ノルウェイの森 上 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「駄作/名作」「小説としての質は高い。好悪は人それぞれ。」「見方を変えて」「高校生の時に読んで」「ノルウェイ」
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「まだ年若い村上ファンが、いつか手に取って欲しい一冊」「失われたもの」「読んでない人は、「いまさら」なんて恥ずかしがらず読むべし」「世界の中心で・・とはまた違った恋愛小説」「話題作再び」
沼地のある森を抜けて (新潮文庫) (詳細)
梨木 香歩(著)
「恐ろしいほどの命の連鎖」「味わい深いラストシーン」「ボケのSF化」
新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫) (詳細)
村上 龍(著)
「限りなく時代に染められてゆく色」「主体の外部へ」「心の傷口、体の傷口」「表現力の才」
夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫) (詳細)
森見 登美彦(著)
「読んだ者しか分からない、お腹の底が暖かくなる迷宮」「本編は語るまでもなく」「女の子の趣味が素敵すぎる!」「とにかく可愛い!」「一流の娯楽小説」
「実際に走った人間も涙しました」「2冊買いました。」「なつかしい」「楽しくて、美しい物語。」「駅伝素人」
● 読んだ本。1
● おすすめー
● まとめ
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● 面白かった本
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● 読書日記6
● 読んだ本1
● 読んだ本
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● 読書日記5
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・「駄作/名作」
村上春樹の小説は「駄作」か「名作」かという両極端な評価に分かれることが多いようです。本作もその例に漏れることなく、やはり評価は賛否両論ですが、事実として「ノルウェイの森」は、ノーベル文学賞候補に毎年選ばれるほどの作家の代表作であり、世界の各国でベストセラーになるほどの小説であるわけですから、本質的に「名作」なのか「駄作」なのかはさておき、それだけの「魅力」が、小説内のどこかにあることだけは誰にも否定できないことでしょう。
「駄作派」の人たちには、夏目漱石や谷崎潤一郎などの、日本文学の名作と呼ばれる小説に数多く触れ、読書経験が豊富で、いわゆる「文学通」といわれる方が多いようです。否定の方法も、「展開や登場人物の行動に根拠がない」や「過去の名作のような深みがなく薄っぺらい」など、自分の文学観に照らし合わせた意見がほとんどで、平たく言ってしまえば「私にわからないのだから、面白い訳がない」という気持ちが、「駄作派」の大部分を占めている本心のような気がします。逆に「名作派」の人たちには、あまり文学に詳しくない方が多いようで、「何だか分からないけど、面白い」という無邪気な感想が頻繁に見受けられます。
ここで注目したいのは、文学に詳しい人たちは小説の魅力を理解できず、そうでない人たちには、理解できるという、逆転の現象が起こっていることでしょう。
とにかく「駄作派」の、否定の調子の激しさはすごいもので、留まるところを知りません。もはやそれは悪意と言ってもよいほどで、その矛先は作品を飛び越えて、著者本人、果てには、小説を肯定する読者にまで及ぶ勢いです。しかし「名作派」の人たちは、とりたててそれに反論する様子もなく、自分の周りに壁を張り巡らせて、ひそっりと、ひとりで小説を楽しんでいるような、そんな風情です。そこには、まさに、「根拠のない悪意」と「自閉」という、村上春樹の小説世界そのものの図式が浮かび上がってくるようです。
村上春樹氏は「日本文学には残念ながら僕が求めているものはなかった」というニュアンスのことをどこかに書いていますし、人の情念をどこまでも深く追究して表現しきる、日本文学の伝統ともいえる名作の数々には、確かに惚れ惚れするものがありますが、単に、著者はそこを目指してはいない、ということでしょう。「駄作派」の方々には、著者が表現しようとしているものは何であるのかを汲み取ろうとするやさしさが、もう少しあってもいいように思いますし、「名作派」の方々には、自分を惹きつけるものは一体何なのか知ろうとする意志を持ち、「駄作派」の人たちの土俵に、多少なりとも歩み寄ろうとする、そんな勇気も必要なのでは、と思います。そして、ちょうどそのあたりにこそ、村上春樹の表現したいものも、あるのではないでしょうか。
