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▼ひねくれ屋の愛読本:セレクト商品

断食芸人―カフカ・コレクション (白水uブックス)断食芸人―カフカ・コレクション (白水uブックス) (詳細)
フランツ カフカ(著), Franz Kafka(原著), 池内 紀(翻訳)

「わたくし以前の世界とはなに」


単独飛行 (ハヤカワ・ミステリ文庫)単独飛行 (ハヤカワ・ミステリ文庫) (詳細)
ロアルド ダール(著), Roald Dahl(原著), 永井 淳(翻訳)

「ダールの原点」「戦うバイキング」「あぁ...やっぱりこの人あったかい...」「買いです。」「巨星の軌跡」


車輪の下 (新潮文庫)車輪の下 (新潮文庫) (詳細)
ヘッセ(著), 高橋 健二(翻訳)

「1つの青春」「無理をしているほど心に響く」「ヘッセの詩的な描写が美しい」「「人生とは何か」」「少年の短いが豊かな一生を残酷に描いた後世に残るべき名作。」


金閣寺 (新潮文庫)金閣寺 (新潮文庫) (詳細)
三島 由紀夫(著)

「日本文学の最高峰!」「麻薬」「理解が深まるまで読みたい作品」「三島文学の代表作」「読んでいる時は別世界にいるようです・・・。」


罪と罰 (下巻) (新潮文庫)罪と罰 (下巻) (新潮文庫) (詳細)
ドストエフスキー(著), 工藤 精一郎(翻訳)

「「聖」と「俗」の見事な大逆転」「非凡人には殺人を犯す権利があるか?」「罪と罰」「様々な要素をもった作品」「面白いドストエフスキー」


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)

「非村上ファンでも「面白かった」と言える本」「完璧に語られた不完全性」「この作品で彼はノーベル賞を受賞するだろう。」「圧巻です!凄さを感じる作品」「うーむ、」


萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)萩原朔太郎詩集 (岩波文庫) (詳細)
萩原 朔太郎(著)

「腐臭」「鋭敏な感覚を持った詩人」「病的なゆえに優しい世界」「言葉の力」「萩原朔太郎ベストアルバム」


MW(ムウ) (2) (小学館文庫)MW(ムウ) (2) (小学館文庫) (詳細)
手塚 治虫(著)

「手塚と読者の真剣勝負」「人間の存在悪を曝け出した非凡なる漫画という形のアート」「滅びるのは悪か、それとも…。」「二度と忘れられない」「なに?この作品は…」


モンスーンあるいは白いトラモンスーンあるいは白いトラ (詳細)
クラウス・コルドン(著), Klaus Kordon(原著), 大川 温子(翻訳)

「忘れられない1冊」


▼クチコミ情報

断食芸人―カフカ・コレクション (白水uブックス)

・「わたくし以前の世界とはなに
収録された29の短編のうち、「皇帝の使者」と「掟の門前」が特によかった。

自己の外にひろがる巨大で不可知の世界。また、その世界が主人公にあたえる脅威。カフカ作品に、往々にしてみられるテーマである。

巨大な世界を駆けてくる「皇帝の使者」が期する「おまえ」との邂逅。はたして「使者」は進んでいるのか、いないのか。確かなのは、巨大な世界の頂点に君臨する「皇帝」は、なぜか、その世界の一点でしかない「おまえ」を選んだということである。

「掟の門前」で相対する「男」と門番。「男」は門を抜けたいが、この門をくぐっても、まだまだ門は続くという。めまいを覚えるような巨大で不可解な世界。ラストで、世界と「男」との特殊な関係が判明する。

とてつもなく巨きくまた不明な世界。そのなかの小さな点でしかない自己。しかし、その世界の意味は、逆ヒエラルキーのように自己と密接に関わっている。

断食芸人―カフカ・コレクション (白水uブックス) (詳細)

単独飛行 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

・「ダールの原点
ダールの作品の原点を確認することができました。

「マチルダ」、「チョコレート工場の秘密」、「こちら愉快な窓拭き会社」の3つが、 同じ著者の作品だと知らずに、それぞれ読んでいました。

単独飛行を呼んで、3つの本の共通点に気がつきました。

極限の経験、人間に対する愛情、大人の権威に対する反発。 この3つの視点が、作品ごとに、それぞれほどよく混ざっています。

この本を読んで、ダールの本を安心して子供に勧めることができるようになりました。 ますますダールのファンになってしまいました。

ps. 宮崎アニメの「紅の豚」の題材の一つだといわれているそうです。

・「戦うバイキング
ダールは両親ともノルウエィ出身だから英国人ではないのに、ナチと戦うために有利な就職先の仕事を投げ打って英国空軍の戦闘機乗りとして志願しました。複葉機グラディエイターで鼻を付け替えるような重傷を負っても懲りずに中東配備の旧式のハリケーンに乗って、最新鋭のナチのBF109に殺されずに戦い抜いた回想録です。アテネの戦いは撃墜王パット・パトルの部下として参戦し、たったの12機のハリケーンで200機のドイツ空軍を相手に戦うという絶望的な状況の中で、隊長のパトルが撃墜されてもダールは生き残ったという凄いツワモノの戦記です。英国空軍の正式戦記にも記載されていますので実話です。

