やさしさの精神病理 (岩波新書) (詳細)
大平 健(著)
「自分の問題として読む」「短編小説のような」「やさしい世界は広がっている」「「やさしさ」の10年後」「自分探しもほどほどに。。。」
「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書) (詳細)
中島 義道(著)
「「対話」の意義と困難」「頻発する少年犯罪の根源的な問題は「対話のない社会」だ」「対話行為・対話的姿勢とは」「私も沈黙する加害者だった・・・。」「なにかモヤモヤしていたものがすっきりと晴れる読後感」
日本人は「やさしい」のか―日本精神史入門 (ちくま新書) (詳細)
竹内 整一(著)
「日本思想の本質に迫る」「「やさしさ」とは何か」「日本人はいとやさし」
やさしい人 どんな心の持ち主か (詳細)
加藤 諦三(著)
「たすけられた」「すべての人に読んでもらいたい」「やさしい本でした」「本当にやさしい本でした」「あなたに合った『やさしさ』を」
「甘え」の構造 [新装版] (詳細)
土居 健郎(著)
「日本人の精神文化」「甘えという概念について」「Selves in Culture」「日本民族の潜在意識下の母系社会」「甘えたいのに甘えられない子供が、年をとって大人になると・・・!?」
・「自分の問題として読む」
本書の主題は現代の若者の底流に流れる“新しいやさしさ”についてです。著者が精神科医としての豊富な経験から、いくつかの代表的な症例を下に巧みな構成で描き上げています。
現代社会は人間関係が希薄になった、というのはもうずいぶん前から言われつづけていることです。しかし時代の主役たる若者たちの理屈は「他人の心に踏み込むことは相手に対して優しくないし、同時に自分の心にも踏み込んで欲しくはない」。これを潤滑に実行することこそが相手へのいたわりと“やさしさ”だとする。著者はそう考え、これを“新しいやさしさ”と解釈し、本質を分析しようとしています。疑問点を順序だてて説明し、読者はともに考えながら読むことができるはずです。文章も平易で読みやすくかかれているので理解しやすいかと思います。
おそらく本書の意図するところは、病理学的な本質究明というよりも、病気ともいえない人々がふとした些細な事で悩みふさぎこむという、いわゆる心の脆弱性についての現代的な問題提起なのだろうと思います。統計的にどうであるとか、医学的にどうであるとか、そういうことよりも、読者自身が自己の問題として主体的に考えるためのきっかけとなる内容なのではないでしょうか。 内容の捉え方は人それぞれですが、一度は固定観念を捨てて読んでみるといいのかもしれません。まずは自身の客観視に最適の書だと思います。
・「短編小説のような」
文句ナシの5つ星です!
著者は、近年若者の間でやさしさの意味が変わってきたことを指摘しています。このやさしさの意味の変容は、若者と中年以上の者の間に意識のギャップを生じさせ、互いを戸惑わせます。
本書はそんな新しいやさしさの中で生きる若者の姿を、まるで良質の短編小説のような見事な筆致で読者に見せてくれます。「精神病理」というやや硬いタイトルのために、ちょっと敬遠してしまいたくなりますが、それはもったいない!!実際は肩肘張らずに読めますから(笑)
是非手にとってほしい1冊です。
・「やさしい世界は広がっている」
まだ携帯電話が普及する前、ポケベル全盛期の1995年に書かれながら今読んでも古臭くなく、それどころか、むしろ今こそ読まれるべきではないかと思える本です。この本で著者は、旧来の「やさしさ」の概念が通用しない、新しい世代の「やさしさ」について分析しています。その分析の的確さと分かりやすさもさることながら、最近のベストセラー新書にあるような、若者をただ否定し馬鹿にする傲慢な態度ではなく若い世代の感覚を真摯に理解しようとしつつ、その問題点も明らかにするという著者の誠実さが伝わってきて、読んでいて心地よいです。
新しい優しさとは、例えば「相手を年寄り扱いするのが失礼だから、老人に席をゆずらない」「好きじゃない相手だけど、傷つけたらかわいそうだから結婚する」「親に心配かけられないから、病院に行くことは言えない」「やさしい恋人には、重い相談や愚痴は言えない」といったものです。旧世代に属する著者は、こういう感覚が理解できず戸惑っているのですが決して若者とは言えない自分でも、こうした「やさしさ」は(自分がそうするかどうかは別として)感覚としては理解できるものがあります。それだけ、新しいやさしさがもう日常のものとして浸透しているのだと感じられました。