・「小説としての質は高い。好悪は人それぞれ。」
わかりやすく読みやすい文章、アメリカの近現代小説を連想させる写実力、日本の純文学から受け継いだ細やかな心理の扱い方、時折りみせる劇的な場面転換、巧妙に織り込まれている比喩や暗示。
主要な登場人物はもちろん、脇役であってもきちんと個性が定められていて、流れの中でムダなく配置されている。また、テンポの緩急もよく、場面設定やそれぞれのシーンの並べ方も上手い。音楽や小説やアルコールなどの小物の配置も、独特のリズムと雰囲気を作るのに役立っている。
著者の小説家としての腕の確かさを実感できる作品という点で、質の高い小説だといえる。ついつい、夜更かしして読んでしまった。
作品に対する好き嫌いというのはまた別。小説というのはどんなものであっても基本的に娯楽作品であって、最後はそれぞれの読み手の嗜好や好悪が評価を左右する。ただし、作品としての質は高い。私はそれなりに面白く読めた。
尚、この文庫版はサイズに比して字が読みやすい。
・「見方を変えて」
以前は村上春樹の事があまり好きではありませんでした。しかし、外国人の友人がたびたび彼の作品について聞いてくるので、約15年ぶりに本書を読み返しました。読むにあたって、1.登場人物中誰が一番好きか?(はつみさん)2.誰が一番悲しい人物か?(ワタナベくん)3.誰が一番自分に近いか?(ナガサワ)とあらかじめ自分自身に課題と設けました。マーラーや、グレートギャツビー、マルボーロといった、少し不自然な小道具にも気付きましたが、見方を変え、ある意味、分析するように読み返してみると、(年齢を重ねたせいもあるでしょうが)本書は実に悲しい物語である事に気付きました。この物語を悲しくさせた一番の理由は、ワタナベ君と直子との恋が成り立たないことは始めから解りきっているからです。恋とは努力して成就させるものではないことは誰もが知っているはず。そのワタナベ君の努力は義務感から来るもの。そういった意味では、二人の間には始めから恋愛感情など存在しなかったのかもしれない。そういう物語を久しぶりに読み返して、15年前とは違った印象を持った。
・「高校生の時に読んで」
受験前の18歳の時、(80年代後半)ただ、当時ベストセラーになっていた話題の作品というだけで読みました。最初は「受験勉強の合間にちょっと読んでみよう」そんなつもりで購入したのに半日で一気に読み終えてしまいました。この本を読んだ後に襲ってきた虚無感のようなものは・・今でも正確に言葉で言い表せません.何度も読み返しますが、歳を重ねるごとに微妙に感じ取るものは違ってくるけどまさしくパーフェクトな作品だと思っています。
18歳の時に読んだときはとにかく3日ほどは学校にも行けず、誰とも話したくなかった。(別にもともと引きこもり気味ということもありませんでしたが)自分を形づくっていた「何か」がすっぽりとなくなってしまったようなそんな感じ。子供の時から現在でも年間かなりの量の本を読みますが読んだあと、あんな風になったのはこれっきりです。村上春樹の本は全部読んでいますが他の作品を読んでもそうはならない。ついでに言うと最近よく「ベストセラーになった恋愛小説というだけで」比較される「世界の・・・」も読みましたがもちろんあの読後感はありませんでした。世界・・が悪いというのではなくって。また、全然違うものなので比較すること自体いかがなものかと思いますが。
余談ですが、村上春樹好きの人には「象が平原に還った日」がお勧め。ノルウェイの森についても思わず納得の解読がされています
・「ノルウェイ」
この本に出会ったのは今から20年前、ちょうど高校生の頃だったけど、読んでいて衝撃をうけたのを覚えています。また最近読み返してみたが、色あせるどころか、さらなる鮮明さをもって再び心にうったえかけてくれました。ふと考えてみると、今の自分は小説の中の現在のワタナベ君と同い年なんだなぁと個人的な感傷も覚えたり。僕の周りでは結構直子が嫌いっていう人、特に女の子が多いのですが、僕にとってはなんていうか、直子という存在は硝子の器のように儚いものの象徴のような気がして、読んでいるととても悲しい気持ちにさせらます。最近映画化の話が出ているが、個人的な感想としては直子はぼんやりとしていて現実味がない、儚い象徴なので映像ではっきりと写されるときっと違和感を感じてしまうと思う。ゴダールか誰が言った言葉だったか忘れたが、映像は色あせるが文章は色あせないという言葉を聞いた事がある。僕の中ではきっとこの本はこれから20年先、40年先と生き続けていくものになると思う。
