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▼何度も読み返した本:セレクト商品

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) (詳細)
スコット フィッツジェラルド(著), Francis Scott Fitzgerald(原著), 村上 春樹(翻訳), 村上春樹(著)

「内容よりも雰囲気を訳した作品」「「この世の中の人がお前のように恵まれているわけではないことを、ちょっと思い出してみる」「傑作!」「素晴らしいかもしれない」「最高の曲を、天才がアレンジした音楽」


Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (詳細)
レイモンド カーヴァー(著), Raymond Carver(原著), 村上 春樹(翻訳)

「不思議な『いい感じ』の話」「日常に潜む珠玉のドラマ」「カーヴァー入門として最適」「カーヴァーの空気と、日本語。」「状況のグリップ力、に脱帽」


遠い太鼓 (講談社文庫)遠い太鼓 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)

「旅行中、あるいは旅行に行きたいのに行けないときに・・」「楽しい旅行記」「村上春樹さんの小説の源」「旅が日常になったら」「村上さんファンなら必読です!」


「象の消滅」 短篇選集 1980-1991「象の消滅」 短篇選集 1980-1991 (詳細)
村上 春樹(著)

「同時存在のかねあい」「短篇ベスト」「アンソロジー」「読むたびに色をかえます」「「逆輸入」に関するプラクティカルなコメント」


神様のボート神様のボート (詳細)
江國 香織(著)

「いかにも江國香織らしい、と思ってしまう。」「切ない。」「至高の一冊」「なぜこんな結末に・・・?」「一生をまどろんですごしてなぜいけないのだろう―」


東京タワー東京タワー (詳細)
江國 香織(著)

「女性の視点から見た作品も読んでみたい」「面白かった。」「やさしく自然体な二人」「大切なもの」「映画よりは原作!」


ロング・グッドバイロング・グッドバイ (詳細)
レイモンド・チャンドラー(著), 村上 春樹(翻訳)

「あとがきが最高かな」「やはり不朽の名作ですね!」「直訳に近い」「面白かったなぁ」「数十年の思い込み」


368Y Par4 第2打 (講談社文庫)368Y Par4 第2打 (講談社文庫) (詳細)
村上 龍(著)

「世界の過剰さに疲れきった頭に」「なかなか面白いです」「名作」


存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)存在の耐えられない軽さ (集英社文庫) (詳細)
ミラン クンデラ(著), Milan Kundera(原著), 千野 栄一(翻訳)

「やっぱりすごい。」「重さと軽さをめぐる万華鏡」「最後まで一気に読んでしまう魅力的な小説」「千野さんの翻訳でクンデラが読みたい」「この小説にあえてよかった」


美味礼讃 (文春文庫)美味礼讃 (文春文庫) (詳細)
海老沢 泰久(著)

「現代日本の我々が本物のフランス料理を食べられる理由」「日本に本当のフランス料理を紹介した男の生涯」「辻静雄にはまったのは,この本のせいです。」「私の知らない世界」「辻調のはじまり」


ティファニーで朝食をティファニーで朝食を (詳細)
トルーマン・カポーティ(著), 村上春樹(翻訳)

「新釈 『ティファニーで朝食を』」「同時代の訳で読めることの幸せ」「小気味良いコケティッシュなホリーが目の前にいる新訳」「めちゃくちゃでせつないストーリー」「まだ映画は見ていないけれど。」


▼クチコミ情報

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

・「内容よりも雰囲気を訳した作品
私は現在アメリカのロスアンゼルスの高校三年生ですが、此処では「グレート・ギャツビー」は必修科目です。高校三年の英文学のカリキュラムはアメリカ文学史。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、スタインベックと進んでいきますが、その中でも一番重点を置かれるのがこの「グレート・ギャツビー」。私が村上訳を読もうと思ったきっかけは、私の英語の先生が「日本で有名な作家のムラカミという人がギャツビーを訳したが、それはとてもいい訳だとウォールストリート・ジャーナルで読んだ。是非読んでみないか?」と進めてきたからです。

三島由紀夫を英語で読んでもいまいちなように、フィッツジェラルドを日本語で読むなんて!と最初はあまり乗り気ではありませんでしたが、「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」など他の村上さんの作品は愛読していたので、「まったくイメージが違ったとしても、『村上の作品』として読めばいいかな」と思って注文し、読んで見ることにしました。

原文でかなりの衝撃を受けた私ですが、この訳にはさらなる衝撃を受けたといわざるを得ません。訳が見事なのはもちろんですが、あらゆるギャツビー関連のエッセイを授業で読んだ上で、なんともいえない解釈の深さに驚きました。言語が違ってしまうと醸し出す雰囲気も当たり前のように変わるものですが、村上さんの描くギャツビーは、まさしく僕のイメージのギャツビー、いや、アメリカで学ぶフィッツジェラルドの描こうとしたギャツビーそのものなのです。

ただ単に、筋が通るように語句を並べて訳しているのではなく、フィッツジェラルドの原文に等しい「雰囲気」を作り出すように丁寧に言葉を選んでいるのが伝わってきます。もちろん数箇所は「ここは(作り出す雰囲気が)原文の通りじゃないな?」とか「あれ、此処は意味が隠れているはずなのにな?」と思うところもありますが、それ以外は「もしかしてフィッツジェラルドって日本語も書けたのかい?」と思わず唸ってしまうほどの出来です。

ヘミングウェイやカフカの和訳でよく見られるように、訳された作品には「内容」を重んじたものが多いです。つまり、同じストーリーは伝わるのですが、そこから感じられるイメージ、雰囲気、感情の揺らぎなどはなかなか伝わりません。和訳を読んでから原文を読んだり、その逆をしたりすると「あれ?このキャラクターってこんな風に思っていたんだ」と驚いてしまうことが多いです。

しかしこのギャツビー、全てのキャラクターが、原文と同じように考え、行動し、会話や動きからは原文と同じ雰囲気を作り出してくれます。これはもう、神業です。かなりのギャツビーファンとして、映画版も何バージョンか観ましたが、それよりもこちらのほうがより正しく、よりフィッツジェラルドらしいムードを作り上げてくれます。

原文を読んだことある方も、「いい作品と聞いていたけど、結局は訳だからなぁ……」と悩んでいる方にも、是非是非お勧めです。

唯一気になる点は、「Gatsby」は「ギャツビー」ではなくずっと「ギャッツビー」だと思っていたところですかね。人によって発音は違うみたいです。アメリカでは後者が主流。(笑