「相手はこう思っているのだろう」と予想して、相手の気持ちに立ち入らないよう気遣うことで心地よく築かれた人間関係は、現代ではむしろ普通なのかもしれません。そして、そんな関係だからこそ起きてしまう、やさしさの食い違いのトラブルの話も、実際身近でよく聞きます。新しいやさしさの持つ危うさを知り、自分のコミュニケーションの在り方を振り返るために、お勧めの一冊です。
・「「やさしさ」の10年後」
岩波新書の新赤版が4月で千点を超えリニューアルされるとのこと。その中で本書は発行部数29万部、16位に位置しているそうです。
旧来の「やさしさ」と異なる新しい「やさしさ」の出現について指摘したのがこの本です。旧来型が「相手の気持を察し共感することで、お互いの関係を滑らかなものにする」のに対し、新型は「相手の気持に踏みこんでいかぬよう気をつけながら、滑らかで暖かい関係を保っていこうとする」。前者がホットで後者がウォームとたとえられています。新しい「やさしさ」にとって、「コトバはお互いを傷つけうる危うい道具」。だから相手の気持に立ち入らぬよう注意を払いつつ、空疎なコトバを交わすのです。その結果、絆【本来、「きずな」と「ほだし」(=「束縛」)の両面をもつそうです】は希薄になりますが、それは我慢します。束縛は「やさしく」ないからです。さらに「やさしい」人は自分を傷つけることをも恐れて「決断できない」人になり、「いちおう」「とりあえず」と保険をかけ、曖昧な自分を生きる・・・あるいは「自分探し」をする・・・
再読してみて、約10年前に書かれた内容に違和感を覚えないどころか、状況がさらに顕著化しているようにさえ感じました。「やさしい」関係を保つため、ひっきりなしに携帯メールを打つ若者。ウォームな道具だったポケベルの延長線上にあると思われるメールが、行き過ぎて「ほだし(束縛)」になってしまっている矛盾を感じさせもします。コトバを排除し滑らかな関係を目指した結果、「空気読めよ」という格好のセリフが生まれました。そして「決断できない」人は、ニートの存在を連想させます・・・
新書ブームの今、10年後も再読に耐えうるものがどれだけあるかと考えると、本書がいかに突出しているか感心させられます。
・「自分探しもほどほどに。。。」
1960年代後半から若者を中心に志向されるようになった”やさしさ”の精神病理についての考察が行われている。 終章の「スルタンと魔神」の寓話は私にとっては貴重なものであった。著者は付け足す。「この話を『タイム』誌に書いたクラウサマという人が言っているのは、意識を自分にばかり向けること、つまり自分探しですよね。その自分探しもきりがないから、ほどほどにしなさい。そういうことなんです。」 この言葉は、私には大変重い言葉であり、今まで読んだどの精神医学の書物にも見出せなかったものである。非常にわかりきったことのようであるが、”やさしさ”を志向する弱い精神構造をもった者には、このほどほどにするという踏ん切りをつけることができないように思われる。それを直截に書いてくれる人に、今まで私は出会わなかった。「本当の自分」という存在を仮定すること自体が、無意味とは言わないまでも、あまり価値を置くべき存在ではないという意味だろう。
●「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)
・「「対話」の意義と困難」
本書は、ヴィーン大学留学経験を持つ哲学博士が、対話という切り口から現代の日本社会を批判的に分析した本である。やや「日本的」という形容詞を安易に使いすぎる気がするし、公共の看板等への非難もやや言い過ぎの感がなきにしもあらずだが、日本では相手の言葉の裏を読むという「第二のルール」が強力な作用を及ぼしており、それがかえって言葉の「表」をきちんととることを妨げ、一方では私語や沈黙を、他方では公共の看板等の氾濫をもたらしている、とする本書の主張は基本的に首肯できる。とりわけ、対話の基本原理(対話は会話でもディベートでもない)とか、行き過ぎた「やさしさ」が対話を圧殺するという主張などは、まさしく我が意を得たりという感がある。対話が全人生を背負うものだという!観点を強く打ち出すあまり、対話が事実立脚性と論理的一貫性に基づく、という側面があまり強調されていないのが、難点といえば難点か。また、対話はなされるべき場でなされさえすればよく、全生活で実践しなければならないものでもない気がするので、そうした「場」の限定があってもよかったと思う。ちなみに私見では、授業としての道徳教育の無効性や教師への日の丸・君が代の押し付けの無意味さも、本書の内容から導き出せると思う。 いずれにせよ、真の「対話」の意義と同時に、その実現の困難さをも教えてくれる本であり、とりわけ研究職や教職につく人、政治家、官僚には是非一読をお勧めしたい。