・「まだ年若い村上ファンが、いつか手に取って欲しい一冊」
春樹氏の作家デビュー25周年を記念して、オリジナルカバー、レイアウトで復刊された文庫本です。
私が初めてこの作品を読んだのは、20歳前後の頃で、そのときは、特に感慨を持たなかったことを記憶しています。むしろ、春樹氏の作品群の中の「気に入らない作品」と、私の中では位置づけられていました。
『羊をめぐる冒険』や『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んで、感銘を受けていたのにも関わらず・・・。
それは、その当時の状況への反発も幾分あったからかもしれませんし(この本は事実上、村上春樹の名を世間へ知らしめることになる記念碑的ベスト・セラーとなり、当時はそれこそ『世界の中心で愛を叫ぶ』と同じようなミーハーな騒がれかたをしたものでした。)、同時に私がまだ若く、この小説にこめられた喪失感、孤独感を、深く受け止めることのできる器がなかったからかもしれません。
しかし、それから十数年が過ぎた今、改めて読み返してみると、当時には感じることの出来なかったものを感じることができ、個人的に、今やっと、この名作を評価する気持ちになれました。
最近は、ずいぶん若年層の春樹ファンが増えてきているようで、『海辺のカフカ』や、最新作『アフターダーク』で初めて春樹作品を読み、感動を覚えている若い方がいらっしゃるようですね。そのような方に、この作品を、「いつか、そのときが来たら読んで欲しい本」としてオススメしたいと思い、このレビューを書きました。
私の言う「いつか、そのとき」とは、人生において、ふと気がつくと、大切な人、大切なときを自分がすでに多く失ってしまったことに、ふと気づいたときとでも言えばいいでしょうか・・・。そのときこそ、この小説が心の奥に染み渡るような気がしています。
私のように、早すぎる時期にこれを読んでしまったがゆえに、「別に面白くなかった」と思ってしまった方にも、オリジナル・カバーが出たこの機会に、再読してみてはいかがでしょうか。 この何年かに自分の中の「時」は、確かに流れてたのだな、ということを、この小説が教えてくれるかもしれないと思います。
・「失われたもの」
この小説は、ほかの村上春樹の小説と少し違うところがあると思う。過ぎ去られたものや失われたものをみつめている時や、その中にまだ含まれている自分の描写の中に村上春樹自身もいるのではないかなあ、と感じることが多くある。
とても正直だから。文章が、正直すぎて、ほかの彼の文章とは違って、少しいたいのだ。なんというか、彼がこの作品を書くときに、自分の心に沿って書いていったのではないかな、と思う。もう何かを失ったあとに、それが何だったかを、時間をかけてゆっくりと理解していくようで、とても哀しい。たまらなく哀しい。
「いろんなことを気にしないで下さい。 たとえ何が起こっていたとしても、たとえ何が起こっていなかったとしても、結局はこうなっていたんだろうと思います。」
本当にそうなのだろうか?少しでも自分が何かが損なわれていくのを見過ごしていたのなら、そしてそれによって親愛なる誰かを少しでも傷つけていたのなら。そういうことを気にしないということは、自分と周りの様々な事物との間に少しの距離を置きながら生きるということの中に含まれるのではないか。
この小説を読むたびに、損なわれたもの、損なったものを見つめながら生きていくことほど哀しいことはないんじゃないかと思う。死者は死んだままということだけが私たちの頭の上につよく決定されていて、私たちは、しばしばその決定事項は残された人間が生きていくことよりも大きいんじゃないか、と感じる。
でも違うのだ。大切なのは残された風景・言い換えれば残った風景なのだ。たとえそれがひどく弱弱しくみすぼらしくともとにかくそれが私たちに残された風景なのだ。瞳は失われた風景を見ているし私たちはそこにいるように思える。でも私はこの小説を読んで、本当に存在している場所は残された風景で、今で、そこにいることこそがすごく哀しいことなのだと思った。そしてそれがキーなのだと思った。
・「読んでない人は、「いまさら」なんて恥ずかしがらず読むべし」
作中にこんな場面があります。
