可避に起る、それは、分子時計と言う風にも説明されている。しかも、それは時間的に定期的に、遺伝子の分子それ自身で自律的に起りうる。何故、遺伝子の分子は、頻繁に変異が起きるのか?それは外的な要因か?それとも内的な要因か?四つの塩基は水素結合で結びついているが、それは、この地球にある微量の放射線による変異なのか?比較的弱い結び付きであるから、この結合が自律的変異のメカニズムを導き出しているので在るとしたら面白い。
本当に解明できたら素晴らしい、統計数学を駆使した、この理論遺伝学は、木村の理論を越えて、様々に伸び連なっていく分野であろうし、今後、更なる生命の進化の未来を予知する、定量的理論に変貌するに違いない。
・「進化中立説入門」
ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでから、これを読みました。淘汰主義者のドーキンスの語り口は非常に説得力があり、うならされるものがありました。その淘汰万能主義に風穴を開けたのが中立説です。ドーキンスが納得したのかは知りませんが、分子生物学を知ってるひとなら中立説の内容は、今では当たり前のことですね。進化学のラボの友人曰く、「20世紀後半の進化学は中立説の証明にあてられた。」だそうで、分子生物学の進歩とリンクして証明されていく様もわかります。中立説について詳しく知る為には「分子進化の中立説(紀伊国屋書店、1986)」を読むべきでしょうがこの本は入門にぴったりです。文系の方でも読めるんじゃないかと。進化論の歴史もわかります。
・「簡潔だが内容豊富で明快な国家論」
グローバル化と普遍的人権の掛け声のもと、新聞・テレビから学者の著作に至るまで、国家を「相対化」すると称し、実のところ国家の存在意義自体を疑問視するような言説が巷には溢れている。
そんな中にあって本書は、国家が社会秩序の維持にとって基本的な制度であり、市民及び政府の不断の努力によって維持されるべき公共性の中核的要素であることを簡潔明快な論理によってときあかしている。国家とは、市民社会の外にあってそれと対立する強制組織ではなく、むしろ市民社会と政府の関係性の中に「実在」する相互期待の体系である、という著者の見方は新鮮であり説得的でもある。この見方は、日本政治における公的論理の回復を説く著者の主張と無理なく接続している。
著者は続いてナショナリズムの意味に触れ、近年における「国民」相対化の議論についても批判的に検討している。その上で著者は日本の国家・国民形成の歴史を概観している。抑えた筆致の中に長年にわたる考察の結果が要領よく開陳されていて小気味よい。類書である佐伯啓思氏の単行本「国家についての考察」(これも良書である)と比較しても、新書版ながら内容豊富であり、名著といってよい。
勿論本書の議論には色々な批判がありうるだろう。新書版なるがゆえに議論を充分に詰めて展開できていない部分もあるし、日本国家・国民の歴史に触れた部分では、歴史解釈をめぐる批判もあろう。しかし著者の明快な立論と簡明な文章は、批判的な人にとってもそうでない人にとっても、著者の立場を理解するのに役立つはずである。
坂本氏は現代日本の保守派の中で最も優れた論客の一人であった。彼がかくも若くして世を去ったことは、日本の論壇全体にとっての損失だと思う。
・「サヨクのための「ナショナリズム批判」批判」
端的に本書の功績は、ナショナリズム批判としての「想像の共同体論」にはツールとしての効力がないことを示した点にある。この著者の仕事に気付かずに、まだアンダーソンを持ち出して「国家など意味がない」とぬけぬけと主張する輩が存在するが、愚劣きわまりない。 国家という「想像の共同体」が出現したことにはそれなりに有用性があったからであり、権力による市民の弾圧という負の面のみを見ることは正しくはない。史上、成功したアナルコサンジカリズムがなかったことを考えればすぐわかると思う。また、良心的知識人とみなされていたヤスパースが、国家を消滅させた形態での世界連邦はファシズム以外の何ものでもない、という見解から国家という政治形態を擁護していたことも付記しておくべきだろう。 「「「ナショナリズム」批判」批判」を批判する論者は、最低限本書のような立場の本には目を通しておきたい。政治的立場の違いはともかく、坂本氏が自らの知的営為に誠実であった第一級の知識人であったことは間違いがないのだから。
・「国家を議論するための土台となる本」
本書の最終的な目的は、国家相対化論を逆に相対化することを通して、イデオロギーに左右されない成熟した国家意識、国民意識の構築を説くことであると自分は捉えている。国家でなくともできることと、国家にしかできないことを厳密に分けて考える必要があることはもちろんだが、本書は、後者が一般に考えられている以上にまだまだたくさんあることを示唆しているように思われた。
・「冷戦後に必要な国家構想」
主要な保守派の論客が残した主要な著作の一つ。新書という形で手に入りやすいもので広く勧められる。 冷戦後の世界構造において主要な枠組みとなっているナショナリズム、民族主義、国家主義の高まりを踏まえ、我々日本国民にも国家学に真摯に取り組む必要が生じている。 坂本氏は安易な国家相対論を排除し、歴史的地理的な観点から丁寧に「日本」の国家性を論じ、主張し、国家理論の構築を組み立てている。 つくづく若くしてなくなられたことが悔やまれる。
・「「フィクション」=「不要」ではない」
文化人類学を少しでも読むと必ず出てくる「想像の共同体」や「創られた伝統」。しかし、そこから「フィクションだからどうでもいい」という短絡的な発想をしていないだろうか?
坂本氏は「問題は、「フィクション」であるか否かではなく、その「フィクション」が何のために存在するのか、あるいは必要とされるのかということである(p52)」という。そして、「想像の共同体」や「創られた伝統」を根拠とした「ナショナリズム批判」を痛烈に批判する。
著者の意見に賛成でも反対でも、「想像の共同体」や「創られた伝統」を学んだら目を通しておきたい書である。
・「経済学の本質を探る」
数理経済学、統計学の佐和先生の本で勉強しました。「専門用語のわかりにくさ」では、「翻訳された日常言語のジャルゴン化」という点を指摘している。「経済学用語のすわりの悪さ」では、英語の経済用語は日常用語なのに日本語の経済用語は専門用語であることを指摘している。自然科学、工学では、「日常生活とはほとんど無縁なものが多い」ので日常用語を使う必要がないため「「収まりの悪さ」に戸惑う必要はない」とのこと。
用語について、佐和先生のようにきちんとした理解をしている人は多くないのが残念だ。最後が保守化する経済学で終わっているところも、現代経済学の現状を表しているようで特徴的だ。
・「古いけど色あせない良書」
宮崎哲弥が「「新しい科学論」の経済学版」として薦めていたので読んでみました。で、結構面白かったです。
近代経済学がはまり込んでいる枠組みを読み解き、日本への受容の流れなども丁寧に追っています。その上で、新古典派批判の問題点も指摘し、今後の展望を見ます。
なお、当時は作り出すことができなかったとしている、対案としての「理論」ですが、今日では複雑系経済学や行動経済学はそれに当たるかもしれません。
経済学を志す人は読んでおくべきでしょう。
・「Read it!」
If you are going to study economics, you will surely be motivated by this book!! Read it!!