・「頻発する少年犯罪の根源的な問題は「対話のない社会」だ」
この本は、現在の日本社会の抱える根源的な問題を的確に指摘し、同時に解決への方向性を示唆してくれている。巷にあふれる「こうしましょうスローガンの洪水」や自分から意見を述べようとしない学生たち。これら「日本的光景」を我々が「そういうもの」と片付けてしまっていることに対し、著者は厳しい目を向け、読者に「対話」を求める。印象的なのは、意見を述べない学生がとうとうキレて破壊的行動をとるが、著者が「対話」を続けていくと「先生に意見を言っていいんですか?」と答え、そこから急におとなしく素直になる場面である。今日の学校教育の「黙して一様性を強要する」ことが生徒たちにストレスを生み出し、そのストレスが「対話のない社会」によって出口を見出せずに形を変えて破壊的行動とし!て表面にでてきたことがわかる。世代間、地域間の対立が明確になってきている現在、「対話」による軋轢の緩和の重要性に気づかされる本である。
・「対話行為・対話的姿勢とは」
日本人による討論は,互いに意見を譲らずに議論が延々と進んで最終的に意見の相違を確認するだけの場合と,各人の意見がいとも簡単にひとつにまとまってしまう場合がほとんどだと著者はいいます.これは「対話」という行為がまったくなされていないから,つまり賛成か反対の結論だけに力点をおくのではなく,彼我の差異を確認し,どこまでが分かって,どこまでが分からないのかを段階的に限定し,自分の立場にとどまったまま相手の立場を理解する二重の視点を獲得すること,こういう姿勢がないからだと説明されます.そして,優しさ,配慮,思いやり,察しといった対話行為を妨げる(殺す)力についても検討しています.私自身,「対話感覚」のない日本人と外国人が一緒に仕事をして,双方が不信感を募ら㡊??たり不愉快な思いをする場面を多々見るので,対話行為を殺すさまざまな力について論じている章は実に参考になった.また,「ゆずり合う,心が触れ合う,交差点」というような大衆向けの紋切り型メッセージが氾濫するのは対話の欠如が一端になっているという著者の見解にも納得.
・「私も沈黙する加害者だった・・・。」
偶然、著者を紹介するHPを見たのがきっかけで、この本を読んだ。読みす進むほどに、その通り!と拍手を送りたいような場面が沢山あった。最高学府である大学という場所で教鞭をとる、教養と知性にあふれた方々の会議であっても、中島氏が主張するように既に決まっていることを延々と会議と称して報告を承認するだけの場を無駄であり、真っ向から『私は会議に参加する意味が無いのでは?』と疑問を投げかけたら『決まりだから』だの『学校全体にかかわる』だの理由にならない理由で却下される。また、それを口に出して言ったがために中島氏はやっぱり浮いてしまうのである。
初めて自分に似たような人を見つけて感激した。そう、私は『貴方が嫌いではないけど、貴方のその癖が嫌いなの』と口に出して言ってしまう。すると、人は自分の全人格を、ともすれば存在自体を否定されたように感じて、以後私を嫌うか避けるようなるのだった。 こうした日本の沈黙する優しさの押し付けに対する疑問を解いてくれる名著書だと思う。
・「なにかモヤモヤしていたものがすっきりと晴れる読後感」
日本社会で暮らしていて感じる妙なストレスは何が 原因なのか,わかりやすい語り口で解明してくれる 「目から鱗」の本です。もっとも,著者の考え方に 賛成するかどうかは別ですが・・・。自分は賛成し ます。
・「日本思想の本質に迫る」
本書は過去から現代に至るさまざまな材料の中で,日本人が示すやさしさについて考察し,分類し,その根底にある思いを探る作業を丁寧に行っている良書である.勿論,やさしさとはこういったもの,と一言で言い切れるような結論がでるわけはなく,この作業を通して,日本的なものの見方・考え方の本質に迫りたい,ということであろうと思われ,その意図は充分に成功していると言えよう.