「私たちがまともな点は」とレイコさんは言った。「自分たちがまともじゃないってわかってることよね」
これは、深い、喪失の話です。
この小説は「恋愛小説」ではあるけれど、その一言でくくってしまうのはあまりにも乱暴なんじゃないかな、と思いました。恋愛をも含めた、もっと根本的な。。う~ん、うまくは言えないのですが、「つながり」のようなものを描いた小説だと私は思います。あらゆるモノとの「つながり」です。世界、人、思考、そういった様々なものとのかかわり方を教えてくれる小説ではないでしょうか。そんな「つながり」の中の一つ、「好きな人」とのかかわりを、人は恋と呼ぶのです。本の裏表紙には、『あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと――。』そう書かれています。本を読んだ後にこの文章を読み、私はしばらく動けませんでした。
主人公ワタナベの周りで起こる様々な喪失。しかし、物体が喪失しようと、そこには「何か」が残り、それが残された人々を苦しめます。それでも、残された人々は生きていかなければいけない!!重い内容ですが、そんな前向きなメッセージを感じました。
PS,やはり村上春樹氏の作品は「会話」が素晴らしいと思います。現実感のない会話なのだけど、とても心地がいい。この人は小説家というよりも詩人なのだな、といつも思います。
・「世界の中心で・・とはまた違った恋愛小説」
現在の装丁には書いてあるかどうかわかりませんが、私がベストセラー当時に購入したときは金色の帯にこう書かれてありました。「100%の恋愛小説です」と。強調するように下線付きで。このコピーは村上さんご自身が考えられたようです。という訳で、当時売れに売れた恋愛小説ということで現在の「世界の中心で・・」とよく比較されますが全く違うものであり、また個人的にはノルウェイは恋愛小説の形をとった別もの(何かとは言い切れない)だと思っています。また、「世界で・・」では生と死は端と端に位置するものというような文章がありますが「ノルウェイ」においてはハッキリと「死は生の対極としてではなくその一部として存在している」と書かれています。この点においても両者は全く違うのではないでしょうか?
とにもかくにも、これほどパーフェクトだと思える小説に出会えたのは私にとって幸せなことです。
・「話題作再び」
出版当時とても話題になった「ノルウェイの森」が新装丁で再び。単行本が出版されたときにはちょうどクリスマスの時期で赤と緑のツートンカラーの本を「クリスマス丸出しの本だな!」と小馬鹿にしたように眺めていたのを思い出します。その何年後かに村上春樹にはまり込み、手に取り、読んでみると、小馬鹿にしていた自分が馬鹿だったと思いました。
話によると、この装丁は村上さん本人が手がけたもので、担当のデザイナーからはあまり良くない反応を受けたそうです。やっぱり「クリスマス丸出し」ですものね。
内容についても「人が死にすぎる」「性的な描写が多すぎる」と評論家たちからは大バッシングを受けていました。しかし、僕にはこの物語の中で「不要な死」も「不必要な性描写」も一つもありません。物語がそれを求めているように、自然とそこにある、見たいな感覚を抱きました。「ねじまき鳥クロニクル」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のような異界との接触というか近接というかはあまりないようですが、それに変わる喪失と再生があります。村上さんの著書ではっきりとした登場人物に名前が付いたのもこの作品が初めてだったと記憶しています。
長々と書きましたが、この話は面白いです。同氏の短編「蛍」(「蛍・納屋を焼く、その他の短編」)や「めくら柳と眠る女」(「レキシントンの幽霊」)などを読むと、さらに深く読み込むことが出来ることでしょう。
・「恐ろしいほどの命の連鎖」
「先祖伝来のぬか床」から始まる物語は、「いのちの繋がり」を素晴らしく、恐ろしく描いている。梨木香歩独特の世界観ではあるけれども、これまで読んだどんな作品より、作品そのものに重みがある。間に挟まれる「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」で、少しずつ気分を変えて読んでいかないと、吐きそうになるほど。
自分にのしかかる、これまで何代・何十代もの命たちこれを呪縛と捉えるか、進化と捉えるか・・・物語は、明るく終わっているが、読み終えた後、まだなんとなく、重みを感じ続けてしまう。すごいパワーで書かれた作品なんだろうなと思う。