この本にラマトダビッドというダールが始めて着陸したイスラエルの共同農場の畑が登場します。今では共同農場だけではなくイスラエル空軍の主力空軍基地になっていて、知人のイスラエル人に聞いたところ、空軍関係者でその基地を知らないものはいない、ダールが開いた基地なのは初耳ということで、クチコミが始まり、イスラエル空軍のパイロットとOBの間ではこの本がブームになり始めているそうです。

ジュブナイル物としても航空物としても楽しめる絶対お勧め必読の一冊です。

・「あぁ...やっぱりこの人あったかい...
最後の一行を読み終わった時自分でもビックリだっのですが突然涙が流れました。熱狂的に彼の本を読んでいるわけではないのですが、読み終わるといつも体の中に暖かい灯がともったような不思議な感じになり、慌てて彼の本を買ってしまう私です。

・「買いです。
シェル・カンパニーへの就職によってアフリカに赴く前半は、同僚やかの地の人たちとの交流が「少年」と地続きなのですが、空軍兵士として徴兵されたギリシャで作者が目にしたものに思いを巡らすと書かれていることいないことに関わらず慄然とさせられます。たとえば、「船のタンクが裂けたところから海面にオイルが流れだして、海は火の湖と化した。六人ほどの乗組員が手摺りを越えて海に跳びこむのが見え、生きながら火に焼かれる彼らの絶叫が聞こえた。」(P212)といった記述。すぐあとには、「わたしはひと目見てミスター・カーターに好感を持った。彼はドイツ軍がやってきてもここに残る予定らしかった。地下に潜って活動を続けるのだろう。やがてドイツ軍につかまって拷問を受け、頭を撃ち抜かれるのだろう。」(P220)といった記述も見られます。普通このような体験をした人は、サリンジャーみたいになるのではないでしょうか。しかし、この作者は、その特質とされるユーモアを損なわれることなく、我々に多くの作品を残してくれています。それは、宮崎駿さんも解説で書いているように幼い頃からイギリス社会でマイノリティとして過ごすことを余儀なくされたその環境から不可避的に身についたもののように思えます。そこに思い到ったとき、面白いばかりで読み終わった「少年」の、書かれていなかった箇所について考えてしまうのは、ひとり僕だけでしょうか。

・「巨星の軌跡
 文句なしにおもしろい自伝です。ダール氏の大いなる好奇心とエネルギーから、劇的な人生が展開していきます。ときは第一次世界大戦のころ。故郷イギリスから、仕事でアフリカにわたった青年ロアルドはパイロットに志願します。そのなんともおそまつな軍の体制によって、おおくの友をうしない、自分も大怪我をおいながら、それでも飛びつづける。わたしたちの身におきたならとてもゆるせないような、理不尽な状況さえおもしろおかしくかたっています。それは、あとにつづく後輩たちに、ウインクしながらおしえてくれているかのよう。「いきていると、ひどいめにもあうけれど、そんなことばかりではないんだよ。」 戦闘のさなかでさえ、しっかりと目をみひらき、うつくしいもの、すばらしいものを発見する姿勢にはおどろいてしまいます。「もし、戦争がなければ、そらのうえからみた、アフリカの大地のうつくしさをしることもなかっただろう。じぶんはなんて運のいい人間なんだ!」ひととしてのスケールがでかいのです。これはひとりのツワモノが、いきることを満喫していくさまをえがいた快作。3年におよぶ戦闘機乗りをおえ、故郷へのたびの途中でさらなる危険をくぐりぬけます。まさに奇跡のような帰還をはたし、母親のもとへかえっていく場面は、何回もないてしまいました。朗読は3本テープにはいって、5時間4分の録音。声はソフトでききやすく、上手です。ナレーターとして名の知れた俳優だそうで、トーキーアウォードを受賞されています。

単独飛行 (ハヤカワ・ミステリ文庫) (詳細)

車輪の下 (新潮文庫)

・「1つの青春
 本性純真な自然児である主人公:ハンス。しかし、彼の逸脱した知性に対する周囲の「大人」の期待。入学した神学校の、規則尽くめの生活。それらはハンスを蝕み、彼の精神を車輪で轢くかのように踏みにじる。いわずと知れた「ガリ勉の悲劇」です。読むとその風評が、少し誤っているということが分かりますが…。

 いわゆる自叙小説というやつで、作者が自身の経験を、客観的に捉えられる円熟の域に達していなければ、独りよがりで、抑制を書いた作品となってしまいます。そしてこの作品は、そういう意味で少々不完全です。しかし、ヘッセの冗長にならない作風と、詩人志望であった彼特有の感性的で簡潔な表現により、結果としては良くまとまった、読みやすい作品となっています。

 しかし、上記のような自伝作品でありながら、「少年の精神的危機」というテーマを内包している点で、この「車輪の下」という作品は、個人を超える魅力があります。すなわち、少年時に幾人かが体験せざるおえなくなる、全ての価値観の消滅。死への逃避的憧れです。あんまり甘酸っぱくない、というか苦い青春時代というやつを送っている人は、早い段階で読んでおきたい作品です。

・「無理をしているほど心に響く
私は現在一日の多くの時間を勉強に割いています。大学に在籍中なのですが色々なものに背を向け、長い時間を本と向き合う生活にはやはり苦痛や悩みを伴います。それでも後の利益のために今を犠牲にするのは正しいことだと考え、頑張っていたのですがその考えに疑問を抱き始めたときに出会ったのがこの本でした。