以上、文学ヲタによるレビューでしたっ。

・「「この世の中の人がお前のように恵まれているわけではないことを、ちょっと思い出してみる
いわずと知れた「失われた世代」の作家フィッツジェラルドの代表作。はっきりとした起承転結、絡み合う人間関係、伏線と予定調和、そして状況描写→心理描写→風景描写と続く叙述――いわゆる普通の小説らしさをきっちり備えたこの本の傑出したところは、印象的な風景描写と物語との相関性、そして視点人物にあると思います。

多くのシーンが、あらゆるものが金色に染まる夕刻から始まり、喧騒と孤独な夜へ、そして全てをあからさまにする朝へと描写される様がそのままストーリー全体を象徴しています。その描写一つ一つがとても美しくも儚い。例えば、「夕映えの色は褪せ、彼女の面からも、黄昏に楽しく道路から去っていく子供のように、あとに心を残しながら刻々と光は消えていった」

この小説の最大の特徴は視点人物のニック・キャラウェイの存在にあります。彼の冷静でいて達観したかのような叙述が特徴的で、また彼が経験を重ね成長するにつれ、事件や人物に対する印象が少しずつ変化していくのも読み取ることができます。ひと夏にして豪華・壮麗と虚栄・孤独を目の当たりにしながら、最後に彼はこの父の言葉の意味を知ることになります。最後まで読んでみて下さい。

・「傑作!
語り部である"私"が、はじめてギャツビーを見かけるところ。夏の夜、海の入り江の向こう岸に向かってギャツビーが手を広げて震えている場面。"私"は、彼が見ている方向を見ても、一つの小さな緑色の光が見えるだけで他には何もなかったという下り。素晴らしく印象的で、ギャツビーの性格、そしてフィッツジェラルドという作家の本質を良く表していると思います。失ったものを取り返そうとする焦燥感。上辺だけの嘘。空虚な人間関係。無気力さ。悪。そして激しい恋心。そういった要素が浮かんでは消え、気怠く展開していくこの話を何回読んだのかな。Matthew J. Bruccoliが序文を付けたこの版では、何バージョンかある原稿の中から、フィッツジェラルド自身が最終原稿としてまとめたもの。つまり、彼自身原稿を何度も何度も書き直しているということであり、この本こそ彼の最終原稿であるという訳です。フィッツジェラルドの著作の中では、構成力と登場人物の性格づけという意味においても最高傑作かと思います。大推薦!

・「素晴らしいかもしれない
 野崎訳の同書を読んで、なんとなくその素晴らしさをわずかに感じていました。でも、それがどういうことなのか分からない。フィッツジェラルドの来し方に触れるものであるということは間違いない。でも、そこに何があったのだろう?そう思って野崎訳を数回読んだものです。 そして、今回村上春樹訳の本書が出るということで期待して読みました。前々から、村上さんは「グレート・ギャツビー」を翻訳したいと色々な場で言ってましたし、「ノルウェイの森」にも出てきました。それを知っていたので、「いよいよ来たか」という感じでした。 読んだ感想としては野崎訳とは違うものでした。とにかく読みやすい。意外に古い作品なんだってことを再認識させてくれました。今まで、そう思わせなかったのは野崎孝という翻訳家の才能によるものでしょう。 ニック・キャラウェイの立ち位置、ジェイ・ギャツビーの悲哀、すべてが解けるように僕には感じられました。そういうことだったのか・・・と。 同時に野崎訳とのズレもあります。それは致し方ないことです。英語で書かれた文章を完璧に移し変えることなんて不可能なんです。しかも、時代も違う。それに耐えうる作品が名作として残るんですよ。 「グレート・ギャツビー」は劇的な感想は抱けないものだと思います。しかし、じわじわとくる印象があります。読者が経験することによって、「こういうことだったのか」という不思議なシンパシーめいたものを感じることの出来る作品だと思います。想像以上に深い作品だなと改めて思い知りました。 でも、この作品の本質というか、全体的な「これはこういうことだ!」という感想が抱けないんですよね。これは決して悪いことではありません。逆に可能性を感じるくらいです。それは作者、訳者の責任ではなく、読者の責任でしょう。 この作品をちゃんと理解できるようになりたいです。

・「最高の曲を、天才がアレンジした音楽
言わずと知れた、村上春樹さんによる翻訳の話題作です。村上さんは、これまでにも様々な海外小説(特にアメリカ小説)を翻訳なさって、紹介されていると言うことです。僕はハルキストといかないまでも、村上さんの小説は大好きで、沢山読んでいましたが、正直翻訳された小説は読まないできました。というのは、村上春樹はオリジナルの小説家であって、人の小説を訳すサブの仕事(翻訳者の皆様すみませんm(__)m)には向かないのではないか、村上春樹が訳せばどんな作品も村上節(?)になってしまい、原作を楽しむといった意味では、プロの翻訳家の方のものを読んだほうがいいのではないか、と勝手な独り決めをしていたからです。それでも今回「グレートギャツビー」を読むにあたって、村上訳を選んだのは、同じく村上訳で先行して話題となっていた「キャッチャーインザライ」の訳業より本作のほうが評価が高かったようだからです。(「キャッチャー…」は「これは原書とは違う、村上作品である」との評が目立ちました。)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) (詳細)

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選

・「不思議な『いい感じ』の話
たとえば、昨日見た夢の細かい内容は忘れちゃったんだけど、なんとなく言葉では、言い表せない『いい感じ』だけは、ぼんやり残っていて、ベッドの中であれはなんだったっけなーって思うことないですか?

レイモンドカーヴァーの作品を読んだ後は、そんな不思議な『いい感じ』が、ぼんやりーと心の中に残ります。なんだこの奇妙な感じは?って思って、読み返してみても、やっぱり、話としては、大事件とかあんまり起きてないんですよね。

「大聖堂」という話が、最高でした。不思議な幸せに、じんわりとうたれます。

(老婆心ながら)アドバイス:各小説の本文のはじめに、村上春樹の解説がちょこっと載ってるのですが、それを読むと、その見方でしか小説が読めなくなってしまうこともあるので、それを!見ないでまず本文を味わったほうがいいかもしれません。その後、解説を読んだほうが、「一粒で2回おいしい」体験ができます。

・「日常に潜む珠玉のドラマ
カーヴァーの作品は短編小説といっても、あらすじといえるあらすじがない。起承転結といえる起承転結がない。日常生活のちょっとした違和感とか異物感とか、非日常性の部分を、ちゃちゃっと切り取って描き出すのが本当に旨い人だと思う。波乱万丈だけが語るべき人のドラマではないと、日常の中にこそドラマは潜んでいるのだと、教えてくれたのはこの人です。村上春樹さんの訳もすばらしい。

いつ見ても最後に何かじーんとくる感覚が残るのが、「ささやかだけれど、役に立つこと」、「僕が電話をかけている場所」、「大聖堂」です。絶望の中で見出せる小さな小さな希望、というのでしょうか。ほんのわずかな手かがりが、死や別れやディス・コミュニケーションに、未来を切り開く大きな可能性を見せてくれます。

それがね、大仰に描かれてないのが、カーヴァーのすばらしいところ。あくまで、日常という人生の一部分なのです。

・「カーヴァー入門として最適
レイモンド・カーヴァーの秀逸な短編小説をまとめた傑作選.短編以外にもいくつかの詩や,カーヴァーが父親について書いたエッセイなども収められている.「大聖堂」,「ぼくが電話をかけている場所」,「ささやかだけれど役に立つこと」といった短編はもちろんのこと,「使い走り」のようなものも読めて楽しめる一冊だった.カーヴァーの小説は原文を読んでこそ凄さが分かるという人もいますが,村上春樹の訳もまた十二分に楽しめる.

