おくりびと [DVD] (詳細)
滝田洋二郎(監督), 本木雅弘(俳優), 広末涼子(俳優), 余 貴美子(俳優), 吉行和子(俳優), 笹野高史(俳優), 山崎努(俳優), 山田辰夫(俳優)
「自分の中で映画の域を超えた特別な作品」「とてつもなく繊細で緻密な、日本を代表する美しい作品」「確かに賞を取らなければ」「死者と生きて見送る者の時間」「澄んでる」
「死と向き合うことから生きることは何かを学ぶ、」「「聴く」と「聞く」」
電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ (角川文庫) (詳細)
すずらんの会(編集)
「苛酷な運命の中でいたわりあいながら懸命に生きる子供達の命の言葉」「命のメッセージに感動します。」「感動しました」
モーツァルト:レクイエム (詳細)
ヤカール(ラシェル)(アーティスト), ウィーン国立歌劇場合唱団(アーティスト), ベンケル(オルトルン)(アーティスト), ホル(ロベルト)(アーティスト), エクビルツ(クルト)(アーティスト), モーツァルト(作曲), アーノンクール(ニコラウス)(指揮), ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(演奏)
「人間の声の美しさを前面に出したレクイエム」「私はとりあえずこれで大感激」「…。」「びっくり!」「古楽器が災いか」
ライフ・オブ・デビッド・ゲイル [DVD] (詳細)
アラン・パーカー(監督), ケビン・スペイシー(俳優), ケイト・ウィンスレット(俳優)
「スリラーに近いサスペンス」「正義の行方」「隠れた名作」「大どんでん返しのサスペンスエンターテイメント映画:雨も効果的」「大義の名のもとに」
パイドン―魂の不死について (岩波文庫) (詳細)
プラトン(著), Plato(著), 岩田 靖夫(翻訳)
「大ソクラテス、ギリシャの吉田松陰」「プラトン哲学中の霊峰」「哲学は面白い。」「生と死」「人の命の不滅性」
イワン・イリッチの死 (岩波文庫) (詳細)
トルストイ(著), 米川 正夫(翻訳)
「生きる意味」「哲学できるいいテキスト」「確実に訪れるそのとき」「緩和ケアに携わる方に必読の書」「何のために生きているのか」
・「自分の中で映画の域を超えた特別な作品」
オーケストラでのチェロ演奏を夢見た男性が運命のいたずらで納棺師への道を進む物語。
良い話だがストーリーが出来過ぎ、と感じながら観ていたのだが、ラスト10分間程で印象が180度変わった。
ラスト10分間、映画を観ている様で観ていなかったかも知れない。自分の父のことが頭に浮かび、やがて自分の生きる意味は何だろう、と感じていた。死を観ながら生を感じていた。とても重たいテーマだが、何とも気持ち良く、感覚的にそれを感じていた。考えていたのとは違うと思う。ラスト10分間はもっと長くても構わない。
観終わって、ストーリー云々などどうでもよい、何度でも観たい、感じたい、と思った。こんな感想をもった作品は他にない。
様々なマイナス要因があるにしても,それを差し引いても、自分の中で映画の域を超えた特別な作品。
・「とてつもなく繊細で緻密な、日本を代表する美しい作品」
壬生義士伝の滝田洋二郎監督の作品。主人公の男性(本木雅弘)はプロのチェロ奏者になる夢に挫折したため、亡き母が残した実家に戻り職を探す。若い妻(広末涼子)に内緒でしかたなく遺体を棺桶に移す納棺師の職につくが、納棺師は忌み嫌う者が多い職業であった。最初はいやいや仕事をしていたが、上司(山崎努)の真摯な姿勢や、多くの死者とその家族に接しながら、納棺師という仕事のすばらしさに気づく。しかし、妻や友人がその職に気づくあたりから人間関係が壊れていくが、意外な展開ですべてがクライマックスに終結する。