・「答えはありません」
経済学とは何か?の答えは、この本を読んでもわかりませんでした。市場(マーケット)に委ねるのか、あるいは制御するのかで、根本的に考え方が違ってきますね。自分だけ利益が多ければいいと思うか。不公平や格差を是正すべきと思うか。市場には、「べき」はありません。あるのは、売るか買うか、だけです。人の欲望は永遠ですから、市場はなくなりません。しかし、理念や理想、ある「べき」姿を失うとどうなるか。いままさに、そんな状態ですよね。つまり、これは経済学の問題ではなく、我々自身がどういう経済生活をおくろうとするのかという問題です。経済学もこのへんは、ぐちゃぐちゃです。
で最後に、経済学者や経済評論家は一体何のために、研究したり調査したり発表したりしてるのか、みなさん不思議に思いませんか?学者や学説の紹介もいいけど、自分の仕事のことを自分の言葉で語ったほうが、よく伝わると思うのですが、いかがでしょう。
・「社会的文脈への経済学の依存性」
1942年生まれ、米国留学経験を持つ計量経済学者・環境経済学者が、自らの研究体験を通じて1982年に刊行した本。1870年代欧州に端を発した新古典派は、産業革命に伴う「物理学帝国主義」に後押しされ、古典力学の方法の経済分析への全面的適用を行い、発展する。1930‐60年代、大不況と世界大戦を経て、経済学は米国において「制度化」され(数量化、教科書化、論文重視)、ケインズ主義と新古典派の折衷である新古典派総合が主流となる。戦後の科学技術崇拝の中、それは全盛を迎えるものの、1970年代には環境破壊や公害の深刻化、ベトナム反戦に伴う対抗文化の展開の中で、科学批判とともに生じたラディカル経済学運動において、その依拠する諸前提の非現実性、市場経済擁護のイデオロギー(「強者の論理」)としての性格を告発される。しかし、それらは新たな「パラダイム候補」を提示し得ないまま鎮火し、以後経済学は複線化・多様化・細分化されてゆく。数理経済学の難解化により、経済理論への不信が高まる中、政治的保守化傾向に後押しされた合理的期待形成学派等、右からのケインズ批判が生じるが、それらにあまり期待できないことを指摘して、本書は終わる。本書では学問と社会との関係に焦点が当てられ、主として欧・米・日の比較を通じて(本稿では省略)異文化への移植に伴う変容が論じられてもいる。やや三者間の差異が強調されすぎている気もするが、概してその分析は納得がいく。ただ、学問論として経済学以外の話が多いため、話の筋が見えにくいきらいがある一方で、私のように経済学の知識のない人間には、ややイメージがわきにくい本でもある。また1982年刊行のため、その後の展望がいささか見えないのが残念である。
・「もっと早く読めばよかった」
じぶん」ってなんだろう、と誰もが一度は考えたことがあるかと思う。 「じぶんらしさ」とは何か。じぶんの中にその答えを探しても、他人には無く、じぶんに固有のものなどありはしない。 その答えは本書にあるかと言えばそうではなく、問いかけで終わっている。 第一章を読むだけでこの本の価値は十分あると思う。
じぶんらしさなんか本当はどこにもない。
・「存在の不思議」
「こだわりやしがみつきを手放すこと」についてあれこれ思う昨今であるが、人がとかくこだわり、そして悩みの種となっている問題に、〈わたし〉とか〈じぶん〉とかいったものがあるのではなかろうか。
これほど自明に見えて、これほど突き詰めていけばいくほど曖昧模糊として掴み所のないものは、他にそうないだろう。その困難を前にして、「自分はしょせん自分でしかない」といった類の思考停止を超えたところに、著者の思索の領域はある。実に言葉にしづらいテーマであるはずなのだが、著者の繊細な筆はそうした微妙なところをうまく言葉に乗せている。
語っても語っても伝わらないという体験は、誰にでもあると思う。とりわけ、「自己と他者」といったテーマにくくられるようなことについてそうした体験を持つ人は、この本を大いに参考とすることができるのではないか。
・「驚いた」
115ページ(自他関係の発生)の挿話を読んで驚いた。なにしろタイプ4の最も危ない親子関係が、自分の家庭にそっくりだったからだ。(これがうちの家庭が滅茶苦茶な理由のひとつだったのかと妙に納得)過剰な合理主義とひきこもりの共通点の話も面白かった。
自己と他者との関係というのは、あまりに身近過ぎて普段は意識しないもの。この本はそれを意識的に考えるきっかけをくれたように思う。
・「雄弁な薀蓄」
追求すれば追及するほど、「じぶん」の存在が不可思議で壮大さが増して可笑しくなっていく。小難しい箇所もあるが、気が付けば本書に惹きつけられてハイペースに読破できてしまう面白みのある一冊である。
・「電車のなかで化粧する<思想>」
名著である。哲学的な訓練を積み、なおかつ考え抜いた知性だけが能くし得る文章といえる。一点だけ、電車内で化粧する女性についての一文は秀逸であり、考えさせられる。それは脳の問題ではない。<他我問題>である。これを<脳の問題>とする議論こそが「問題」である。『唯脳論』や大手メーカーの研究所で高給を取るらしいチンケな脳学者の本は端から御免蒙るが、ケータイ脳やケータイ猿といった議論も非常に危険なイデオロギーを含んでいることが、本書でハッキリわかる。「電車でお化粧」はハッキリと思想・哲学問題なのだ!もちろんこれだけでなく、他の文章も繰り返し読むに耐える逸品の数々である。小林秀雄のエッセイ『考えるヒント』といったものにいまだに魅了される御仁には、是非読ませたい。文体に対する感覚、思考することの流儀がまったく変わってしまうだろう。
・「基礎法分野の法学入門」
著名な法哲学者による法学の入門書。
「人間」を出発点として議論をスタートし「社会統合機能」をキーワードに法と社会の関係を論じています。
本書でいう「法」は具体的な実定法(憲法や刑法や民法など)ではなくより広い意味の法を指していて、大きな視点で法と社会の関係を記述しています。議論の主な範囲は法哲学・法制史・法社会学などいわゆる基礎法と呼ばれている分野です。基礎法分野に興味がある人には入門書として最適だと思います。
具体的な実定法がどのように社会と関わっているのかは書かれてはいませんので(たとえば憲法と社会の関係 ・ 民法と社会の関係 ・ 刑法と社会の関係など)そうした各実定法の社会における機能について関心がある場合やそれぞれの実定法の概略に興味がある場合はたとえば白取祐司「事例DE法学入門」などがよいかも知れません。
・「画期的入門書」
著者の意図する通り、法学に入門しようとする者がまず読むべき1冊ではないだろうか。法解釈学に傾倒することなく、「法」の多様な断面を紹介してくれるので視野が広がるというのが一番の効用。例えば、文化の一面としての法、社会工学としての法、形式科学としての法など豊かな法に対する視座を提供してくれる。いきなり条文に入るのではなくまず広い視野にたって、法の全体像を鳥観したい方には是非おすすめの1冊。
・「「法」というものを一歩引いて眺める」
法律の本ですが、具体的な法律を取り上げるのではなく、法というものがどういうものかを一歩引いて眺めた本です。ですから、「法哲学」の入門書といったほうがいいでしょう。
軸としては、「社会統制の道具としての法」を据えています。こうした視点から法を眺めてみるのも、従来の法解釈に偏らず、なかなかいいものでしょう。
法学をやっている人は、ぜひ読んでみることをオススメします。きっと新たな視点から法が見えてくるでしょう。
●「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言 (ちくま新書)
・「「二項対立」を超えるための視座」
仲正氏の誠実さがその露悪的なポーズとは裏腹にきちんと伝わってきています(露悪部分が鼻につくということでしたら一章に関しては読み飛ばしても問題ないです)。
右、左がそれぞれのそれぞれへの対抗言説によって「分かりやすさ」を重視し、単調な実りの無い隘路に囚われていく状況について警鐘を促している。
ただ単に言説の編み方として第三の道を、綺麗ごととして、自己を別格化するための手段として一歩引いて観察することを称揚するのではなく、その立ち位置が始めて可能とすることについて簡明な説明でもって論じている。露悪的と始めに記したのは、第一章で憎悪剥き出しで「分かりやすさ」を否定しておきながら、身を削った実例含め何度も言葉を品を変え「遂行矛盾」に陥らない方策を説いているからです。
「ワンフレーズポリティクス」に代表されるような分かりやすい言説に駆動される大衆の奪い合いとしての左右の応酬が、それ自体が大衆を一段下に見ているという指摘、矛盾はそのことを自覚して「あえて」という識者であろうとも同じことというのは思想家として真摯な指摘でしょう。
・「二項対立の哲学史」
二項対立を真摯に検証した作品。二章はある種の観点からみた哲学史にもなっており勉強になる。
プラトンからカント、ヘーゲル、デリダまで仔細に検討している。 単に二項対立に関心がある読者は1,3章だけでも十分に参考になるはず。 著者の意気込みと筆力はこれかも注目。
・「読者を選ぶ」
昨今、斬新な主張を繰り広げる仲正氏の新書である。現在日本における文系学問の世界に論理があると思う人はあまりいないだろうがそういう人にお勧め。広範な知識を駆使し、二項対立思考の問題点をときつつ新たな展望を提示する。その点二項対立思考を墨守しようとする人にとっては不愉快な本であろう。確かに、前提となる知識が皆無であればこの本の中身はほとんど理解できないであろう。つまり読者を選ぶ書物であるということである。平凡な評論家レベルの分析を新聞やニュース、そして書物に求める人には難しいかもしれないが。
・「逃れられない「二項対立思考」」
ほとんどの人がものを考えるときに用いてしまう「二項対立」と、それを打ち破るべく現れた「アイロニー」の本。
第1章では、二項対立思考のはらむ問題点を、主に最近の左右論争を題材に解き明かしていく。そして、第2・3章では、哲学における二項対立の系譜と、ドイツロマン派のアイロニーについて書かれている。そして、第4章では再び日本の言論界に戻り、そこにおけるアイロニーの状況を解説する。
哲学的なことが知りたい人は2・3章にわかりやすくまとまっている。逆に、現在の言論界の閉塞状況について考えたい人は、1・4章がメインとなるのだろう。
筆者の意趣ばらし的側面も見られるが、筆者の中ではそれほど強いほうでもないので、まあ気楽に読める(といっても哲学の部分は結構難しいが)本である。
・「自由であるがゆえの孤独」
仲正によるシャープなアイロニスト養成講座。
アイロニストとは表面的で薄っぺらな「皮肉屋」のことではない。それはつまり、考えることをやめない態度のことなのだ、と仲正は力説する。しかし、考え続ける自由と引き換えに、立ち位置を明確にできず、誰とも共感しえないという孤独を味わうことになる。そもそも、共感なんて幻想なのかもしれないが。
二項対立の不毛さから抜け出すためにはどうすればいいのか、知的好奇心を刺激する意欲作。語り口は平易でわかりやすい。若干自虐的なところは照れ隠しか。
手っ取り早く「安全な立ち位置」を求めたい人にはお勧めできないが、より深くより斜めに思索する苦しさに耐えられる精神的マゾには格好の内容である。哲学史も見通しよくコンパクトにまとめられており、これから「哲学したい」という人にもお勧めできる。このあたり、さりげないサービス精神が心憎い。
内田樹と春日武彦による対談「健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体」では、白黒つきかねる問題に対して、立つでも座るでもない「中腰でいること」の大切さについて語られる場面があるが、仲正の言うアイロニストも「中腰」を厭わないという点では共通している。
いつまでも中腰でいると腰を悪くするが、アイロニストの場合はさて、どうだろうか?