・「カーヴァーの空気と、日本語。
この作家には独特の空気がある。 プロの作家なんだから当たり前だと思うかもしれないがこの作家のすごいところは何でもない情景に潜む悪意や好意などいろいろな感情を巧みに描き出すところだ。 それらが、村上春樹の美しい文体によって綺麗に再現されていると思う。

そう、原文で読むことのできる英国系の人々には悪いが、村上春樹の訳文でカーヴァーを楽しめる日本人は幸せだと思う。そういいきってしまえるほどこの二人のコンビは完璧だ。

・「状況のグリップ力、に脱帽
村上春樹の翻訳によるレイモンド・カーヴァーの短編集である。 私は、作家としてよりも翻訳家として春樹の方が好きだ。  カーヴァーの素晴らしさは、状況のグリップ力といった点にある。また、翻訳当時の春樹の作品と比較すると、ほとんどの話が三人称で書かれているせいか(春樹の場合は一人称)、感情移入が適度に抑制されていて文章全体がシャープに仕上がっている。割と簡単な英語なので是非一度原書で読んでみることをお勧めする。 何かが起きてしまった後に残る喪失感、あるいはこれから起こりそうな予感だけを切り取って見せるのが、カーヴァーの作風であるが、その中になんとも形容しがたい“やるせなさ”が感じられる。 表層的なサバービア光景をシニカルに描いた50年代の作家:ジョン・チーヴァーに通じる状況設定が多いが、チーヴァーと比べるとカーヴァーの視点はずっと暖かい。それでいて最後の最後で何かがするりと指の間からこぼれ落ちていく皮肉、そのあたりの筆の冴えがカーヴァーの真骨頂でもある。

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (詳細)

遠い太鼓 (講談社文庫)

・「旅行中、あるいは旅行に行きたいのに行けないときに・・
 この本は死ぬほど何度も読み直しています。 まず海外へ旅するときには必ずこの本を持って出かけます。そうすると、たとえその旅自身が不毛なものに終わっても、これを読むことで、「期待外れだったこの旅も、そう悪いものでもなかったのかもな・・・」と思うことが出来るのです。これは春樹氏がこの本から送ってくれる「異国にいるとはそういうもの」というメッセージ性を感じるからでしょうか。 得るものの多い旅だった場合は、この本がその喜びを10倍高めてくれます。それもまた、この本の持つ魅力です。

 現実を離れて、どこか遠くに行きたい。でも、今は行けない。そんなときにも、またこの本を手に取りたくなります。せめて、異国の空気を良質な文章を通じて触れたいという欲求からです。

 旅の最中。旅に出たい想いに駆られたとき。この本は、そんなときに私の心を助けてくれる一冊です。現実から遠ざかれる旅行が好きな方すべてにおすすめしたいと思います。

・「楽しい旅行記
日本人が書いた欧州旅行記の白眉である。一応体裁は旅行記というノンフイクションでありエッセイであるわけだが 読み終えた読後感としては上質の文学を堪能したという感じである。

村上春樹は 欧州での自分を「常駐的旅行者」と言い表しているが まさに住民でも旅行者でもない 特異なスタンスから覗く欧州は 読んでいても非常に新鮮である。欧州にこれから行こうとする人は是非持っていって下さい。

・「村上春樹さんの小説の源
 村上春樹さんの小説はそれなりに読んでいましたがエッセイはこれが初めてでした。旅行記やエッセイとしてはもちろんのこと、彼の小説によく出てくる「料理」「場所」「酒」なども、ここからかぁ~!と感じられます。つまり、村上春樹さんの「メイキング本」的な見方もできていいとおもいます。こういう旅や捉え方ができる人が本をかけるのかな、と思いました。いいことばかりでなく正直なところも小説同様に読むことができます。村上小説読者必読本(小説のネタがばれて面白くなくなってしまうかな)。

・「旅が日常になったら
外国生活とはかっこいいだけのものではない、旅する生活とは日々新しいことに出会える充実したものではない、という現実を淡々と描いた本です。

何かをするための旅ではなく、旅することが目的になった旅も悪くないな、と思わされます。退屈だからホテルにこもって読書したり、時間つぶしに島をレンタカーで一周したり、そんな旅も悪くないな、と。

ちょっと旅行に行く時は必ず持っていく本です。

春樹氏の目線で見たイタリアとギリシャの人々はたまらない愛おしさを感じさせてくれます。

・「村上さんファンなら必読です!
かなり分厚いのですが、すらすらと読めますから心配無用です。観光では行かない土地やお店、シーズンオフの雰囲気、地元の人たちとの交流も満載です。著者がどこの土地でどんな気持ちでノルウェイの森やダンスダンスダンスを書いたかも知ることができ、ファンにとってはたまりません。陽子夫人とどんな会話をし、どんな食事を作り生活をしていたか、苦労しながらあちこちに転居する様子などすべて楽しめます。

遠い太鼓 (講談社文庫) (詳細)

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

・「同時存在のかねあい
作者ご本人の手による逆翻訳バージョン『レーダーホーゼン』もさることながら、それぞれの作品が少しずつ手直しされているので、長年の読者としては手持ちの既刊を片手に、比較して読むのがなにより楽しかった。―――『パン屋再襲撃』の最後や、『カンガルー通信』の文体、『四月―』の加筆や『納屋を焼く』のモラリティーに関する記述等々、加筆修正分に実に納得。逆説的に、手直し前の作品のある種の「若さ」も感じられて、それはそれでまたいいなぁ、と納得。ところで「そんな短編あったっけ?」と、実は発売前から思っていた『窓』が、改題された『バートバカラックはお好き?』だったことに、わたしは読んでみて初めて気がついたけれど、加筆修正された本書収録分は、まさに『窓』、『窓』以外にありえない、と感じた。それぞれほんの少しの加筆だけれど、そこに20何年分の想いみたいなものを・・・。そういえば、今は亡き中島らもさんが「自分の子供が幼いうちに20年落ちのジョークをしかける」というような話をどこかで書いていた。少し違う気はするけれど、「20年落ち」という点ではまさに落ちたような気分。「短編?全部読んで知ってるよ」という方も、きっと楽しめます。もちろん村上作品は初めてという方はなおさらのこと。フィスケットジョンさん、いい短編集を作ってくださっています。海外で売れているのも納得。