非常に美しい映画で、時間内に登場する出来事や台詞に全く無駄がないどころか、あらゆるものが複雑に連携し、見るたびに多くのメッセージに気づかされる。主人公がこよなく愛するチェロは、子供の頃に家を捨てていった憎むべき父親が買い与えたものであり、父に対してはきわめて複雑な感情を抱いている。また、食事のシーンは生物の屍体を『いただいている』という強烈なジレンマを感じさせる。仕事の美しさや家族の愛情とは何なのかを、納棺師という特殊な職業を通じてみんなで学ぶ作品であった。また、涙あり、笑いありで最初から最後まで休みなく心が揺すぶられる作品であった。
間違いなく2008年で最も美しい作品で、今までに見たすべての映画の中でも五指に入る秀作。アカデミー賞外国語映画部門での評価に期待できる、日本を代表する作品と思う。チェロが奏でるメロディーも秀逸で、既にCDを購入した。きわめて完成度が高く、文句なく星5つ。
・「確かに賞を取らなければ」
絶対観なかったが、良い映画だった。 私は両手分程の人を見送ったが、同じ納棺師でも化粧の段階で故人の顔を生前の面影なく変えられてしまいガッカリした事や、逆に故人に一番親身にしてくれたケアの人が施した綺麗な化粧を「どうかこのまま変えないで。故人もそれを望むはず」と斎場の人に頼んだ事などを思い出した。で私もやはり「死化粧はこういう人達にして貰いたい」と映画観て感じた。 確かに納棺の儀は伝統ではない。本来するのは身内、現に母は曽祖母の死化粧をしたし映画でもそれは説明している。でも「病院で湯灌させる場合もあるが難しい。普通の風呂の温度では傷むし、硬直してるし」と一緒に観た病院勤務の友人が言った。死は時期予測が出来ない。若い人が突然亡くなったりすれば家族は現実を受け入れるのが精一杯。核家族化し畳の上での往生が普通でない今、隙間産業として納棺師は大切な仕事だと思う。 一方その職種への世間の偏見も分からないではない。私も重度知的障害児の保育士だが常にご理解頂ける訳ではない。「派遣村の人も職種を選ばなければ」その職種に納棺師も介護士も私の就く職種も入る。驚くに値しない。音楽や雰囲気も暖かく、夜観るに相応しい。あとフグの白子が非常に美味しそうだった、困った事に。
・「死者と生きて見送る者の時間」
シナリオ段階で、原作者としてのクレジットを拒否することになる青木さんは、「送られてきたシナリオを見るとね、親を思ったり、家族を思ったり、人間の死の尊厳について描かれているのは、伝わってきて、すばらしいんです。ただ、最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない。着地点が違うから、では原作という文字をタイトルからはずしてくれって、身を引いたんです。」(2009年の毎日新聞)と述べている。
このはなしは意味深く、たしかにうなづくしかないものだ。しかし、「宗教と永遠を描く着地点」を描くとすれば、これは可能なのかどうか、また違う映画である必要もあったかもしれない。それでも映画「おくりびと」は、いままで描かれなかった「死」と「生」との交流を感じさせているものとは思える。
舞台となる山形の地方のもつ独特の緩やかな時間感覚。少数の登場人物。派手な動きをすることもなく、ユーモアはあるものの、全体とても地味だ。それはもう一つの主役、死者たちの寝姿の存在が,生きてあるもとの均質にさえ感じられる。それは「死の尊厳」を感じさせ、映画全体が持つ静かな大気のなかのような清々しさでさえある。「静謐」。この言葉は、この映画の感想にもよく使われているが、たぶんそれはこの映画で描かれた目に映るものとしての映像のより奥、その見えない領域を感じ取れた人が思わずにはいられない言葉でもあるだろう。経験的に、納棺された死者を見る度に、その「静謐」を感じる。生は喧噪と欲望と飾ることの楽園でもあるが、だれもが辿り着く死の静寂は、そこからは謎である。
納棺師として、死者を旅立たせるための丁寧な所作を行うときの主役の本木雅弘はすばらしい。この映画の性格そのものを集約した場面であるだろう。彼は劇中で、その死者を扱う仕事への多くの偏見,差別に会う。それは身近な妻からでさえだ。しかし、そのいざ納棺の場面に立ち合うことをとおし、どんな説明も必要のない価値を目の当たりにする。