・「長谷部憲法学という可能性。」
日本における現代憲法学の最先端をゆくであろう長谷部恭男教授の筆による待ちに待った平和論。本書は、俗に言う「強い日本」志向の改憲論や「憲法フェティシズム」ともいえるような護憲論とは明確に袂を分かち、議論を現代民主国家の制度的淵源ともいえる「民主主義」や「立憲主義」といった諸論点から始めることで、より深いレベルから「平和主
義の可能性」を模索することを試みている(故に、著者が述べているように議論の内容はそれほど簡単ではない)。個人的に長谷部憲法学の最大の衝撃は、本書にも見られるように、平和主義の検討に「チキンゲーム」といったゲーム理論を持ち出したことであった(学部レベルの学生がやっていたらきっと教授に一喝されただろう)。
現実の国際情勢の中で、これらのゲーム理論がどれだけの有効性を保ち得るかは疑問も残るが(著者も認識の上での議論であろうが…)、神学論争に近い感情的な改憲・護憲論の応酬と比べれば、それでも議論の益は「天と地」ほどの差があろう。また、「人権」や「立憲主義」といった自らが
コミットする思想をも、簡単に相対化させて論じている点は小気味よい。国民の意見など「何処吹く風」の憲法議論がかまびすしい昨今、今井一氏が『「憲法九条」国民投票』で世に放った衝撃は大きかった。そして、憲法学界からの真打ちが放った二つ目の衝撃は、日本の安全保障における憲法議論を根底から変える力を持つオルタナティヴを提示していると
いえるのではないだろうか。いわゆる「護憲派」が述べる平和主義が日本国憲法の本質であるならば、第9条は早晩改正されるべきであると考えてきた。しかしながら、長谷部憲法学ならば支持できるのではないか??政治の多様性に乏しく、多くの国民がコミットできる政治的代表を持たずにいる現在の日本において、こう考えたのは私だけではないはずである。
・「1・2章だけでもおもしろい」
「立憲主義とは、国家権力を制限し国民の権利・自由を保障する・・」「日本国憲法は、個人の尊厳をその中核的価値とし・・」「民主主義は、単に多数者の支配の政治を意味せず・・」
一般的な憲法学のテキストを読むとよくでてくるフレーズですが「なぜ民主主義なのか?」「なぜ立憲主義なのか?」「なぜ個人の尊厳なのか?」と聞かれると、うまく説明できないことは多いのではないでしょうか。
本書では、自明視されがちなこれらの憲法の核心的な概念をまさに「問い直す」ことで平和主義へのアプローチを試みています。法哲学・ゲーム理論・社会的選択論などの知見を駆使して進む議論は一般的な憲法学を学んだ人にとって刺激的なものではないでしょうか。文章は比較的平易で、予備知識はなくても読みこなせます。今までとは違った平和主義へのアプローチ。オススメの一冊。
・「憲法と平和を理性的に論じる視座を提供する」
憲法と平和を論じる上で理性的な議論の視座を提供する良書。 なぜ多数決か、なぜ民主主義かから話が始まる。そして、立憲主義が民主主義とは緊張関係にあることを明らかにする。 「民主主義にもとづいて行使される国家権力でさえ制限されるという点に、立憲主義の強みとその謎がある」(13頁) 立憲主義を、比較不能な価値を奉ずる各人が、それでも社会として統一した決定を導出するための、公私をわける極めて人為的な装置、と位置づけ、我が国の平和憲法との関係を探る。
憲法典は、準則ではなく原理であるという考えから、必ずしも文言に厳格である必要はない。事実、表現の自由や政教分離規定は言葉通り厳格に解されていないし、それで妥当である。だから、9条は現実に即していないと批判する人々は、9条のみは厳格な文理解釈をするべきという何らかの特殊な前提をおいている。一方、絶対平和主義はそもそも立憲主義と整合しない。なぜならば、警察力と人民による抵抗で国の脅威に立ち向かうことは、公私の境界をなくした戦争=地獄理論と親和するからである。結論として、穏和な平和主義を提唱する。長谷部教授の著作の入門的な本でもあり、憲法改正議論が盛んな今こそ、「理性的な議論のために」もおすすめできるだろう。なお、法学教室2005年10月号30頁とあわせて読むと面白いと思う。
・「しっかりとした論理の憲法解釈」
この本は「平和」より「憲法」の方が主ですね。九条は最後のほうで、なぜ立憲主義を取るのか、そもそも憲法とはどういうものなのか、などをきちんと説明している本である。
私は九条改正派だし、著者の護憲論には若干疑問があるのだが、それでも護憲派の著者の論は聞くに値する。立憲主義、民主主義という、論議の土台になっている部分から問い直し、考えを構築していく。憲法学内のホープと言われているだけある。
以下は著者の九条論
著者は、まずゲーム理論により軍事的空白は戦争を誘発することを指摘する。また、軍隊によらないパルチザン的な抵抗は、軍人と民間人の峻別を不可能にし、戦争を際限なき地獄へと至らせる。その上で、九条は準則ではなく原理としてとらえるものだとする。つまり、例えば「表現の自由」が認められているからといって、他者の名誉を傷つけたりプライバシーを暴露するようないかなる表現も認められているわけではない。「表現の自由」を憲法改正することなく、プライバシーの権利を認めさせることはできる。同様に、九条も平和主義という一定の方向を示したものであって、文字通り「すべての」軍隊を禁じているわけではなく、自衛のための戦力は認められているとする。そして、自衛力を持つためならば九条を変える必要はなく、むしろ諸外国に余計なメッセージを与える可能性があるため、改憲の必要はないとする。
ただ、私自身は九条解釈は著者のが妥当だと考えられるが、それによる護憲へはある一つのハードルがあると考える。それは、すべての人が著者のような九条解釈を行う必要があるということである。つまり、憲法上は自衛力は認められているが、国民の多くが誤解してそう思っていないならば、政府が自衛力を行使したときに国民の批判が高まり、本当は行使できるはずの自衛力が行使できない、またはしづらい状況になる、という可能性が大いにある。そして、現在でも自衛隊を意見だとする政党が国会の議席を占めており、下級審とはいえ一度違憲判決が出たことがあるという現状を考えれば、そうした可能性への危惧は決して杞憂ということはないだろう。著者は「憲法解釈を最終的に決めるのは憲法学者」と予防線を張っているが、政府が見るのは憲法学者の意見ではなくて国民の意見である。なので憲法学者がお墨付きを与えても、政府は国民の意見を聞くよりほかない。ゆえに、現状のような誤解の多い九条は、いざというときに足を引っ張る可能性があり、変える必要がやはりあるといえるだろう。
九条論議に興味がなくても、憲法に興味があるのならオススメです。
・「立憲主義」
立憲主義を元に日本国憲法について考察していくのが本書である。ただ著者の「立憲主義」の使い方と巷の凡百の憲法学者との使い方には相違が相当程度あるので注意が必要だ。自然権というものについて決して自然な考え方ではないと述べた上で、「人が人であること自体によって、自由で平等だと考えることが、人のありのままの自然の傾向であるかも、おおいに疑わしい」と述べる。穏健な平和主義への選択肢として5つを挙げ、1つ1つを考察していく部分を見れば著者の論理的能力にうならされるであろう。
・「最後に感動が待つ。」
頭の良い人がいるものだ。「宗教」をキーワードに、広大な知の平原を飛行船で俯瞰するように叙述が進む。自分の意見は最小限に、各分野のキーパースンを取り上げ、やさしく解説してゆく。優れた「読者READ-ER」とはこういう人のことをいうんだなあ。ストイックに、他人の著書を読み解き、要約し位置づけを続けていく作業。それが、公平無私な見事なスタンスで続けられていくので、読んでいて快感。このまま終わるのかなあと思っていたら、最終章に突然「わたくしなりの結論を先にいいますと」の一文。ページにしてわずか4ページ。最後の最後に脇本先生のすがすがしい宗教観が語られます。不覚にも私泣きました。講談社学術文庫で泣かされるとは思っていなかった・・お勧めです。
・「「宗教学」への入り口として」
東大で長年教鞭をとった高名な宗教学者である著者。その手になる入門書である。つかみどころのない「宗教」という対象を「宗教学」はどのようにとらえ、どのように描き出そうとしているのか。宗教学のイロハ的な常識から、いまだ解決し得ていない論点まで、平易な語り口で網羅されている。
宗教学を志す者であれば、おそらく必読の一冊であろう。
・「入門書として最適」