・「短篇ベスト
 本書はアメリカで編集・出版された短篇集の逆輸入版ですが、日本の読者にも人気が高い作品が収められており、そういった意味では、古くからの村上春樹ファンの方にも、また最近ファンになった方にとっても、是非所有しておきたい一冊ではないでしょうか。音楽の世界では、ベスト版の発売はよくあることですが、文芸の世界ではなかなかないので。 「パン屋再襲撃」、「ファミリーアフェア」、「午後の最後の芝生」等、一般的に人気の高い作品もいいですが、個人的には、表題になっている「象の消滅」がお気に入りです。これを読んだ後の衝撃は、他のどの短篇をも上回るものでした。

・「アンソロジー
この1冊で村上春樹さんの前期の短編世界に触れることが出来ます。あっさりと読んだ後に残る不安は、ムラカミワールドそのものです。装丁のワイアーアートの象も素晴らしい。市販して欲しいと切に願います。

・「読むたびに色をかえます
前置きとして、春樹ファンのなかでも、長編好きと、短編好きに分かれるでしょうが、私はどちらも大好きです。なので、初レビューすることにいたしました。

私はいま33歳です。18歳のころから春樹を読みはじめました。とはいえ、若いときは、いろんな小説と平行して春樹さんの小説を読む中での、春樹でした。そして、当時はわかった気でいたりしたものですが。

その後、たまに読み返したくなり、読み返すたびに、「あれ?こんな読後感だったっけ?」と色を変えていきます。それが自分への対峙ともなり、どうにも今では中毒になってしまいました。

おおげさに言えば、物事や人にたいしても「わかった」つもりになって自分を甘やかしてはいけないな。ってことさえ教えてくれました。多分この先もまた、どんどん色をかえていくのでしょう。その種の小説はなかなかない小説だと思います。

そんな抽象的なことは抜きにしても、この短編集は、数ある中の短編からの厳選なので、読みやすく、装丁もちょっと部屋においておくには素敵ねーー。って感じで。春樹の短編気にはなっているのだが沢山ありすぎて何から読もうかなーーー・・・という方には、オススメです。そのようなお買い得品ですが、一つ気がかりなのは、執筆された時代がバラバラなため、もしかすると、一つ一つへの雰囲気への違和感を感じてしまうかもしれないです。

・「「逆輸入」に関するプラクティカルなコメント
「逆輸入」という言葉で誤解する人もいると思うので、正確なコメントを入れます。

本書で村上春樹氏が書き下ろしているのは、以下の部分です。

・ アメリカで『象の消滅』が出版された頃 (p.12-26) (内容は、本書の出版にまつわるエッセーのようなものになっています。)

また、日本での初出以降に改稿された作品については、その改稿版が収録されています。該当するのは以下の作品です。

・ 中国行きのスロウ・ボート ・ 象の消滅 ・ レーダーホーゼン (アルフレッド・バーンバウム氏による短縮版を、村上春樹氏が日本語に翻訳)

なお、本書収録の『窓』は、英語版の題名を踏襲しています。日本初出時の題名は『バート・バカラックはお好き?』です。

また、本書収録にあたり、「いくつかの作品には細かい部分で手を入れた」(p.24) とのことです。

それ以外の部分については、(日本で出版されたときの) オリジナル・テキストのまま収録されています。

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991 (詳細)

神様のボート

・「いかにも江國香織らしい、と思ってしまう。
桃井先生の「東京から出て行って欲しい」という言葉を守るため、あの人に出逢うため、旅をし続ける親子。その設定を読んだとき、これは自分が引越しを決めたときに読まなければならない、と思っていました。今、引越しを決めてこの本を読むと、草子の素直な気持ちが痛いほど伝わってきました。

江國香織の文章は、いつもありきたりさがない。一般性がない、と言ってもいい。不思議な設定、不思議な語り口、ああそうだ、というような膝を打たせる共感など全く求めていないかのようです。それでも、徹底的に登場人物の人生を読ませきってしまう。気持ちを伝えきってしまう。そして、江國香織の文章はいつも短い。一言一言がいつも短いのに、知らない間に登場人物を知ってしまう。だから、知らない間に読み終わってしまう。どこまでも不思議な作家なのだ、と思います。

幼かった草子が成長していく中で、変わりゆく気持ち、自立していく様子、この辺りは特にいつの間にか、を感じました。いかにもな描写はしない、短い言葉が知らない間に伝えてしまうものがありました。

こんな親子はきっといない、少なくともほとんどいない、と思います。江國香織の小説はそれでいい、と思います。村山由佳も大好きですが、江國香織は彼女と同じように全てを説明する必要はない。共感をする必要もない。それでも不思議な登場人物の中、一瞬見出す真剣さ、懐かしさがいいんだと思います。

「すいかの匂い」の不思議な後味の悪さも嫌いではありませんでしたが、この小説の読後感もまた不思議で、なんだかいいな、と思いました。とっても印象に残る本だと思います。お薦めできる本だと思いますよ。

・「切ない。
私はこの本を読むまで、江國さんが好きじゃなかった。でも変わった。びっくりした。恋は幸せで、でもそれと同時に辛さや苦しさがあって。幸せの分以上の痛さがあること、そしてそんな恋の中で生きていく葉子のことを私は好きだと思った。彼女が狂ってるとは思えなかった。そんな世界をかく江國さんを私は尊敬する。

・「至高の一冊
物凄い本を読んでしまった・・・(!)というのが素直な感想。恋愛がどうとか、ストーリーがどうとか、そんなものではなく、一文一文が在るべくしてそこに在って全く過不足くなく、その一文一文に様々な感情が練り込まれているところが憎らしいくらいに巧妙に描かれている。

葉子には葉子の、草子には草子の生活があって物語は淡々と進んでいくわけだが、その間には様々な感情の揺れがあって、それが手に取るように伝わってきて、思わずニヤリとさせられたり、切なくさせられたりで、とても小説(創られた物語)を読んでいるような気はしなかった。この本に巡り逢えたことが幸せに感じられる至高の一冊である。