ぼくなどは個人的には葬式無用というか、お墓無用というか、ばちあたりものだが、それでもこの映画の納棺師が、死者の旅立ちの準備をさせるその行為のなかの意味はとても尊い美しいものだと感じる。身近な死者と生きて見送るものとが互いの気持ちを確認するための時間なのだ。映画の終わりのエピソードになる、子供のころ忘れた父親の「顔」が浮かび上がるシーンは、この映画が最後となった峰岸さんの、なんともいえない穏やかな表情。今になると、胸が熱くなる奇跡的な画面。
・「澄んでる」
日本の美しい風景と情緒的な音楽と、静かな中にしっかり芯のある俳優陣の演技全体にとても澄んだ空間
・「死と向き合うことから生きることは何かを学ぶ、」
人生にはまさかという坂がありp.35、「生の延長上に死があるのではなく、私たち人間は日々死を背負って生きている存在だp.39」。「その人の生き方が死に方を決める。P.41」「魂の平安と再会の希望が、最終的に人間の最後の場面で一番重要なのではないかp.57」。死に直面しつらい立場のある人には「安易な励ましを避けp74」「「私はあなたのことばをこのように理解するのですが、私の理解で正しいでしょうか」ともう一度相手にかえすような態度p.79」である「理解的態度p.79」をとって「死が怖いと言うことができるように寄り添ってp.82」いかなくてはいけない。生きていく力とは「物事のプラス面を見る力p.91」「自分に不都合なことが起こったときに苛立たないことp.97」「決断した結果を良しとすることp.99」「人を赦す力p.102」「不都合なことを受け入れる力p.106」「将来の可能性を見ることのできる力p.110」「神様が私たち一人一人に与えてくださる平安をしっかりこころで受け止めるということp.113」。ホスピスで何千人もの人々の死を看取ってきた柏木先生による、人の心を打つ講演録集である。死と生に対する向き合い方を考えるヒントが詰まっている。おススメ。
・「「聴く」と「聞く」」
著者の経験を生かしたわかりやすいお話がたくさんのっていておすすめです。 一つだけご紹介です。 「 聞く」は英語のhearで、「 聴く」は listenを訳したものという説があるそうです。 二つの漢字の違いは、 「 聞く」は耳があるだけで、 「 聴く」には心があります。 「 聴く」は耳を心にしてというか、 相手の心、相手の感情に焦点を当てるという 意味かもしれません……と書いてありました。
理解的対応の大切さを改めて感じさせられました。どこからでも読める良い本です。
●電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ (角川文庫)
・「苛酷な運命の中でいたわりあいながら懸命に生きる子供達の命の言葉」
いつはてるともしれない長い病院生活、無事に退院していく子供もいるが、亡くなってしまう子供もいる。そんな苛酷な運命の中で、他人へのいたわりの心を忘れずに懸命に生きる子供達の言葉は、「自分だけがひどい目にあっていると思い込んでいつも不満を言っているのではないだろうか。」「自分の不幸だけに目が向いて、他人へのいたわりの心を失っていないだろうか。」と私たち自身の生に鋭い問いを投げかけてくる。短い一生を終えた友だちの「思い」をも背負って、ある子供達は医療の現場にたずさわる道を進んでいく。私自身も、この本を書いた子供達から贈られた「言葉」に対して、いずこかに「返礼」をしていくことが迫られていることを感じる。こうして小さな言葉はその意味を増幅させ、小さな命の意味が世界へ広がっていくのではないだろうか。この本を世に出してくださった方々に感謝。本を読むのが嫌いな娘(小3)が「買って」と言ってきて、数時間で読んでしまった、人をひきつける本です。
・「命のメッセージに感動します。」