・「「やさしさ」とは何か」
大平健の『やさしさの精神病理』を読んで以来、「やさしさ」とは何かということが分からなくなった。本書はやさしさをめぐる言説を分析するとともに、やさしさとはなにかを解き明かそうと試みている。しかし、内容は入り組んでおり、かなり難しい。整理不能なほどさまざまな人がさまざまな「やさしさ」の定義を試みているからである。私にとっては「やさしさ=傷つきやすさ」という定義が一番しっくりきた。
・「日本人はいとやさし」
古文の現代的実用的展開がここにある。社会問題噴出気味の日本において、いままさしく倫理が問われている。倫理を一つの学問体系として学んだ世代と、受験一辺倒で倫理に触れたことのない現代っ子のギャップはもしかしたら「やさしさ」なのか。日本論、日本人論を深めたい人におすすめの一冊。
・「たすけられた」
やさしい人より、その逆のやさしくない人の分析が鋭い。身近な冷たい人間に全て当てはまることが書いてあった。目が覚める思いだった。
加藤諦三さんの本は、自分が病んでいる時よりも病んでいる人に関わっている時に助けてくれるのだなと感じた。冷たい人に傷つけられるようなことを言われても、この本を読んでおけば相手の言動の理由もわかり自分が傷付く必要はないんだと思える。
やさしい人にもやさしくない人にも読んでもらいたい本だと思った。
・「すべての人に読んでもらいたい」
カウンセリングを学んだ人でなくても、わかりやすく読める本です。自分の心と見比べながら読み進むうちに、きっと涙があふれ、心が洗われることでしょう。自分を受容することで他人を受容できる。自己理解が深まることで他者理解が深まるということがわかると思います。全ての人に読んでもらいたい本です。現在、私が人に薦めるイチオシの本です。
・「やさしい本でした」
この本を読むまでは、私って結構やさしい方だと思っていた・・・でもそのやさしさは自己満足たっぷりの押し付けにすぎなかったんだ(反省)ページをめくるごとに自分の勘違いのやさしさに気づかされました。本当のやさしさは他者も自分も生かされるものだと・・・今の自分を取り巻く環境にちょうどぴったりの内容にこれから2度目の読みに入ります。
・「本当にやさしい本でした」
この本を読むまでは、私って結構やさしい人だと思っていたのに・・・自己満足にひたり、押し付けがましいやさしさを振りまいていたと気づきいやみな人間だったと反省。本当の意味でのやさしさが分かります。世の中のたくさんの人が読めばもっと住みやすい世の中になると思うのですが・・・だからレビューを書きこの本をお勧めしたい。帯に書いてあるように「人はやさしくなれば生きることは楽になる。」う~んそっかぁ~。やさしい人でないと他者のやさしさには気づかない、気づかないなんてなんともったいないことか!!
・「あなたに合った『やさしさ』を」
著者はこの本を通して、世間一般が想像する『やさしい人』のイメージがゆがんでいることを警告している。 「怒らない」「悪口を言わない」 そんなことでは判断できないこと。 現代の人々の多くは『本当のやさしさ』を見極める力が足りないこと。 そして今、『やさしさ』があまりに軽視されていること。…それを誰もが自覚することの大切さに焦点を合わせて語っている。
しかしこの本には、「これが本当のやさしさなのです」という具体的な例が書き連ねてあるわけではない。
やさしさのカタチは人それぞれ違うのが当たり前。要は今までの経験を踏まえて、自分なりの『やさしさ』を見つけることが大事。そのためにはどういう努力をするべきか。どう思い改めるべきか。そういった自分なりの『やさしさ』への道しるべの役割を担っている。
** 以上、本に対する自分なりの批評でした。以下は感想です。 **
●全体的に日常的に使う言葉で書かれており、分かりやすいです。(ただ、『愛着性格者』などの、著者がこの本で多用する独特の単語については、最初にもっと分かりやすい説明が欲しかったです。)
●前半は、現状を自覚するために問題点を追究してきます。その際に、ぬるい言葉は使わず、痛いところも容赦なくビシバシと指摘します。その為、ある程度 精神的に余裕がないと受け入れられないかもしれません。正直、自分も前半部分では かなり落ち込みました。でも、それは後半にある「やさしくなるためにどうするべきか」を本質的に理解するためなので、材料揃えだと思って頑張ってください。
●くり返し読むことで、更に味が出る本だと思います。
・「日本人の精神文化」
海外で暮らして思うのは日本の精神文化は西洋とはかなり違うということです。アメリカでは質問に対し、「イエス」か「ノー」かではっきり答えなければならないことが多く、日本人のようないわゆる「察しと思いやり」ということがない。このことにアメリカに暮らし始めた当初、ひじょうに違和感を持ったのを憶えています。
著者は日本人の心理に特異的なものがあるとするならば、それは日本語の特異性と密接な関係があるに違いないとの観点から、日本語独特の語彙である「甘え」の考察を始める。「甘え」の心理が日本人の精神文化に深い関わりがあることを本書の中で示しています。