この物語の主人公、ハンスは周りの人の期待と自分のプライドのために身を粉にして勉学に励む少年でした。しかし勉強に追われるあまり、周りの人や物事に目を向けずに過ごしてしまいます。この少年、悲惨な最期を遂げるのですが私はこの本の真意まだ汲み取れないでいます。しかし、今の自分を見つめなおすには充分でした。やはり私は、彼のように多くのものに背を向けて今を過ごそうとしていますが、それに対する疑問はもうありません。ハンス少年のような最後が一つの結末としてあることを理解して私は前に進む勇気をもらいました。今無理をしていたりつらかったりする人に、頑張っている今にこそ是非読んでもらいたい一冊です。

・「ヘッセの詩的な描写が美しい
この本を読むと、親の期待や学校の期待にうんざりした昔のことを思い出します。何のために勉強して誰のためにやるのか、漠然とした疑問ですがハンスのような年齢で明確な自分自身の答えを持っている子供というのはどれだけいるのでしょうか。ハンスはもともと目標のためにガチガチ一直線に勉強するタイプの人間ではない。釣りをしたり、子供らしい遊びが好きな普通の子供だったけれど、多感の時期の大半を自分の意思とは関係なく、自分の将来のために費やすことを強制されることに疲れたハンスの気持ちは誰しも感じたことのある感情だと思う。死の選択しか選ぶことができなかったハンスは最期何を思ったのだろうか

・「「人生とは何か」
高校時代に一度読んだのですが、難解で、あまり記憶に残りませんでした。大人になって読み返してみて、さらに自分の人生と重ね合わせてみて、実に奥の深い作品だと実感しました。以来、何かにつけ挫折感を味わうとハンス・ギーベンラートを思い出します。ヘッセは、自身が体験した少年時代の悩みを通じて教育制度への批判を描こうとしたのでしょうが、もっと大きなことも訴えたかったのではなかろうかと思うのです。それは、ハンスの最期の場面、川に流されていく場面で、落ちるところに落ちた人間の末路が非常に惨めに描かれており、そうならないように前向きに生きなければいけないと、逆説的に訴えているように思えます。中高生には難解でしょうが、周りの大人には聴くことができない「人生とは何か」という難しい問題について、ヘッセが時を超えて、自分の例をあげて語りかけていると思って読んでもらいたい作品です。

・「少年の短いが豊かな一生を残酷に描いた後世に残るべき名作。
自分は権威主義者では無いが、ヘッセの持つ洞察力に裏打ちされた感性には驚かされる。一人の少年の零落を描いた本作だが、これは誰の人生にも起こりうる一つのフォークロワであると言っても過言ではあるまい。

周囲から過度の期待を背負わされた少年が、期待に沿おうと無理やりに努力した結果の一つの帰結を描いた作品ではあるが、それと以上に、我々はこれを一つの教訓として読み解き人生の糧とする必要があるのでは無いだろうか?

ハンス・キンベラートの量産を国是としている以上、私の意見はともすれば「ゆとり教育」の必要性を認めることにもなりうるが、確かなことは子供にあった人生を歩ませることことこそ子を持つ親が真に負うべき責任ではないかと言うことだ。

誰だって我が子を車輪の下敷き(落ちこぼれ)にはしたくないだろう。

これは間違いなく、世界を代表する文学作品の金字塔と言っても過言では無いだろう。小説とは本来格あるべきだと思わずにはいられなかった。

ただし、一つだけ言いたいのだが、この小説はあくまで大人が読むものであって成長過程にある少年たちには間違っても読ませるべきではないと自分は思う。

ハンスの人生は負け犬の姿ではなく、周囲の過度の期待が彼を必要以上に追い込んだ帰結だ。 自分は、子供の頃こういったプレッシャーには死ぬほどさらされてきた。精神の削りあいとも言える多感な時期にこの小説は少々刺激が強すぎる。

誰かを蹴落とすことが必要であると錯覚しかねない、このご時世だ。彼らが成長しもう少し世の中を学び達観できるまで、長期休暇に提出される課題図書リストからは外すべきだろう。

車輪の下 (新潮文庫) (詳細)

金閣寺 (新潮文庫)

・「日本文学の最高峰!
なんでこんなに精緻で美しい文章が書けるのだろうか!と驚愕を禁じ得ない。正直、読み進めるのは大変だった。難解な語句が頻出するし、仏教用語も多い。手元に国語辞典を用意しての読書だった。

軽い気持ちで読んでいるとすぐに文章についていけなくなった。集中して主体的に読み進めないと理解できなくなる。

テレビや音楽といった受動的なメディアと違い、活字は主体性が重視される媒体なのだと再認識させられた。昨今の活字離れを背景に、大衆に迎合した軽い文章、浅薄な内容の作品しか書かないで作家気取りの人達の作品とは大きな違いだ。

日本語の美しさ、奥深さ、読書の醍醐味を満喫させてくれる作品。中・高校生にも是非読んでほしい。一生の財産になるはず。おそらく一回読んだだけで理解するのは難しいだろう。2度、3度読んでほしい。一生読める本だと思う。不世出の鬼才・三島由紀夫が日本人に残した宝だと思う。

日本語を母国語として育った人間で本当に良かった。この作品は日本語で読んでこそ真髄が伝わる。

・「麻薬
三島の作品の中でも、最高傑作。

吃音(どもり)のせいで自閉的な主人公の抱える、屈折した願望・欲望、痛いくらいに切ない物語。

何度読んでも、そのたびに胸が苦しくなる。そしてまた読みたくなる。私にとって麻薬のような本です。絶対に読んでほしい一冊!