何気なく 購入した本ですが、病気と闘う人達の「がんばり」に感動しました。色々な苦労と大変さがある中で 簡単に感動したというコメントは 良く無いかもしれません。しかし 自然とナミダが流れることは せつなさと何とも言えない感情と思います。 そう言った意味で心が動かされたと思います。 自分自身を大切にし、人として元気でいることの大切さを自分の子供にも繰り返し伝えたいと思います。また、自分の健康への感謝を日々感じたいと思います。
・「感動しました」
テレビで紹介されて購入しました。命の大切さを子供と話し合いました。
・「人間の声の美しさを前面に出したレクイエム」
驚くべき演奏である。モーツァルトのレクイエムに、こんな解釈が有るとは、正直に言って、夢想だにして居なかった。この曲についての目を開かされる様な演奏である。冒頭がやや速めで、初めて聴いた時には、正直に言って、この冒頭箇所に、少々違和感を感じた。だが、そんな事は、すぐにどうでも良く成った。続くキリエから、もう全く独自の世界である。合唱を中心に、人間の声その物の美しさをオーケストラよりも前面に押し出す、他の指揮者による演奏とは全く違ふ世界が展開する。−−まるで、ルネッサンス時代の音楽を聴いて居る様な錯覚を覚えた。−−キリエの後も、全曲を通じて、人間の声その物の美しさを前面に立てた演奏が貫かれて居る。西洋音楽の原点に立ち返った様な、驚くべきモーツァルトのレクイエムである。
(西岡昌紀・内科医/ドレスデン爆撃から62年目の日に)
・「私はとりあえずこれで大感激」
前からモーツァルトのレクイエムをテレビのバックミュージックとかで聞いていて、何とか全曲聴きたいと思っていたのですが、クラシックのCDがたくさんおいてあるレコード屋(今はそういわないのか?)が無く、廉価版だけどとりあえずアーノンクールだからいいかと思って買いました。聞いてやはり大感激。「死は私の友達です」と言っていたこのころのモーツァルトの心の中が見えるようです。死をいつも前においてこそわれわれは襟を正して生きることができると、確か夏目漱石が「虞美人草」で書いていたと思いますが、そうした思いに至らされる演奏です。
・「…。」
初めてきいた時は「おおっ!!!!」って感じでした。金管がぶぉーと鳴り響いて、他の指揮者のとは滅茶苦茶にかけ離れた解釈。一言で表すと騒々しいって感じですかね…。全体的にアップテンポだし、他の演奏を聴いたことある人にも初めての人もとてもとっつきにくい演奏だと思う。
んならなぜ星4つかと言うと、涙の日と聖体拝領唱の終わり方が他の演奏よりずば抜けて綺麗だったからです。最後までごり押しじゃなく、自然なフェードアウトが凄い感動的です。
・「びっくり!」
モーツァルトのレクイエムを、カラヤン指揮で聴き慣れていた自分にとって、アーノンクールの指揮によるこの一枚は イスから転げ落ちそうなほど「びっくり」の感触だった。まるで解釈がちがう。 カラヤンが過不足なくきれいにまとまってるのに対して アーノンクールはでこぼこしていて、重い。
まだまだクラシック初心者のわたしにとって、「同じ曲は必ず最低でも2枚は違う指揮者で聴こう、ひとつの解釈でアタマが凝り固まらないように」、と決めた誓いの一枚である。
・「古楽器が災いか」
この曲はカール・ベーム指揮ウィーンフィルの歴史的名盤があり、今もそれを超越したものはありません。アーノンクールのこの盤は、硬い響きになっていて残念です。やはり、ヴェルディの「レクイエム」のように激しいものと違い、モツレクには厳かさが無いとだめだと思います。
・「スリラーに近いサスペンス」
本作品と同様、死刑制度をテーマにした作品といえば「デッドマンウォーキング」や「グリーンマイル」などが思い浮かぶ。主人公に時々刻々と「その時」が近ずいている中で話が進むという点においては、「デッドマンウォーキング」に近いストーリーだ。
しかしこの作品はインタビューでケビンスペイシーが言っているように「スリラーに近いサスペンス」として楽しむ要素があり、観る側の予想が2転3転される心地良さには全く脱帽。