・「なぜこんな結末に・・・?
恋人の想い出に殉じる野島葉子と娘の草子の、親密で孤独な年月を穏やかに描いた物語。恋愛が、当人にとっては命を賭けるに値するものであっても、所詮他人には(たとえ娘でも)理解されない心理であるということ、逆に、他人には狂気にみえても、当人にとっては人生を賭けるに値するものであるということが、草子の成長とともに破綻する共同生活の中で描かれる。そして、人の幸不幸は他人には計り知れないものだということも、葉子の心理として繰り返し表現される。この母娘の親密さと絶対孤独は、一種「引きこもり」の心理に似る。しかし草子は成長する。ふたりで作り上げた、居心地はいいが外界の見えない巣の中からいずれ飛び立たねばならないことは、自分自身の人生を歩み始める草子にとっては必然であり、葉子にそれを止める権利はない。子にとって過酷ともいえるこの環境にあって自分の人生を選び取っていく草子には、子をもつ親として、「草子ちゃんお見事」というしかない。

ここで描かれた自閉的な親密さは、私にとって親しい感情である。しかし、想い出はあくまで個人的な所有物であり、そのために他人を巻き添えにしてはならない。いくら美しい物語であっても、他人の人生を巻き添えにしたら、それはやはり狂気である。

新井素子の「おしまいの日」に似たテイストである。優しい文体も私の好み。しかし、私にとって、この物語の結末は受容できない。意外、というより、「それはないだろう」という失望が大きかった。一晩考えたが、どうして作者がこんな結末にしたのか、今もわからない。

・「一生をまどろんですごしてなぜいけないのだろう―
狂気の物語なのに、どこまでも澄みきっている。草子の成長で転機を迎えるあたりでは、どうしたって泣いてしまう。ラストが未だに信じられない。

神様のボート (詳細)

東京タワー

・「女性の視点から見た作品も読んでみたい
大学生の男の子二人と、年上の女性との恋愛の話です。男の子二人の視点で描かれています。二人の女性は夫を持っていて、この本には描かれていない部分でそれぞれの夫との生活を営んでる・・・こんなに狂おしい程に、夫以外の男性に惹かれた女性はどうい感情を持って生活しているのか、それがとても知りたくなりました。

物事に動じなさそうでいつも穏やかな詩文、情熱的で感情を剥き出しにする喜美子、全く正反対の二人の心の中の声を聞きたい、そんな気持ちにしてくれすとても素敵なお話でした。

・「面白かった。
「...でも、わたしはあなたの未来に嫉妬してるのよ。」

ドキリ、としました。もしかしたら、年齢の離れた年下の恋人を持つ女性が、みな同じように感じることなのかなぁと思いました。男のこが主人公で、それも二人いて、彼らの視点が興味深かった。今までの江國作品とはちょっと感触のちがう、おもしろい物語でした。

・「やさしく自然体な二人
 年上の女性との若い男性との恋。はたから見ると、不自然な気がするけど小説の中の二人は、二人にしかわからない愛が静かに流れている。やさしい筆致で描かれていてだけど、主人公たちの行く末が気になりせつなくなる。女性はいくつになっても突然降ってくるような恋愛を避けずに大切にしてしまうところがあるかもしれない。ただ相手の若い男性の女性を想う気持ちがまたよく伝わってきていたたまれない若さに共感してしまう。

・「大切なもの
この本を読んで大切なものを愛する気持ちやせつなさを感じました。周りからは幸せそうに見える家庭でも、人それぞれ事情を抱えて生きているんですよね。不倫、恋愛、夫婦、親子、友人・・・どんな形であれ人には大切なものがあります。結婚して何ものにも変えがたい人に出会えても、人それぞれとる行動は違うと思いますが。私はひっそりとその人を愛していく方法をとると思います。

・「映画よりは原作!
透&耕二と同世代の男の子にほのかな憧れを抱いていた時期に、この本を見つけ読んでみました。私は喜美子より少し年下で既婚者。最初は透と詩史の恋を中心になんとなく読み終えたのですが、その後、私自身もその男の子と「耕二と喜美子」のような関係に陥ってしまい、今度は完全に喜美子の視点で読み浸かりました。不倫物語というのは、既婚者の方が悪者に思えてなりませんでした(実際そうかもしれませんが)が、耕二を想う喜美子の気持ちが分かりすぎるほど伝わって胸が痛みました。映画は、退屈しないようにいろんな出来事が盛り込まれていましたが、原作では特に大きな事件は起こりません。けれど私は、原作の方が現実的で、恋愛の純粋な部分が際立っていて好きです。

東京タワー (詳細)

ロング・グッドバイ

・「あとがきが最高かな
私は村上春樹さんの本は読みません。いやエッセイくらいは読んだことがありますけど、そのレベルです。「長いお別れ」は好きで何度か読んでいて、好きがこうじて原書も買っています。それくらいファンなので今回村上さんの「ロング・グッドバイ」が出るのをを楽しみにしてしていて、発売当日に買って読みはじめて、気になるところは清水訳・原書と比べながら読みました。感想ですが、訳に関しては村上さんのほうが原文に則って訳していますし、言葉も新しいです。ただ、雰囲気としては、マーロウの、とくにラストのテリーとの会話で感じたのですが、心の揺れが、なぜかストレートに伝わって来ませんでした(たんに自分の読解力不足かもしれません)。もし、長いお別れを読んでいなかったら感動は薄かった気がします。文学者と映画の翻訳家のちがいでしょうか、少なくともラストの雰囲気は清水さんの訳のほうが日本人としては理解しやすいと思いました。ただ、巻末のあとがきは最高です。これを読むだけでもチャンドラー好きにはたまりません。そんなことで★5つです。

・「やはり不朽の名作ですね!
丁度少し前にペーパーバック版の英文を清水俊二訳の文庫本で参照しながら読んだのですが、有る部分がスパッとカットされてるのではなく、台詞や情景描写中の数語が端折って意訳されてる部分が多々ありました。そう言う意味で今回の村上春樹訳「ロング・グッドバイ」の登場は完全本としても大いに価値があると思います。清水訳の味わいも捨てがたいのですが、極端な意訳をせず丁寧に一語一語訳してあるだけに、村上訳の方がオリジナルの世界をストレートに感じさせてくれます。あの名台詞の数々も素敵です。

どちらかと言うと清水訳の方が意訳の幅が広い分、よりセンチメンタリズムを感じさせてくれる気がしないでもないですが、村上訳は、深々と地味にその辺りが胸に響いてくる感じですね。

いずれにせよ、この名作が新たな訳で読めるのは喜び以外の何物でもありません!