・「理解が深まるまで読みたい作品
正直言って、難しい。 学僧が金閣を燃やすに至るまでの心理の変遷を描いた話であることは周知のとおりだが、その心理の変遷を追っていくのが大変なのだ。 三島は主人公の心理を、詳細すぎるぐらい詳細に説明してくれるので、きっと元来三島小説に合う人ならばすぐさまこの本の虜になることだろう。

しかし、そうでない人には少し慣れが必要だと思う。僕もそちらの部類である。だが、僕はこのような三島小説に他にはない魅力を見出すのだ。

それはひとつには現在このような、登場人物の心の琴線を、綿密に丁寧に描いた小説が存在しないと言うところから来ているのではないかと思われる。

曖昧なままごまかす…この本を読んでいて、同時に、そういう現在小説の動きにいささかの危機感を感じてしまった。

・「三島文学の代表作
この作品は、昭和25年に実際に起こった出来事を下地に描かれた作品である。文学史に名を残す作品だけに、選びぬかれた語彙と硬質な文体で書かれる文章は、読者に読ませ、考えさせる力を持っている。主人公を明るいところに留めてくれるはずであった朋輩の死、同学の友にみる暗い悪意、それから親からかけられる期待の大きさ。そんな外的要因が積もって、「美」の象徴である「金閣」を憎むようになる主人公の倒錯した感情を、緻密なディテールを持たせた回顧という形で描きあげる。この作品を読み通し、消化するのは、難儀なことだが、読後にはそれなりの達成感と充実感を得られることだろう。

・「読んでいる時は別世界にいるようです・・・。
この有名な小説を読んだのは、三島由紀夫の本を読み出してから割と後期のことだった。 その所為か、文章は読みやすく、登場人物の性格も他の三島作品のそれと比しては随分素直だなぁ、と思ったものだった。でも読みこなせているかどうかはまた別である。恥ずかしい事ですが・・・。

ごく始めの方に、主人公が有為子を需め、暁闇の村のはずれにさまよい出て行く箇所がある。新潮文庫で言えば、12ページの9~10行目の所と、次は最後のクライマックスで、火をつける直前の254ページ・5~6行目の描写が瓜二つなのである。自分を拒むことが自明の有為子を待つ行動。自分を拒み続けてきた金閣寺と対峙する行動。その二つをダブらせているのだとしたら、見事な伏線の張り方である。

このP.254の2行は、『金閣寺』の中でも屈指の名文である。それまでは割とゆっくりした流れで、丁寧に’説明’をしてきた文章が一気に跳躍する。たたみかけるようなスピード感。主人公の行動がそれまでとは打って変わったものであることを、そのたった2行であらわしている。おそるべし、だ。 

以下私事になりますが、私が生まれ育ったのは、大谷大学のすぐそばだった。小学校の写生大会では、谷大(と呼んでいた)のキャンパスに入れてもらい、鬱蒼と茂る樹々の下でせっせと絵の具を塗りたくっていた。区民体育大会では、谷大のグラウンドで走り回った。文中に出てくる、西洋的な館・菓子店・薬局なんかも「もしかしてあそこのことかなぁ」と思い浮かべることができる。高校は金閣寺まで自転車で5分あまりのところだったりしたものだ。

市川昆監督の『炎上』は観ていないのですがもし映画化があるとすれば、有為子役は天海祐希さんがいいかなぁ(華道の先生と二役で)。溝口は?鶴川は?小市民丸出しの溝口の母は?など取り留めのないことを考えてたりもしてしまいます。

『春の雪』があまりにミスキャストなんですもの・・・。

金閣寺 (新潮文庫) (詳細)

罪と罰 (下巻) (新潮文庫)

・「「聖」と「俗」の見事な大逆転
将来英雄になるであろう非凡な人間は、それが英雄となるために避けられぬことであるならば、社会に有益でない人間を殺めても、許される。ナポレオンに心酔する主人公は、自ら築いたこの理論をもとに、高利貸しの老婆、さらには何の罪もないその妹までも惨殺してしまいます。

たしかに歴史を紐解いてみても、ナポレオンのみならず、三国志の曹操や日本の織田信長の例もあるように、既成の概念を打ち破る人間とは、とかく他人の血を流すことを躊躇いません。これら負の英雄像を、チャップリンが映画「殺人狂時代」において、「ひとり殺せば悪党で、100万人だと英雄だ」と大いに皮肉ったことはあまりに有名です。

主人公は、第一の殺人でいきなり精神的な行き詰まりに陥り、「英雄」となる前に平凡な「悪党」で終わることを恐れ、苦しむ。本書の大部分はこの非凡と平凡の狭間で揺れる主人公の心の葛藤で構成されています。この物語をいかに捉えるかは、読み手によって千差万別でしょう。私はシンプルに「愛の物語」と捉えています。