台詞のあちこちには、明らかにアラン・パーカーの政治的メッセージが含まれていながら、観終わっても押し付けがましい感じはなく、彼が意図した様に各人各様に考えさせてもらえる自由を感じることができる。その結果、押し付けられるよりもずっと重くテーマを抱え込むことになる。更にストーリーがなぜテキサスなのか(特典映像にある)を含め、アラン・パーカーの解説(特典映像にある)を聞きながら作品を見直すたびに、テーマの重みが増してくる。
この脚本が、今まで人目につかなかったなんて本当に不思議。
この作品は同名でノベライズされている。文章化された本を読むと映像では語り尽くされなかった事や微妙なニュアンスの違いなどの発見があり、映像を楽しむ事で終わらせず、本も読むこともお勧めします。
・「正義の行方」
観終わって感じたのは、これが確実に9月11日以降の映画だと言う事。時代は映画を反映するというけど、この映画がもしあの日以前に観た映画だったら、これほど感銘を受けたかどうか分からない。脚本は前から書かれてたと言うけれど、不気味なくらい「今」という時代を考えさせる一本。
テキサスというところはアメリカでも死刑賛成が多いところで、大統領の事もあって保守的な野蛮な地域という印象がある。しかしアラン・パーカーは「本当に文化の多様性を重んじるなら、テキサスの文化も尊ぶべきだ」と言う視点から映画を撮っているのが凄く面白い。パーカー監督自身は死刑反対派だが、死刑を多数の人が支持しているテキサスにも正義がある事を否定できない。
それと対照的な死刑反対派の描写がまた面白い。死刑OKのテキサス州で彼らは次々と敗北し、絶望しかない現実の中で彼らはある決断をする。それはあの9月11日のテロと酷似したものになる。正義を唱える事は素晴らしいがそれが先鋭化してゆくとやがて過激なものになり、自分たちの正義を否定する間に対してはどんな手を使っても良いと言う事にしかならない。「世界の多数が掲げる正義」がある地方・地域では「過激な少数派」であり、「自由・平等・博愛」多数を背景にした押しつけでしかない部分が明らかに確実に存在する。
公開された時は、首都圏・大都市の公開がメインだったようですが、機会があれば是非見る事をお勧めします。残念ながらこういう「突き詰めた」映画が今の邦画で作られる事はないでしょうから。
・「隠れた名作」
名作です。それ以外の言葉が見つかりません。この作品はまぎれもなく、「ユージュアル・サスペクツ」や「アメリカン・ビューティー」に並ぶケビン・スペイシーの最高傑作です。
「人が人を殺すとは?」「理想のためなら、死すらも容認されるのか?」物語のラスト、見た人それぞれの思いや考えが心の底から沸き上がってくるはずです。
少なくとも、この手のテーマを考えることすらやめた日本では永久に生まれてこない名作でしょう。
・「大どんでん返しのサスペンスエンターテイメント映画:雨も効果的」
久々に面白い映画に出会った。最初のシーン、 主人公の記者であるビッチー(ケイト・ウィンスレット)が オーバーヒートして炎上した車を降りて走り続けるシーン。 決して美しい走りではないのだが、 その必死さが伝わってくる走りでつかみ。
この映画は、死刑廃止の是非という非常に重い問題を映画の 根幹にしながらもアランパーカーという監督さんは、 聴衆に決してその問題の是非を問うことなく、 131分をノンストップで見る者をくぎ付けにできる最高の エンターテイメントサスペンス映画に仕上げている。
もう一人の主人公である死刑囚デビッド・ゲイル (ケビンスペーシー) は、堀の中にいるときと回想シーンに出ているとき とでは全く人間が違うのだ。 その違いは、セブンのケビンスペーシーと アメリカンビューティーの彼を見ているようである。 ふてぶてしい人間と不器用な生き方をしている人間が 現実と回想の中で見事に同居しているのだ。
セブンで思い出したが、この映画は、とにかく雨のシーンが多い。 ゲイルの回想シーン以外、現実のシーンではほとんど雨か どんよりとしたくもり(地面はいつも湿っている)である。 死刑執行の日を晴天に選んだのは、 セブンの天候設定にかぶっていると思うのは私だけだろうか?