・「直訳に近い
あくまで清水俊二訳との比較においてですが、原文に忠実な翻訳です。

とはいえ、紳士的過ぎると批判されていた清水マーロウ同様、「私は〜」ですし、雰囲気はあまり変わりません。

気になった文章が1つ3章のラストの1文(P.33):しかしそれはあくまで「あるいは」であり、どこまでいっても「あるいは」でしかない。」

意味が分かりづらいです。「あるいは」は原文の"possibly"の直訳なのですが、「もしも」ぐらいに意訳した方が日本語としては自然です。無論、村上氏は重々承知の上。氏の「原文に忠実に訳す」という強い意志を感じました。

後書き解説のフィッツジェラルドと絡めたチャンドラー論も読み応え有りです。

・「面白かったなぁ
2007年は村上春樹が強い思い入れを持つ、ギャツビーとロング・グッドバイが刊行されて、とても楽しい時間がすごせました。村上春樹訳は、批判する人もいるし絶賛する人もいるけれど、僕にとっては心から楽しめる、素晴らしい翻訳でした。どちらも今回の翻訳を読んで、初めて本来の意味が理解できた部分が多かったです。何故なら、どちらの作品も会話部分が多く、しかも洒落た言い回しや、思わせぶり、皮肉、反語などの修辞技法の駆使が、人物の心理描写に奥行きを与え、生き生きとした作品に仕上がっているからです。清水訳を昔読んだときには、読み取れなかった部分がいくつもあって、ああ、なるほどと思いながら読み進めていくのは、本当に嬉しいことでした。とても長い作品ですが、多くの人にお勧めしたいです。

・「数十年の思い込み
『ロールズロイス』という村上ファンならおなじみの“ズ”のこだわりから始まり、流れるような美しい文体で冒頭の不思議な男の友情話に引きずりこまれます。「私」については確かに、清水マーロウとの差はあまり無いように思います。が、テリー・レノックスが素晴らしいです。村上ワールドに必然的に存在する悲しみを湛えたキャラクター造形に脱帽しました。お恥ずかしい話ですが「長い間離れているお別れ」ではなかったんですね!「お別れの言葉を言うのに長くかかる」という意味だと気づくまで、実に40年かかった!思い込みとはおそろしいものであります。そういえば「キャッチャー…」の時もフィービーの誤字の話はまったく知りませんでしたっけ!

ロング・グッドバイ (詳細)

368Y Par4 第2打 (講談社文庫)

・「世界の過剰さに疲れきった頭に
 意図的にそう書かれているであろう、ともすれば青臭い「ロマンチックな表現」がここではほとんど用いられない。代わりにストーリー自体がとてつもなく甘い。それも、熟したバナナやサトウキビの甘味ではなく上手に炊いたお米の甘味、とでも言いましょうか……。その意味では、他の作家によって書かれてもよかった作品と言えるかもしれませんが、そうだからこそ、村上氏のストーリーテリングの巧みさそのものを直接的に堪能することができました。体験と想像力を使い果たした第三作目を考えるのも大事なことです。しかし、第三打目を打つためにも、やっぱり第二打なのです、たぶん。わたしはおもしろいと思うし、大好きな作品です。

・「なかなか面白いです
読むと少し元気が出ます。何とかがんばってやっていこうという気持ちになります。確かに、この物語に出てくるように第二打って大事だよな、成功したあとでもイマイチなあとでも。

・「名作
 なんだかふざけたタイトルとは裏腹に内容は言ったって真面目.人生における2打目の大切さを描いている. 1打目は勇気さえもっていれば,誰にでも打つことは出来る.問題は次,2打目だ.1打目がうまく言ったのならば如何にプロジェクトをうまく運び完成に持っていくか,失敗したのならばどうやってそれをリカバーするか. 私は後者が断然多い.計画通りに事が運ぶほど世界は平凡ではなく,様々な理由からアクシデントが生じる.そこから,どの様に立て直し,軌道修正をするのか.本当に大切なのはそこにある. この本は力をくれる.全ての1打目を上手くいった人,また,失敗した人にお薦めしたい.

368Y Par4 第2打 (講談社文庫) (詳細)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

・「やっぱりすごい。
作者の考えや思いつき、疑問が物語が進むきっかけになっていたり、登場人物の行動、思考を説明したりしています。ゴダールの映画を観ているような感じがしました。それは最良のコラージュのようにストーリーを綴っただけの文章では得ることのできない感動や考えることを私たちに提供します。本を読んで楽しかった面白かったという以上に、読んでいる最中に作者が問いかける疑問や考えについて思いを巡らすことの方が遥かに楽しい本でした。打ちのめされるほど美しい文章に何回も出会いました。読んだ時期によって少しずつ印象をかえる本でしょう。読めてよかったと本当に思います。

・「重さと軽さをめぐる万華鏡
重さと軽さという「もっともミステリアスでもっとも多義的」な対立をめぐり、クンデラお馴染みの小説的思弁が繰り広げられる、面白くて仕方がない「哲学的」小説。映画も評判だったが、原作の方が遥かに面白い。それも当然、この小説でクンデラがラブストーリーに託して展開する考察、時にはエッセイにまで逸脱して行く考察は、はじめから映像化不能なのだ。重さと軽さをメインテーマに、心と身体、偶然、キッチュなもの、等々を語るクンデラの口調は軽やかで優雅、時にはアイロニックで、深い洞察に満ちているが決して難解ではない。面白いばかりでなく、哲学や思考が美しいポエジーになることをこの小説は確信犯的に証明してくれる。「存在の耐えられない軽さ」とは、トマーシュが浮気性で「軽い」ためにテレザが苦しむ、などどいうつまらない意味ではない(映画だけ観た人、そう思ってませんか?)。愛とは宿命的な(重い)ものなのか、それともたまま偶然に発生した置換可能な(軽い)ものなのか? 物語の進行とともにクンデラの「軽さ」はネガティブにポジティブにとその色合いを変え、読者を幻惑する。そしてそれらの「小説的思考」を従えて展開するラブストーリーの深さと美しさは、巷にあふれる恋愛小説の比ではない。この哀切かつ美しい結末を見よ!時には時間が入れ替わり、作者が顔を出し、メタフィクショナルな遊びや洒落っ気にも事欠かず、これはとことん優雅で楽しめる知の饗宴です。

・「最後まで一気に読んでしまう魅力的な小説
「存在の耐えられない軽さ」。面白いタイトルだ、そう思い映画を見た。ユニークな話だったので、原作はもっと面白いに違いない、そう思いこの本を買ってみた。果たして、原作の小説はもう「見事」と言うほかない素晴らしさである。

ミラン・クンデラは小説を音楽のように書こうとしているようだ。何も美しい文章で書こうとしている、という意味ではない。作曲の技法-例えば対位法-のように小説を書くことに挑戦しているのだ。各登場人物のある心理が描かれると、今度は別の登場人物の異なる状況での心理が描かれ、それらが積み重なり一つの物語となる。ところが実はこの小説は、精緻な心理描写で読ませる類の小説では実はない。ニーチェの永遠回帰をめぐる考察が出てきたかと思うと、ベートーベンのEs muss sein(そうあらねばならない)という言葉をめぐるエピソードが出てきて、ある概念や行為、それをめぐる解釈が小説全体を支えている。