・「味わい深いラストシーン」
『家守綺譚』以来、彼女の小説は好きで読んでいるが、この小説も不思議な幻想小説。ぬか床から人が出てくるっていう設定も不思議で面白いけど、彼女の文体がまた、不思議。知らず知らず、ストーリーに引き込まれていく。
ラストシーンも味わい深い。男女の性、人間って何だろう、なんてことを考えさせられる。
・「ボケのSF化」
先祖代々伝わるぬかどこから、 人が生まれる。 という嘘を中心に描かれた話。
このお話は前半の主人公の女性が面白い。
この女性は、 ぬかどこから人が生まれた。 というボケに対して、実際的に付き合っていくのだ。 はいはい、しょうがないな。 といった具合に。
ときに、そのボケに対して、 おもしろいじゃないの。 といった具合に反応したりもする。
こんな感じが、読んでいて面白い。
しかし残念なのは後半だ。
だんだんと。 ぬかどこから人が生まれる、 というボケがボケではなくなり、 普通になっていくのだ。
ボケのSF化が進行するのである。
そもそもの最初から、 これはSF小説なんだ、という前提で読んでいれば 楽しめるのかもしれないが、 ぬかどこから人が生まれる、 という設定をSFにするには ちょっとムリがあると僕は思うのだ。
これはボケではないかもしれないが、 「リング」というホラー小説のボケが 「らせん」という続きでボケに解説を つけてしまって、白けてしまったのと 同じような感じだ。
あれは何かようわからんけど テレビとか井戸から髪の長い女性が 出てくる、ということが怖いのであって、 そこを解説できてしまったら 怖さは半減するのだ。
あぁやっぱり出てきたね。 そりゃ出てくるよ。 ってなったら、そこまで怖くはない。
僕にとっては、 ぬかどこのボケもこれと同じである。
ボケはボケだとわかっているから、 笑えるのであって、それがボケではなく、 普通になった瞬間から、笑えなくなるものだ、 と僕なんかは思うので、後半になって、 これはしまったと思ったのだった。
ボケはボケのままがいい。
そう思った小説だった。
・「限りなく時代に染められてゆく色」
1976年に作者自身の装丁で発表され幾度も重版された表紙からリリーの横顔が消えた新装版。解説には綿矢りさ。 あまりにも無骨な表紙の村上龍のスケッチは無機質なブルーに塗りたくられた。僕はそこに時代を感じる。今でも色褪せない鮮烈な題名だが、発表から33年の時を経た今、本作で痛々しいほど描写される、麻薬、セックス、陶酔、暴力、狂気に塗れた登場人物達に今の若い世代の読者は、発表当時社会現象になったそれらに‘青春’など一時も感じないだろう。退廃しきった時代に生まれたのだ。それならば、いっそのこと当初の題名であった「クリトリスにバターを」に題名を戻し、中学の国語の教科書に載せ、夏休みの読書感想文の課題作として宿題にし、生徒に家に持ち替えさせれば良い。子供達は親にも聞かず部屋に籠り、どんな優等生でも真っ昼間からパソコンの画面を前にネットで‘麻薬’‘クリトリス’とキーワードを打ち、検索し、知るのだ、クリトリスにバターをという何ら害のない露骨な性表現を。そうすれば影響は小学生にまで至り、女生徒だけが体育館に集められ保健の教師から生理とは何か、ナプキンやタンポンの使い方の説明を受ける必要もない。 それだけ、物語の主人公であり、作者の投影でもあるリュウの恋人であるリリーの横顔の拙いスケッチがこの作品の表紙から消えるということは僕には極端に現代を反映する文壇の低迷の象徴のように感じる。 そしてこの新装版で映えるのは自らの著書「蹴りたい背中」で正に新たな現代の青春像を時代に刻んだ作家・綿矢りさの解説である。 彼女は解説の中でスティーヴン・キングの「小説作法」という著書の中から‘文章とは何か’という問いにスティーヴン・キングが‘もちろんテレパシーである’と答える部分を引き合いに出し、作家と読者が同じ映像を見ているわけではないのに、文章の力によって、作家と読者が互いの頭のなかにまったく同じ映像を思い浮かべるといった、村上龍の描写力の凄みを称えている。‘蛆’や‘注射針’などの単語だけでも本作には村上龍のえげつないまでの描写力があふれている。‘油臭い口紅’‘腐ったパイナップル’など吐き気がするようなものも、解説の中で綿矢りさは自身が「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞した十九歳の頃、見るものを選ばず後悔していると書いている。 