なぜなら、上記の理論は彼を支える信念であっても、殺人の動機ではないと考えるからです。生活に苦しむ自分のため、富豪との愛のない結婚へ望もうとしている(と主人公は思い込んでいる)妹への愛。そして無力な自己への怒り。それらが相まって彼を殺人へ駆り立てたのではないでしょうか。しかし、平凡な人間に殺人は大事業です。それを完遂するための心の拠り所として、かの英雄論が浮かび上がってくるのです。が、すべからく英雄とは唯一無二のもの。他者を模範に英雄たらんと望む時点で、すでに彼は英雄の資格を失っており、自己の空想の中での「聖」の立場から、現実としての「俗」へ転落します。

そんな敗者を救うのが、薄幸の娼婦という「俗」の象徴たるソーニャからの一点の曇りもない愛である、という点こそ、この物語の妙でしょう。主人公とソーニャだけではありません。帝政ロシア時代の輝ける首都サンクトペテルブルクは陰惨で気だるい空気に包まれ、その反面、最後の舞台であるシベリアの流刑地は、陽光の眩しい、さながら楽園のような場所。「聖」も「俗」も人間が作り出したものある以上、人間の意志ひとつでどちらにでも転じてしまえることを、この作品から強く感じることができます。多少取っ付きにくい文体ではありますが、読めば必ず得るもののある一冊です。

・「非凡人には殺人を犯す権利があるか?
この本の中核を成しているのは、やはり主人公の元学生ラスコーリニコフによる殺人の動機でしょう。それは、予審判事ポルフィーリイとの言論対決によって徐々に明らかになっていきます。非凡な人間には、自分自身が納得する理由があれば、法律を破る(殺人を犯す)権利がある、という理論が殺人の動機になるわけですが、その後主人公は、殺人を犯したことに対する倫理的な問題よりも、自分は殺人を犯すに足る非凡な人間ではなくてただの凡人なのではないか、という問題に悩みます。この問題にドストエフスキーは、最終的に理屈で説明の付かない結論を与えていますが、その説明をあまりしないところに、かえって著者の深い洞察力がうかがえます。軽いカタルシスではなく、重たい問題意識を読者に与え、考え悩ませるのが狙いであるとすれば、まさに絶妙のエンディングと言えるでしょう。

ところで、この本を古典たらしめているのは、殺人を犯したことによって苦悩するラスコーリニコフの姿が、多くの青年が成長の一時期に持つ悩みを具現化しているからだと思いますが、ドストエフスキーの問題意識は別のところにもあるようです。本書は、爛熟のロマノフ王朝下、農奴解放期の大混乱の中で、知的階級に属する若者たちが、生半可な理論を振りかざして、革命運動をしていたことに対する批判なのではないでしょうか。金貸しの婆さんを殺すこと、つまり現体制を転覆すること、それは同時に頭の弱いリザヴェータ、すなわち普通に生きている庶民の生活を破壊することにつながる、その責任が取れるのか、とドストエフスキーはこの本で警鐘を鳴らしているように思えます。その意味で私は、金貸しの婆さんはともかく、リザヴェータを殺したことにはほとんど言及しないラスコーリニコフに不気味さを感じると同時に、著者の視点の鋭さを見ます。

・「罪と罰
個人的な意見では、物語は終り方によりそれ以上に素晴らしくなったり、それまでの感動を無にしてしまったりすると思っています。

<罪と罰>の終り方は実に無心論者のドストエフスキーらしいものだった。決して”罪を犯した人間も祈れば許される”とかいう類ではなく、最後の3行のあたりの”彼を救ったのは・・・だった”という表現。

この最後の3行が素晴らしく、それ以外の長いストーリーが全て<伏線>のように感じた。

読んだことのない人には是非お勧めしたい作品です。

罪を犯し罰を受ける。しかし罰を受けても罪は消えない。罪を背負い続けて生きる人間を救うものはなんなのか?

・「様々な要素をもった作品
ドストエフスキーというとなんだか暗い感じがするかもしれないし、その量からしてもなかなか読む気になれないかもしれない。でも、ドストエフスキーとか世界の名著とかっていうブランドを抜きにして、この本は単純に面白いです。あとがきにも書いてあるが、この本は色んな要素をもっている。殺人犯ラスコーリニコフが次第に追い詰められていく推理小説でもあるし、ソ―ニャとラスコーリニコフの信仰の対決と彼らの愛の小説でもある。家族の絆を描いている小説でもあるし、友情や道徳を描いている小説でもある。色んな読み方ができるので、何度読んでも飽きないと思います。

・「面白いドストエフスキー
ドストエフスキーの初期の作品。全作品中、最も分かりやすく、読みやすい。そのため、ドストエフスキーって何と思う人は、この作品を最初に手に取るだろう。作品の内容は、刑事コロンボのような構成を取っている。まず、最初に、主人公の紹介が行われ、その心理が説明され、犯罪が行われる。その後、犯罪者となった主人公の心理的変化や行動が微細に描かれる。その中でも、担当刑事に追い詰められていく様子は、最も興味深い。最終場面も、他に類を見ない独特の結論である。

読者は、この小説で、ドストエフスキーって、面白いなと思い、次の小説に手を伸ばすだろう。そのとき、次に書かれた作品ではなく、彼の最後の作品である「カラマーゾフの兄弟」をお勧めしたい。この作品もまた、父親殺しの真犯人は誰かが主題となっている、面白い作品だからだ。