平易な文章で宗教学のあつかう諸概念が紹介されている。久しぶりに蒙を啓かれる思いをした本です。こういう本にこそ索引が完備されていればよいなあと思いました。
・「最適の入門書」
「宗教体験と人格」、「宗教的人間観」などのテーマにそって、宗教を分析するためのあらゆる側面を紹介してくれる入門書。文章も読みやすく、事例も適切で、初心者には最適。もしあなたが宗教学をこころざす人なら、この本は研究のスタンスを見つけるためにきっと役立つでしょう。ただ、紹介される事例は、やや仏教とキリスト教にかたよりが見られ、著者自身の宗教的背景が反映されていると思われます。
・「最適の入門書」
「宗教体験と人格」、「宗教的人間観」などのテーマにそって、宗教を分析するためのあらゆる側面を紹介してくれる入門書。文章も読みやすく、事例も適切で、初心者には最適。もしあなたが宗教学をこころざす人なら、この本は研究のスタンスを見つけるためにきっと役立つでしょう。ただ、紹介される事例は、やや仏教とキリスト教にかたよりが見られ、著者自身の宗教的背景が反映されていると思われます。
・「大学受験生にもおすすめ」
本書の読者層は広く設定されているようですが、本書は高校生にも推薦できる良書だと思われます。 大学受験において志望学部をどこにしようかと考え始めたとき、「文学部や法学部でやることはだいたい想像がつくけど『経済学』って何?」と感じた人は多いのではないかと思います。 この『経済学を学ぶ』では数学的なモデルを使わずに、経済学の本質的な内容が本当に分かり易い文章で説明されています。需要、供給、規模の経済、弾力性といった経済学に必須の概念が素直に理解できるような印象を覚えます。 経済学の分析対象の範囲だけではなく、経済学のモノの考え方の基本が1冊に納められており、悩める受験生が進路を決める際の参考になることと思います。 もちろん、大学受験以外の場面でも、「公務員試験の科目に経済学がある」とか、「読まなきゃいけない論文や本に経済学の概念が利用されている」とか、「新聞やニュースで報道される経済に関する出来事の背景にある仕組みをなんとなくでいいから知りたい」といったような場合に有用な本であることには違いありません。
・「高校の経済の教科書にしたいぐらい」
本当に基礎の基礎から書いてある、わかりやすい経済学入門書です。高校の経済の教科書に使いたいぐらいです。
価格の決定、ミクロ・マクロ、需要と供給、などが初歩から書いてあります。
ただ、経済学って何?、ぐらいのところからわかるように書いてありますので、ある程度基礎知識があると簡単で退屈してしまうかもしれません。
・「基礎的なことから」
本書では、経済学とは何かということから、需要と供給などの経済学の基礎的なこと、経済学を学ぶ時の態度、経済学の学び方などがわかりやすく書かれています。短い時間で経済学を勉強しなければならない状況にある人、漠然と経済学に興味を持っている人にもおススメです。
・「経済学の基礎がよくわかる」
本書で経済学の基本は十分おさえられると思います。私は経済学部出身でないため社会に出たあと経済学を学んでいないことの負い目が常にありました。(ちなみに社会学部出身です)そのため入門書的な経済学の本を教養として読むようにしているのですが、やはり岩田先生の本は非常に読みやすく経済学の初級者から中級者にとっては非常に入りやすい本だと思います。94年に書かれたものなのでその後、10年以上続く日本の低金利政策とそれに対する景気の変動(緩やかな景気回復とサブプライムによる世界的な恐慌)について言及されていないことが非常に残念です。
・「読み流せます」
この本を読みましたが非常に平易な文章で書かれていて、中高生向けの進路選択の道具となる小説のような読み物と感じました。親御さんからお子様への贈り物にもいいでしょう。
・「「正義」についての本」
「正義」って何なのだろうかという事が書いてあります。でも、これが「正義」だ!とか、これが「正しい」事だとかいうような、いわゆる「解答」は書いてないです。この本は「正義」について考えるきっかけを与えてくれます。色々の具体的な例も挙げて、「正義」について考えることをこの本は試みています。近頃、「正義」について考えさせられる事件もたくさん起きていることも手伝って、私には大変参考になりました。引力の法則を人々が知らなくても、人は窓から飛び出せば落ちます。しかし、「正しさ」は人々が考え、議論してはじめて効力を持ちます。というところから著者は出発しています。
・「思考する力」
裏表紙にあるように、“あらゆる権威は失墜し、そして誰も「絶対の正義」など信じなくなった。「正義」の名の下、憎悪が戦火を拡大する時代……”だ。しかし、いやだからこそ私たちは、(正義ではなく)「正しさ」について考えなければならない。法哲学が、脳死・臓器移植、死刑、愛国心、民主制、環境破壊と南北格差などを題材に具体的に語られる。読了後人類の未来に希望が持てる。中学生・高校生にもぜひ読んでほしい。
・「考えることは自由になることである。」
考えることは自由になることである、と序章で作者は書いている。そして本書を読み進む内に、私は彼の見えない大きな温かい手によって、自由の方向へとやさしく導かれようとしていることに気づいた。私は自分が考えていると考えるほど考えてなどいなかった。私が自由に考えていると考えていたことは実は不自由の中で自由に考えているに過ぎなかった。
私は以前小林「よりのり」氏の著書を初めて読んだ時もこれに近い感覚を覚えたことがある。しかし小林よしのり氏の著書が与えてくれるのは、自由な考え方ではなく、既成の知識から自由になった見方である。いわば答えである。しかし答えが与えられるということは、新しい不自由に入り込むに過ぎないのだ。
小林「和之」氏のこの著書は、読者を自動的に考えさせる巧妙な作りになっている。そして読み終えた時に、確かに以前より自由になっている自分に気づかされるのである。
・「「正しさ」の多様性」
筆者は、色々な社会的問題を通じ、「正しさ」とは何か?を語りながら、「こうあるべきだ」とは述べていない。それは、この本を読んだ読者が、個々に考え、その中に見出される物としているように思える。本書は、「正しさ」を考えさせられるのみならず、多種多様な価値観の存在意義についても、考えさせられるものである。
筆者がいかに「思考の自由」を楽しみ、そして、大事に考えているかが伝わってくる文章は、遠くに感じていた、難しい社会問題を身近な物にしてくれた。
・「詭弁を看破する本」
思考停止の対極にある内容の本です。 利害の衝突、価値観の衝突があるときに、どうすれば良いのか。 その様な場合は、とりあえず自分の主張を通す事に最善を尽くし、相手の利益の実現の程度は、相手の力量次第で自分には責任は無い、と相手の立場に目を向けないのが世間一般の対応だと思うのですが、どうしてそんな態度は不味いのか、この本はクリアに説明しています。
互いの生命が掛かった様な対立の場合は、どうするのか。綺麗ごとなど言っていられないだろう、命は何よりも尊いんだから、と考える場合も、命の価値の源泉について、クリアに説明しています。
「思想」が書いてあるわけでは無く「思考法」についての本なので、本の中で取り上げられている問題について信念が固まっていると、読みにくいかもしれません。
正直、自然科学系の本以外で、これ程面白い本を読んだ事がありませんでした。(自分の読書量なんてたかが知れてますが。) あたりまえの事を平易な文章で分かりやすく示せるというのは、本当に凄いです。著者の方は本当に頭が良いですね。
・「一番新しい「文化人類学」の教本」
現在ある過去の大家が書かれた「文化人類学入門」の類と比べて、格段と新しくなった教本がこの本。まずは、この本を読んで文化人類学の入門とするとよいと思う。
・「初心者でもわかりやすい入門書」
文化人類学を初めて勉強する人には現在ある書籍では最適ではないでしょうか。
●ビルはなぜ建っているかなぜ壊れるか-現代人のための建築構造入門 (文春新書)
・「構造設計を確かめるには」
建物の基礎、構造を知る一歩によい本だと思いました。耐震工事をする前に、初歩的な事項を知るのによいですし、新築の場合でも、構造設計の内容を問い合わせるための前提知識を得ることができます。
・「名著再発見」
一連の「耐震強度基準偽造」事件はますます拡大の様相ですが、2年以上前にこのような新書が出ていたことを発見し、さっそく購入。一読しました。
これは、名著です!!