何やら難しい本のように感じてしまったかもしれないが、本当のクンデラの素晴らしさは、こうしたややこしいことを試みているのに、文章もストーリーも極めて明快に仕上げていることだ。眉間にしわを寄せて読む必要はない。構えずに読んでも楽しめるし、読後の満腹感は請合える。この本も面白いが、「冗談」という彼のチェコ時代の小説もお薦めだ。

・「千野さんの翻訳でクンデラが読みたい
クンデラの本は何冊も持ってますが、これが一番面白く感じました。理由を考えてみますと、この作品自体の魅力もあるのでしょうが、文章の分かり易さ、的確さにある気がします。他の作品は翻訳があまりに酷いと思います。日本語として変、というより滑稽です。だから難解です。理解に苦しむ部分があちこちに地雷のように隠れていて疲れることこの上もありません。他の本も千野栄一さんの翻訳で是非お願いします。

・「この小説にあえてよかった
 この小説は小説の歴史に残る傑作でしょう。すばらしい。

 恋愛小説の形式をとりながら、人生における「重さか軽さか?」というパルメニデスの問い(永劫回帰のような考え方で見いだされる人生観か、逆に人生は唯一回限りという考え方で見いだされる人生観、いずれをよしとするか)が、テレザ(重さを象徴)・サビナ(軽さを象徴)にトマーシュ・フランツという2人の男そしてテレザとトマーシュの飼い犬=カレーニンが織りなす物語を通して語られています。パルメニデスの問いは、時にベートーベンの「そうでなければならないのか?」という問いに置き換えられますが、考えられていることは同じです。クンデラは「重さ」を選んでいるように思えますが、サビナのような生き方を好む人もいるはずで、答えは読者自身に委ねられていると言えるでしょう。このほかにも、はっとさせられる著者の深い思考が随所にあふれており、翻訳もかなり良いです。なにをおいても買いの一冊といえます。

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫) (詳細)

美味礼讃 (文春文庫)

・「現代日本の我々が本物のフランス料理を食べられる理由
ブリア・サヴァランの美食哲学に接することもない現代日本の我々は、それでも本物のフランス料理に接することができる。それはなぜか。答はこの本にある。

ひょんなことから若くして料理学校の経営者となった辻静雄は、日本の一流レストランのシェフたちが判で押したように同じような贋物料理しかつくれないことに愕然とした。それは、外国船のコックが船の中でつくっていた料理が広まったものだったのである。

本物を求めてのゼロからのスタート。話を聞くためだけにアメリカに渡る。世界屈指の美食研究家チェンバレンに会ったとき、辻は自分の探していたものがわかったと妻に語る。

「きみには黙っていたけど、大の男が料理の勉強をするなんて、恥ずかしかったんだよ。でもチェンバレンさんと話して、料理も立派な研究の対象だと分かったんだ」

黙って何もいわない妻に、辻静雄は告げる。

「辻調理師学校を日本一の調理師学校にしてみせるよ」

彼はその決意通り、日本一の学校をつくりあげた。フランス料理普及の功績でフランス政府から勲章を授与され、世界中の友人から尊敬される。それなのに、本人が成功の美酒に酔いしれていないのはなぜなのか。

無用な飾りをいっさい捨てた海老沢泰久の文章は、芸術的料理を描き出すばかりでなく、日本の料理界を根底から変貌させた男の人生を料理のレシピのように具体的に語り明かす。

執筆前の取材と調査に2年余り。フランスの三ツ星レストランを歴訪し、辻静雄当人へのインタビューも50回に及んだという入念さは、辻静雄の情熱が作者にも伝播したからだろう。

グルメですらない自分が、この文庫本を繰り返し読み、おいしい料理を食べることの喜びや、つくることの深さを、何度も何度も味わうことが出来た。それは辻静雄が自分の舌と体をはって成し遂げた実践研究と、その半生を徹底的に追跡し、再現して見せた海老沢泰久の名文のなせるわざである。

・「日本に本当のフランス料理を紹介した男の生涯
丸谷才一は辻静雄を”明治初期に行われた学問・文化の紹介を使命感をもって昭和に行なった男”と評した。西洋料理しかなかった日本に本物のフランス料理を紹介した彼の生涯を追うこの本は、同時に知識人とは何か、文化とは何か、教育とはなにか、本物とはなにかを考えさせる。

辻氏が使命として行なった自宅での食事会も開高健、阿川弘之氏などの随筆にあらわれているのを散見するが、本当にわかるということがどれだけ凄絶な事かは、結局辻氏がフランス料理の食べ過ぎによる内臓の故障、というしかない疾患で亡くなられた事実が教えてくれる。

海老沢氏の語り口はいつもと同様に平明で、時には”軽すぎるかな?”という位で、大変読みやすい。本書を読んで辻氏に興味を覚えたら、是非氏自身の著作も読んで欲しい。

・「辻静雄にはまったのは,この本のせいです。
ある冬の日,大沢温泉で読んだこの文庫本がきっかけで,私は「辻静雄」にはまることになった。辻がフランス料理を「学んで」いく姿は,ジャンルを超えて胸を打つ。徹底した文献の渉猟,料理人や研究者の胸に飛び込んで本物に触れてゆくさま,そして,本物を極めようとした人だけが味わう孤独・・・。レシピを記述することを通じて,本来の素材や調理技術そのものに「美味」を語らせる著者の手法も,本書のおおきな魅力。この本を読んだ後は,ここで「辻静雄」を検索し,新潮文庫を中心に読み進めれば,あなたも辻ワールドのとりこになること,請け合いです。

・「私の知らない世界
料理なんて近所の定食屋で十分美味しいし、値段が高いからって、値段分美味しいわけじゃないだろう。ましてフランス料理なんて!常々こう思っていた私が、とことんまで最高級のフランス料理を味わってみたいと夢見るようになってしまった1冊。

ふた昔ほど前の関西人なら「ボクは料理界の東大へ行く」でお馴染みの料理学校を作った男の人生が、筆者独特の抑えた味わい深い文章で綴られている。平凡な人生を歩むはずだった主人公が絶え間ない努力を重ねていく姿は、平凡な私を非常に感動させたのであった。

・「辻調のはじまり
 現在日本最高峰の調理専門学校、辻調の創始者である辻静雄の功績や体験が、著者の巧妙な文によって書かれています。 彼のフランス料理へのこだわりなどがよくわかり、とてもすばらしい一冊です。

美味礼讃 (文春文庫) (詳細)