罪と罰 (下巻) (新潮文庫) (詳細)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

・「非村上ファンでも「面白かった」と言える本
「ノルウェイの森」を読んでも、「国境の南、太陽の西」を読んでも大して面白いと思えなかったが、これだけは違った。今まで読んだ全ての本の中でも間違いなく5本の指に入るし、人に勧めたくなる作品だ。

私がどうしても村上作品を好きになれない要因である、女性との関係の描かれ方や、おしゃれすぎる飲食の情景でさえ、「世界の終わり」の幻想的な世界との対比によって、“日常”を構成する要素に見えてくる。

そして、物語の結末。

それまで、冒険活劇が繰り広げられてきた「ハードボイルドワンダーランド」の結末は、悲しくなるほど穏やかで内省的。主人公が手放さざるをえない“日常”を想ってなぜか涙が出た。もう一方の「世界の終わり」は、眠りから目覚めたような展開で、希望へとつながっていきそうな描写で終わる。

絶対に、読み終わってもすぐには現実世界に戻れず、深い余韻にゆっくり浸りたくなる1冊だ。

・「完璧に語られた不完全性
村上春樹の数ある著作の中で完成度が最も高いのは世間も私も認めるところである。それほどまでに、細部に至るまで精密に計算されつくされている。一章ごとに二つのストーリーがパラレルに展開している。二つの世界は互いに影響しあっている。この二つの物語がつむぎだす緊張感がたまらない。

村上春樹は翻訳家でもある。翻訳というのは一つの物語を頭の中に概念として記録し、それを違う形のものに作り変える仕事である。小説の主人公は頭の中にブラックボックスを持っていてそこで、なにやら作業をする。作業の内容は主人公にもわからない。これは翻訳家である村上春樹だからこそ、思いついた一つの世界認識の方法であるよう気もする。

この作品には考えるべく、問題がたくさんあると思う。しかし、そこを気にしなくても、不思議な冒険物語として気軽に読めるだろう。私は、村上春樹初心者には必ずこの本を進めることにしている。もっとも、読みやすく筆者のテイストも伝わるからだ。村上春樹の最初の一冊に思い悩んでいる人、これから読み始めたらどうですか?

・「この作品で彼はノーベル賞を受賞するだろう。
作品冒頭、巨大なエレベーターでポケットのコインを数える印象的なシーン。そして、金色の一角獣、ピンクの太った娘、老博士、夢読み、影、やみくろ、歌の消失した世界……作家の豊かな想像力を見せつける数々のキーワード。2つの話が並行的に語られるが、あまり気にせず本の順序通りに読み進めると、不思議なシンクロ感が味わえる。意表をつく結末も、読む者におおきな宿題を投げつけられたようで、私自身未だ折に触れて読み返してしまう要因かもしれない。

最初、読み通せずに挫折してしまう人も、それだけ読み応えのある作品だと思って、何度かトライしてください。きっとすばらしい作品だと感じ取れるはずです。ところで。単行本も文庫本も今のポップな装幀よりオリジナルの司修氏の暗いイメージのデザインがおすすめです。

・「圧巻です!凄さを感じる作品
「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」との2つのストーリーが最初は何で交互に出てくるのだろうと思い、その内に何か関係ありそうだと思い、最後に繋がるのだけれども、それが本当にどんな繋がりなのかを読後も考えされられてしまう物凄い作品です。読み終わってから、また上巻の最初に戻って読み始めてしまいました。どうしてこんなストーリーを考え付くのか想像を絶するものがあり、ハルキストのみならず、文学好きの人にはたまらない作品だと思います。本質は真面目ながら、随所にユーモアがあって(机の上にたくさんクリップがある理由が分かったときは笑ってしまいました)、迫力満点で、読んでいて思考回路がフル回転する気分です。また、絶対映画化出来ないだろうなと思いますし、それぐらい文学のレベルの高さを感じさせてくれます。それから、太った娘が何でいろんなことを知っているんだろうと不思議な感じでした。そうでないとストーリーが進まないからですかね。星5つでも足りないぐらいです。

・「うーむ、
正直言うと、大好きな小説にコメントは難しいものですね。この作品は村上春樹の小説の中で、特にその形式・構成の中のバランス計量感覚が十二分に発揮されている作品ではないでしょうか。もちろんいつもの表現描写も素晴らしいです。平易な読みやすさと複雑なプロット、静と動・カタカナと漢字ひらがなの二つの物語、など「一見相反するもの」を描いていきつつ、その構成とバランスが最後まで大きな破綻なく進行していく様子に驚きを禁じ得ません。こういう作品を長編として書くことは、著者自身にどれほどの緊張の維持を要求するものなのでしょう?そしてラストだけはいずれも「希望ある死(あるいは生まれ変わり)」という点で二つのストーリーが類似・対峙する、絶妙という他ない気がします。自分でもうまく説明できませんが、何故か夜中に読むのが好きな作品で、かつラストは明け方に読み終わりたいと思っています。夜明けに希望を託したい、本能がそうさせるのでしょうか。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫) (詳細)

萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)

・「腐臭
 日本の詩人の中でも もっとも好きな詩人を問われたら 朔太郎を挙げる。

 とにかく日本語の持つ官能を 縦横無尽に使い尽くしていると思うのだ。同じ言葉でも漢字で書くか ひらがなで書くかでは 読んでいる「触感」が全く異なるわけだが それが一番痛切に感じさせるものに朔太郎のいくつかの詩がある。