私は、死刑執行に対する特別な政治的感情はないが (大半の日本人は死刑を身近には感じないだろう)、 その是非を結論する必要なく、 とくにビッチーに感情移入して、 映画を見ていれば、ラストシーンの衝撃に 言いようのない感動すら覚えてくる。
・「大義の名のもとに」
ニューヨークの記者ビッツィーは、テキサス州刑務所にいる死刑囚デビッド・ゲイルから単独インタビューのオファーを受ける。なぜ私が?と訝りながらも面会に向かうビッツィー。ゲイルは高名な大学教授で死刑反対を訴える市民団体のメンバーでもあったが、皮肉にもいまや死刑の執行対象となってしまっている。彼は無実を訴えるが、執行までわずか3日しか残されていない。果たして彼は誰かにはめられた被害者なのか、それとも実際にレイプ殺人の犯人なのか。
主役をケビン・スペイシーが務めたという点が正解かどうかは意見が分かれるところでしょう。オスカーを受賞した「ユージュアル・サスペクツ」で彼が見せたひと癖もふた癖もある役どころを考えれば、今回の役を素直に見ていられないという人も多いのではないかと思います。何を隠そう私もその一人です。ヒットしなければ負けというハリウッドでは、いくら脚本が良くても客を確実に呼べる安全牌的スターが必要となります。この映画ではケイト・ウィンスレットとスペイシーがまさにその役割を担っています。 あえて「色のついていない」役者を起用する思い切りがあっても良かったのではないかという思いも正直残るのです。
それでも終盤に二転三転するストーリー展開はスリルに満ち、なおかつ重みを持った主題に見るものをしばらく声もでないほどに突いてくる作品であることは間違いありません。
・「大ソクラテス、ギリシャの吉田松陰」
”これが、エケクラテス、われわれの友人の最後でした。われわれの知りえたかぎりでの当代の人々のうちで、いわばもっとも優れた人の、そして特に知恵と正義においてもっとも卓越した人の、最後でした” このパイドンの言葉をもって本書は完結する。私は、魂が不死であるかどうかについては、正直明確な答えをいまなお持ってはいない。しかしながら、彼のような、このような泰然自若とした、清明なる死を、自分の昇天の暁にはぜひ迎えたいものだとの思いを胸に、今キーボードをたたいている。嗚呼、ソクラテス、なんと高潔かつ偉大なる人物であろうか。彼の影響を恐れた為政者らが、これを亡き者にしたことは、無念この上ないけれど、至極当然であろう。彼らはソクラテスを恐れたのであった。師ソクラテスの刑死(毒を自らあおる)の際、弟子プラトンはその場にはいなかった。パイドンより聞き及び、事後、本書を記した形となっている。だが、ソクラテスのこの死はプラトンを奮いたたせた。その場にいなかったが故に、なおさら彼の精神はその偉大なる死に共振したのであろう。プラトンはその季節“ソクラテス”となったのである。偉大なる者の高らかな死は、誠なる者達の魂をまさしく奮いたたせる。この意味では、ソクラテスは日本の吉田松陰である。松陰先生は、刑死の前日、自身の意志をつがせるべく、その“意志”を文(ふみ)としてあとに続くものたちに残した。その遺訓に奮い立った維新の志士達は、おのが命と引き換えに、松蔭先生の魂とともに、新生日本を創生させたのであった。この明治維新の原動力となったその書を『留魂録』という。偉大なる者の死はあとに続く誠の志士たちの精神を強固・不動にする。その意味では、ソクラテスが言及されたように、まさしく”魂は不死”なのであろう。本書はギリシャの『留魂録』である。大ソクラテス、ギリシャの吉田松陰の魂よ、永遠たれ。
・「プラトン哲学中の霊峰」
この「パイドン」は、他のプラトン諸作品とは一線を画くすものがあると感じました。ソクラテスが自らの死の直前に友たちと魂の不死性について議論を交わすという設定で描かれる本書は、書中ソクラテス自らが「もう自分には時間がないが・・・」と慨嘆しつつ、憑かれたように哲学論議を繰り広げていく。プラトンが描こうとしたものは、哲学するものの「報いは美しく、希望は大きい。」という一事につきるのではなかろうか、と思う。議論を追いかけること自体が哲学ではなく、この世にあっての自らの理想を議論に託した結果するところの自然な表現が哲学になると、読むものは導かれる。感激裡に読了して、そう思います。ただ、この本が岩波文庫に組み込まれたのが1998年が初版とは、驚きでした。何か翻訳上の事情があったのでしょうか?