「耐震強度基準偽造」事件がなくとも、高層ビルで仕事をする、あるいは高層マンションに居住している方はぜひお目をお通しください。専門分化して、おなじ建築業界のなかでも、その分野の専門家にしかわからない用語が氾濫し、とくに「構造設計」に関連する分野にそれが著しいことに警鐘を鳴らす筆者の声がもう少し広い方面で注目されていたら。
そうした問題意識のもと、誰にでもわかる共通の言葉で「建築構造」を説明していく筆者の力量には感服します。
高層ビル時代の「”真の設計者”は構造設計者」であるという筆者の主張に同意します。
建築士と別に構造士という資格をもうけ、構造設計に携わる人々の社会的地位を上げることも必要ではないでしょうか?
ともかく、再度注目されて読まれるべき著作です。
・「こんな本がほしかった」
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・「〈哲学する〉とはどういうことか」
ごく簡単に言えば、「〈哲学する〉とはどういうことか」ということを、筆者の体験を交えながらこれでもかと書いた本、といったところでしょうか。あらゆる前提を徹底的に疑い、その疑いにこだわりを持つことが哲学である、と述べているように思います。そしてそれがいかに困難で、泥臭くて、時間も金もかかるかということもイヤというほど書かれています。
でもやっぱ面白いです。すごく面白い。物事に対する見方や接し方が変わると思います。変わっちゃうと不安定になって困る人も沢山いると思いますが。「哲学とは何でないか」「哲学は何の役に立つか」の各章は特に面白かったです。
筆者は最後に哲学の入門書をいくつか紹介していますが、「問題意識のない人にとっていかなる書もおもしろくはない。いかなる書も良書ではありません」と述べているのには、思わず膝を叩いてしまいました。
・「哲学を始めるためにまず読んで欲しい本」
哲学とはいかなる営為か。それは決してアリストテレスがかく考え、ニーチェがかく考え、ヴィトゲンシュタインはかく考えた、などということを知るものではない。哲学とは、自己の、切実なる真理を希求する思いから発するものである。自分の頭で考え抜かねばその目的は達せられない。
巷に様々な哲学者の思想を解説した本は溢れているが、本当の哲学の方法論を示すものは稀有であった。本書はその稀有なものの中の白眉であろう。
本書はまず「哲学とは何ではないか」という問いからスタートする。哲学とは思想ではないし、芸術でもなければ、人生論でもない。これを丁寧に我々に示してくれる。その上で著者は様々な哲学上の問題を提示する。ここがまた素晴らしい。読者は、著者と共にそれらの問題点を考えさせられることになるが、このトレーニングによって読者は哲学という営為を具体的にわかることができるのである。
本書の魅力はこれだけに終わらない。哲学に少し触れた者なら一度は疑問に思うであろう「哲学書はなぜ難しいのか」という問いに、カントの『純粋理性批判』の一節の解釈を我々に示しながら答えてくれる。思わず膝を打つほどの見事な「模範演技」であった。
本書は、哲学の本質を極めて平易に我々に明らかにするものである。本書を読んだ後、哲学に対する見方はがらりと変わるであろう。フッサールは、彼の70歳の誕生日の祝賀会でこう述べたという。「私は哲学しなければならなかったのです。そうしなければ私はこの世界で生きることができなかったのです。」(『デカルト的省察』(浜渦辰二訳、岩波文庫)の訳者あとがきより)
哲学は確かに「役に立たない」ものであるが、生きていくためにはどうしても必要なものである。とりわけ、変化の激しいこの時代において他者に流されることのない確固たる自己を持つためには、哲学を「している」(「知っている」ではなく)ことがどれだけ大切になってくることか。多くの方々が本書を読んで哲学を始められることを願って止まない。
・「中島義道氏を見直しました」
「不幸論」その他数点、著者のエッセイを読んで、「この人、不幸ぶってるけど、結構商売上手だな」という印象を持っていたのですが、この著作を読んで著者に対する私の評価は一転しました。物事をこれほど真摯に考えている人だとは思いませんでした。内容的には、いわゆる「哲学的」で難解な本ではなく、私のような専門外の普通の人間にも読めるもので、物事を本質的に考えたい全ての人にお勧めです。
・「まさに教科書」
有名な哲学者がああ言った,こう言った,こう解釈する,ああ解釈するという無味乾燥で無益極まりないもの,という哲学のイメージをがらりと変えさせてくれた本.哲学するということが具体的にどういうことなのかが,くどいほど丁寧に説明されていて,手に取るようによく分かる.特に「哲学とは何でないか」,「哲学は何の役に立つか」という章は秀逸.哲学に少し興味があるけれども手を出しにくいという(私のような)読者にぴったりの一冊目.
・「ちょっと難しいところもあるけど、よーく読めばよーく分かる」
哲学をする、とはどういうことをすれば、そう呼ぶのか。哲学者とは、どういう人のことを指すのか。結局のところ、哲学とはどういうものなのか。入門書であり、教科書でもある本書は、それでもやはり哲学の本なので、難しいところもあるけど、よーく読めば、よーく分かります。
ただし、著者が述べるように、問題意識がなければ、どんな本を読んでも心に響かない。そして、著者の誠実さが伝わってきて、読んだあと、ずっしりとくる本です。
・「探究心旺盛な<子ども>へ」
哲学者の永井均さんが書かれた本。面白かった!
はるか昔、
「なぜ、わたしは一人しかいないの?」「なぜ、人は死ぬの?」「わたしは、どこからきたの?」
などについて、ただただ、「知りたい」と思ったことはないだろうか?
この本の中には、永井先生が子どもの時に考えた
「なぜぼくは存在するのか」「なぜ悪い事をしてはいけないのか」
という、2つの問いに対する考察が書かれている。子どもの時の「知りたい」を、ずっーっと考え続ける事。そこに、哲学の原点がある。だから、人の哲学の本を読んで、「人の哲学のまね」をするのでは、本当に自分が知りたかったことに辿り着くことはできない。自分にとっての重要な問いを考えつづける事、自分の哲学をする事が「哲学」なのである。自分は、「何も知らないのだ」ということを知っている、<子ども>にしか出来ない哲学。この本を読んで、それを知ることが出来た。
処刑されていくソクラテスの、自分だけが真実を知っているという快感に近い勝利感、そして、偽善の匂いに敏感だったニーチェの道徳的概念体系などの話は、特に印象に残った。
知りたいと願いつづける<子ども>へ、オススメの一冊♪
・「哲学の入門書ではないですね」
本書の構成 <第一の問い>なぜぼくは存在するのか <第二の問い>なぜ悪いことをしてはいけないのか
私は書名から判断して哲学の入門書かと思っていましたが・・・甘かった・・・。
<第一の問い>は、著者の考察が深すぎてほとんど理解できませんでした。 「ぼくは存在するのか」なんていう問いは、正直私は人生において一度もしたことがありませんでしたし、 またこれこそが「哲学をする」ということなんだとまざまざと思い知らされました。 (この本はこの問いをまじめに何度かしたことがある方にはいいかもしれません)
<第二の問い>では、
「道徳という まやかし がなければ世の中はよくならない」
「たとえ まやかし であっても みんながそれを信じているほうが世の中がよくなるような、そういう<うそ>というものがあるのだ!」 という著者の叫びは心に響きました。 著者は気づかぬ方が幸せなのに道徳の本質というものに気づいてしまったようです。
確かに人生には、真実を見てみぬフリをして幸福追求の道を選ぶのか、 それとも真理(真実)を追究して幸福追求をあきらめるのか・・・ この二者択一を迫られる場面がたくさんある。
哲学者という者はこのバランスがとれない、というより見てみぬフリは絶対できない、 共感ゲーム(中島義道氏の本に頻出)なんて嫌だ、 「ほんとうのこと」を知りたい、つまり真理追究の道を選ぶのであろうと思う。 ≪「生きづらい人へ」-憔悴した心を鷲掴みする本の紹介-≫ なるブログを書いてます。 興味のある方よかったらどうぞ覗いてみてください。 プロフのリンクからどうぞ。
・「沈んでも飛んでも大丈夫」
小さかった時、私に向けられた「だあれ?」という問いを思い出す。「だあれ?」と問われた私は困った。その時の気分は、そう、息苦しいような、黙っていてはいけない、答えなくては、どうしよう、言おうとしても言えない、なんて言えばいいの、、、ううう、、、。お、お、思いきって「わぁたぁし」と声を出して走りだす。逃げ出す。じっとしていられなかった事を思い出す。今「だあれ?」と問われたら、落ち着いて「かよこ」と答えることができる。こうしてたぶん私は大人になった。
<こども>と大人、潜水時に<沈みがちな人>と水面に浮かびがちな人という分け方で解説書でもない、入門書でもない、ハウツーものでもない、ないないずくしで「<わたし>がする哲学」「お好きにどうぞ」「考えてみた!ら」と私をつきとばす。生活する事が大変な人ではなく生きるが大変な人に届くといいような本だった。
・「子供向けの哲学入門書ではない」
タイトルで誤解しているかもしれませんが、この本は子供向けに書かれた哲学の入門書ではありません。
この本では、「なぜぼくは存在するのか」と「なぜ悪いことをしてはいけないのか」の二つの超難問をじっくり考えています。この二つの問いが、子どもの視点からの哲学だということです。