 彼の詩には 例えば中原中也のような格好良さは無いし 宮沢賢治のような感動的な物語もない。あるのは 食べ物が腐っているような腐臭であったり 神経が震えているような不安であったりする。それゆえ 彼の詩は 一般的に言って どこまで人気があるのかは僕にも分からない。但し 腐りかけのものがおいしいのは 納豆やチーズだけではないのだ。

 朔太郎の詩を読んでいると そんな風にいつも感じる。

 

・「鋭敏な感覚を持った詩人
鋭敏な感覚を持った詩を書き続けた萩原朔太郎の詩集。朔太郎をリスペクトしていた三好達治が選んだだけあって、ベストオブ朔太郎ともいえる内容になっています。

・「病的なゆえに優しい世界
「なまものの匂い」が立ちこめる病んだ世界が描かれているが、読んでいるこちらの感受性を柔らかくさせてしまう魅力が、この人の詩にはある。だから、私は、じぶんの心が見えなくなった時に、つい、この詩集の頁を繰り返し開いてしまう。

この人は、詩の中で「腐りかけの美」を切ないほどに表現する。たとえば、春の性欲のなまめかしさを、「腐った貝」が「ちら、ちら、ちら、ちら」と漏らす「吐息」で表現してしまうというヘンタイさ加減や、くちびるに紅をひいて、少女に変装し、「白樺の木」に抱きついて接吻し、ウットリしてみるこころの倒錯、また、「のをあある とをあある やわあ」(猫)「とをてくう とをるもう とをるもう」(鶏)「てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ」(蝶)「ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ」(蠅)など、擬音(擬態)化された生物たち。

こころが病みがちな人は、一冊、この詩集を手元に置いておくと良いと思う。希望の言葉で慰めるのではなく、一緒に病んだ世界へとドップリついてきてくれる(引きずり込んでくれる)のは、近代の詩人では朔太郎くらいです。きっと眠れぬ夜の良き友達になってくれることでしょう。(新潮文庫も出てるが、適度にぶ厚い岩波文庫版がオススメ!)

・「言葉の力
「人は一人一人では、いつも永久に、永久に恐ろしい孤獨である。原始以來、神は幾億萬人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して一人とは造りはしなかつた。人はだれでも單位で生れて、永久に單位で死ななければならない」など「詩」以外にも青二才の心を揺さぶる言葉を残した朔太郎であったが、家庭に大きな問題を抱え、「聖戦」を謳う評論「日本への回帰」という情けない評論を書くなど、実生活における萩原朔太郎は「詩を書く萩原朔太郎」とは全く違った貧困な世界で生を送っていたのではないだろうか。まさに彼自身が語っているように「詩は神祕でも象徴でも何でも無い。詩はただ病める魂の所有者と孤獨者との寂しい慰めである」であったのだろう。だが、彼の実生活と詩世界とは切り離して考えるべきであろう。近代口語自由詩、つまり現在私たちが「詩」として捉えるほとんどすべての「詩」の元祖でありいまだ最高峰であり続ける萩原朔太郎の評価が、その実生活によってなんら貶められることはないのである。読み手はたった数行の詩・「蛙の死」特に「丘の上に人が立つてゐる。帽子の下に顔がある。」という部分に唖然とせざるを得ないであろう。この描写は「金槐和歌集」のなかで源実朝が詠んだ「大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも」に匹敵する凄みがある。前者は「丘の上=人 と 帽子の下=顔」を対照させることによって表された見事な遠近感、そして後者は「われてくだけてさけてちるかも」の部分で表される波のスローモーション。言葉の持つ力、可能性をたった数行で我々に知らしめてくれる彼らの豊かな表現感覚はもう見事としか言いようがない。

・「萩原朔太郎ベストアルバム
この三好達治編纂による詩集は 『月に吠える』 『青猫』 『蝶を夢む』  などの萩原朔太郎の出した全詩集からのダイジェスト版で、 音楽でいう「ベストアルバム」的な詩集です。

朔太郎は北原白秋(2歳上)、室尾犀星(2歳下)と同世代の大正時代に活躍した詩人です。

『月に吠える』の序で 「詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。」 と書いてあるとおり 萩原朔太郎の詩の世界には独特な「孤独の感覚」があります。

『世界の中心で愛を叫ぶ』の主人公はこの詩人に因んで命名された設定でしたが、 最愛の人を失った喪失感をこの詩人の名前で暗示したかったのかも知れないですね。

詞のバリエーションが豊富な詩集なのできっと自分にとって最もしっくりくる詩が見つかると思います。

私が特に好きな詩は 『絶望の逃走』と『遺伝』です。 すごい詩ですよ。

萩原朔太郎詩集 (岩波文庫) (詳細)

MW(ムウ) (2) (小学館文庫)

・「手塚と読者の真剣勝負
 10年以上も前に初めて読んだときには、その物語展開に慄然としたことを強く記憶しています。当時はまだ「ブラック・ジャック」や「火の鳥」といった、正義を判りやすい形で提示してくれる作品領域を越えた手塚マンガに接していなかったために、この「MW」は手塚マンガの掟をやぶった堕天使の物語として、脳天を打ち砕かれるような衝撃を受けたのです。男色、殺戮、涜神、そして読者をあざ笑うエンディング。登場人物のほとんどが「限りなく利己的」で「果てしなく退廃的」です。以来このおぞましい物語の記憶が頭を離れず、今日まで再度手にすることに恐れを感じてきた作品です。