・「哲学は面白い。」
内容としては、死刑が決まり、死を前にしたソクラテスが、逃亡をすすめる弟子たちに対して、魂の不滅を証明するというもの。
文章は非常に平易な口語体で、劇の台本のように、対話形式で進められる。そのため、「魂の不滅の証明」という高度なテーマにも関わらず、非常に読み易い。何百年も前の作品であるので、現代人の感覚としては、受け入れ難い部分や、理屈として考えられないような部分が存在するのも確かだが、随所で非常に興味深い考察が見られる。
哲学書としてだけでなく、単純に読み物としても非常に楽しめるので、哲学に興味がある人にもない人にも、お勧めの一冊である。
人生の終焉の為のバイブル的作品。死ぬまでには是非一度読んでおきたい。
・「生と死」
ソクラテスの死の間際を見守っていたパイドンがその様子をエケクラテスに口述するところからこの物語の幕が明けます。作品のサブタイトルである「魂の不死について」、これは作品の主題でありソクラテスが死をもってしても人々に伝えたかったことであると思います。
魂?魂が不死?現代社会を生きる我々にとってこの言葉は、非常に受け入れがたい表現(表現という言い回しは適切ではないが)であるはずです。本書を"ソクラテスの弁証法"として読むか、"人間ソクラテスの生き様"として読むかによってもとらえかたは変わってくるだろうと思いますが、私はというと"魂は不死なるもの"ということを素直に受け入れ、読み進めることができました。
生前喫煙家であった人の肺は死後も汚れたままですしあるし、肉体に負った傷は消えることはありません。死によってリセットされることはないということだとすれば、心に刻まれている善悪の行いは死後どうなるのでしょう。魂が肉体に入ることを "生" と呼び、魂が肉体から離れることを "死" と呼ぶならば、今生きているこの時におこなった善悪の行いは厳然と肉体・魂に刻まれているのではないのでしょうか。
そうでなければ、説明のつかないことが多いのではないかと思います。
本書は、ソクラテスの確信であったと感じることができました。
自らの世界観を広げる意味でも一読されても良いと思われます。
・「人の命の不滅性」
本書で書かれている対話の論理の進み方は現代人には到底受け入れられる内容ではないでしょう。しかし、プラトンがこの「パイドン」で示そうとした想起説とイデア論を理解するためには、ある種の経験が必要なのかもしれないです。そういったことも視野に入れると、この対話の意図はまたちがった角度から理解すべきものに感じます。理論としてのイデア論はむしろ「国家」のほうが詳しいようにおもいますが、人の命の不滅性を証明しようとする本書にはある種の霊性の美しさを感じます。また最後の部分で、神話でしか語りえなかった部分についてのプラトンの心情は何でしょうか。論理というよりもなにか、直観的に共鳴するところがある作品です。
・「生きる意味」
普通の役人として生きてきたイワンイリッチは、ふとしたことから不治の病にかかり死を迎える。その心の動きを克明に描いた文豪の傑作。死はどんな虚飾仮面も剥ぎ取ってしまう。イワンイリッチも自分が生きていた人生は本当にの人生ではなかったと悟る。瀕死のイワンの世話をする下男の心の美しさが印象的。生きる意味を深く考えさせられる。
・「哲学できるいいテキスト」
さっくり一日で読みきれる本でありながら、人間の生と死や苦悩について哲学できる良書。死の間際で今までの人生が空虚なものと感じてしまう主人公であるが、果たして意味ある人生とは?宗教が救いになるのか?意味とは解釈にすぎず今までの自分の生をありのまま肯定することはできないのか?いろいろと深く考えさせられます。主人公は家庭人としても立派であり、社会的地位は高いものの、その為に自己の内面についてはあまり関心を払う暇がなく、トルストイの諸作品に出てくるような信仰心厚い人物や虚無主義者というわけでもない平凡な性格な人物です。それ故、主人公を使って思想を押し付けるという感じが無く、ふと本を読むのをやめて自分ならどうだろうと考えに耽っています。死の瞬間もとても哲学的です。安易に宗教を持ち出さずに、うまくいってると思います。内容は読んでのお楽しみです。私はどちらかというと懐疑論や不可知論者ですが何か救われた感じがしました。