ティファニーで朝食を

・「新釈 『ティファニーで朝食を』
 表題作はおよそ20年くらい前に一度読んだことがあったが、今回新ためて村上春樹氏の翻訳で読んでみて、全く別の小説のように新鮮で魅力溢れる物語であると認識させられた。ホリー・ゴライトリーなる主人公の女性のパーソナリティーを村上氏の翻訳はくっきりと、かつ魅力的に浮かび上がらせている。日本語への翻訳の場合、特に女性言葉において、話し言葉の文末の処理が難しい。どうしても単調で、なよなよした表現になりがちなのだ。しかし、村上氏は敢えて乱暴な語り口も辞さずに取り入れるなどして、ホリーの奔放さを表すのに成功している。 それ以外の3つの短編も、それぞれに魅力溢れる逸品で、村上氏の翻訳はそれをあたかも元々日本語で書かれた作品であるかのように、瑞々しく表現している。 『花盛りの家』は、まるでメリメの『マテオ・ファルコネ』のような、古典的な美しさを湛えた完成された作品であり、『ダイアモンドのギター』は、社会からドロップアウトした者たちの荒んだ世界を美しく描き上げ、テネシー・ウィリアムズの短編集『片腕』を思わせる佳品に仕上げている。『クリスマスの思い出』の切ない味わいは、小品ながらマッカラーズの『結婚式のメンバー』に通ずるアメリカ南部の日常を見事に現出している。4作品とも、作者カポーティ自身の、孤独な魂のふるえを滲ませているかのようで、読後哀切な余韻を残す。 訳者による評価は余り芳しく無いようだが、個人的にはカポーティの『カメレオンのための音楽』を村上春樹訳で是非読ませてもらいたいと思う(H20.3.23)。

・「同時代の訳で読めることの幸せ
 「ティファニーで朝食を」が村上春樹訳で読めることはとても嬉しいですね。もちろん、そんなこと「別に村上じゃなくたって」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが。それでも、村上訳はとてもわかりやすく平易な(だけれどもお洒落な)言葉で訳されているように思えます。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にせよ、「ロング・グッドバイ」「グレート・ギャツビー」にせよ。どれも、村上訳以前の訳でも読んでいましたが、もう一つしっくりこないものがありました。村上氏もおっしゃられている通りに、言葉はどんどん更新されているということなのでしょう。訳された時の言葉の感覚と、僕の(今の時代の?)持っている言葉の感覚とのズレ、それがしっくりこない一因であるのだと思われます。そういう意味では、これらのある意味で評価の定まった名作の、この先何年か何十年かの翻訳の定番になるのが、この村上訳になるのではないか、そう思わせる翻訳です。  さて、この本。タイトルは「ティファニーで朝食を」ですが、その他に「花盛りの家」「ダイアモンドのギター」「クリスマスの思い出」という3つの短編が収録されています。そんなことは知りもせずに購入したので、得した気分でした(皆さんの得した気分を奪ってしまったかな?)「クリスマス・・」は以前に発表されたものですが、村上訳ですから当然のように「手入れ」がされてあります。 そして、あとがきに謝辞があるとおり、柴田元幸氏が翻訳の助言をされているようです。お二人がどんな方であるのか想像するしかないのですが、少なくとも発表された作品に関しては「責任を持つ大人」であるように感じます。良心、職人気質、という言葉が、このお二人の作品(このお二人だけというわけではないですが)に触れるたびに、僕には思い浮かびます。

 「あなたがこの本にのめり込めるかどうか」、こればかりはあなた自身が読んでみなくてはわかりませんが、昔読んだ方も、初めて読む方も、とりあえず手にとられることをお薦めします。装丁もこの本の雰囲気にピッタリのものです。僕は、洋書のような軽さも含めて、この翻訳がとても気に入っています。

・「小気味良いコケティッシュなホリーが目の前にいる新訳
小気味良くリズミカルな訳である。英語版を読まない私は実際にカポーティがどう書いたかどうかに興味は持っていない。訳者によってそのトーンやリズムが変わってしまうのは当たり前であり、それが村上春樹だからといって訳の善し悪しを論じること自体は理解はできるが、重要なことではないと思うのである。

重要なのはこの村上版のホリーはコケティッシュで夢想家であるところが更に更に小気味良く表れ目の前にリアリティのある彼女の姿を浮かべることができる。そのくらい楽しい仕上がりになっているということだ。

花盛りの家も、ダイヤモンドのギターもあわせてアイロニーとペーソスを含みながら哀愁たっぷりな締盟感とそれでも未来への期待が表れる共感できる作品だった。

このカポーティの時代、ティファニーは今以上に尊敬され、高貴なものだった。その頃のブラジルと同じくらい。少なくともホリーにとっては。

時代の香りがする楽しい作品。そして村上春樹が愛してやまない作品のひとつ。

・「めちゃくちゃでせつないストーリー
まず何よりも文体が村上春樹の小説にそっくりなのにビックリ。鉛筆は削られるのを待っているし、トーストはかりかりで、舌をこんこんと鳴らす人物。この段階でかなり喜んでしまった(小説、最近ご無沙汰なので)。

以前に読んだことある作品だったけれど、ほとんど忘れていた。今回読んで小説を読む楽しみをしみじみ思い出しました。めちゃくちゃなヒロインに対する「僕」の、どうにもなりようがない想いがせつない。冒頭で分かるように全てはもう過ぎ去ってしまい、「僕」はこの思い出の空間と良い距離を保っているよう。けれど、まだセピアではなく、かなり鮮明な感じがします。それもこのヒロインが凄すぎるから。少なくとも2回は度肝を抜かれました。そしてラストがまたグッとくるんだ、これが。

それにしても小説と翻訳の表現が似ているのって、よくあることなのかな?こんな作品を吸収してこそ村上春樹の文体はできあがってきたのかな、と思いました。

・「まだ映画は見ていないけれど。
村上春樹さん訳の、「ティファニーで朝食を」。ホリーが、とても可愛い! 夢中になって読みました。映画の方はまだ観ていませんが、この本を読むとホリーとオードリーヘップバーンのイメージとの間にギャップがあるような気がします。村上さんの文章は、エグい事が書かれていても、透明感があるというか清涼感があって大好きです。この本も、曖昧なところは曖昧なままに、クリアカットなところはクリアカットにと、村上さんならではの色が出ているのに、このお話の良さや特色が引き立っている感じで良かった。セリフ回しもキャラに合わせて絶妙。すごく想像力を掻き立てられます。同時収録のお話も、どれも面白かったです。得に、「花盛りの家」が好きです。リアルで性的な描写があったりするのに、そこはかとなくピュアで、まるで御伽噺のようなメルヘンチックな感じがして、不思議なお話です。

ティファニーで朝食を (詳細)
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