小説は最初の一行が全てで、一ページ目で読者の心を掴まなければいけないなどと作者は強いられるが、印象的な本作のリリーの横顔の表紙が真っ青に塗られても村上龍の作家としての才能と力量は綿矢りさが解説するまでもなく、本作冒頭の情景に十分読むことができる。 飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の音だった。蠅よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。 天井の電球を反射している白くて丸いテーブルにガラス製の灰皿がある。フィルターに口紅のついた細長い煙草がその中で燃えている。洋梨に似た形をしたワイン瓶がテーブルの端にあり、そのラベルには葡萄を口に頬張り房を手に持った金髪の女の絵が描かれてある。グラスに注がれたワインの表面にも天井の赤い灯りが揺れて映っている。テーブルの足先は毛足の長い絨毯にめり込んで見えない。正面に大きな鏡台がある。その前に座っている女の背中が汗で濡れている。女は足を伸ばし黒のストッキングをクルクルと丸めて抜き取った。
・「主体の外部へ」
主体と客体とが明確に区切られ合理的にふるまうべき社会的な状態から抜け出す。
その透明の場所へ決してたどり着くことは出来ないけれど、限りなく近づいた青い春の経験。
・「心の傷口、体の傷口」
この小説の中は乱交や暴行や中毒だらけです。しかし、何か瞑想的なシーンも挟まれ、どこかマルグリット・デュラスや吉行淳之介のような香りが漂います。生々しさも抒情も、いちいち痛みを伴って心に突き刺さったり切り傷を作ったりします。しかし、それが何かしら心地よくもあります。 昔ならこんなのは発禁処分だったかも。しかし昔の人たちが無垢で無傷だったかと言えばそんなことはなく、むしろ現代以上に傷だらけだったこともしばしばだったでしょう。現代の良いところは、こういう傷だらけの体験をこうやって可視化して、記憶したり予測したり、みんなで話し合ったりできるところです。 どんな人でも、傷口は持っているはずです。みんなそれを抱えながらどうにか人生を送るしかないんです。乱交も何も、傷口を与えると同時にその人物に何かを思わせる。それが、「限りなく透明に近いブルー」のような色をした、痛い記憶を伴う抒情なのでしょう。
・「表現力の才」
なんの予備知識も無しに読ませていただきましたが、こんなドロドロした作品とは思いもしませんでした。ピュアな方にはちょっと刺激が強すぎるかも知れません。若気の至りというか若さ故の暴走なお話。
やはり特筆すべきは、著者の描写表現の豊かさと比喩の上手さだろう。そのリアルさ故、読書もまるでその場に居合わせている様な感覚に陥る。そして何とも不快な気分にさせられる。そういった意味では、著者の表現能力はやはり秀でてると言わざるを得ない。
・「読んだ者しか分からない、お腹の底が暖かくなる迷宮」
単行本は2006年11月リリース、文庫化は2008年12月25日。本作で山本周五郎賞、本屋大賞第2位(ちなみにこの年の第1位は佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』)を受賞している。山本周五郎賞を獲る作品が本屋大賞で第2位なのが面白い。
読み出すともうすぐに『森見ワールド』に没入してしまう。巻末の羽海野チカ氏のイラストのように、イメージが跳梁跋扈して、転がり廻り渦を巻く。それはマジックリアリズムというより、京都という希有なポジションの上に、コトバとシーンを貼り付けていくステキなモノ、という感じだ。おともだちパンチ→偽電気ブラン→詭弁踊り→赤玉ポートワイン→二足歩行→ダルマ・・・と枚挙にいとまがない。もう、読んだ者しか分からない、お腹の底が暖かくなる迷宮である。
そして思うのはここには男子特有の『気持ち』というのが圧倒的に顕在化しているなぁ、ということ。きっと森見ワールドを完璧に『分かる』のは男子だけだと思うのだ。諸君、異論があるか!?あればことごとく却下だ!!
・「本編は語るまでもなく」
面白いです(あくまでも自分にとってはですが)内容にあまり触れるのもアレなんで…。この作品独特の語り口調で展開される物語に馴染めるかどうか〜が一番のポイントかと思います。自分は単行本ですでに読んでいますが、文庫版も買ってしまいました。中村さんの表紙イラストに惹かれる方なら問題なく楽しめるのではないかと。
単行本をすでにお持ちの方へ。文庫版には巻末に羽海野チカさんの解説が収録されています。これだけでも買う価値はあるかと思います。読んでる間羽海野さんのキャラクターが動き回ります^^;2足歩行!