本当に哲学したい人、哲学するとはどういうことか知りたい人にはオススメです。傾向としては、中島義道の「哲学の教科書」に近い感じです。(ただ、筆者自身は、この「哲学の教科書」を、自分の考えとは違う、と評していますが、方向性は同じでしょう)この2人の差は、中島がカント研究、永井がニーチェ研究、という辺りにあるのでしょう。
・「なんで僕なの?」
子供のころ母親に「何で僕はお母さんじゃなくて、僕なの?」と聞いたことがある。この本は本屋でたまたま見つけて読んでみたのだが、久しぶりに面白い本にであった気がする。
このレビューに書いている人も多くの人が同じ疑問を抱いた事があるらしい。もしかしたら誰もがあるんじゃないのかな。なんで僕は僕なの?そういう疑問をもった記憶のある人、自分がいる事に不思議を感じた人は絶対に読んで考えてみてほしい。
・「だまされないために、そしてだまさないために」
「何かおかしい、だけどどこがおかしいのかわからない」という感覚は誰もが日常おぼえるものでしょう。もしかするとその「おかしさ」の正体は詭弁というものかもしれない……。その「詭弁」を論理学の側面から克明に解説していく本です。わかりやすい例をひきながら解説しているため、人を選びません。かといってビジネス書などにしばしば書かれる「説得の仕方」を観念的にしるしたものでもありません。本物の「論理学」を、初心者にもわかりやすく解説しています。ところどころに挟まれたクイズも程よい頭の体操になり、理解を助けてくれます。詭弁とはまた違った「強弁」の類に関する記述もうなずかせるものです。文句なしの星五つ。
・「時代を超えるロングセラー」
1976年に出た本で、いまだに売れて読まれている超ロングセラー本です。詭弁というと、人を騙すようなイメージがあり、論理学というと、帰納法とかややこしいイメージか、流行りのロジカルシンキングのようなイメージがあると思います。
が、この本は、もっと、実践的なコミュニケーションをテーマにしている、といったほうが近いでしょう。世の中の「いいくるめる」とは、どういうパターンが多いか、それに対処するには、どうしたらいいか、議論の渦に巻き込まれるのではなく、一歩身をひいて考える視点を提供してくれます。
読み物としても、非常に面白いです。分かりやすい会話例をたくさん使っていて、「学問くささ」は、全然感じません。
・「論理学を楽しく学びたい人にオススメの一冊!」
ある書籍に論理学を楽しく学ぶなら本書がオススメと掲載されていました。私は、論理学的思考等の知識が問われる試験を受験する為、論理学を学ぼうと思いこの機会に購入しました。 最初は詭弁ってなんだ?と疑問を持ちつつ読みました。読み進める内に詭弁誕生、詭弁の存在等が解りました。また、あまり見た事も聞いた事も無いような論法も具体的な例えを挙げて掲載されている為、理解しやすい内容です。詭弁以外に似たような言葉として強弁という言葉も掲載されており、詭弁とは又違う言葉と知りました。 本書中で論理のあそびというコーナーで問題が掲載されています。テレビのクイズ番組等に出題されそうな問題が多く、面白可笑しく楽しめます。
・「新書とはこうあるべし」
もう30年も前の本なのに、まったく古さが感じられません。論理学の「最初の一冊」には最適の楽しい書です。
学者先生がわかる人にしかわからない言葉で、難解なことをより難解に翻訳してしまう新書も多いなかで、この本は思わず目じりを下げつつも、実はハードなテーマを吸収できてしまう良書と言えるのではないでしょうか。
・「わかりやすい例」
強弁や詭弁にいいくるめられないためには?といった視点で書かれている本書は,わかりやすい問答の例が多く掲載されており,直感的にわかりやすくなっている.言いくるめられないためにどうしたらよいのか,という謳い文句の割に論理パズルとその解答しか載せていないような類似本の多い中,論理の基本と応用例(?)がふんだんにあり,楽しく最後まで読みきれる.
・「分かり易い本でした。」
本書は、言語と支配の関係について鋭い考察を行う1934年生まれの言語学者が、1993年に著した本である。本書では、ソシュールが以前の偏見からの脱却のために、あえて言語の歴史的研究を否定し、現在の言語学の基礎を創ったことから始まり、アメリカ言語学が客観性を確保するためにあえて意味の研究を封じ、分布や行動から言語を論じようとした経緯、それに対してチョムスキーが意味から言語について考える「大転換」を行い、生成文法を前面に出したことがまず論じられる。次いで、それらが個別言語をそれ自体で完結した体系と見なしていることを批判し、言語変化が特定の話者に担われ生じる現場を探求する社会言語学を紹介し、最後に言語の変化が二言語を話す個人の内部における言語の混交によって生じる様子を研究したシューハルトとマルの研究の再評価を行い、本書は締めくくられる。本書は学説史を丹念に追ったものではなく、参考文献をほとんど見ずに著者自身にとっての言語学を論じたものだと本人も言っている。しかしその分、著者の言わんとすることがストレートに書かれており、私のような初心者にも分かり易かった。またその風刺の利いた口調や、ソシュールやチョムスキーを英雄視しない扱いは、なかなか読み応えがある。
・「著者の言語に対する考え方が分かる本」
著者は、この本を執筆するに当たり、ほとんど参考文献を利用していない。そのため、著者の今までの研究生活、言語や言語学者に対する深い造詣や、考え方が現れている本である。他の言語学概論の本とは大きく異なっている点は、1点目として、執筆年は1990年代であるが、内容としては、ソシュール言語学や構造主義といった時代のものが中心で、チョムスキーについては簡単に述べているだけである。もちろん、ラネカー、レイコフといった認知言語学についてはふれていない。2点目として、ソビエト言語学というものにふれいている点である。他の言語学概論の本では、ほとんどふれられていない分野であるので、マルの主張している点を初めて知ることができた。
新書にしてはやや難しい点もあるが、参考文献の切り貼りのようなものと違い、筆者の考え方、研究生活まで見える本である。以前に言語学概論を読んだことがある人におすすめの本である。
・「言語学者達の色んなエピソードが書かれてあります。」
本書の構成はソシュール言語学から始まり、アメリカの言語学、生成文法への流れと、社会言語学、クレーオール学とソビエト言語学の5つの章からなる。内容はかなり詳しく説明されているが、「楽しく読める」タイプの本ではなかった。むしろ細かいことまでよく知りたい方にお薦めできる本であると感じた。その理由としては、途中あたりから色んな学派などが出てきたためか、記憶への負担をかなり感じたためだ。基本的な知識を供えたうえで読むことをお薦めする。まったくの白紙の知識で読むならば新書本ながら大変かも知れない。
・「古典的名著」
日本を代表する国際政治学者、高坂正尭による国際政治学のテキスト。
「平和な国家は、その独立を守るだけの力を持っていなくてはならないが、その軍備によって国家が軍国主義化されていてはならないし、その軍備を十分に規制することができなくてはならない。経済的に言えば、他国に支配されざるをえない国家も、他国を支配しなければならない国家も、ともに平和な国家ではない。そして、国家の権力は制約されていなければならず、言論の自由の欠如、多数の専制、ある理念への狂信などは、国家権力の制約をいちじるしく困難にするものとしてしりぞけられなくてはならない。」(p.191)
「現在の国家間の対立を、あたかも単純な力の闘争であるかのように考え、そのようなものとして対処していく現実主義は、このような国際政治の本質に根ざす困難の認識に根ざしている。その困難の認識から、異なった正義の対立という事態の本質をあえて棚上げにして、それから現れる力の闘争という現象にだけ対策をしぼろうとする。」(p.198)
本書は、リアリズムの視点から国際政治を見つめている。しかし、リアリズムに基づきながらも、国際連合の権威を高めていくことによって秩序の安定を目指す方法は、ネオリベラル制度論に通じる議論だと言える。著者は、そこに「力と利益の考慮によって動く現実主義者にも要請されている最小限の道徳的要請」(p.202)があることを認めている。規範的な側面から国際政治を分析することを完全に否定したわけではない点には、注意を払っておきたい。
・「名著です。」
国際関係を学ぶにあたり、まず読んで損は無い本です。30年以上前に書かれたものでありながら、国際政治に内在する問題点の核心を突いており、内容はいまだ輝き続けています。日本の国際関係系の著作でロングセラーになっているのはこの本くらいではないでしょうか。安易にわかりやすく書かれていながら、その内容は国際関係という学問を学べば学ぶほど逆に大きな示唆を与えてくれます。(見開きに国際政治学の「入門書」などと書かれているが、そんな単純なものではありません。)少なくとも自分にとってはいつも側に置いて、何度も読み返したい名著と断言できます。
・「今や古典的名著」
本書はいまだに絶版になっていない希少な中公新書の一つで、初版は1966年となっていることから分かるとおり、当然のことながら現代に至るまでのおよそ40年分の国際政治の動向に関する記述が欠落してます。しかし、古臭さを全く感じさせないどころか、国際政治の見方というか座標軸の持ち方に関する考え方は、政治的な主張や立場が違う方でも、読み価値はあると思います。