冒頭の「甘え今昔」では現代の日本社会が「甘え」を中心とした親しい二者関係が失われつつあり、「甘やかし」と「甘ったれ」に溢れていることを憂えている。やはり、核家族化などが進んだことも原因ではないだろうか? 日本人の本来の良さを見つめ直す機会を与えてくれた良書。
・「甘えという概念について」
甘えという概念が日本人特有のものであることに着目し、著者のアメリカ在住時代に感じる違和感から始まり、甘えの精神病理など、内容は一般から医学的分野まで幅広いですが、読みやすい内容だと思います。日本人特有の言動の奥には甘えという概念が潜んでいるということが分かりやすく解説されてると思います。
フロイトの精神分析等と絡めながら論じられており非常に興味深かったです。日本人の心理をよく捉えていると思います。有名な本ですし、精神学を学ぶ上では一度読んでおくと、日本人の精神病理などより深く理解できると思います。
・「Selves in Culture」
私はこの本を(英語版)、私が教えるアメリカの大学の講座で使っている。必ずしも「甘え」というコンセプトを理解させるためではなく、もっと大きなゴールがあるとおもう。それは、いかに同一の社会・文化に属するもの達が、情緒的・行動的な傾向或いは "expectations"(期待?)をもち、如何にそれが個人の人間発達及び集団としての社会生活に結びついているかという、とても"profound" な(優れた?)ものだと思う。「甘え」そのものよりも、そちらに注目して頂きたい。It is unfortunate that some people can't see beyond the factual/definitional issues associated with "amae." They're missing the crucial point if their concerns revolve around the *validity* of the concept of "amae," rather than its conceptual origins as a socioemotional dimension--and their processes and implications.
・「日本民族の潜在意識下の母系社会」
土井氏は精神科医と謂う職業的知識を持って、民族文化の中の慣習とその由来、また、その民族の特性の構造、心理的志向性の特徴と差異を論じて居られる。恐らく、日本人の精神的血液の中には、深く「母系社会」の心性がその「心理地層」に堆積しているのであろう。この本のタイトルが「甘え」と云う概念は、それを成立させた精神生活の志向性が深く関係している。対人関係の表現は、まったくその文化の勢力関係や依存関係、支配関係を内に秘め、儀式制度の様に幾重にも地層のように堆積していて、母系社会という過去の生活精神が日本人特有の心的性質を形作っており、子供に対する愛情とその宗教的特性がその核と成っている。この日本列島には、最初に居たのは、アイヌ人に代表される縄文人で、彼らは、原日本人と言える。それは、アイヌ系の民族に他ならない。アイヌ系日本人と共に、ポリネシア的文化も在った。稲作は既に縄文時代に存在しており、弥生時代の特徴とは言えない。稲作の伝達は、インド南部とセイロンに住んでいたタミル系民族も日本国に渡来している可能性がある。彼らは四国に漂着してその技法を日本列島に広めた可能性がある。この様に、幾多の民族的融合が過去にあった。そこに朝鮮半島からの進入があったと言えよう、原日本人と渡来系日本人の混血が、現在の日本人であり、遠い過去からの親子を規定する家族原理が、母系を通じた家族の構成がある。この母系制が、甘えと言う対人関係を通常の規範とさせる社会が成立した可能性は強いのである。子供は神からの預かり物という考えは、古くから日本にはあり、且つ、明治の時代までその信仰は各地に見られたのである。
・「甘えたいのに甘えられない子供が、年をとって大人になると・・・!?」
日本人は西洋人に比べて、集団行動を好むとか、NOを言わない、意見の衝突をできるだけ避けるだとかいうことが、一般的によく言われますが、ではなぜそうなのか、ということになると、結構あいまいな部分が多いと思います。 「なぜなのか」ということを土居氏は「甘え」というキーワードをもとに、さまざまな角度から論じ、解き明かしていきます。
私はこの本を読んで、自分のこれまでの生活を思い起こさずにはいられませんでした。 「そういえば俺、あのときこんな行動にでたけど、あれは結局、甘えが動機として働いていたんだ!」とか、点と点がピタッ!と合わさる感じ、結構気持ちよかったりします。「あの人、あんな偉そうなこと言ったけど、あれも甘え入ってるなー!。」とか。(笑)
そんなスッキリ感を味わいたい方、ぜひ本書をおすすめします。
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