コミック版も羽海野さんが描いてくれればなぁ。
・「女の子の趣味が素敵すぎる!」
森見さんは女の子の趣味が素敵すぎる!、『四畳半神話大系』、『太陽の塔』など他の作品にでてくる乙女も魅力に溢れていますが、特にこの作品の「黒髪の乙女」は老若男女を問わずだれもが胸を捕まれてしまうのではないでしょうか。独特の文体も好き嫌いがあると思いますが、私ははまってしまいました。一癖も二癖もある文章で、ファンタジーであるというものすごい森見さんの世界にどっぷりはまり込み、読み終わってしまうと、寂しくてまだまだ読み足らなくなって他の森見作品にも手を出してしまいました。この『夜は短し歩けよ乙女』から入って、『四畳半神話大系』、『太陽の塔』と出版年順には逆から読んでいったのですが、共通の登場人物などが出てきて、あのことがここにつながっている!など発見ができて面白かったです。関西出身の作者だけあって京都を舞台にいきいきと描かれて京都好きにはたまらないのでは。羽海野チカさんの「かいせつにかえて」も森見さんの世界が羽海野さんの世界観で絵になっていて素敵でした。
・「とにかく可愛い!」
独特な文なので、馴染めるかはそれぞれですが・・・この「独特」感が滲み出る文面とそれに合わせて読み進めるリズムがたまらなく面白い!
個性あるキャラクターもみんな可愛い!なんとも愛らしい!特に乙女の行動は天然っぽさがあふれていてすごく可愛い!先輩の行動にもどこかしら驚かされたりして…つい「がんばれ!!!」と応援したくなります。後半はもう止まりません!どんどん終盤へ加速していっちゃいます。読むのがやめられないです。
個性あふれるキャラクター、独特な世界観・・・
まさに「キュートでポップ!」
さらに文庫には羽海野チカさんの解説もついていて、これまた可愛い!解説まで飽きずに「見れます」。
是非お勧めしたい。
・「一流の娯楽小説」
今まで読んだ小説で一番笑ってしまった作品。
ジャンルで言えばラブコメになるのでしょう。軽妙な語り口にテンポの良い展開、神様も現れるファンタジックな要素を持ち合わせた娯楽性ある物語と素敵な要素が満載でとにかく読んでいて楽しい!古風で独特な言い回しながら簡潔で読みやすい文章も良いです。また、春の飲み屋街、夏の古本市、秋の学園祭、冬の風邪騒動という四季に焦点を当てた四章構成も上手くまとまっていますね。頭の中に1つ1つの場面を鮮明に想像することが出来る、色彩豊かな描写力を感じます。
でも、この物語の一番の魅力は個性溢れる登場人物であると断言しましょう。理屈屋で不器用な主人公「先輩」と時代錯誤的な純真さで周りの誰をも幸せにしてしまう「黒髪の乙女」を中心に、大酒飲みの女傑、空飛ぶ学生天狗、偽電気ブランで富を築いた高利貸し、錦鯉センターを経営する心優しきダメ中年などアクが強く愛嬌あるキャラクターばかり。微笑ましくて、愛おしくなること請け合いな人物が揃っています。他にも様々な人々が登場しますが、誰一人無駄にならず活かされている点も素晴らしい。いい意味で著者の手から離れて活き活きとキャラクターが動いていますね。
ファンタジー的要素など好みが分かれる部分もあると思いますが、楽しい小説を読みたければ一度は手に取ってほしいです。難しいことを考えず気楽に読んでもらいたい作品。「ハチミツとクローバー」や「3月のライオン」で有名な漫画家・羽海野チカさんのあとがき(?)もオススメです。
・「実際に走った人間も涙しました」
私はもうずっと昔になりますが箱根駅伝に選手として走った事があります。この本を見かけて最初は多分駅伝や長距離走をよく知らない作家さんが想像だけで書いたのだろう、程度にしか思っていませんでした。しかし実際に読み始めて、もちろんかなり無理な設定があることは事実なのですが、走るという行為そして苦しさや喜びそう云った深い部分までよく描いてくれています。苦しい練習から予選会に至るまでの心情や練習の厳しさ、そして何より箱根駅伝本番の各走者の走りの描き方、走りながらの選手の心理描写に思わず自分の昔の姿を投影してしまい、涙しました。これだけの感動を与えてくれた三浦しをんさんに感謝申し上げます。この本に書かれている箱根駅伝の姿は本物だと思います。ありがとうございました。素晴らしい本に出会いました。