・「国際政治の標準的テキスト」
同じく中公新書から高坂教授に指導を仰いだ中西教授が「国際政治とは何か―地球社会における人間と秩序」を出版されたのを期にもう一度、本著を読み直す機会をえた。
本著は、今読み直してみても、国際政治を考える上での基本となる考え方など数々の新しい発見が見つかることに驚く。
これからこの名著を読まれる方は
是非、高坂教授の指導を仰いだ上記の中西教授の書籍(本著の姉妹書という位置づけ)も読まれることをお薦めしたい。
・「日本における現実主義的な国際政治論の嚆矢」
40年も前に書かれた本であるため、古さの目立つ部分も当然あるのだが、国際政治をこれから学ぼうとする初学者には、ぜひ本書をおすすめしたい。
なぜなら、現存するおよそすべての国際政治理論は、古典的な現実主義を踏襲したり批判したりするなかから生まれてきたものだと言えるからである。したがって、現在の学問水準を真に理解するためには、本書からはじめるのが良いと思われる。
本書の主張は、「平和について語ることは、権力闘争を行うことと無関係ではない」ということにつきる。つまり、たとえ平和を目的とした行為に見えても、そこには必ず権力闘争の要素が含まれているのである。
本書は軍備縮小、経済交流、国連および国際世論といったことについて、それを明らかにしている。これらのように一見平和を目的とした行為でも、「権力闘争」のなかの動き以外のものではありえないのである。
また、本書は、非武装中立などといった理想主義に傾く当時の思想状況に対する、強烈なアンチテーゼであった。当時の支配的な思想状況に、敢然と立ち向かわんとした高坂の使命感に思いを馳せると、本書はよりいっそう面白いものになるだろう。
・「生徒主体の授業をより良くするための本」
本書は、生徒の自主性を重視することに異を唱えているのではない。『教えることの復権』というタイトルからは、生徒の自主的な学習活動をさせるよりも教師が黒板の前に立ってしっかり説明することが大切、という主張が述べられているような印象を受けるが、そうではなかった。
私は、生徒が聞いていなくても、理解できずにいても、まったく構わずに教師が一人で喋りつづけるというスタイルの授業の効果に疑問を持っていた。そのため、自分が教師となってからは生徒に自分の意見を書かせる、発表させる、話し合わせる、といった自主的な活動を重視する授業をし、その効果も感じていた。だから本書のタイトルを見たときには反感を持った一方、もしかしたら自分は重要な過ちに気づかずにいるのかと不安も感じた。
読んでみると、本書は生徒一人一人の自主的な活動を否定するどころか、むしろ重視している。ただ、そういう授業で絶対に忘れてはいけないこと、そして今、現場の教師が忘れそうになっていることを指摘してくれているのだ。たとえば以下のような大村はまのことばである。「自由にやってごらんと言って、先生はただ見ているだけ。これがいいのではないかとか、こんなことを考えてみたらどうかとか、はっと気づくようなことを言えるのが教師ではないの。」「よく読みなさいと言う。そこまではやるけれども、読んでいるとき読む力がぐっと伸びることをなんにもしてやらない。書きなさいとも言いますね。でも、書いているときにその人がいい書き手になるコツを教えない。」実に耳が痛かった。しかし、本書を読んでから、自分の授業は変わったと思う。そしてもっと良い授業に変えていけると思っている。
今、生徒主体の授業をしている教師の皆さんは、本書を読んで自分の教授法が否定されるのではなく、改善できる方法を見つけられるはずである。
・「目頭があつくなりました」
大村はま先生がなくなったニュースを聞き、先生にはじめて興味を持って、この本を手にしました。読み進めていく中で、何度か目頭が熱くなりました。「こういう授業をうけたかった」「そうだ、これこそ知的な自立した学習者だ」。何度も気持ちが揺さぶられ、本文中で授業の様子が紹介されるたびに、先生の授業を受けられた方をうらやましく感じました。ともすれば知識と情報の区別が曖昧になるとともに、その基本となる言葉の用い方、伝え方すら希薄になっている現代。仕事として普段いわゆる「教育」や「言語」に携わっていない方でも、普段の生活で「教える」ことの意味を捉えなおすきっかけになるのではないかと思います。示唆や反省に富んだ本当の意味での「先生からの励まし」のような本だと感じました。
・「教えるということ?」
教えるということに疑問を持っている人にまたは教師を目指している人にぜひ読んでほしい本です。私は「学び」は大切だと考えています。しかし、ここでの「教えること」と「学び」は決して対立するものではありません。ぜひ自分で読んで確かめてみてください。
・「教え子との対談」
大村はま先生とその教え子である苅谷夏子氏との対談集である。夏子さんは、「知的複眼思考法」で有名な苅谷剛彦氏の妻。夫の剛彦氏も、この本の最終章を担当している。 30年以上も前の石川台中学校での単元学習が再現される。しかし、それは単なる思い出話ではない。夏子さんの当時の学習記録に基づき、教えたことと、学んだことが、お二人の言葉で確認されながら整理されていく。大村先生も教師冥利に尽きるのか、とても満足そうで、また、言葉の歯切れがよくて若々しく、読んでいる方も元気になった。 夏子氏が、中学生だった自分とクラスメートたちのことを「大村教室の生徒は、学習者としてとても自覚的だった」と述べているが、これは正に、今一番大切なことで、一番欠けていることでもある。 「教えるということ」「教師の役割」「国語教育」について、目を覚まされる一冊である。
・「教えることの大切さ」
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・「戦争をどうこう言う前に読むべき一冊」
「戦争とは政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」 このクラウゼヴィッツの定義がこの本の重要なテーマになっている。 日本では、第二次世界大戦での軍部の暴走から戦争が起こったために、戦争は「軍部」が起こすものだと思われているが、そうではなく、戦争は「政治」がおこすものであって、だからこそ政治家がきちんと軍事を学ばなければならない。
初めの2章程は地政学にページが割かれている。地政学とは要するに、世界のどの地域をおさえれば自国が有利になるか、ということだと思う。世界の国々はこの地政学的思考によって大戦略を定め行動しているのだが、日本には地政学を研究している機関もなければ大学での講義もないらしい。それは日本の第二次世界大戦での大東亜共栄圏構想等の過ちを地政学のせいにしているからであるが、筆者にしてみればそれは間違いであり、地政学自体が悪いのではなく、その適用が誤っていただけだという。
その他、ナポレオン戦争からイラク戦争まで、戦争がどのように変わっていったのかが書いてある。新書にしては300ページ程あってすごく読み応えがあった。
「世界の安全保障の中心には、いやでも軍事があり、現実に戦争は頻発している。たとえ、日本から決して手を出すことがなくても、攻撃されることを百パーセント避けられる保証はないのである。筆者は戦争を推奨するために、戦争を学べと主張しているのではない。知らないことがもっとも危険であると言いたいのだ。」 もう、めちゃくちゃ賛成。
・「とりあえず政治家は読むべきだろう」
まず、私自身は筆者の内容に全面同意するわけではない。(特に日米同盟のところとか)だが、戦争学初心者にはとりあえず読んでみることを薦める。
とりあえず、暴走するのは軍部だけではない。戦争は愚かな政治家が起こす、というのはまさにその通りであろう。だから、戦争を防ぐためにも政治家は戦争の勉強をしろというのももっとも。
しかし、下の方も書いているが、この本は地政学を軸に戦争を分析しているので、判りやすくはあるが、いささか簡略化しすぎのところもあるだろう。ほかの戦争学の本も読んでみるのがいいと思うが、とりあえずこの本をステップにするのは悪くないと思う。
・「戦争学の名著です!」
極めて平易に、国家の安全を図るために必須の学問である「地政学」の重要性を語りつつ、日本の軍事的安全保障の基本がきちんと示された稀有な本である。類似の本の中で、これくらい分かり易く、バランス感覚に優れた確かな洞察力で書かれたものは他にはちょっと見あたらない。国会議員の必読書として、そして優れた有権者になるための基本書として、本書はぜひお薦めしたい。
・「多くの内容を盛り込んだ解説書」
最初の2章で「地政学」について解説。その後の6つの章でナポレオン戦争から第一次・第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争など具体的戦争をとりあげ、そして、最後の章で「アジア太平洋の戦争学」として日本の安全保障について解説している。
300ページ近くと新書にしては分量が多く、読み応えがある。随所に「なるほど」という記述もある。近代以降の戦争についてしっかりと解説しようという意図を充分に感じる、好著である。
しかし、その反面で、これだけ多くの内容を一冊に盛り込もうとしたことにはやや無理があり、紙幅の関係でやや説明し足りない章もあるように思う。
・「無駄に戦争に詳しくなれる」