・「確実に訪れるそのとき」
死生学のアルフォンンス・デーケン氏の著作の中に下記のような紹介があり読んでみた。
「トルストイは国内だけではなく、外国の文壇でも高い評価を得ていた五十代の半ばになって、深刻な精神的な危機に見舞われます。『アンナ・カレーニナ』を完成し、経済的にも家庭的にも十分安定したはずの時期を迎えて、彼は突然10年近くも創作の筆を絶ちます。近づきつつある死への自覚が、それまでの人生観への確信を根底から覆し、不安と抑うつと絶望の深淵へ彼を叩き込んでしまったのです。結局、トルストイは信仰の意義を再発見することによって、ようやくこの危機を克服します。 その体験のあとで、書かれたのがこの『イワン・イリッチの死』です。いわば作者自身の死との対決の後で、死と正面から取り組み、その本質を深く見据えて文学的に結実させた不朽の名作と言えましょう。これは実存主義の基礎を築いた作品の一つとして、リルケ、カフカ、カミュ、ハイデガー、サルトルたちに大きな影響を与えました。」(アルフォンス・デーケン 死とどう向き合うか P182より)
まったくどこにでもいそうな主人公が、死を目前にして、健康、地位、財産、家族の愛などすべてを手離さなければならなくなる。いやもともとそんなものには価値がなかったことの気がつく。そして、自分の今までの人生が浅く、薄っぺらく人生だったことに気がつくという話である。
しかし、我々は彼の人生を笑えるだろうか?冒頭で紹介される彼の人生には一点の非の打ち所も無い。いや、ある一面においては賞賛されるべきものである印象すらうける。しかし、死の恐怖を目前にした主人公の前には、いっぺんの価値も無いのだ。
果たして、人間の人生の価値は死を目前にして、その恐怖に打ち勝つ勇気や諦観を与えてくれるものなのか?もしそうであるなら、私自身はそんな人生をこれまで送ってきたのか、今送っているのか、あらためて考え直してしまった。
・「緩和ケアに携わる方に必読の書」
イワン・イリッチという一人の官僚の極めて個人的な体験をとおして普遍的な「死への過程」を描かれた名著。死を目前にした人間の凄まじいまでの孤独、苦痛、否認、そしてスピリチュアルペインが伝わってきます。短いけれど、あの「死ぬ瞬間」に書かれていることと共通する内容が大変多いのです。何度も読み返しました。その度考えさせられます。さすがトルストイ。緩和ケア病棟の勉強会テキストに使用させてもらいました。
・「何のために生きているのか」
人間は健康な時についつい俗世の欲望や功名心などに心を奪われて自分が死すべき運命にあることを忘れてしまうが、いざ死に直面すると、それまで血道を上げて追い求めてきたものが全て空しくなり、自分の生き方が残酷と思われるほど試される。刹那的な虚栄のためにあくせくして、結局人生を空しく送るか、それとも永遠への憧憬をもって本当に大切なことのために生きるか、誰しもがいつか選ばなければならないこの二つの選択を、この本は、不治の病に罹ってしまった主人公の心の葛藤を通じて、読者に突きつけている。
一日で読める短編だが、きっと人生の意味を再考させるきっかけとなる筈だ。死にかけている主人公の胸に去来する思いを追体験することによって、読者自身の生き方も試され、問われよう。
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