 手塚は必ずしも正義をストレートに描くマンガ家ではないことを、この15年で私も徐々に理解してきました。勇気をふりしぼって今回再読したのですが、これは正真正銘の手塚マンガでした。

 そしてこの「MW」はラストをすでに知った上で読み返すと、強い憤りを持った反戦への祈りという、実にわかりやすい、手塚の繰り返し描いてきたストレートなメッセージが全編を貫いていることに気づくのです。

 「MW」のエンディングが多くの読者が期待したとおりのものであったならば、一読には値しても再読を強く勧める作品にはならなかったと私は感じるのです。妥協を許さぬエンディングを用意することによって、読者にある種の覚悟を手塚は要求したのではないでしょうか。これだけの重いテーマを扱う上で、手塚は作家として読者に真剣勝負を挑んだに違いありません。 だからこそ、この作品に手を出す前に読者は自らに問い掛ける必要があります。今、手塚と徹底的に切り結ぶだけの覚悟が自分にあるのか、と。

 強く勧めると同時に、多くの読者に注意を呼びかけたい秀作長編です。

・「人間の存在悪を曝け出した非凡なる漫画という形のアート
現在開催中の江戸東京博物館の手塚治虫展で、その内容紹介に惹かれて購入しました。1928年生まれの手塚さんは第2次世界大戦を経験していますが、手塚治虫展の本に収められたインタビュー記事で宮崎駿さんは「空襲や戦争を経験した者は、存在の奥に黒い穴みたいなものが開いているんです。自分ではどうしようもないもの。手塚さんも持っていたはず」と語っており、その「黒い穴」が手塚さんにこの漫画を書かせたのだと思います。

優れた小説、クラシック音楽、絵画にここ数年触れてきましたが、医学部を卒業し、小説や音楽にも造詣が深かった手塚さんのこの作品は、戦争という悪から離れて生きられない人間の存在悪を、かつては無垢なる存在だった主人公の結城の悪行をもって、これでもかこれでもかと曝け出し、結城と身も心も深い関係にある神父の視点を通して我々読者がこの根源的な問題に悩む仕掛けが施されています。優れた文学作品にも劣らない、人間の根源的な問題に肉薄した非凡なるアート(芸術)だと思います。

・「滅びるのは悪か、それとも…。
完結。結城と賀来の運命を狂わせたMWという毒ガス兵器。MWに侵され余命の少ない結城の目的は、そのMWを使用し、全人類を道連れにすることだった!?賀来は結城の目的を阻止しようと動き出す。だが、とうとう結城はMWを手に入れた!!

軍や警察が入り乱れ、全人類の命を守るため、結城からMWを奪おうと画策する。そして、最後の切り札として、結城の兄・歌舞伎俳優の河本玉乃丞が呼ばれた。結城に瓜二つな彼は…そして賀来は、結城を止め、そして人類を救うことができるのか!?

かなり非道な性格の主人公・結城ですが、何故か嫌いにはなれません。この世界のどこかに、きっとMWのような毒ガスがあるんだろうな、と思うと背筋が寒くなります。近い未来の一場面を見ているようでした。ラストのブラックな感じがまた、イイカンジ。手塚さん、やるぅ!!

・「二度と忘れられない
最後の最後で、ニヤリ、ですか…。しかしこれ、本当に三知夫なんでしょうか。もしこれが兄の方だったら?あんなにそっくりに描かれていて、最後の争いで撃たれ死んだのは本当に三知夫の方と断定できるのか?…と、私は思っているんですが、どうでしょう。もしあのニヤリが兄だったら…ヤバいでしょう。MWの「せいで」人格に異常を来したという点だけがマシだったのに、元来ストレートに異常な人物が最後に生きてしまう事になるから…いや?むしろ人格異常は実はMWのせいではなく遺伝で…?。…まあ、考えすぎは承知なんですが。でも私は次なる悪の登場をどうしても考えてしまうんですよ。戯れ言ですがね。 『悪魔も神さまも結局同じものなんじゃないかしら?』…そう、人間は、人間が造ります。戦争も、毒ガスも、罪も、そして愛も。善も悪も全て同じ、人間が産み出しているんです。悪魔とは?神とは?いくら偽善を装ったって、いくら悪を重ねたって、答えは同じ、人間だ、とだけ、手塚さんはここに答えてくれます。 見つめる、という事。できていますか。目を背けたい人にほど、この本がバイブルになるでしょう。

・「なに?この作品は…
最初に思ったのはこの言葉です。読み終えた時、愛や正義をモチーフにした天才の手塚治虫がこんな作品を作り挙げたことにある意味での喜びや感動に胸が震えました。一つの計画を自らを犠牲にしてまで成功させる、警察までも欺く青年。このような作品は近年出され社会現象を生みましたが、その原型がこの作品のように感じます。

MW(ムウ) (2) (小学館文庫) (詳細)

モンスーンあるいは白いトラ

・「忘れられない1冊
子供にも大人にも薦めたい。カースト制が色濃く残るインド、みんな”現世”を見えない”来世”のためにせっせと生きる。それを見るのは神だけか。

モンスーンは平等に降る。

モンスーンあるいは白いトラ (詳細)
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