本書は『概論』とありますが、概念や歴史は詳細に書かれてあり、それを専門としない人間としては結構お腹いっぱいになる内容です。本書はその構成として大きく分けて三つに分けられます。
第一講第二講が本書の議論の中心になる思想である地政学について、その概論となります。ここではまた『戦争は政治の一手段である』というクラウゼヴィッツの命題の下に、地政学により政治的な大戦略を立てること、そしてその大戦略があって初めて軍事があることの重要性が何度も念を押されて強調されます。
第三講から第八講までが本書のメインの部分で、先の講で提示した地政学の下に歴史上の戦争を紐解きます。フリードリヒ大王の制限戦争、ナポレオン戦争と絶対戦争の萌芽、その発展としての一次大戦と二次大戦、核抑止力が働き世界が二極化した冷戦、そして記憶に新しいゲリラとテロとの戦争について、軍事という面から歴史を眺めるのですが、この部分が素晴らしい。まず軍事から見る、とはっきりと制約をかけて歴史を解説し、またそれが成功している、つまりその制約をはみ出すことはなく、また軍事面から見て文句のつけようがないほど詳細に(ある種、新書を読んで勉強しようなんてレベルの人にとっては不必要なほど粘着質に、ていうか単純に著者の趣味なんじゃないか、と疑わせるほどに詳細に)書かれてある点が素晴らしい。面白いです。読んでて楽しめました。またもう一つ素晴らしい点は、軍事という視点のみで惑うことなく歴史の流れを追うことができるように書かれてある点です。これは歴史というものが、本質的には戦争によって動いてきたという事情にもあるのかもしれませんが、フリードリヒ大王の制限戦争がナポレオンの絶対戦争で打ち破られ、またその絶対戦争が二次大戦で極まり、核兵器により戦争に制限戦争が復古してきて、またイラク戦争で完全に制限戦争が復古される、そして高らかに
「戦争においても主役は「軍事」ではなく、あくまで「政治」であるという、フリードリヒ大王時代の戦争に戻ったのだ。」
と宣言される流れは感動的ですらあります。
最後の第九講「アジア太平洋の戦争学」は今後の日本の国防に関して著者の主張が、今までの議論を踏み台にしてなされます。はっきり言って、この節は個々の問題がバラバラでまとまりがなく、またあるときは感情的で論理性を欠き、あまりよい出来ではありません。まあ軍事の専門家として現在の日本の国防に憂うことがあるのでしょう。軽く読み流せばよいかと思います。
最後の節はあんまりですが、軍事の歴史を無駄に詳細に語った中の節が最高すぎるので、近代史に興味のある方は絶対に読んで損はないと思います。
・「そうなんだぁとおもった―専門家じゃないから。」
「美学」という学問があるということを最近まで知りませんでした。でも、日常生活で最近よく引っかかることを集約したらこういう言葉(美学)に入ってる学問が何かの役に立つんじゃないだろうか?と思って書店でこの本を手に取りました。
そして私の悩みや答えが欲しかった最初の関心は払拭されました。問いに期待通り答えてもらったのではなく、答えてもらえなかったというのでも決してありません。自分の中の価値観が広がったから、悩みが消えちゃったんです。
私たちが大学までで学ぶ価値観や知識って言うのは非常に一面的で、ある意味資本主義に役立つように偏っていて、でもこういう深い思想みたいなものが世の中にはあるんだなぁ、すごいなぁ学問の世界って、と思って、力が出てきました。知らないことが一杯あるから、楽しいという感覚?「知的好奇心」が刺激されたというんでしょうね、こういうことを。きっと。
その意味で、著者がこの本に込めた「美学を一人でも多くの人に知ってもらいたい」という熱意を私は確かに受け取った。
学者の人の書く文章は難しいというけれど、この本は私が最近購入した美術や美学や哲学の本の中でも一番見た目が地味で、内容が輝いてる本だった。高校生の教科書や小論文にはこういう文章を使って欲しい。そうしたら進路を決めるときに、こういう学問や人生の選択肢があるんだって分かるから。
学問への入り口だから簡単に書いてるってことは、著者が最初に断っているけど、そういうものがあるって知らないと、こういう世界を学びようもない。偶然手にした人や周りに賢い大人がいた人だけが、こういった広い学問の世界に入っていけるとしたら、それはお金がある人だけがいい大学へいけるって「格差社会」とはまた違った意味の不均衡を生み出すんだと思う。だからこういう本はもっと広く専門外の人にも、若い人にも広まって愛読されるといいなぁと思った。傾いていきがちな社会や自分の中の思考をブレーク・スルーしてくれるはずだから。
文系の学問は、「専門に閉じこもって社会と接触しないで自己満足で研究しているだけ」っていわれるけど、研究を突詰めた説得力、この本にあるような説得力が、社会の価値観を変えたり、人の生活に少しの潤いや楽しい気持ちや活力を与えるんだと思う。
本当に面白い本だった。
・「☆★5つ星以上★☆★」
とにかく面白かった.とにかく分かりやすい.
身近な事がらについて書かれており,小難しい美学理論などには触れていないのだが,それでいて,「美学ってこんなかんじのものなんだろうな」というイメージを持つことのできる一冊だ.
また,現代における「アート」や「芸術」というものが果たして何なのか,意味不明とも思われる現代アート作品が,どうして作品たりえているのか,という疑問にも十分答えてくれる一冊である.この本を入り口として,美術史や美学を学ぶことも,可能かもしれない.
ただ…前のレビュアーの方も書いていらっしゃるが,題名が….
正直,タイトルから「どうせ大して面白くないんだろうなあ」と思って読み始めたので,余計に感動してしまった.
・「タイトルの魔力」
師に対し、僭越であることを承知でこのレビューのタイトルを佐々木先生の著作のひとつと同じ「タイトルの魔力」としました。
非常に刺激的で挑発的な作品にしあがっている。「美学」という世間的には必ずしもメジャーとは言いがたい(場合によっては学問としての「美学」というものすらほとんど認知されていない)分野ながら国際的に活躍された著者の東大定年退官記念論文とでも言うべき作品。
しかし、そこで繰り広げられている議論は狭い領域に閉じこもりがちな「美」や「芸術」の概念を揺り動かし、それを主な対象領域とする「美学」という学問への挑戦である。権力が大衆へと(見かけだけであっても)移っていき、技術が驚異的に進歩していく中で「美」や「芸術」の概念も大きく変遷を遂げてきた。
そのなかで、日本語でありながら、「芸術」と「アート」は必ずしも一致しないものとなり、それに従い、「美学」という学問が求められる役割も大きく移り変わってきているはずである。しかしながら、アカデミズムの世界では旧態依然の「美」や「芸術」が論じられるばかりで、移ろい行く「アート」の世界への視野は届いていない。
そんな現状へ切り込んでいくような作品だと思う。
ただ、タイトルが…。申し訳ありませんが、このタイトルでは売れないのではないでしょうか、と危惧してしまいます。
タイトルがあえて「美学への招待」であることも重々承知しているつもりですが、「美学」という学問すら知らない人に気軽に手をとってもらい、この学問を知ってもらう、ということには不向きではないのかと…
・「生のなかの美学」
前著『エスニックの次元』(1998年)で輸入物でない《われわれの問題》を扱うべきことを論じ、『タイトルの魔力』(2001年)で身近なネーミングの機能や背景を緻密に分析した著者が、今回、美学史を見渡し、その根本問題に迫る入門書に取り組んだものである。
激変の時代。「かつては、美学書にも標準的な目次がありました。いまでは、その目次を作り出すことが、美学者の最初の課題であるようにさえ思われます」――そう言う著者が持ちかけるトピックは、一見美学書らしからぬもの。センス、カタカナ語、複製、身体、スポーツ、美人・・・・・・。しかし、それらが「趣味」や「感性」から「藝術の終焉」「アートワールド」に至るまで、美学上の重要概念に結びついてゆく。
本書では、藝術にまつわる自身の体験や見解がユーモアを交えて語られる。しかし、著者の執拗なほどの問題意識、厳密な思索や分析は、そうする間も休むことはない。平易でありつつも、じつは最も先端的な美学の問題を扱い、さらには人間中心主義の近代を清算した近未来の「人間を超える美学」を示す、貴重な入門書である。
・「新書というのはこうでなくてはいけない。」
全く美学を学んだことが無いという人向けの、美学の入門書です。 著者は学問としての「美学」を「美と藝術と感性を論ずる哲学」だと定義し、本書では主に藝術が取り上げられています。
著者はあとがきで文章を「です・ます」調にした理由を読者との距離感のため、と書いていますが、その著者の目論見は実に上手く成功しており、堅苦しいタイトルとは裏腹に(本書はタイトルで少し損をしているかもしれません)内容の読みやすさはもちろん、文章自体もかなり読みやすいものに仕上がっていて、初学者でも本当にすんなり美学の面白さについて学ぶことができるのではないでしょうか。
とにかく、「美学を学んだことが無い人にも美学に対して興味を持ってもらいたい!」という著者の熱意が文章から伝わってきて、非常に好感が持てる本だと思います。やはり新書というのはこうでなくてはいけません。良い仕事です。
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