・「2冊買いました。」
素人集団が箱根駅伝を目指す、という一見荒唐無稽なお話ですが、走ることを止められない主人公・走をはじめとする竹青荘の面々に引き込まれ、こちらも読むことを止められなくなること請け合いの、ノンストップ青春小説です。
ボロアパートでの共同生活に「ハチクロ」の愛らしさを、集団でワンチャンスに賭ける情熱に「スラムダンク」のひたむきさを、頂点を目指す人間の孤高な悲哀に「ピンポン」の清廉さを、この小説の背骨に通じる物があるなぁと感じながら、眠らずに一気に読み終え、自分もいますぐ走り出したいような衝動に駆られました。
運動と無縁な生活を送る自分にとっては、走るという行為は苦痛以外の何者でないのですが自分の足だけで高みを目指して箱根を駆けるランナーはいったい何を思い、何を願って、襷をつないでいるのか毎年正月にTVを見るたびに不思議に思っていました。
もちろんフィクションなのですべてが本当ではないけれども、この小説の後半、1区から10区を駆けるそれぞれのメンバーのモノローグを読みながら、その答えを感じ取った気がします。
そして、正月に実家で箱根駅伝を見ていたら、どうしてもまた読みたくなってまた買って読み返しました。ちなみに、自分は2冊所持していますが、2007年にこの本を薦めた友人達は、全員大絶賛。本読み冥利につきる幸福な時間を過ごせました。
本が好きな人も、箱根駅伝が好きな人も、三浦さんが好きな人も、ぜひ手にとって欲しい一冊です。
・「なつかしい」
私は箱根駅伝を走ったことがありません。というより走りたくても走れなかった。
まず予選会のメンバーに選ばれませんでした。そのうえ私の大学は在学中予選を通過することできませんでした。だから箱根予選会がどれだけ厳しいものなのか、私はよく知っています。ましてや走り始めてすぐに本戦出場なんて、当人がいくら努力したって無理です。
でも思い出しました、昔を。いろんな誘惑を避け、クソ真面目に走ってたあの日々を。今でもお風呂に入ると足を揉む癖がぬけないくらい、真剣だったあのとき。
だから私は思います。本の中でくらいは、がんばったら箱根駅伝に出れたっていいじゃないか。そんな世界があってもいいじゃないか。
・「楽しくて、美しい物語。」
箱根駅伝を走る若者達の生き方が、楽しくて、気持ちよくて、美しいです。10区だから、10人いるわけですが、10人それぞれの状況やら気持ちやらが、ちゃあんと、生き生きと伝わってきて、みんなを大好きになれました。 私は平塚中継所の側に住んでおり、時には旗を持って沿道へ行く事もあるのですが、10区間のそれぞれの描写にも感心しました。本当っぽいです。よく、これだけ調査したもんです。 また、実際に中継を見ていると、選手達が、東京から「アッ!」と言う間に平塚まで来てしまうので驚くのですが、そういうスピード感もちゃんと表しているし、しをんさんは若いのに凄腕ですねえ。今度のお正月には、大好きな竹青荘のメンバーが走っている姿を幻視してしまいそう。
・「駅伝素人」
賛否両論あるようだが、まったくの駅伝素人である私には100%満足の小説であった。非現実的とか都合がいいとかは、小説には関係ない。純粋に感動し、楽しめた。ひさしびりのど真ん中の青春感動小説で、漫画のキャプテンを思いだしました。今まで駅伝なんてつまらないし、興味もなかったのですが、正月が楽しみになってしまい、37歳にもなって、ジョギングでもしたくなるくらいさわやかな読後感・・・不滅の青春小説とし、ずっと読み次がれるでしょう。賞をとったあとだから、天邪鬼で読むのをためらっている人もいるでしょうが、だまされたと思って読んでみてください。
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